2の12「継ぐ者と継がぬ者」
戦うべきか。
ヨークは一瞬悩んだ。
ゼンス
「ふん」
ミツキ
「っ……!」
ゼンスはミツキを殴った。
そして5秒待つと、もう1発拳を叩き込んだ。
ミツキ
「あぐっ……!」
ゼンス
「次は20秒待つ」
ヨーク
「あ……」
ヨークはうめき声を漏らした。
ミツキの頬が、痛々しく腫れていた。
自分のせいだ。
ヨークにはそうとしか思えなかった。
俺のせいで。
俺なんかのせいで。
ミツキもきっと、俺に愛想が尽きただろう。
去っていく。
当然だ。
それだけの事をしてしまった。
そう思った瞬間、ヨークの体から、がっくりと力が抜けた。
今まで漲っていた戦意が、幻のように消えて無くなってしまった。
ヨーク
「…………」
からり。
気がつけば、ヨークは剣を取り落としていた。
赤い剣が、地面を転がった。
ミツキ
「ヨーク!?」
ゼンス
「……良し」
ゼンス
「シュウ、そいつを斬れ」
シュウ
「…………」
シュウ
「分かった」
シュウは、無事な左手で、自分の剣を拾い上げた。
そして、ヨークの前に立った。
ヨーク
「…………」
黙って斬られるつもりなのか。
ヨークは、抵抗する素振りを見せなかった。
シュウ
「意外だな」
シュウはヨークに話しかけた。
ヨーク
「……何がだよ?」
シュウ
「何が起きても、命尽きるまで戦い抜く。そういう反骨心を感じていた」
ヨーク
「俺一人なら、そうしたさ。けど……」
ヨーク
「ミツキは、俺のヘマに巻き込まれただけだ」
ヨーク
「俺の意地とか覚悟に、あいつを巻き込んじゃいけないんだ」
ヨーク
「これ以上ミツキを傷つけないと、全てに誓え」
ヨーク
「ミツキを守ってくれ」
ヨークはユーリたちのことを、信用してはいなかった。
剣を合わせたシュウだけは、少し話が出来る人間だと思っていた。
シュウ
「それは……」
シュウは迷った。
この場の主導権を握っているのは、シュウでは無い。
それに、シュウには仕える主が居る。
迂闊な誓いなど、出来るものでは無かった。
ヨーク
「もし誓えないのなら、素手でもお前を殺す」
短くも濃い懊悩が、シュウの中に生じた。
そして……。
シュウ
「……誓おう」
ヨーク
「聞いたぞ」
ヨーク
「ミツキを……頼む」
ヨークは頭を下げた。
その姿は、首を差し出しているようにも見えた。
シュウ
「因果なものだ」
シュウ
「世のため人のため、君のような若者が生き残るべきだろうに」
シュウ
「お家のため、君を斬る」
ヨーク
「つまんねー生き方」
シュウ
「つまらない男なのさ。俺自身が」
シュウ
「剣に愛されず、そんな自分を愛せなかった」
ヨーク
「……とっととやれよ」
シュウ
「そうさせてもらおう」
シュウは剣を振り上げた。
ミツキ
「ご主人様ッ!!!」
ミツキが叫んだ。
そして、呻いた。
ミツキ
「グッ……!」
ヨーク
「ミツキ……?」
ミツキ
「…………」
ヨークはミツキの方を見てしまった。
そして……。
ミツキ
「ぐ……ぅ……」
ヨーク
「え……?」
ミツキの口から、血が零れ落ちるのが見えた。
血はボトボトと地面を汚した。
ゼンス
「っ……!?」
崩れそうになるミツキを、ゼンスが支えた。
ミツキに何が起きたのか、ヨークには分からなかった。
ただ、ミツキが傷ついたということだけは分かった。
ヨーク
「何しやがったっ!!!」
ゼンツ
「違う……! こいつまさか……舌を……!?」
ヨーク
「てめえらああああああああぁぁっ!」
ヨークは地面を蹴った。
そうしてミツキに駆け寄ろうとした。
シュウ
「ッ……!」
一瞬迷い、シュウは剣を振った。
シュウの剣が、ヨークの右肩を裂いた。
ヨーク
「ぐっ……!?」
ヨークは倒れた。
肩から、どくどくと血が流れ出した。
ヨークは思わずポケットに手を入れた。
ヨークはいつも、ポケットに回復薬を入れていた。
ヨーク
(ポーション……)
ヨークはポケットを漁った。
ポケットの中に、薬瓶の感触は無かった。
ヨーク
(無い……か……)
その無駄な行動は、ヨークに致命的な隙を生んでいた。
シュウ
「…………」
シュウはヨークを殺しやすい位置に移動した。
シュウ
「残念だ」
シュウは剣を振り下ろした。
そして……。
シュウ
「…………!」
火花が散った。
シュウの剣が、魔剣によって弾かれていた。
弾いたのはヨークの剣では無かった。
デレーナ
「…………」
シュウ
「デレーナ……!?」
フルーレ
「お姉様!」
フルーレは安堵の笑みを浮かべた。
その笑みは、喜びと信頼に満ちていた。
自分たちの勝利を確信した笑みだった。
彼女の視線の先に、抜刀したデレーナの姿が有った。
シュウの顔が一瞬で青ざめた。
デレーナ
「見下げ果てましたわ。叔父様」
デレーナ
「人質を取り、無抵抗の相手を斬るなど……」
デレーナ
「迷宮伯家の恥さらしです」
シュウ
「言葉も無い。だが……」
シュウ
「剣を捨てた君が、それを言うのか」
デレーナ
「…………」
……。
それは、デレーナが16歳の時だった。
デレーナ
「父上……!」
デレーナ
「私はもう……剣を持ちたくはありません……!」
ブゴウの執務室で、デレーナは父にそう訴えかけた。
ブゴウ
「何を言っている?」
ブゴウ
「お前の剣才は、誰よりも優れている」
ブゴウ
「もはや、完成形ですら無い」
ブゴウ
「誰一人、お前の剣を受け継ぐことすら出来ないだろう」
ブゴウ
「だというのに、何を悩む?」
デレーナ
「私はただ……普通の女子になりたいのです」
デレーナ
「ドレスを着て、舞踏会に出て、素敵な殿方と出会って……恋をする」
デレーナ
「そんな普通の生き方が良いのです」
ブゴウ
「……理解出来ん」
ブゴウ
「迷宮伯家は、領地を持たん」
ブゴウ
「故に、迷宮伯が迷宮伯たる根拠は、その力だ」
ブゴウ
「力を以って国家の鼎となるが、迷宮伯の務め」
ブゴウ
「……そして誇りだ」
ブゴウ
「俺は凡才だ。弟も」
ブゴウ
「だが……お前を育てることは出来た」
ブゴウ
「お前の剣才を、何よりも誇らしいと思っていた」
ブゴウ
「お前は違ったのだな。デレーナ」
デレーナ
「……申し訳有りません。父上」
デレーナ
「ですが……私は女なのです」
ブゴウ
「母親に似たか」
ブゴウ
「柔弱だが美しく、俺はあいつの、そんなところを好いた」
ブゴウ
「長くは生きられなかったが……」
ブゴウ
「お前は……母のようになりたいのだな?」
デレーナ
「はい」
ブゴウ
「そうか……」
ブゴウ
「だが……当代のメイルブーケに、男子は居ない」
ブゴウ
「たとえ女子でも、この家を継いでもらわねばならん」
ブゴウ
「武門の家をだ」
デレーナ
「わかって……います……」
デレーナ
「私が言っているのが……ただのわがままだということ……」
デレーナ
「……わかっていたのです」
ブゴウ
「……………………」
デレーナ
「失礼します」
デレーナは部屋を出た。
ブゴウは少しの間、デレーナが退出した扉を眺めていた。
するとまた、扉が開いた。
少女が一人、入ってきた。
フルーレだった。
フルーレは真剣な顔をして、口を開いた。
フルーレ
「お父様!」
ブゴウ
「どうした?」
フルーレ
「メイルブーケの家は、私が継ぎます!」
ブゴウ
「聞いていたのか?」
フルーレ
「はい」
フルーレ
「……いけませんか?」
ブゴウ
「軟弱だ。盗み聞きというのはな」
フルーレ
「申し訳有りません」
ブゴウ
「それで、家督の話だったか」
フルーレ
「はい」
ブゴウ
「お前も女だ」
フルーレ
「はい」
ブゴウ
「我が家に男児が居ないのは、俺の不手際だ」
ブゴウ
「その気なら、後妻を娶り、子を産ませることも出来た」
ブゴウ
「そうしなかった。する必要性すら感じなかった」
ブゴウ
「デレーナの才が眩しかった」
ブゴウ
「あの娘がメイルブーケを継ぐことが、確定された未来だと考えていた」
ブゴウ
「卓越した剣技は、天からの祝福なのだと……」
ブゴウ
「フルーレ」
フルーレ
「はい」
ブゴウ
「家を継ぐことに、不服は無いか?」
フルーレ
「はい!」
フルーレ
「お姉様の力になりたいと思います。それに……」
フルーレ
「お姉様の美しい剣は、私の憧れですから」
ブゴウ
「…………」
ブゴウ
「言葉を濁さずに言うが……」
ブゴウ
「お前に、剣の才能は無い」
フルーレ
「っ……」
ブゴウ
「デレーナは卓越している」
ブゴウ
「存在の次元が異なっている」
ブゴウ
「十度生まれ直しても、お前がデレーナの域に達することは無い」
ブゴウ
「お前の凡庸な剣才は、歴史の波に押し流され、後世に残ることは無い」
ブゴウ
「それでも構わないと言うのか?」
フルーレ
「嫌ですね」
ブゴウ
「む?」
フルーレ
「お姉様に追いつけるよう、努力をします」
ブゴウ
「報われん」
フルーレ
「そうかもしれません」
フルーレ
「ですが、分かったつもりになって諦めることは、したく有りません」
フルーレ
「歩むからには、頂を目指す」
フルーレ
「それが、道を志すという事だと思います」
ブゴウ
「そうか」
ブゴウ
「お前に家督を譲ること、考えても良い」
フルーレ
「ありがとうございます」
ブゴウ
「ただし、一つ条件が有る」
フルーレ
「何でしょう?」
ブゴウ
「…………」
ブゴウ
「たまには着飾れ。良いな?」
らしくない事を言ったと、ブゴウは思った。
実に軟弱だ。
ふっと笑ってしまった。
それを見て、フルーレもにこりと笑ったのだった。
……。
そして今。
デレーナは、捨てたはずの剣を、再び手に取っていた。
その瞳は、まっすぐにシュウを見据えていた。
デレーナ
「確かに……」
デレーナ
「私は剣の道を外れ、妹に押し付けて逃げました」
デレーナ
「ですが……」
デレーナ
「人の道まで外れた覚えは、有りませんわよ」




