2の7「裁判と不正」
……。
シュウ
「兄上」
ある日のメイルブーケ邸。
シュウが、兄のブゴウに言った。
シュウ
「メイルブーケを出ようと思う」
ブゴウ
「何故だ?」
シュウ
「わからないか?」
ブゴウ
「…………」
シュウ
「高すぎた」
シュウ
「剣の頂きというのは、俺には高すぎたよ」
……。
ヨーク
「…………」
ヨーク一行は、裁判所に連行されていった。
ヨークはおとなしかった。
自分が暴れることより、怪我をしたミツキの方が気になっていた。
ヨークは自分の足で歩いた。
ミツキはシュウという男に抱きかかえられていた。
ミツキが、他の男の腕の中に居る。
それを見ると、ヨークはもやもやした気持ちになった。
きっと、ミツキの怪我が心配なせいだ。
それか、こいつらに苛ついてるせいだ。
ヨークはそう考えることにした。
やがて裁判所に着いた。
正面から中へと入った。
一行は、裁判所の内部を移動し、法廷へと入った。
法廷には、裁判長らしき男の姿が有った。
裁判の準備は、整っている様子だった。
ヨークは証言席にまで連れて行かれた。
証人控え席には、ユーリの姿が有った。
ユーリ
「…………」
ユーリは無言でヨークたちを一瞥した。
フルーレ
「ユーリ……!」
フルーレがユーリの存在に気付いた。
フルーレ
「これは……お前の差し金か……!」
ユーリ
「さあな。何のことだ?」
ユーリ
「それより、裁判が始まるぞ」
ユーリ
「法廷では、裁判長の言葉に、耳を傾けることだ」
フルーレ
「裁判だと……?」
裁判長
「静粛に、静粛に」
人が揃ったのを見て、裁判長が口を開いた。
裁判長
「これより、臨時裁判を執り行います」
裁判長
「被告人、ヨーク=ブラッドロード」
裁判長
「あなたに対し、二つの訴えが出ています」
裁判長
「一つは、決着がついた相手に対し、過度な追い討ちを行い、怪我を負わせたという訴え」
裁判長
「もう一つは、身分を偽り、神聖なる貴族の決闘を、穢したという訴えです」
裁判長
「これらの訴えに対し、何か申し開きすることは有りますか?」
ヨーク
「過度な追い討ち?」
ヨークは冷笑した。
ヨーク
「ちょっと、くすぐってやっただけだが……」
ヨーク
「貴族のおぼっちゃんには、痛かったか?」
ボワイヤ
「貴様……!」
ボワイヤの頬が紅潮した。
恥知らずな男のようだが、敗北の苦味はしっかりと覚えているらしかった。
ヨーク
「それと、俺が何を偽ったって?」
裁判長
「あなたは自分を貴族だと偽り、決闘の代理人となった」
裁判長
「しかし、実際のあなたは、ただの平民に過ぎなかった」
裁判長
「違いますか?」
ヨーク
「俺は一度だって、自分を貴族だなんて言ったことはねえ」
ヨーク
「何一つ偽っちゃいねえ」
裁判長
「決闘とは、貴族とその従者の間でのみ成り立つ、神聖なものです」
裁判長
「部外者の、それも平民が、踏み込んで穢して良いものでは無い」
フルーレ
「待て! そんな法律は聞いたことが無い!」
裁判長
「発言を許可した覚えはありませんが」
フルーレ
「…………」
フルーレ
「発言の許可を願いたい」
裁判長
「どうぞ」
フルーレ
「先ほども言ったが、平民が代理人になれないなどという法律は、聞いたことが無い」
フルーレ
「ならば、この訴え自体が無効だ。そうだろう?」
裁判長
「法典だけが法の真実ではありません」
裁判長
「決闘が、貴族のための、神聖な行いであるということは、もはや常識」
裁判長
「社会悪は、明確な常識に背いた者は、たとえ法に依らずとも、裁かれねばなりません」
フルーレ
「馬鹿な……! 本気で言っているのか……!?」
フルーレは、証人控え席のユーリを睨みつけた。
フルーレ
「ユーリ貴様……! いったい、幾ら積んだ……!」
ユーリ
「…………」
フルーレの問いに、ユーリは答えるつもりが無かった。
裁判長
「何を言っているのですか」
裁判長
「妄言が過ぎるようであれば、法廷侮辱罪となりますよ」
フルーレ
「ッ……!」
フルーレ
「ヨークは……部外者では無い!」
フルーレ
「ヨークは、私が魔剣を託した相手だ!」
フルーレ
「魔剣は大切な、メイルブーケの宝! それを託したのだ!」
フルーレ
「メイルブーケの騎士と言って相違無い! そうだろう!? ヨーク!」
ヨーク
「…………」
ヨーク
「知るかよ」
フルーレの訴えは、ヨークの心には届かなかった。
フルーレ
「ヨーク……?」
ヨーク
「俺はただ、喧嘩をしただけだ」
ヨークはユーリを見た。
ヨークの瞳には、怒りよりも虚しさが宿っていた。
ヨーク
「お互い納得して、喧嘩をしたんだろうがよ」
ヨーク
「それをテメェは、手下に汚ェ真似させやがって」
ヨーク
「それでも、俺が勝った」
ヨーク
「俺とお前が喧嘩して、俺が勝っただろうがよ……」
ヨーク
「それじゃあ……いけないのかよ……」
ヨークにはヨークの流儀が有った。
田舎の少年の流儀だ。
ヨークはそれを、男の流儀だと思っていた。
それが、この場所では全く通じない。
別の生き物の群れに、放り込まれたような気分になった。
ひどく虚しかった。
ヨーク
「うんざりだ……」
ヨーク
「なんで俺が……こんな目に合わなきゃいけねえんだよ……」
フルーレ
「ヨーク……」
フルーレの胸が、罪悪感で締め付けられた。
自分がヨークを誘わなければ、こんなことにはならなかった。
そう後悔しても、もう遅かった。
裁判長
「被告人、罪を認めますか?」
ヨーク
「もう……勝手にしろよ……」
ヨークにはもう、裁判を争う元気も無いようだった。
たとえ争っても、勝てはしないだろう。
なんとなく、それが分かっていた。
こいつらはそういう存在なのだ。
ヨークが持つ常識は通用しない。
美学も。
そう分かり始めていた。
ヨーク
(これが終わったら……貴族どもとは関わらねえ)
ヨーク
(ミツキと二人で迷宮に潜って……楽しく……)
ヨーク
(ミツキには悪いことをした)
ヨーク
(俺が持ってきたゴタゴタのせいで、怪我をさせた)
ヨーク
(後で謝らないとな……)
ヨーク
(俺は……)
ヨーク
(俺はミツキと……ずっと……)
裁判長
「それでは判決を下します」
ヨーク
「…………」
裁判長
「被告人が、代理人として不適であったことから、決闘はメイルブーケの敗北とする」
裁判長
「フルーレ=メイルブーケに、婚約者としての瑕疵が有るという、ユーリ=マレルの申し出を認める」
裁判長
「よって、婚約解消の申し出を良しとし、フルーレ=メイルブーケには慰謝料の支払いを命ずる」
裁判長
「決闘時の取り決めにより、慰謝料は小金貨8000枚とする」
裁判長
「被告人、ヨーク=ブラッドロードに関しては、『無期限の懲役』」
裁判長
「さらには、『全財産の没収』を申し付ける」
裁判長
「没収された財産の所有権は、慰謝料としてユーリ=マレルに移るものとする」
裁判長
「それでは……」
裁判長
「本日この場で、『奴隷の所有権』の『譲渡』を行う」
ヨーク
「は…………?」
判決の中に、聞き捨てならない言葉が有った。
そう思った時には、ヨークは兵士に取り押さえられていた。
ヨーク
「っ……! 放せ!」
ヨークは兵士たちに引きずられた。
ミツキの前へ。
ミツキは気絶したまま、椅子に座らされていた。
兵士の一人が、短刀を取り出した。
ヨークの右手を掴み、ヨークの親指を、雑に裂いた。
血が流れた。
ヨーク
「何しやがる!? 止めろ!」
兵士は、流血したヨークの手を、引っ張った。
ヨークの親指が、ミツキの首輪へと導かれた。
ヨーク
「止めろ! 止めろって言ってるだろ!?」
血に濡れた親指が、首輪の中央の皿に触れた。
首輪が輝いた。
この瞬間、ミツキはヨークの奴隷では無くなった。
ユーリ
「…………」
ユーリは、無言で二人に近付いた。
そして、自分で親指を裂き、首輪に触れた。
ミツキの首輪が、再び輝いた。
ユーリ
「これで、この奴隷は私の物だ」
ヨーク
「てめええええええええええぇぇぇッ!!!」
ヨークは肺腑の奥底から、怒声を絞り出した。
凄まじい怒気だったが、今のヨークには何の力も無い。
道化として笑われるだけだった。
ユーリ
「フン……」
ユーリ
「そんなにこの奴隷が惜しいか?」
ユーリ
「この美貌だ。分からんでも無いがな」
そう言って、ユーリはミツキの頬に触れた。
ミツキは気絶したままだった。
ヨーク
「テメェは俺が殺す……!」
ユーリ
「裁判を聞いてなかったのか? 愚かだな」
ユーリ
「お前はもう、一生牢屋から出てくることは出来ない」
ユーリ
「連行しろ」
兵士二人が、ヨークを引きずった。
フルーレ
「っ! 認められるか! こんなもの!」
フルーレは、ヨークを助けようと駆け寄った。
だが……。
シュウ
「…………」
シュウの拳骨が、フルーレの腹に突き刺さった。
フルーレ
「あぐっ……!?」
フルーレは崩れ落ちた。
ヨーク
「フルーレ……! くそっ……!」
ユーリ
「…………」
ユーリ
「さよならだ。ヨーク=ブラッドロード」
ヨークはそのまま引きずられていった。
ヨークの姿が法廷から消えた。
扉が閉ざされた。
エル
「…………!」
エルは、背中の黒翼を羽ばたかせた。
ヨークが連れ去られたのとは、反対側へ飛んだ。
窓が有る方向だった。
エルは体当たりで、法廷の窓を突き破った。
ユーリ
「逃がすな!」
兵士たちの半分ほどが、窓からエルを追った。
ボワイヤ
「俺に任せろ!」
ボワイヤも、その後を追った。
シュウ
「追いますか?」
法廷に残ったシュウが、ユーリの意思を問うた。
ユーリ
「いや……」
ユーリ
「フルーレを連れて王都を脱出し、フィルスツ砦へ向かう」
ユーリ
「シュウにはその護衛を頼む」
シュウ
「御意」
ユーリは兵士に向かって口を開いた。
ユーリ
「フルーレとそこの奴隷を、猫車まで運べ」
「はっ!」
兵士の一人がフルーレを、もう一人がミツキを抱え上げた。
ユーリ
「……手荒な真似はするなよ」
フルーレとミツキは、法廷から連れ出されていった。
ユーリは法廷の出入り口を見た。
ユーリ
「…………」
ユーリ
「主人を奪った」
ユーリ
「あの奴隷は……独りか」
シュウ
「奴隷というものは、常に独りでしょう」
ユーリ
「……そうかもしれないな」
ユーリとシュウは、フィルスツ砦に向かうため、裁判所を去った。
……。
エル
「はぁ……はぁ……」
エルは小道を駆けていた。
彼女の翼は、長時間の飛行には向かない。
結局は、2本の脚に頼るしか無かった。
ボワイヤ
「とあっ!」
エル
「あっ……」
いつの間に追いつかれていたのか。
ボワイヤの剣が、エルの黒翼を裂いた。
エル
「ううっ……!」
羽から出血したエルは、そのまま地面に倒れてしまった。
ボワイヤ
「馬鹿め。この俺から逃げられると思ったか?」
エル
「くっ……」
エルは痛みに耐え、立ち上がろうとした。
負傷をしたのは翼だけだ。
まだ駆けられるはずだった。
だが、その首にボワイヤの剣が添えられた。
エル
「…………!」
少し遅れて、兵士たちも2人に追いついてきた。
「ボワイヤ様!」
ボワイヤ
「遅いぞ。俺で無かったら、逃げられていた」
「申し訳ありません……」
ボワイヤ
「まあ良い」
ボワイヤ
「さて、どうしてくれようか」
「どうするって?」
男の声がした。
ボワイヤが声の方を見た。
そこに男が立っていた。
男は、銀の甲冑に身を包んでいた。
ボワイヤ
「お前は……」
ニトロ
「通りすがりの神殿騎士さ」
そう言って、ニトロは微笑んだ。
目は笑っていなかった。




