3の8「1本目と2本目」
ヨーク
「嘘……?」
ヨークはリホを見た。
そして、問うた。
ヨーク
「そうなのか? リホ」
リホ
「…………」
リホは俯いて、動かなかった。
口を開く様子は無かった。
椅子に座ったまま、ヨークに背中を向けていた。
ミツキの表情に、呆れの色が増した。
ミツキ
「真っ当に、受け答えをするつもりも無いとは。……なんと見苦しい」
ミツキ
「ヨーク。時間の無駄です」
ミツキ
「彼女を追い出して、それで終わりにしましょう」
リホ
「…………」
ヨーク
「待てよ。落ち着けって」
ミツキ
「私は落ち着いていますが?」
ミツキ
「冷静に物事を見られていないのは、ヨークの方かと」
ヨーク
「そうは思わねえ」
ヨーク
「ミツキ。お前は、リホが俺にどんな嘘をついたのか、知ってるんだろ?」
ヨーク
「まずはそれを話すべきだ」
ヨーク
「話すべきことは話す。冷静ってのはそういうことだろ?」
ミツキ
「……分かりました」
ミツキ
「魔石の加工が進んでいるというのは、真っ赤な嘘です」
リホ
「っ……」
ヨーク
「そうなのか?」
ヨークは机上の魔石を見て、次にリホを見た。
相変わらず、言葉は返ってこなかった。
今この場において、沈黙は肯定に等しく感じられた。
リホ
「…………」
ミツキ
「彼女の留守を見計らって、魔石を調べました」
ミツキ
「その魔石は、一切の手がつけられていない、無垢のままでした」
ヨークはミツキを信頼している。
彼女が嘘をつく必要が有るとも思えなかった。
ならば……。
リホが嘘をついたというのは、事実なのだろう。
そう思っても、ヨークはリホ自身の言葉を聞きたかった。
だが、乱暴に聞き出そうとは思えなかった。
リホを助けてやりたい。
その気持ちは、今も変わってはいなかった。
迷宮で、彼女は泣いた。
その涙までが偽りだとは、思いたくなかった。
ヨーク
「リホ……」
リホ
「…………」
ミツキ
「何も言わない。弁解の余地すら無いということです」
ミツキ
「とっとと追い出してしまいましょう」
ヨーク
「落ち着けって」
ヨーク
「今のお前、態度がきついんだよ」
ヨーク
「見ろよ。泣きそうだろ?」
ミツキ
「泣きそう?」
ミツキ
「泣きそうだから、不憫だとでも言うのですか?」
ミツキ
「自分に非が有るのに、涙で同情を誘うような女は、被害者では無い」
ミツキ
「立派な加害者ですよ」
ヨーク
「いや、分かるぜ?」
ヨーク
「お前の言ってることは正論なんだろうさ」
ヨーク
「……けどさ、ミツキ」
ヨーク
「俺だって、嘘ついたことくらい有る」
ミツキ
「っ……」
ミツキ
「ですが、彼女にとってヨークは恩人です」
ミツキ
「命を救って、宿の面倒を見て、商売道具まで下賜した……」
ヨーク
「下賜て」
ヨーク
「別に、それは良いさ」
ヨーク
「俺は嫌な思いしてないから」
ミツキ
「怒らないというのですか」
ヨーク
「こんな震えてるやつに、怒れねーよ」
ミツキ
「では……どうすると言うのですか?」
ヨーク
「待つよ」
ヨーク
「リホが話せるようになるまで、待つ」
ヨーク
「ミツキはエボンさんに、魔石が遅れるって伝えてきてくれ」
ヨーク
「それで、甘い物でも食べて、ピリピリしたの抜いて来いよ」
ミツキ
「……分かりました」
ミツキ
「行って参ります」
ヨーク
「ああ。行ってらっしゃい」
ミツキはヨークに背を向けた。
そして、大股で部屋を出ていった。
その足音は、いつもより大きかった。
寝室には、ヨークとリホの2人が残された。
リホ
「……………………」
誰も喋らないと、室内は静かだ。
ヨークは口を開いた。
ヨーク
「何か飲み物でもどうだ?」
リホは首を横に振った。
寝室は再び静かになった。
ヨーク
「……………………」
リホ
「……………………」
ヨーク
「言葉が出せない感じか」
リホ
「…………」
ヨーク
「ん~……」
ヨークは歩いた。
リホが座る椅子の方へ。
ゆっくりと、リホの背中に近付いた。
そして、彼女に手を伸ばした。
両手を、彼女の体の左右へ。
ヨーク
「こしょこしょこしょこしょ」
ヨークはリホの脇腹をくすぐった。
リホ
「ひあっ!?」
リホは椅子から跳び上がった。
そして、逃げるようにヨークから距離を取った。
リホ
「いきなり何するっスか!? 変態! 最低っス!」
リホは、大声でヨークを責めた。
それを見て、ヨークは微かに笑った。
ヨーク
「言えたじゃねえか」
リホ
「何がっスか!?」
リホは大声のままだった。
その表情からは、露骨な怒りが見て取れた。
ヨーク
「人のこと最低って言えるならさ」
ヨーク
「そうやって怒りとかぶつけられるなら、怖いもんなんて無いと思うけどな」
リホ
「それは……」
リホの顔から怒気が消えた。
だが、眉根は寄ったままだった。
リホは再び俯いてしまった。
リホ
「…………」
ヨーク
「まだ駄目か」
ヨーク
「効き目が薄かったかな?」
リホ
「……効き目?」
ヨーク
「実はな、さっき触った所に、話しやすくなるツボが有るんだよ」
リホ
「そうなんスか?」
ヨーク
「ああ。嘘だが」
リホ
「えっ……」
ヨーク
「なあ。俺はお前に嘘をついたぞ。リホ」
ヨーク
「これでお互い様だな?」
リホ
「……もぅ」
リホ
「……………………」
リホ
「ウチは……」
ヨーク
「うん」
リホ
「失敗するのが怖かったっス……」
ヨーク
「うん」
リホ
「魔石の加工なんて、授業で少しやっただけで……」
リホ
「こんな良い魔石を貰って、もし失敗したら……」
リホ
「ウチは今度こそ、見放されてしまうんじゃないかって……」
ヨーク
「そうか……」
ヨーク
「お前も……蓋を開けるのが怖かったんだな」
リホ
「蓋……?」
ヨーク
「だけどな。リホ」
ヨーク
「前に進むのが怖いって気持ちは、前に進まないと無くならねーんだ」
リホ
「そうなんスかね……?」
リホ
「けど……怖いっス……」
ヨーク
「……そうだな」
ヨーク
「リホ。これ持ってみろ」
ヨークは、作業台に向かった。
そして、魔石と針を手に取った。
手中の魔石と針を、リホに手渡した。
リホ
「…………?」
リホの右手に針が、左手に魔石が載せられていた。
リホは理由が分からず、ぼんやりとそれを見た。
ヨークはリホに針をぎゅっと握らせた。
そして、リホの手を動かした。
がりっ。
針が魔石に突き立てられた。
リホ
「あっ……!」
雑に針を突き立てたことで、魔石に大きな傷が出来ていた。
台無しだ。
傷ついた部分をカットして捨てないと、この魔石は用をなさないだろう。
そうすれば、とうぜん元よりも小さくなる。
エボンに頼んだフレームにはもう使えない。
リホ
「なんてことを……!」
リホ
「これじゃ……もう使い物にならないっス……!」
ヨーク
「はっはっは。大失敗だな」
リホ
「笑い事じゃ無いっス!」
ヨーク
「そうか?」
リホ
「そうっスよ! たった一つの魔石が……!」
ヨーク
「そうかな?」
リホ
「…………?」
ヨーク
「ちょっと出かけてくる。待ってろ」
リホ
「あっ」
ヨークは早足で部屋を出ていった。
寝室に居るのはリホ1人になった。
リホ
「ブラッドロード……?」
リホ
「…………」
気の抜けたリホは、てくてくと歩き、ベッドに倒れ込んだ。
そして、1時間後。
扉をノックする音が、リホの耳に届いた。
ヨーク
「お~い。開けてくれ~」
リホ
「…………?」
ヨークの声を聞き、リホはベッドから起き上がった。
小走りで扉に駆け寄り、開いた。
扉を開けると、そこにはヨークの姿があった。
ヨーク
「ただいま~」
ヨークの腕には、大量の魔石が抱えられていた。
リホ
「何事っスか!?」
ヨーク
「見ろよ。大量だ」
リホ
「魚っスか……」
ヨーク
「魚みたいなモンだ。ほれ」
ヨークは石を一個、放って渡した。
リホ
「わっ!」
リホは落としそうになりながら、なんとか魔石を受け取った。
ヨーク
「お前もやってみろよ。俺がやったみたいにさ」
リホ
「一ついくらすると思って……」
ヨーク
「お前がやらないなら俺がやるか?」
ヨークは作業台へと歩いた。
それから魔石を台に転がし、針を持った。
そして、石に針を近付けていった。
リホ
「待つっス!?」
リホはヨークから針を奪い取った。
リホ
「貴重な魔石を何だと思ってるんスか……」
ヨーク
「魚」
リホ
「…………」
ヨーク
「さ、やれよ。スッキリするぞ」
ヨーク
「お前がやらないなら俺がやる。さあ、どうする?」
リホ
「ッ…………」
リホ作業台に向かい、針を振り上げた。
リホ
「このお~~~~~~っ!」
気合と共に振り下ろした。
その勢いに弾かれ、魔石が床に転がった。
魔石に大きな傷が出来ていた。
理知的な魔術刻印では無い。
価値を下げるだけの、空虚な傷だった。
金銭的被害はどれだけになるのか。
ヨークにもリホにも分からなかった。
リホ
「うっ……あぁぁあぁあぁぁ……」
リホ
「やってしまった……」
ヨーク
「どうだ? スッキリしたか?」
リホ
「……最悪っス」
リホ
「罪悪感が止まらないっス。お百姓さんに申し訳ないっス」
ヨーク
「畑の大根かよ」
リホ
「モッタイナイっス……」
ヨーク
「そうか。もったいないか」
ヨーク
「やっちまったなぁ? リホ」
リホ
「ブラッドロードがやらせたっス……」
ヨーク
「それで? 人生終わりか?」
リホ
「……いえ」
ヨーク
「それじゃあ、次だ」
ヨークはリホに石を投げた。
今度はちゃんと、リホはそれを受け止めることが出来た。
リホ
「えっ? まだやるっスか?」
ヨーク
「やりたくないか?」
リホ
「当然っス」
ヨーク
「それじゃ、その石はお前の好きにしろ」
リホ
「……………………」
リホ
「はいっス」
リホは作業台に向かった。
それから、魔石をフレームに合う形状にカットしていった。
カットが終わると、顕微鏡の台に石を置いた。
そして、針と定規を持つと、レンズを覗き込んだ。
レンズを覗きながら、リホは手中の針と定規を動かした。
最初の一太刀を入れた。
リホ
「あっ……」
ヨーク
「うん?」
リホ
「線が……引けたっス……」
ヨーク
「うん」
リホ
「線を1本……引けたっス」
ヨーク
「うん」
ヨーク
「良かったな。リホ」
それから2本目の線を引くのに、大した時間はかからなかった。




