7の23「ニトロと禁忌の子」
それから、ニトロは毎日セイレムを抱いた。
一晩に一度では飽き足らず、何度も何度も。
意外なことに、セイレムはニトロを拒まなかった。
彼を押しのけようともせず、それどころか、積極的に身を絡めてくることすら有った。
気をやっているように見えることも何度か有った。
その回数はひょっとすると、ニトロが埒を明けた回数よりも多かったかもしれない。
ニトロは困惑した。
自分の夜の営みが稚拙なのは、死んだ妻に言われて理解している。
それなのに、情熱を交えて求めてくるセイレムが、ニトロには理解出来なかった。
自分が知らなかっただけで、ふしだらな女だったのか。
誰を相手にしていても、乱れるような女だったのか。
戸惑いながらも、ニトロはセイレムを求めるのを止められなかった。
求めに求めた女が、手の届く距離に居る。
多少の戸惑い程度では、彼を止めることはできなかった。
それだけ体を重ねていれば、当然に子も出来る。
ほんの二ヶ月ほどで、セイレムの腹にはニトロの子が宿った。
セイレムの腹は、日に日に膨らんでいった。
そして、出産の日が来た。
セイレムは地下牢で娘を出産した。
祝福されぬ出産に、産婆を呼ぶことなどできない。
ニトロがお産について調べ、産婆の役をやることになった。
慣れない重大な役目は、ニトロを緊張させた。
幸いにも、出産は無事に終わった。
赤子の鳴き声が、地下室に響き渡った。
赤子の背中には、セイレムと同様の黒い翼が見えた。
後始末が済むと、ニトロは娘を抱き上げた。
この一年の間、セイレムに触れることができた男は、ニトロ一人だけだ。
間違いなく自分の子だ。
ニトロはそう確信した。
ニトロ
「……この子の名前は?」
セイレム
「あなたがつけてあげて下さい」
ニトロ
「私にそんな資格は無いよ」
セイレム
「…………」
セイレム
「それでは、エルと」
ニトロ
「……うん」
ニトロはエルを抱きかかえたまま、牢の出口へ足を向けた。
セイレム
「その子をどうするのですか?」
我が子を心配して、セイレムがニトロにそう尋ねた。
ニトロ
「禁忌の子だ。私の子としては育てられない」
ニトロ
「かといって、子供を牢で育てることも出来ない」
ニトロ
「孤児として、大神殿で育てられるように計らってみる」
ニトロ
「第三種族であるエルが平穏に生きるには、明確な後ろ盾が必要だと思うから」
禁忌の子は、存在しているだけで処刑対象になる。
だが、人族と第三種族の子を、禁忌の子だと判別するのは、実は難しい。
純粋な第三種族と比べても、外見的な差がそれほど無いからだ。
つまり、ニトロが父親だと名乗らなければ、エルを純血だとごまかすことができる。
セイレム
「……そうですか」
ニトロ
「君から2度も子を奪う。すまない」
セイレム
「あの…………」
ニトロ
「……何かな?」
セイレム
「王都を……離れませんか?」
セイレム
「そうすれば、親子で生きていくことも出来るはずです」
ニトロ
「もし……そうしたら……」
ニトロ
「キミは私を愛してくれるのかなあ?」
答えをなかば予想しながら、ニトロはそう尋ねた。
そして予想通りの答えが返ってきた。
セイレム
「……いいえ」
セイレム
「私はリュークさんを愛しています」
セイレム
「あなたのことは良き友人としか思えません」
ニトロ
「……そっか」
ニトロ
「王都から逃げることは……出来ない」
セイレム
「……そうですよね」
セイレム
「ニトロさんは、いずれは大神官にもなられるお方ですから」
ニトロ
(違う)
ニトロ
(大神官なんてどうでも良い。だけど……)
ニトロは自分の袖を見た。
その下には、真珠の腕輪の感触が有る。
真珠など、そう重いものでは無い。
だがこの時のニトロには、ズシリと重く感じられた。
ニトロ
(大賢者が持つ力は計り知れない)
ニトロ
(彼女が居る限り、真珠の輪から逃れることは出来ない)
リーン=ノンシルドには、絶大な『探知』の力と、瞬間移動の力が有る。
そんな彼女が、輪の一員であるニトロを見逃すはずが無い。
もし逃げようとすれば、一瞬で補足され、捉えられてしまうだろう。
単純な戦闘能力でも、ニトロはリーンには勝てない。
もし立ち向かおうとすれば、セイレムともども、ニトロは消し炭に変えられてしまうだろう。
ニトロ
「行ってくる」
セイレム
「もう少し……」
セイレム
「少しの間だけ、エルと一緒に居させてくれませんか?」
ニトロ
「……分かった」
ニトロはエルを、セイレムの腕に預けた。
セイレムは娘に対して、他愛の無い言葉で語りかけた。
何度も、何度も。
やがて言葉が尽きると、セイレムは娘をニトロに預けた。
セイレム
「よろしくお願いします」
ニトロ
「……うん」
ニトロはエルと共に、大神殿に向かった。
そして神官長の部屋を訪ねた。
ニトロ
「神官長」
コーギー
「何ですか?」
神官長が、ニトロを出迎えた。
この時の神官長は、サニタでは無かった。
コーギーという名の老人だった。
ニトロ
「実は、子供が捨てられているのを見つけました」
コーギー
「……第三種族のようですね?」
ニトロ
「はい」
ニトロ
「この子を大神殿で保護したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
コーギー
「構いませんよ」
コーギー
「神は慈悲深きお方ですからね。たとえそれが、卑しき第三種族が相手でも」
ニトロ
(慈悲だと?)
ニトロ
(魔族の抹殺を目論む神に、何の慈悲が有る)
ニトロ
(野望のために、あんな事を考えて……!)
ニトロは神から特別なスキルを授かった身だ。
神の真意も聞かされている。
神には異種族に向ける慈悲など無い。
ニトロは沸き起こる苛立ちを、自身の中で抑えこんだ。
ニトロ
「ありがとうございます」
平静を装い、ニトロは頭を下げた。
エルは大神殿に引き取られることに決まった。
エルの面倒は、暇な聖女補佐役が見ることに決まった。
ニトロは職務の合間に、エルの様子を見に訪れるのが日課になっていた。
だが……。
ニトロ
「エルをどうしたのですか!?」
大神殿がエルを引き取ってから、二ヶ月後。
ニトロは神官長の部屋に怒鳴りこんでいた。
コーギー
「エル……?」
コーギー
「はて……。誰でしたかな?」
コーギーはとぼけた顔を見せた。
ニトロには、老人の茶番に付き合っている暇など無い。
ニトロ
「『暗示』」
彼は神から授かったスキルを、躊躇無く使用した。
神官長にスキルを使うなど、重大な反逆だ。
……知ったことでは無かった。
コーギー
「う……?」
スキルを受けたコーギーは、ぼんやりと間の抜けた表情になった。
それをおかしく思う余裕は、今のニトロには無い。
ニトロは切迫した表情で、コーギーに声をかけた。
ニトロ
「私はキミの友人だ」
ニトロ
「だから、尋ねられたことは素直に話す。良いね?」
コーギー
「はい。分かっていますよ」
ニトロ
「大神殿で引き取った第三種族の子をどうした?」
コーギー
「ああ。アレだったら、貴族相手のオークションにかけて売りましたよ」
ニトロ
「どうして……!?」
コーギー
「どうしてと言われましても……」
コーギー
「第三種族の使い道など、奴隷として売る以外に無いでしょう?」
ニトロ
「…………!」
コーギー
「とは言っても、思ったほどの値段はつきませんでしたけどね」
コーギー
「生娘にしても、15くらいなら良かったのですが、赤ん坊ではね」
コーギー
「1から育てるのでは、割に合わないと思われてしまったようです」
ニトロ
「エルを買ったのは誰だ?」
コーギー
「ですから……エルというのは?」
ニトロ
「誰がオークションに勝った!?」
コーギー
「勝ったのは、メイルブーケ迷宮伯です」
ニトロ
「メイルブーケ……」
コーギー
「ええ。あの咎人の一族ですよ」
コーギー
「堅物のような顔をして、女の奴隷を欲しがるとは意外でした」
コーギー
「咎人と奴隷。穢れた者同士、お似合いかもしれませんがね」
ニトロ
「そうですか。ところで……」
ニトロ
「死にたいとは思いませんか?」
コーギー
「急に何を?」
ニトロ
「『暗示』」
コーギー
「う……」
ニトロ
「死にたいよな?」
コーギー
「死にたくなど……」
ニトロ
「『暗示』」
ニトロ
「死にたいだろう?」
コーギー
「……………………」
コーギー
「そんな気もしますね」
ニトロ
「だろう? 私だってそうさ」
ニトロはそう言うと、神官長の部屋を出た。
ニトロ
「…………」
ニトロ
「私のせいで……自分の娘が……貴族の変態に売り渡されたわけだ……」
ニトロ
「娘を売った……クズ野郎が……」
ニトロはふらふらと、自宅へと戻った。
そして、地下牢のセイレムを訪ねた。
セイレム
「お帰りなさい」
ニトロの足音に向かって、セイレムは挨拶した。
ニトロからエルの話を聞くのが、彼女の人生における、大きな楽しみだった。
ヨークのことは気がかりだったが、彼は男の子だし、村には親切な人が多かった。
だから逞しく育ってくれるだろうと考え、割り切ることにしていた。
なので、彼女の心中で多くを占めるのは、産まれたばかりの娘のこととなっていた。
セイレムは近付いてくるニトロへと、落ち着いた笑顔を向けた。
セイレム
「ニトロさん……!?」
ニトロ
「……………………」
現れたニトロは、幽鬼のような青白い顔をしていた。




