2の8の1「敵と強化」
ボワイヤ
「失せろ」
ボワイヤはニトロを睨みつけた。
視線に怒気が乗っていた。
ニトロ
「…………」
重圧がボワイヤを襲った。
ニトロから、同等以上の怒気が返ってきていた。
眼前の獲物を食い殺さんとする、猛禽のような気だった。
ボワイヤとニトロは初対面のはずだ。
赤の他人に向ける類の怒気では無かった。
ボワイヤ
「……っ」
想定外の意に、ボワイヤの体が揺れそうになった。
だが、ボワイヤとて上級の冒険者だ。
意識を集中し、深く息を吸った。
そして、吐いた。
ボワイヤ
「ふぅ」
ボワイヤ
「……神殿騎士など、お呼びでは無い」
ニトロ
「関係無いね」
ニトロ
「彼女を傷つけると言うのなら、君たちを倒させてもらう」
ボワイヤ
「倒すだと? 上級冒険者であるこの俺をか?」
「あの、ボワイヤ様」
兵士の一人が口を開いた。
ボワイヤ
「どうした?」
「あの方は、神殿騎士団の、団長です……!」
ボワイヤ
「何だと……?」
王都において、神殿騎士団と呼ばれる組織は、ただ一つ。
大神殿を守る、屈強な神殿騎士たちの群れ。
団長であるニトロは、大神殿の武力を代表する存在と言えた。
彼の号令一つで、精兵である神殿騎士たちが動く。
このような小競り合いで、敵に回して良い存在では無い。
兵士たち
「…………!」
その権威に、実績に、兵士たちは戦いた。
ニトロ
「案じることは無いよ」
ニトロ
「君たちをどうこうするのに、騎士団の力を使うつもりは無い」
ニトロ
「君たちごとき、この剣で十分だからね」
そう言って、ニトロは長剣を抜刀した。
ニトロの腰には、2本の長剣が有った。
今ニトロが抜刀した剣は、団長のものにしては凡庸だった。
ボワイヤの中に、ニトロを侮る気持ちが生まれた。
団長とは言っても、ただのまとめ役かもしれない。
組織の長が最強だとは限らない。
騎士団の介入は無いと、言質を取った。
それなら、目の前の男を叩きのめせば済む。
ボワイヤ
「この人数に勝てるつもりか?」
ニトロ
「勝てるさ」
ニトロ
「君たちは弱い。とても弱い」
ニトロ
「だから、弱い者虐めなんかしているんだろう?」
ボワイヤ
「舐めるなよ! かかれ!」
「はっ!」
兵士たちが、ニトロに向かっていった。
だが……。
「ぐあっ!?」
「ひぎっ!」
「うあっ!?」
それは、戦いと呼ぶには一方的だった。
彼らはニトロに傷一つ負わせることなく、倒されていった。
ボワイヤ
「な……!?」
あっという間に、ボワイヤの手勢は全滅していた。
一息の間に、数の優位は役に立たなくなっていた。
ニトロ
「後は君一人だ」
ニトロはボワイヤに剣を向けた。
その剣先は血に塗れていた。
彼の瞳には、まだ怒気が残っていた。
ボワイヤ
「俺は上級冒険者だぞ! 貴様など、俺一人で十分だ!」
ニトロ
「上級冒険者、か」
ニトロ
「やけに、それに拘るね」
ニトロ
「ひょっとして、それくらいしか人に誇れることが無いのかな?」
ニトロ
「貴族といっても、四男坊にもなると哀れなものだね」
ボワイヤ
「貴様ああああああっ!」
痛い所を突かれ、ボワイヤは激昂した。
敵前で我を失うなど、一流の戦士のすることでは無い。
ニトロ
「…………」
ニトロはすっと前に出た。
ボワイヤ
「あ……」
ニトロの剣がボワイヤを突いた。
その一突きで、ボワイヤは倒れた。
それきり、もう立ち上がれなかった。
ニトロ
「脆いな。金で買ったレベルで満足したクチか」
敵が居なくなると、ニトロは怒気を散らした。
そして、エルの方を見た。
エル
「あ……あぁぁ……」
エルは震えていた。
その表情からは、怯えの色が読み取れた。
ニトロ
「案じることは無い」
ニトロはエルに微笑みかけた。
ニトロ
「もう敵は居ない。怖がることは何も無いんだよ」
エル
「……はい」
エルはニトロと見つめ合った。
エルの震えが収まった。
ニトロ
「……大丈夫かい?」
エル
「はい。ありがとうございます」
ニトロ
「どういたしまして」
エル
「失礼ですが、もう行かなくてはなりません」
エル
「んっ……」
エルは、翼の痛みに苦しんだ様子をみせた。
ニトロ
「風癒」
ニトロは呪文を唱えた。
エルは薄緑の風に包まれた。
翼の傷は、みるみると塞がっていった。
エル
「すみません。何から何まで」
ニトロ
「気にしないで」
ニトロ
「良かったら、目的地まで送るよ」
……。
王都裁判所。
地下牢。
ヨークは、独房の一つに放り込まれていた。
ベッドも椅子も無く、壁にもたれて座り込んでいた。
相変わらず、ヨークの手首には、力を封じる手枷が有る。
今のままでは戦えそうになかった。
ヨーク
「…………」
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ヨーク=ブラッドロード
クラス 魔術師 レベル1
スキル 敵強化 レベル2
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ヨーク
(どうやら、スキルは使えるらしいな)
ヨークはただ、機会をうかがっていた。
やがて、2組の足音が聞こえてきた。
独房の扉が開き、2人の兵士が入ってきた。
両方が、20代くらいの男だった。
ヨーク
「…………?」
ヨークは違和感を覚えた。
そして、ヨークはソレの名前を知っていた。
殺気だ。
部屋の中に、殺気の塊が入ってきた。
兵士の片方が、ヨークの前に立った。
ガネス
「さて……」
ヨークの眼前の兵士が、腰の長剣を抜いた。
数打ちの安物だった。
それでも、丸腰の人間相手には、十分な驚異になる。
ガネス
「やるか」
ヨーク
「…………」
ベイク
「ガネス……。ホントにやるのか?」
剣を抜いた男に対し、もう片方の男は弱気を見せた。
ガネス
「もう金は受け取ってんだ。腹ぁくくれよ。ベイク」
ガネス
「それに、お偉方に逆らったら、こっちがどうなるか分からねえ」
ガネス
「やるしかねえだろ?」
ベイク
「そうだけど……チクショウ……!」
ベイク
「ウチはもうすぐ子供が産まれるんだぞ……?」
ベイク
「こんな事……嫁になんて説明したら良いんだよ……」
ガネス
「何も言うな。それで良いだろ」
ガネス
「俺がやる。良いから黙って見てろよ」
ベイク
「あ、あぁ……」
兵士の片割れ、ガネスが剣を振り上げた。
ヨーク
「俺を始末しに来たってわけか」
ヨークはガネスを睨みつけた。
本来であれば、片手で殺せる相手だ。
だが、手枷をはめられたヨークを、ガネスは恐れなかった。
ガネス
「悪いな」
ヨーク
「お前……」
ガネス
「何だ? 命乞いか?」
ヨーク
「俺に、『殺意』を向けたな?」
ヨークは凶悪な笑みを浮かべた。
自信と虚勢、敵意と憐れみが混じった、雄の笑みだった。
ヨーク
「なら……俺の『敵』だ……!」
ガネス
「それがどうした!」
ガネスは上段から剣を振り下ろした。
ヨークは両手を上げた。
手枷を突き出す。
剣の軌道へ。
レアスキルの中には、発動に条件が必要な物が有る。
今、条件は満たされていた。
ヨーク
(『敵強化』ッ!)
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ガネス=マウケル
クラス 戦士 レベル280
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極限の強化が、ガネスに施された。
凡庸な一撃が、渾身の一撃へと変わった。
人の限界を超えた剣が、ヨークの手枷を打った。
手枷は粉々に砕け散った。
衝撃で、ヨークの手首の骨も粉々に砕けた。
打った側の長剣すらも砕けていた。
ヨーク
「ぐうううっ……!」
ヨークは激痛に耐えながら、ガネスに意識を向けた。
まだ、終わってはいない。
これからだ。
ヨーク
「『強化……解除』……!」
ガネス
「な……!?」
ガネスは自分の体から、暴力的なパワーが抜けていくのを感じた。
ベイク
「おい……! 何やって……!?」
片割れのベイクが、困惑の声を上げた。
ガネス
「違う……! そんなつもりじゃ……!」
ベイク
「立ち上がるぞ!?」
その言葉の通りに、ヨークは立ち上がった。
ヨーク
「ハハッ」
ヨークは笑った。
激痛が、ヨークの脳から快楽物質を絞り出していた。
笑うことしか出来なかった。
ヨーク
「ハハハハハハハッ!」




