7の26「リーンと秘術」
リーン
「どうして……!?」
ザックス
「分かりきった道理だと思いますが」
苛立ちを隠せないリーンに対して、ザックスは堂々と答えた。
ザックス
「賊が現れたのであれば、クローン=リーンが略奪される可能性も有る」
ザックス
「賊の手が彼女に及ぶ前に、本懐を遂げた」
ザックス
「私の行いに、何か過ちでも有りますかな?」
トルソーラに仕える一族の者として、最善の選択をした。
そう思っているザックスの言葉には、一片の揺らぎも無かった。
彼のまっすぐな視線は、リーンを責めているようですらあった。
リーン
「……無いわよ」
ザックスの問いに、リーンはそう答えた。
それから彼女は思い切り、ザックスを殴り飛ばした。
ザックス
「ぐっ……」
床に転がったザックスは、リーンを見上げて言った。
ザックス
「やはり情が移っていたのですな。彼女に」
リーン
「…………」
ヨーク
「どういうことだよ? クリーンはどうなったんだ?」
二人のやり取りが理解できないヨークが、焦れて口を開いた。
リーン
「……クリーンは死んだわ」
ヨーク
「っ……!」
ヨークはクリーンに駆け寄った。
彼女の体は鎖によって、椅子に縛り付けられていた。
頑丈なはずのその鎖を、ヨークは軽々と引きちぎった。
鎖の破片が床に転がった。
それからヨークは、クリーンの顔に耳を近付けた。
そうするとクリーンが、すうすうと呼吸をしているのが聞こえた。
ヨーク
「生きてる……! 息をしてる……!」
ヨークは安心した様子を見せた。
だが、すぐにリーンが、無慈悲な言葉をぶつけてきた。
リーン
「じきに止まるわ」
リーン
「その体には、魂が無いのだから」
ヨーク
「…………?」
ヨーク
(魂……?)
ヨーク
(そういえば、前にサンゾウも、魂がどうとか言ってた気がするが……)
リーン
「魂は、人の生存を支える重要なエネルギー体」
リーン
「この世界の人々は、魂が無ければ生存を続けることが出来ない」
リーン
「それが自然の摂理よ」
語られたリーンの言葉を、無学なヨークは否定できなかった。
それで、彼女の言葉が真実であるという前提で、こう尋ねた。
ヨーク
「クリーンの魂はどうなったんだよ?」
リーン
「在るべき所に帰ったわ」
リーンはそう言って、家の天井を見上げた。
ヨーク
「あの世に行ったって言いたいのか?」
リーン
「いいえ」
リーン
「彼女の魂が向かったのは、世界樹の頂上」
リーン
「トルソーラさまの所よ」
ヨーク
「何のために」
リーン
「クリーンに宿っていた魂は、元々はトルソーラ様の物だから」
ヨーク
「……………………?」
……。
ある日の世界樹の頂上。
トルソーラとリーンは、そこでカードゲームに興じていた。
トルソーラ
「スリーソード」
リーン
「トリプル。私の勝ちですね」
トルソーラの手は、あまり良いものでは無かった。
対するリーンの手札では、同じ数字が三つ揃っていた。
今回の勝負は、トルソーラの敗北だった。
トルソーラ
「ふむ……」
勝負に区切りがつくと、トルソーラはカードをシャッフルし直した。
負けたばかりだが、苛立ったりした様子は見られない。
彼にとってこのゲームは、会話のおまけ程度のものに過ぎないのかもしれない。
トルソーラ
「まだ見つからんか。聖剣を複製出来る魔導技師は」
リーン
「はい」
トルソーラの問いに、リーンは頷いた。
かつて聖剣は、カナタ=メイルブーケによって破壊された。
それは聖障壁を破るための唯一の手段だった。
聖障壁を破らねば、ガイザークを倒すことはできない。
ガイザークを倒すには、聖剣が必須だということになる。
オリジナルの聖剣は、トルソーラが神の力で生み出したものだ。
だが今は、トルソーラが持つ力は、その大半が封じられている。
そんな状態では、新たな聖剣を生み出すことなど不可能だった。
文明レベルが進めば、人々の手で聖剣を生み出せるのではないか。
トルソーラはそう予期し、時が来るのを待っていた。
そして彼らが抱えている問題は、聖剣の有無だけでは無い。
リーン
「それに、聖剣を与えるに足る剣士も見当たりません」
リーン
「鍛えられた神殿騎士でも、レベル80が限界」
リーン
「私がレベリングすれば、上っ面のレベルだけなら、もう少しは上げられますが……」
リーン
「そんな見せかけの強さでは、とてもガイザークには敵わないでしょうね」
トルソーラ
「忌々しい」
トルソーラ
「ガイザークにこの身を縛られてさえいなければ、新たに神剣と血族を生み出せるというのに」
トルソーラ
「密室の鍵が、部屋の中に置き去りになっているようなものだ」
トルソーラ
「カナタ……。何故裏切った」
リーン
「止めましょう。あの男の話は」
トルソーラ
「…………」
トルソーラ
「アルゼとミーナの子供たちはどうだ?」
リーン
「赤肌を継いだ子供たちは、通常の人族よりは優れた力を持っています」
リーン
「ですがやはり、二人には及びません」
リーン
「神の血に自らの力で耐えた者と、ただ受け継いだ者とでは、素質に差が有るのでしょう」
トルソーラ
「むぅ……」
トルソーラ
「何か……無いものか。ガイザークの呪縛から逃れる方法が」
リーン
「…………」
トルソーラ
「ヨーグラウは……どうなったかな?」
リーン
「どう……とは?」
トルソーラ
「死んだヨーグラウの魂は、輪廻の輪に帰っただろうか」
リーン
「かもしれません」
トルソーラ
「あやつは死によって、我らの呪縛から免れたのかもしれん」
トルソーラ
「死してなお、ヨーグラウが我らのことを忘れぬと言うのなら……」
トルソーラ
「余は生まれ変わったあやつに討たれるだろうか?」
リーン
「…………」
トルソーラ
「あるいは……」
トルソーラ
「この余自身が転生するというのはどうだ?」
リーン
「トルソーラさま?」
トルソーラ
「ガイザークへの呪縛は残したまま、余への呪縛は抜け殻の肉体へと逸らす」
トルソーラ
「そして、転生した余の神力で聖剣を生み出し、ガイザークを討つ。どうだ?」
リーン
「そのような事が可能なのでしょうか?」
トルソーラ
「やってみなくては分かるまい」
トルソーラ
「リーンよ。術を完成させろ」
トルソーラ
「余を転生させ、ガイザークへの刺客とするのだ」
トルソーラ
「そして、ガイザークを討った後は、魂を元の体へと戻せ。良いな?」
リーン
「努力します」
トルソーラ
「うむ」
そして数百年後。
リーンはトルソーラの元を訪れる。
その傍らにはニトロの姿も有った。
ニトロ
「…………」
ニトロは黙って跪き、頭を下げていた。
トルソーラ
「何用だ?」
リーン
「トルソーラさま。転生の秘術が完成しました」
トルソーラ
「よくやった」
リーン
「ありがとうございます」
トルソーラ
「では、早速やってみせろ」
リーン
「もうですか? 今生との別れとなるわけですし、お心の準備などは……」
トルソーラ
「余が何年待ったと思っている。とっととしろ」
リーン
「はい。それでは……」
そう言うと、リーンは自身の腹に手を当てた。
そして苦しそうに呻いた。
リーン
「ん……!」
トルソーラ
「何をしている?」
トルソーラは術の全貌を、リーンから聞かされてはいない。
リーンの意図がわからずに、そう質問した。
リーン
「普通の胎児に、トルソーラ様を転生させることは出来ません」
リーン
「芽生えた命には、すぐに魂が入り込んでしまいますから」
リーン
「ですから、今ここで、私の胎に私自身のクローンを着床させます」
リーン
「そして着床の瞬間にトルソーラ様に術をかけ、魂を胎児へと移動させます」
トルソーラ
「おまえが余を産むわけか」
リーン
「そういうことになりますね」
トルソーラ
「ビックリだ」
リーン
「そうですね」
トルソーラ
「……苦労をかけるな」
リーン
「続けますよ?」
トルソーラ
「ああ……」
リーンの手が、強く輝いた。
リーン
「んんんっ……!」
外からは見えないが、リーンの胎には新しい命が宿ったはずだった。
リーンは次いで、トルソーラへと両手を向けた。
トルソーラ
「ぐ……!」
トルソーラの体から、真っ白に輝くエネルギー体が吸い出された。
そしてそれは、リーンの胎内へと吸い込まれていった。
魂を失ったトルソーラは、リーンの術によって氷漬けとなった。
魂の無い肉体を生き永らえさせるための、延命の秘術だ。
トルソーラは未だ健在。
そう認識したガイザークの術は、抜け殻の肉体へと働きかけ続けることだろう。
リーン
「はぁ……はぁ……」
術の疲れから、リーンは膝をついた。
ニトロ
「だいじょうぶですか? 大賢者様」
リーン
「……多分ね」
リーン
「産まれて初めてなんだから。こんなこと」
ニトロ
「それはそうでしょうね」
リーン
「……育休を取らせてもらうわ」
リーン
「私が休んでいる間、真珠の輪のことをよろしく頼むわ」
ニトロ
「新入りですよ? 私」
リーン
「あなたに私たちが、どれだけ投資したと思っているの?」
リーン
「代償は払ってもらう。そう言ったでしょう?」
ニトロ
「はぁ。がんばります」
ニトロ
「……魔族は滅びることになるのでしょうか? 第三種族も」
リーン
「上手く行けばね」
ニトロ
「…………」
リーン
「黒翼の愛人が心配?」
リーン
「上手く手柄をあげれば、奴隷の一人くらいは生かしても許されると思うわよ」
ニトロ
「そうですか」




