7の22「赤子と強奪」
殺さずに済ませるために、リュークを石にした。
だが果たして、石にするのと殺すのとで、何が違うというのだろうか。
無惨に石になったリュークを見ると、ニトロはそう思わざるをえなかった。
とはいえもう、引き返すことなどできない。
1の悪行に手を染めたなら、2の悪行を果たさねばならない。
ニトロは心を落ち着けて、悪魔の色に染めていった。
気持ちに区切りがつくと、ニトロはリュークを抱きかかえた。
冷たくなったかつての友を抱き、ニトロは歩いた。
彼は旅人のふりをして、石化したリュークを村に送り届けた。
村の人たちには、リュークは魔獣にやられたのだと嘘をついた。
村人たちは、リュークの死を素直に悲しんだ。
リュークの葬儀が開かれた。
リュークは石のまま、墓地に埋葬された。
そして……。
ニトロは何食わぬ顔で、セイレムの元を訪れた。
ニトロ
「セイレム」
セイレム
「ニトロさん……!」
玄関を抜けてすぐのダイニングで、二人は再会を果たした。
ニトロ
「聞いたよ。リュークのことを」
村を訪れたのは、今日が初めてだ。
ニトロはそんな素振りで、セイレムに声をかけた。
セイレム
「…………」
セイレムはニトロをふしぎそうに見た。
セイレム
「どうしてここが……?」
行き先を告げてはいないのに、どうやって探り当てたのだろうか。
彼女はリュークと同じ疑問を抱いたようだった。
対するニトロは、本当のことを言うつもりは無かった。
ニトロ
「……情報網が有るんだ。商会には」
ニトロ
「リュークは商会の次男だったからね」
ニトロ
「私の所にも、訃報が届いたというわけだ」
リュークの実家、ブラッドロード商会は、大商会だ。
ニトロはそれを、話をごまかす材料に使うことにした。
セイレム
「そうなのですね」
セイレムはすんなりと、ニトロの嘘を受け入れたようだった。
そして彼にこう言った。
セイレム
「大したおもてなしも出来ませんが、どうかお掛け下さい」
ニトロ
「……うん」
言われたままに、ニトロは椅子に座った。
そして室内を見回した。
ニトロ
(本当に、粗末な部屋だ)
ニトロ
(大商会の次男が、一年もこの暮らしをしていたのか)
ニトロ
(本当に好きだったんだな。彼女が)
ニトロ
(そして、私はそれを引き裂いたというわけだ)
ニトロ
(…………それがどうした)
胸に走った痛みを、ニトロは押しつぶした。
ニトロ
(こうすると決めた)
ニトロ
(決めたことを行うだけだ)
そのとき。
セイレム
「あ……」
何かに気付いた様子で、セイレムが声を漏らした。
ニトロは内心でギクリとした。
自分の悪行に関して、何か気付かれたのではないか。
汚れた手を持つ男は、ついそんなふうに考えてしまう。
ニトロ
「……何かな?」
内心を悟られないよう、ニトロは平然を装って尋ねた。
セイレム
「結婚、なされたのですね」
彼女の視線は、ニトロの左手に向けられていた。
そこには結婚指輪が有った。
ニトロ
「……まあ」
ニトロは気の無い返事をした。
彼はその指輪に、何の価値も感じてはいなかった。
亡き妻を想う、傷心の夫。
その仮面を被るための、ただの小道具だった。
セイレム
「そうですか」
そのとき、ベビーベッドで赤ん坊が泣いた。
セイレムは、赤ん坊の方へ駆けて行った。
我が子に笑いかけるセイレムを、ニトロは直視することが出来なかった
……。
ニトロは十日ほど、セイレムの家に滞在した。
セイレムはニトロに優しかった。
彼女は自分のことを嫌っていない。
……そう思い込めるほどには。
ニトロは覚悟を決め、彼女に話をもちかけることにした。
ニトロ
「私と暮らさないか?」
セイレム
「え……?」
ニトロ
「キミのことがずっと好きだった」
ニトロ
「キミがリュークを好きだと知っていたから、我慢していたけど……」
ニトロ
「私と一緒に居て欲しい。頼む」
ニトロは頭を下げた。
セイレム
「私は……」
ニトロは頭を上げた。
セイレムの目から、ぽろぽろと涙が零れているのが見えた。
セイレム
「リュークさんを愛しています。あなたのことは友人としか思えません」
セイレムは、きっぱりとニトロを拒絶した。
どうして泣くのか。
想いを拒まれた自分に、同情でもしているというのか。
ニトロにはわからなかった。
ただ、自分はやはり、まっすぐな口説き文句などでは、恋を手にすることはできないらしい。
ニトロはそう悟った。
ニトロ
「そうなのか……」
ニトロ
「あいつが居なくなっても……私は……」
ニトロ
「……………………」
いまさら迷う理由など無い。
だがそれでも、ニトロが次の手段に移るには、少しの時間を必要とした。
ニトロ
「『暗示』」
ニトロは神から授かった力を、セイレムに行使した。
ニトロの赤く輝く瞳に照らされ、セイレムの表情が、ぼんやりと緩んだ。
セイレム
「う……?」
ニトロ
「もう眠る時間だ。ゆっくりとお休み」
セイレム
「……はい」
セイレムは、テーブルに体重を預けた。
そして寝息を立て始めた。
後はさらうだけだ。
だが、一つだけ心残りが有った。
ニトロ
(赤ん坊は……)
テーブルの近くに有るベビーベッドで、ヨークが眠っていた。
赤ん坊は両親を奪われて、一人になろうとしていた。
いまさら何だという話ではある。
ニトロは彼の父親を襲い、死人も同然にした。
完全なる外道の業だ。
いまさら赤ん坊の一人くらい、どうでも良いことでは無いのか。
だというのに、ニトロは彼をそのままにしておくことは、なぜかできなかった。
ニトロは紙と筆を探すと、文をしたためた。
そしてヨークを籠に入れ、その籠を持ち上げると家を出た。
ニトロが向かったのは、村の小さな神殿だった。
神殿の扉は開いていた。
ニトロは礼拝堂に入った。
彼は誰も居ない礼拝堂の、奥の祭壇まで歩いた。
そして祭壇に、ヨークが入った籠を置いた。
籠の隣には、手紙と金貨の入った袋を置いた。
ニトロはヨークに背を向けた。
ヨーク
「うぇぇ……」
いつの間にか、ヨークは目を覚ましていた。
カゴの中で、赤ん坊は泣いた。
母親を呼んでいるのだろう。
ニトロ
「…………!」
その泣き声を聞かずに済むように、ニトロは駆け出した。
一直線でセイレムの家に戻り、彼女を抱き上げた。
ニトロ
「大賢者様……! お願いします……!」
一刻も早く、この場から離れたい。
そんな急き立てられたような声で、ニトロはリーンを呼んだ。
リーン
「まったく……」
リーンが室内に現れた。
リーン
「この私に、人さらいの片棒を担がせるなんてね」
ニトロ
「…………」
リーン
「代償は払って貰うわ。必ずね」
直後、家からニトロたちの姿が消えた。
翌朝、老神官が、祭壇でヨークの姿を見つけた。
ヨークの隣には、手紙と金貨も置かれていた。
神官は金貨を自分の懐に入れたが、ヨークのことは大切に育てた。
ヨークも神官を慕ったが、神官はヨークが10歳の時に、病で死んだ。
……。
セイレム
「ん……」
セイレムは目を覚ました。
どうやら自分の体は、ベッドに横たわっているようだ。
彼女はすぐにその事に気付き、上体を起こした。
そして周囲を見ると、前方に鉄格子が見えた。
彼女は牢の中に居るらしかった。
ニトロ
「おはよう」
牢の隅に、ニトロが立っていた。
彼は無表情で、目の下には隈が出来ていた。
セイレム
「ここは?」
ニトロ
「我が家の地下室さ」
セイレム
「家に牢屋が有るのですか?」
王都の権力者の別世界の文化に、セイレムは驚きを見せた。
対するニトロは、一般常識でも語るような口調でこう答えた。
ニトロ
「いつの時代も、趣味の悪い金持ちは居るものだよ」
セイレム
「私はどうしてここに?」
ニトロ
「私がさらったからさ」
衝撃の事実を告げられた時、セイレムが最初に見せた反応は、自己防衛では無かった。
彼女は慌てて周囲を見回し、母の顔でこう言った。
セイレム
「……ッ! ヨークは……!?」
セイレム
「ヨークはどこに居るのですか……!?」
ニトロ
「あの子は村の神殿に預けて来た」
ニトロ
「心配するな……とは言えないね」
ニトロ
「我が子と引き離されて……ははは。言えたもんじゃない」
ニトロは無表情のまま、喉だけで笑った。
セイレム
「どうしてこんなことを?」
ニトロ
「キミが欲しかった」
ニトロ
「リュークに渡したく無かった。だから、奪った」
セイレム
「……あなたも奥さんがいらっしゃるのでしょう?」
ニトロ
「死んだよ」
セイレム
「え……?」
ニトロ
「私が殺した。……もう良いだろう? あんな雌豚の話は」
セイレム
「嘘です」
ニトロ
「ハァ?」
セイレム
「ニトロさんは、大切な家族を手にかけるような人ではありません……!」
ニトロ
「キミに私の何が分かる!」
ニトロ
「キミがリュークと手を繋いでいるのを見るたび、はらわたが煮え滾る想いだった!」
ニトロ
「醜い嫉妬と殺意の塊が、ずっと私の奥底で蠢いていた!」
ニトロ
「それが私の本性だ! 見てみないフリをしていただけだ!」
ニトロ
「あの豚のおかげで……私はようやく自分の本心に気付けた!」
セイレム
「…………」
ニトロ
「気付いていないのか?」
ニトロ
「リュークの奴も、私が殺してやった」
ニトロ
「自分であいつを殺しておいて、平気な顔をして、キミの元を訪れたというわけさ」
セイレム
「嘘です」
ニトロ
「嘘じゃない」
セイレム
「リュークさんは生きています」
ニトロ
「…………!」
セイレム
「そう感じますから」
ニトロ
「あいつは死んだ!」
セイレム
「あっ……!」
ニトロはセイレムを、ベッドに押し倒した。
そして奪った。




