6の9「転倒と回復」
クリスティーナ
「お口に合ったようで何よりだよ」
クリスティーナは食器をまとめると、キッチンへと運んでいった。
彼女が片付けをしている間、ヨークたちは、マリーたちと雑談をした。
片付けが終わると、クリスティーナも会話に加わった。
話に一区切りつくと、ヨークは腰を上げた。
ヨーク
「そろそろ帰るか」
ミツキ
「はい」
ミツキとリホも、椅子から立ち上がった。
クリスティーナ
「そうかい。名残惜しいね」
ユリリカ
「また来てね。リホちゃん」
リホ
「えっ? ウチっスか?」
リホ
「……まあ良いっスけど」
マリー
「2人も……また……」
ヨーク
「ああ。また」
ミツキ
「あの、帰る前に1つ良いですか?」
クリスティーナ
「何かな?」
ミツキ
「依頼されていた素材です。どうぞ」
ミツキはスキルを使い、金属塊を出現させた。
クリスティーナが欲しがっていた、魔光銀だった。
ダンジョンでのドロップアイテムだ。
ミツキは魔光銀の塊を、いくつもテーブルの上に置いた。
ユリリカ
「わっ! 『収納』スキル!?」
ヨークたちは見慣れているが、『収納』は、レアスキルだ。
ユリリカは、素直な驚きを見せた。
ミツキ
「そうですね」
クリスティーナ
「…………」
クリスティーナは、畏怖のこもった視線を、魔光銀へと向けた。
クリスティーナ
「本当に……簡単に手に入れられるんだね? 魔光銀を」
本来であれば、ひとかたまり手に入れるのも、大変なモノのはずだ。
それが安物の果実のように、無造作にテーブルに置かれていた。
ユリリカ
「これって魔光銀なの……!? 超レア素材じゃない……!」
ミツキ
「ヨークですから」
マリー
「なるほど」
ヨーク
「えっ? なるほどって?」
クリスティーナ
「それで、いくらで譲ってもらえるのかな?」
ミツキ
「無料でお譲りしても構いませんよ」
クリスティーナ
「本気かい?」
ミツキ
「ええ。構いませんよね? ヨーク」
ヨーク
「ん? ああ」
今のヨークには、ユーリアへの借金が有る。
金などいらないと言えるような状況では無かった。
だというのに、ヨークよりしっかりしているミツキが、お金をいらないと言った。
ヨークはそのことをふしぎに思った。
だが、ミツキが言うことなのだから、何か理由が有るのだろう。
そう考えたヨークは、ミツキの言葉を肯定した。
クリスティーナ
「何を考えているんだい?」
クリスティーナ
「それがどれだけの価値を持っているのか、知らないはずは無いだろう?」
ミツキの申し出は、あまりにも太っ腹がすぎる。
クリスティーナは、怪しむような目を、ミツキへと向けた。
ミツキ
「無論、無料とは言いましたが、無条件でお譲りするわけではありません」
クリスティーナ
「だろうね」
クリスティーナ
「それで、条件っていうのは?」
ミツキ
「これは口止め料と考えて下さい」
クリスティーナ
「…………?」
ミツキ
「私たちのことを、イジューには伝えないで欲しいのです」
ミツキ
「イジューは今、リホさんが潰れていくものと思っているでしょう」
ミツキ
「ですが、ヨークがリホさんのパトロンになったと分かれば、話は変わります」
ミツキ
「イジューはリホさんが再起する前に、必ず妨害を仕掛けてきます」
ミツキ
「ですので……」
ミツキ
「私たちのことは、内密にお願いしたいのです」
ミツキが提示した条件は、クリスティーナを納得させるものではなかった。
クリスティーナ
「黙ってるだけなんて、魔光銀の価値に釣り合ってるとは思わないけど」
ミツキ
「そうでしょうか?」
ミツキ
「私はあなたに、所属している組織への、裏切りを要求しているわけですからね」
ミツキ
「下手をすれば、あなたは職場を追われる可能性すら有るわけです」
ミツキ
「そこまで安いお願いをしているとも思いませんけどね」
クリスティーナ
「それでもさ」
やはりクリスティーナは、納得がいかないようだった。
今の状況は、金貨の山を目の前に積まれたようなものだ。
それに対し、ミツキが出した条件は、どこまでもヌルい。
ミツキ
「どうせ、あなた個人に払える額でも無いでしょう?」
クリスティーナ
「それは……」
クリスティーナには稼ぎが有る。
普通の素材であれば、ポケットマネーで買い取ることは、難しくは無かった。
だが、魔光銀は、超がつくほどの希少素材だ。
それを大量に積まれては、さすがの彼女でも、対価を払うのは難しかった。
ミツキ
「リホさんは、ドミニ魔導工房と敵対しているわけですから」
ミツキ
「パトロンである私たちが、工房と取引をすることはありません」
ミツキ
「工房の資金で、魔光銀を買い上げるという選択肢は、有りませんよ」
ミツキ
「ですから、お近付きの印として、素直に受け取っておいて下さい」
クリスティーナ
「……分かった」
クリスティーナには、彼女なりの都合が有る。
眼の前の魔光銀を、諦めることはできなかった。
クリスティーナ
「けど、この借りは、いつか必ず返すから」
ミツキ
「楽しみにしておきましょう」
ヨークたちは、食堂から出た。
サザーランド家の全員が、3人を見送りに出た。
サザーランド邸の庭で、リホはクリスティーナと向かい合った。
そして口を開いた。
リホ
「サザーランド」
リホ
「ウチはお前のこと、甘ったれた嫌味な金持ちだと思ってたっス」
リホ
「けど……お前も色々有るんスね」
クリスティーナ
「べつに。ボクが甘やかされて育ったのは間違いが無いよ」
リホ
「…………」
ヨーク
「それじゃ、またな」
マリー
「……うん」
ユリリカ
「また来てくださいね」
ネフィリム
「お気をつけてであります」
3姉妹とメイドに見送られ、ヨークたちは歩き出した。
その時……。
蜂がぶぅんと、姉妹たちの方へ飛んできた。
それは魔獣では無い、普通の昆虫だった。
だが、その尻には、毒針を持っている。
蜂はふらふらと、マリーに近付いていった。
ネフィリム
「マリー様!」
ネフィリムが、マリーを守ろうと動いた。
すると、ネフィリムの手が、ガンと車椅子を叩いてしまった。
マリー
「あっ……」
マリーの車椅子が、ぐらりと傾いた。
ネフィリム
「っ……!」
クリスティーナ
「マリー!?」
ミツキ
「…………」
マリーが地面に倒れる直前、ミツキが動いていた。
ヨークもほぼ同時に動こうとしたが、ミツキが前に出たのを見て、その場に留まった。
車椅子からこぼれ落ちたマリーの体を、ミツキが抱きとめた。
マリー
「えっ……?」
瞬間移動のように現れたミツキに、マリーは驚きの声を上げた。
ミツキ
「お怪我はありませんか?」
マリー
「……うん。ありがとう」
クリスティーナ
「っ……」
慌てたクリスティーナが、マリーに駆け寄った。
そして、ネフィリムを睨みつけた。
クリスティーナ
「ネフィリム……。君は何をやっているんだい」
ネフィリム
「自分は……その……蜂が……」
クリスティーナ
「だからって突き飛ばすなんて……」
ネフィリム
「それは……その……」
マリー
「姉さん」
マリー
「ネフィリムは悪くない。怒らないで」
クリスティーナ
「……そうだね」
妹の言葉が効いたのだろうか。
クリスティーナは、しょんぼりとした様子を見せた。
クリスティーナ
「これはボクのせいだ。ごめん。2人とも」
ネフィリム
「……いえ」
ヨークは無言で、地面に倒れた車椅子を起こした。
クリスティーナはミツキから、マリーの体を受け取ろうとした。
クリスティーナ
「代わるよ」
ミツキ
「いえ。力仕事は任せておいて下さい」
クリスティーナ
「すまない」
ミツキ
「オオカミパワー」
ミツキはマリーを軽々と運ぶと、車椅子に乗せた。
マリーが元の位置に戻ると、ミツキは彼女に尋ねた。
ミツキ
「お怪我はありませんか? どこか痛む所は?」
マリー
「多分だいじょうぶ……。痛みは……」
マリー
「元々……私の手足には感覚が無い」
ミツキ
「……そうですか」
ミツキ
「一応治療しておきましょう。風癒」
ミツキは呪文を唱えた。
マリーの体が、治癒術の光に包まれた。
今回の件で、マリーに怪我は無かった。
わざわざ呪文を使う必要は無かっただろう。
とはいえ、せっかく呪文をかけてもらったのに、何も言わないのは礼儀に反する。
マリーはお礼を言おうとした。
マリー
「ありが……」
そのとき……。
マリー
「……………………」
ミツキ
「マリーさん?」
マリー
「有る……」
クリスティーナ
「痛むのかい? マリー」
マリー
「違う……」
マリー
「手に……感覚が有る……足も……」
動かなかったはずのマリーの手が、持ち上がった。
マリー自身の意思が、その手を動かしているようだった。
クリスティーナ
「動いた……? マリーの手が……」
マリー
「うん……。動く……」
ユリリカ
「やった!」
ユリリカが、マリーに駆け寄った。
そしてマリーの手をぎゅっと握った。
ユリリカ
「良かった……良かったぁ……」
ユリリカの両目から、ぼろぼろと涙が流れた。
マリー
「うん……」
ネフィリム
「良かったのであります……」
クリスティーナ
「…………」
サザーランド家の4人全員が、大粒の涙を流した。
クリスティーナ
「だけど……どうして……?」
疑問の言葉と共に、クリスティーナはミツキを見た。
クリスティーナ
「君が……マリーを治してくれたのかい?」




