6の34「吐露とティーカップ」
イジューはネフィリムを使い、リホを確保することには成功した。
だが、その短絡的な行動は、新たな障害を招く原因となった。
リホの仲間の冒険者に、彼女の居場所を知られてしまった。
イジューは別荘の居間で、敵の訪れを待っていた。
その頬は、げっそりとやつれていた。
イジュー
(ヨーク=ブラッドロードが来る……)
イジュー
(リホを取り戻すためにやって来る)
イジュー
(リホを再起させた、最強の冒険者)
イジュー
(レベル200を超えるという魔術師が……)
イジュー
(あるいは……彼ならリホを守れるだろうか?)
イジュー
(いや……)
イジュー
(ニトロから、既に聞かされている)
イジュー
(ヨーク=ブラッドロードは幼馴染を守れなかった)
イジュー
(ニトロの『暗示』に負け、ヘラヘラと日常を過ごしている)
イジュー
(そんな男に、リホを守れるはずが無い)
イジュー
(私にも……リホを守る資格は無い)
イジュー
(傷つけてばかりいる)
イジュー
(ただ、生きて欲しい)
イジュー
(リホに死んで欲しくない)
イジュー
(それだけなのに……)
ネフィリム
「イジューさま」
ネフィリムが、イジューに声をかけてきた。
彼女は全身に、黒い鎧をまとっていた。
エクストラマキナ、黒蜘蛛。
クリスティーナとイジューの情熱の、集大成だった。
イジュー
(黒蜘蛛……)
イジュー
(これが有れば、シホは救われる)
イジュー
(それだけが救いか。いや……)
イジュー
(私は救いのための道具を、戦いの場に引きずり出した)
イジュー
(やはり……救えないな)
気分が沈むばかりのイジューの前に、ネフィリムがしゃがみ込んだ。
そして彼の顔に、手を伸ばしてきた。
ネフィリム
「りらーっくすであります」
イジュー
「む……」
ネフィリムの黒い手が、イジューの頬を揉みほぐした。
かつてのネフィリムには、できなかった行為だ。
旧型の義手は、力加減が難しい。
うかつに人に触れれば、傷つけてしまうかもしれない。
だから、今までのネフィリムは、人との触れ合いを恐れていた。
そんな彼女の手が、イジューの肌に触れている。
黒蜘蛛を完全に信用している。
その証だった。
イジューは泣きたくなった。
ネフィリムは鉄兜の下から、明るい声で言った。
ネフィリム
「心配は無用なのであります」
ネフィリム
「自分は勝つのであります」
ネフィリム
「ティーナさまの黒蜘蛛は、最強なのであります」
ネフィリム
「ブラッドロードとかいうやつなんて、敵では無いのであります」
イジュー
「何をやっている。おまえは」
イジューはかすれた声で言った。
イジュー
「私は首輪の力でおまえたちを操っている、クズだ」
イジュー
「クズのことなど放っておけ」
ネフィリム
「イジューさまは、自分の命の恩人であります」
ネフィリム
「イジューさまのためなら、死んだって惜しくは無いのであります」
イジュー
「クッ……クハハハハッ!」
見当外れだ。
そう思い、イジューは大笑した。
ネフィリム
「イジューさま?」
イジュー
「私が命の恩人だと!?」
イジュー
「騙されてたんだよ! おまえは!」
イジュー
「組織の仲間に頼んで、私がおまえを捕まえさせたんだ!」
イジュー
「黒蜘蛛を完成させるのに必要だったからな!」
イジュー
「おまえの両親が死んだのも、手足が無いのも、子を産めないのも……」
イジュー
「全部全部、私のせいだッ!!!」
イジューは今まで飲み込んでいた気持ちを、雪崩のように吐き出した。
ネフィリム
「…………」
イジュー
「これで分かっただろう!? 私はおまえの仇だ……!」
イジュー
「とっとと……出て行ってくれ……」
ネフィリム
「イジューさまは、嘘つきでありますね」
イジュー
「出てけよ……」
ネフィリム
「嫌であります」
イジュー
「…………」
ネフィリム
「…………」
居間に沈黙が訪れた。
その沈黙を破ったのは、二人の声では無かった。
爆音だ。
何かが爆散する音が、遠くから聞こえてきた。
二人は音の原因に、心当たりが有った。
イジュー
「っ……」
イジューの体が強張った。
ネフィリム
「来たようでありますね。ヨーク=ブラッドロードが」
ネフィリムは立ち上がった。
そして準備体操でもするかのように、肩をぐるぐると回してみせた。
大げさな動きを終えると、彼女は壁の方に向かった。
居間の壁には、黒い杖が立てかけてあった。
ネフィリムはその杖を、がっしりと握りしめた。
ネフィリム
「ちゃちゃっと、やっつけてやるのであります」
その後、イジュー=ドミニは、自らの命を断った。
そうなるはずだった。
……。
一方、今。
イジューは自身の昔話を、話し終えた。
ミツキ
「……………………」
イジューが話をしている間、ミツキはずっと無言だった。
フードを被った彼女が、いったい何を考えているのか。
イジューにはわからなかった。
イジュー
「シホを救ってくれるか?」
単刀直入に、イジューはそう尋ねた。
ミツキ
「あまり期待されても困りますけど」
ミツキ
「その前に、一つお尋ねしたいことが有ります」
イジュー
「何だ?」
ミツキ
「話に出てきたシラーズという人……」
ミツキ
「スガタ魔導器工房の社長、シラーズ=スガタですか?」
イジュー
「そうだが……。知っているのか?」
ミツキ
「先日、リホさんをスカウトしにやって来ました」
ミツキがそう言うと、イジューの顔色が変わった。
イジュー
「あいつがハーフのリホを、快く思うはずが無い……」
イジュー
「リホを誘い込んで、始末するつもりか……!」
一方のミツキも、その表情を、どんよりと曇らせていた。
ミツキ
(前回の私は……リホさんをあいつの工房へ送り出してしまっている……)
ミツキ
(むざむざと、敵にリホさんを差し出していたなんて……)
ミツキ
(私は……大馬鹿だ……!)
……。
ヨークたちが宿泊している宿屋。
ヨークの部屋の扉がノックされた。
ヨーク
「どうぞ」
ベッドの上から、ヨークがノックに返事をした。
するとすぐに扉が開いた。
シラーズ
「失礼します」
スーツ姿の男が、寝室に入ってきた。
シラーズ=スガタだった。
ヨーク
「あんたは……」
バニ
「ヨークの知り合い?」
遊びに来ていたバニが、口を開いた。
ヨーク
「知り合いってほどでも無いが」
ヨーク
「前にリホをスカウトに来た、魔導器工房の社長だ」
バニ
「スカウト……」
バニ
「リホってやっぱり凄いのね」
リホ
「天才っス」
作業台の所で、リホがそう言った。
バニ
「自信が凄い」
リホ
「それで? スカウトの件なら断ったはずっスけど」
シラーズ
「以前は立ち話で、あまり我々のことを分かってもらうことも出来ませんでしたから」
シラーズ
「いちど我が社にお招きして、工房のことを知っていただきたいと思ったのです」
リホ
「何を見せられても、おたくに就職する気は無いっスよ」
シラーズ
「それでも、どうか1度、招待を受けて欲しいのです」
リホ
「……良いっスよ。いつそっちに行けば良いっスか?」
シラーズ
「都合が合うのでしたら、今すぐにでも」
リホ
「了解っス」
リホはそう言うと、作業台の椅子から立ち上がった。
そしてベッドのヨークに顔を向けた。
リホ
「ブラッドロード。ちょっと出かけてくるっス」
ヨーク
「ああ。いってら」
リホ
「いってき」
リホはシラーズと共に、寝室を出て行った。
バニ
「ねえねえ」
ヨーク
「ん~?」
バニ
「ひょっとしてヨークって、頭の良い子が好きなの?」
ヨーク
「いや。別に」
ヨーク
「一緒に居て、おもしろいやつが好きかな」
バニ
「そうなんだ?」
バニ
「ぱぎょーん!」
ヨーク
「…………」
突然の一発芸を見て、ヨークは真顔になった。
ヨーク
「ウケる」
バニ
「……ごめんなさい」
バニは両手で顔を覆った。
……。
スガタ魔導器工房。
シラーズ
「ミラストックさん。どうですか? うちの工房は」
シラーズに連れられて内部を見回ったリホは、最後に応接室へ案内された。
シラーズとリホは、ソファに座って向かい合った。
すぐに社員が、リホにお茶を運んできた。
そして退出していった
リホ
「まあ、悪くないんじゃないっスかね」
リホはそう言って、応接室を見回した。
誂えられた家具は、一流企業に恥じない、最高級の物だった。
案内の最中に見せられた設備も、なかなかの物だった。
リホ
「……ドミニ工房ほどじゃないっスけど」
シラーズ
「……まあ、あそこは王都でも1番の工房ですからね」
シラーズ
「けど、うちも捨てたものでは無いでしょう?」
リホ
「設備はそうっスね。ところで……」
リホはローテーブル上のティーカップを、そっと押し出した。
リホ
「このお茶、飲んでみてもらっても良いっスか?」
シラーズ
「そのお茶は、ミラストックさんに振舞われたものです」
シラーズ
「私が飲むわけには……」
リホ
「良いから、飲んで欲しいっス」
シラーズ
「…………」
シラーズは、指を鳴らした。
応接室の扉が開いた。
そこから武装した男が、三人入室してきた。
リホ
「ああ、やっぱり……」
リホ
「クソオヤジが言った通りっスね」




