7の21「妻殺しとさらなる凶行」
ニトロ
「他人の妻を奪って良いだなんて、知らなかったよ」
ニトロ
「本当に、目から鱗が落ちた気分だ」
ニトロ
「ああ……。世間知らずだったな。私は」
ニトロ
「ありがとう。大切なことを教えてくれて、本当にありがとう」
イザベラ
「あなた……何を言って……?」
ニトロ
「さて……」
ニトロ
「キミはもう、要らないな」
そう言って、ニトロは抜刀した。
イザベラ
「えっ……!?」
イザベラは驚きを見せた。
まさか温厚な夫が、いきなり剣を抜くとは。
とはいえ、イザベラはまだ、自分に危害が及ぶとは思っていなかった。
だって、自分の夫は『いいひと』なのだから。
イザベラは夫を舐めていた。
その判断が過ちだったということに、彼女が気づくことは無かった。
イザベラの首に、スッと線が走った。
そして彼女の頭は、ごろりと地面に落ちた。
遅れて首から血が噴き出した。
法の裁定を受けることも無く、淫婦はこの世から去った。
イザベラの血が、モングーザの体を汚していった。
モングーザ
「な……! 何考えてやがる!」
モングーザ
「自分の嫁を殺すなんて……!」
モングーザは狂人を見る目をニトロへと向けた。
ニトロにはモングーザの言葉こそが、狂人のそれに感じられた。
ニトロ
「自分の嫁……?」
ニトロ
「ソレはキミのだろう?」
ついさっきまで繋がっていたくせに、コイツは何を言っているのだろうか。
ニトロはそう思っていた。
ニトロ
「ああ。それにしても……」
ニトロ
「よくも人の妻をさらって犯して殺してくれたね?」
モングーザ
「何言ってやがる……!」
ニトロ
「ああ。助けるのが間に合わなかった。なんてかわいそうなイザベラ」
モングーザ
「このキ◯ガイが!」
モングーザは、ニトロに立ち向かおうと構えた。
モングーザの体格は、ニトロよりもたくましい。
外見だけを見れば、彼はニトロよりも強そうに見えた。
だが、ニトロは神殿騎士だ。
メイルブーケ一族に並ぶ、王都で最強の武装集団の一員だ。
そこいらのチンピラが、太刀打ちできる相手では無い。
おまけにモングーザは丸腰だ。
勝負になどならない。
ニトロ
「死ね」
ニトロの剣が、モングーザの胴を断った。
モングーザ
「あっ……」
その上半身が崩れるのを見届けることなく、ニトロは部屋を出た。
受付
「ヒッ……!」
廊下には、受付の男の姿が有った。
ニトロが何をしでかすのか、様子をうかがいに来ていたらしい。
ニトロには、男を生かしておく理由は無かった。
余計な事を言いふらされては困るし、何より目障りだ。
ニトロは剣先で、受付の胸を突いた。
剣は無慈悲に心臓を破壊した。
受付
「あが……」
胸を鮮血に染めて、受付は床に崩れ落ちた。
ニトロは表情一つ変えず、その建物を出ていった。
……。
後日。
王都の大神殿。
フーダイ
「ニトロ」
ニトロは大神官である父のフーダイに呼び出された。
フーダイの執務室で、ニトロは父と対峙した。
ニトロ
「はい」
ニトロはやる気のない口調で、父に言葉を返した。
フーダイ
「痩せたか?」
ニトロ
「そんなことは無いと思いますけど」
フーダイ
「まあ良い。それよりも……」
フーダイ
「イザベラを殺したのはやりすぎだったな」
フーダイ
「彼女の家は、それなりに力が有る」
フーダイ
「だからこそ、おまえの結婚相手に選んだというのに……」
ニトロ
「はぁ」
フーダイ
「いくら私でも、今のままではオマエを庇いきれんぞ」
ニトロ
「はぁ。そうですか」
フーダイ
「……女を寝取られたくらいで、腑抜けおって」
ニトロ
「…………」
ニトロ
「あの女は間男の子を宿し、俺の子と偽りました」
ニトロ
「その首を斬ったのが、そんなにいけないことでしょうか?」
フーダイ
「構わんさ。あの女の家に、何の力も無いのならな」
ニトロ
「それで、私の処罰はどうなりますか?」
フーダイ
「早まるな」
そう言うと、フーダイは机に真珠の腕輪を置いた。
フーダイ
「取れ」
ニトロ
「これは……」
フーダイ
「真珠の輪に入れ。ニトロ」
フーダイ
「そうすれば、組織の力でおまえを守ってやれる」
ニトロ
「力……」
ニトロは真珠の腕輪を手に取った。
ニトロ
「真珠の輪とやらに入れば、助力がいただけるというわけですか」
フーダイ
「その代わりに、おまえは大賢者さまのために働かなくてはならない」
ニトロ
「それは構いませんけど……」
ニトロ
「その助力というやつ、あと少し前借りさせていただいても良いですかね?」
フーダイ
「何をするつもりだ?」
ニトロ
「女を一人、見つけてもらいたいのですが」
フーダイ
「何者だ? その女というのは」
ニトロ
「以前王都に居た、第三種族の女です」
ニトロ
「彼女を……私のモノにする」
フーダイ
「好きにしろ。ただし、子は残すなよ」
ニトロ
「ありがとうございます。父上」
ニトロは世界樹の頂上で神と対面し、真珠の輪の一員となった。
そして、神から新たな力を授かった。
一週間後。
ニトロの視線の先に、小さな村が有った。
リーン
「あなたが探していた女は、あの村に居るわ」
ニトロの隣で、リーン=ノンシルドが口を開いた。
彼女には、強力な『探知』スキルと転移の力が有る。
彼女が本気になれば、どこの誰だろうと、見つけ出すのはたやすかった。
たとえその相手が、王都から遠く離れた田舎に住んでいたとしても。
ニトロ
「ありがとうございます。大賢者様」
リーン
「はぁ……。どうして私がこんなことを……」
横恋慕の手伝いなど、本来であれば、自分がするようなことではない。
そう思っているリーンが、うんざりとした表情を見せた。
そんな些細な抗議など、今のニトロからすれば、どうだって良いことだ。
ニトロ
「それでは、行って参ります」
ニトロはリーンと別れ、村に侵入した。
そして村人たちに気付かれないように、セイレムの居場所を探った。
田舎の村というだけはあって、ハイレベルの冒険者などは住んでいないようだ。
ニトロの技量が有れば、村人から気配を隠すことなど簡単だった。
その気になれば、村を全滅させることすら可能だったはずだ。
さすがにそこまですることは無い。
そう考えたニトロは、慎重に村を進んでいった。
村は狭い。
ニトロはさほど困らずに、セイレムの家を見つけることが出来た。
窓から家を覗き込むと、久しぶりにセイレムの顔を拝むことが出来た。
ずっと恋焦がれていた、愛しい人の顔だ。
それを単純に嬉しいと思えなかったのは、セイレムの傍に、彼女の家族が居たからだ。
セイレムの隣にはリュークが、そして彼女の腕の中には、赤子の姿が有った。
赤子の名前がヨーク=ブラッドロードということを、ニトロはまだ知らない。
ニトロは気配を殺したまま、家の様子を観察した。
今すぐに押し入って、セイレムを奪い去りたいという気持ちは有った。
だが、それが最適解だとも思えなかった。
もう少しスマートに事を進めたい。
そう思ったニトロは、リュークが一人になる時をじっと待った。
辛抱強く待っていると、リュークは家を出た。
それから村を出て、村の近くに有る森へと向かっていった。
木の実でも取りに行くつもりだろうか。
ニトロは気配を殺し、リュークの後を追った。
ニトロ
「リューク」
リュークが森に足を踏み入れると、ニトロは背後から声をかけた。
リューク
「え……?」
リュークは振り返った。
リューク
「ニトロ……?」
彼の表情からは、戸惑いが読み取れた。
リュークはニトロに行き先を教えていない。
こんな田舎の村に居るだなんて、分かりようが無いはずだ。
それなのに、いったいどうしてここに居るのか。
……何のために?
ニトロ
「久しぶりだね。リューク」
ニトロは親しげな笑みを浮かべた。
だが、彼が次に取った行動は、親しさからはかけ離れていた。
ニトロ
「悪いけど、世間話をするつもりは無い」
ニトロは神から授かった呪剣を構えた。
リューク
「っ……!」
久闊を叙するいとまなど無い。
そう悟ったリュークは、ニトロに背中を向けた。
そして走って逃げようとした。
ニトロ
「無駄だよ」
商家の子息であるリュークと、神殿騎士として修行を積んだニトロ。
二人の身体能力には、大きすぎる差が有った。
呪剣がリュークの背を突いた。
剣はリュークの胴体を貫通し、胸の方にまで抜けた。
リューク
「が……!」
ニトロはすぐに剣を引き戻した。
リュークは為す術なく倒れた。
そして……。
リューク
「……!? 体が……!?」
リュークは自分の傷口が、石になっていることに気付いた。
ニトロ
「この呪剣は、キミを石にする」
リュークからセイレムを奪うことを、ニトロは心に決めていた。
それは絶対の決定であり、覆ることは無い。
だが、友だったリュークを殺めることに、嫌悪を覚える自分も居た。
そんなニトロの妥協の選択肢が、石化の呪剣だった。
石となり生きながらえることが、リュークにとって幸せな事なのか。
ニトロには分からなかった。
ニトロ
「セイレムは貰っていくよ」
リューク
「どうして……分かった……?」
ニトロ
「…………?」
リュークが何を尋ねているのか、ニトロは一瞬迷った。
それから自分なりに結論を出し、こう答えた。
ニトロ
「居場所のことなら、同僚に人探しが得意な方が居てね」
ニトロ
「キミたちのことは、彼女に見つけてもらった」
リューク
「…………」
リュークの石化は進み、既に体の半分以上が石となっていた。
リューク
「息子を……ヨークを頼む……」
そう言い残して、リュークは完全に石となった。
ニトロ
「そんな……」
ニトロ
「そんな頼みごと……私が聞きたいと思うか?」




