3の15「完売とスカウト」
計算勝負の翌日。
魔術学校の校庭。
ヨークたちの手で、計算箱の販売が行われた。
横長のテーブルを使い、ヨークとミツキが売り子になった。
人慣れしないリホは、背後からそれを見守っていた。
「あの、お兄さん、この後お暇ですか?」
列の先頭に来た女生徒が、そう言ってヨークに声をかけた。
ヨーク
「えっ?」
いきなりの申し出に、ヨークは少し驚いた。
だが……。
ミツキ
「暇は有りません。購入が済んだなら、他の方に列を譲って下さい」
ミツキに追い払われ、女生徒は列から外れていった。
「あう……」
販売は大盛況だった。
計算箱は、凄まじい勢いで売れていった。
すぐに最後の取引きが成立した。
ヨーク
「完売!」
皆に聞こえるよう、ヨークは大声で言った。
ヨーク
「計算箱完売で~す!」
ヨークの声は良く通った。
校庭に居る皆に、計算箱の完売が伝わった。
「えっ!? 嘘だろ!?」
「せっかくママに言って、お金持ってきたのに……!」
「声も素敵……」
「売ってくれよ! まだ有るんだろ!?」
「なんでこんだけしか用意してないんだよ!」
計算箱を楽しみにしていた生徒は多かった。
需要に対し、供給が足りていない。
販売所の周辺が、殺伐としてきてしまった。
ヨーク
「ちょ……落ち着けよ!」
リホ
「っ……どうしたら……?」
予想外の反響に、ヨークとリホは、少し焦った。
そこへ、ミツキが冷静に口を挟んだ。
ミツキ
「予約を受けるというのはどうでしょう?」
ヨーク
「そうか……! ミツキ! 紙とペン!」
ミツキ
「はい」
ミツキはスキルを用い、紙とペンを取り出した。
そして、ヨークに手渡した。
ヨークは両手で紙を掲げた。
ヨーク
「計算箱が欲しい方は、ここにお名前と連絡先を記入して下さい!」
ヨーク
「次が完成次第、お届けにあがります!」
それを聞いて、客たちの狂騒が、鎮まってきた。
人々は、混沌から秩序へと立ち返り、予約会が始まった。
「10個注文したいんだが」
ヨーク
「ご希望の方が多いので、今回は3つまででお願いします」
「何だと? 俺は……」
魔術学校には、良家の子女が多い。
良家とは、良い意味だけを持つ言葉では無い。
ハーフの物売りに対し、尊大さが見えることが有った。
ヨーク
「お願いします!」
ヨークは頭を下げた。
美しい少年に、大声で頭を下げられ、目前の生徒は気圧された。
「む……」
これ以上ゴネては、周囲に対しても無作法になってしまう。
男子生徒はヨークの言を受け入れた。
「仕方ない。三つ、頼んだぞ」
以降、予約会は順調に進んだ。
用紙が予約でいっぱいになっていった。
やがて予約注文が終わり、撤収することになった。
……。
宿に帰り、ヨークたちはベッドに腰掛けていた。
ヨークの手中には、予約用紙が有る。
紙上に、顧客の名前が、びっしりと記されていた。
ヨーク
「予約の数が、えらいことになっているが、大丈夫か?」
リホ
「大丈夫っス。問題無いっス」
リホ
「嘘っス」
ヨーク
「嘘かよ」
リホ
「あの魔石、全部手作りっスよ?」
リホ
「大丈夫じゃないっスけど、なんとかするしか無いっスね」
ヨーク
「大変だな。ああ……」
ヨーク
「魔導器を作る魔導器でも有れば良いのにな」
リホ
「それは……」
リホ
「出来るかもしれないけど、やらないっス」
ヨーク
「どうしてだ?」
リホ
「そんなモノが流行ったら、刻印師の人たちのお仕事が、無くなってしまうっスからね」
ヨーク
「お前を、業界から締め出した連中だろ?」
リホ
「そうっスね」
リホ
「けど、そこまでの恨みは無いっスから」
……。
クリスティーナ
「化け物め……!」
ドミニ魔導器工房に、クリスティーナの個室が有った。
才能有るクリスティーナに対し、特別に与えられた部屋だ。
そこは作業室であり、研究室でもあった。
彼女はそこで、顕微鏡のレンズを覗き込んでいた。
顕微鏡の台の上には、分解された計算箱が有った。
計算箱は、金属のフレームと、いくつもの魔石で構成されている。
それらがバラバラにされていた。
石の1つ1つを、クリスティーナは観察した。
クリスティーナ
(数字というものを、完全に制御している。なんて美しい……!)
クリスティーナ
(加減乗除だけでなく、累乗や平方根や微分積分まで……!)
クリスティーナ
(リホ=ミラストック……。彼女は本当に人間なのか……?)
クリスティーナ
「だけど……これさえ有れば……!」
惜しみ無き驚嘆。
その後に残ったのは、嫉妬では無かった。
もっと前向きな感情。
夢へとつながる希望だった。
……。
販売会の翌日。
ドミニ魔導器工房の社長室。
イジュー=ドミニは、いつものように仕事をこなしていた。
突然、ノックも無しに扉が開いた。
営業部長のザブンが、早足で入室してきた。
ザブン
「社長」
イジュー
「…………」
ザブン
「社長!」
イジューが気付かなかったので、ザブンは大声を出した。
イジュー
「ん……? ザブンか」
イジューは書類に向けていた視線を上げた。
イジュー
「どうした? 来客か?」
ザブン
「いえ」
ザブン
「これのことなのですが……」
ザブンは、机に小さな箱を置いた。
銀に輝く薄い小箱。
その開口部に、複数の魔石がはめられていた。
イジュー
「何だそれは? いや、まさか……」
イジュー
「計算箱か……!」
ザブン
「御存知でしたか」
イジュー
「…………」
イジューは、ギロリとザブンを睨んだ。
その視線には、若干の殺気が乗っていた。
ザブンとイジューの付き合いは長い。
鋭い眼光を受けても、気圧されることは無かった。
この程度で狼狽するようでは、営業部長は勤まらない。
イジュー
「どうしてそれが、ここに有る」
イジュー
(リホの図面は……燃えたはずだ……)
イジュー
「何故……」
ザブン
「はい?」
イジュー
「こちらが質問している」
ザブン
「アッハイ」
ザブン
「これは私の部下の子供が、魔術学校で手に入れてきた物のようです」
イジュー
「その箱は、魔術学校の製作ということか?」
ザブン
「いえ」
ザブン
「これは先月に、フリーの魔導技師たちが、学校へと売り込みに来た物のようです」
ザブン
「事情を調べたところ、彼らのうちの一人は、リホ=ミラストックだったとか……」
イジュー
(復元したのか……。あの図面を……)
イジュー
(心の弱い子だと思ったが……甘く見たか?)
イジュー
(ならば……)
イジュー
「この計算箱……ウチの工房で複製することは可能か?」
ザブン
「それは……技術部門に聞いてみないと分かりませんが」
イジュー
「貴様は営業部長だろう」
イジュー
「ならば、出来ると言え」
ザブン
「……出来ます」
イジュー
「よし。最速でやれ」
ザブン
「それは、他に遅れが出ても構わないということですか?」
イジュー
「そうだ」
イジュー
「何よりも優先して、やれ」
ザブンはイジューの意図を問わなかった。
何か深い見通しでも有るのだろう。
そう考えた。
イジュー=ドミニは魔導器界の巨人。
並外れた天才なのだから。
……少なくとも、今までは。
……。
ヨーク
「ありがとうございました~」
ヨークたちが、商人の屋敷から出てきた。
予約注文を受けた計算箱の、販売だった。
リホ
「大分落ち着いてきたっスね」
ミツキ
「そうですね。お疲れ様でした」
リホ
「大変だったっスけど、これでようやく元手が出来たっス」
ヨーク
「元手?」
リホ
「店を、ウチだけの魔導器工房を作るっスよ」
リホ
「でっかい店舗を借りるっス」
リホ
「ブラッドロードとミツキも、そこに住むっスよ」
ヨーク
「えっ? 俺はいいよ」
ヨークは、今の宿で満足していた。
特に引っ越す理由も無かった。
リホ
「…………」
リホ
「それじゃあ……借りるの止めるっス」
リホは、ションボリシナシナして言った。
ヨーク
「いやいやいやいや」
リホ
「ウチ一人で、お店なんて不可能っス!」
リホ
「タチの悪い客がクレームに来たら、ショックで死んでしまうっス……」
ヨーク
「お前、ホント弱いな」
リホ
「ふふふ。よわよわっス」
リホ
「ウチはブラッドロードが居ないと、何も出来ないっス」
ヨーク
「まったく……」
リホは、ヨークに依存していた。
醜悪かもしれない。
理想を言えば、人は強く有るべきだ。
1人でも立てるべきだ。
リホは1人では立てなかった。
ヨークにおんぶされていた。
ヨークには、それを振り落とすことは出来なかった。
そして、現状を不快だとも思っていなかった。
ミツキはそれを良しとしなかったが、強く咎めることも無かった。
ミツキも、リホに愛着を抱きはじめている。
ヨークはそのことに気付いていた。
少し歪な3人が、住宅街を歩いていった。
その時……。
三人の前に、壮年の男が現れた。
シラーズ
「リホ=ミラストックさんですね?」
男の年齢は、30代半ばくらいだろうか。
種族は人族。
髪は薄紫で、瞳はグリーン。
質の良いブルーのスーツを、身にまとっていた。
少し老いの兆候が見られるが、色男と言って良かった。
リホ
「ッ……!?」
リホは反射的に、ヨークの後ろに隠れた。
シラーズ
「あの……?」
リホの過剰な反応に、男は困惑した様子を見せた。
ヨーク
「リホ、知り合いか?」
リホ
「知らない人っス」
ヨーク
「だったらなんで隠れるんだよ」
リホ
「知らない人だからっス。おまけに底辺じゃ無さそうっス」
ヨーク
「お前……」
ヨーク
「すいません。コイツ、人見知りなんで」
シラーズ
「いえ。構いませんよ」
そう言って、男は微笑んだ。
シラーズ
「天才と言われる方々には、少し変わった方が多いですからね」
ヨーク
「……はぁ」
ヨーク
「それで、どういう用件ですか?」
シラーズ
「実は私は、こういうものでして」
男は、ヨークに紙を差し出した。
1辺5センチも無い、小さな紙。
それを両手で持って。
たかが紙切れに、丁寧すぎる。
商人の世界に疎いヨークは、内心でそう思った。
だが、顔には出さず、片手で紙を受け取った。
ヨーク
「これは?」
シラーズ
「名刺というものです」
シラーズ
「最近商人の間で流行っているもので、中々便利なんですよ」
ヨークは名刺を見た。
そこには、男の名前や職業、連絡先などが記されていた。
ヨーク
「工房の人か」
シラーズ
「はい。スガタ魔導器工房の、社長を務めさせてもらっております」
シラーズ
「シラーズ=スガタと申します。以後お見知りおきを」
リホ
「スガタの社長さん……?」
スガタ魔導器工房は、伝統有る王都の工房だ。
ドミニ工房に次ぐほどの規模を持っている。
リホも、その名前は知っていた。
だが、その社長の名前は、イジューほど有名では無かった。
リホがイジューの大ファンで、他の工房にあまり関心が無かったというのも有る。
だからリホは、シラーズの顔を、今日初めて見た。
シラーズ
「はい」
ミツキ
「魔導器工房の社長さんが、直々に、何の御用でしょうか?」
シラーズ
「私はですね、ミラストックさんを、スカウトに来たのです」
リホ
「…………!」
ミツキ
「リホさんを、工房で雇いたい。そういうことでしょうか?」
シラーズ
「その通りです」
ミツキ
「計算箱の存在を、知ったからですか?」
シラーズ
「それは……はい」
ミツキ
「都合の良い話ですね」
ミツキ
「彼女が苦しい時期には、村八分の扱いをしておいて……」
ミツキ
「利用価値が見えた途端に、擦り寄ってくるとは」
シラーズ
「そう思われてしまっても、仕方が無いですね」
シラーズ
「ですが、部外者の私たちには、彼女の才能の真価を、見抜く術は無かった」
シラーズ
「消極的な対応を取らざるをえなかったのも、仕方の無いことでは無いですか?」
ミツキ
「魔術学校随一の神童の才能を、見抜けなかったと?」
シラーズ
「学業の成績と、魔導技師の能力というのは、必ずしも一致するものでは無いのです」
ミツキ
「それはそうかもしれませんが……」
シラーズ
「無礼な申し出であることは、重々承知しています」
シラーズ
「ですが私は、本物の才能に対しては、十分な対価を支払うべきだと思っています」
シラーズ
「待遇面で、彼女を不満にさせるようなことは、断じてありません」
シラーズ
「どうですか? ミラストックさん本人の意思を、お聞きしたいのですが?」
リホ
「……光栄っスね」
リホ
「けど……」
リホ
「ウチは2人と一緒に居たいっス」
リホ
「だから、お断りします。ごめんなさい」
リホは丁寧に頭を下げた。
シラーズ
「…………」
シラーズ
「それが本人の御意思であれば、仕方が無いですね」
シラーズ
「引き下がるとしましょう。ですが……」
シラーズ
「気が変わったら、いつでも訪ねて来て下さい。それでは」
シラーズは3人に背を向け、立ち去っていった。




