5の22「商人と契約」
ヨーク
(泥棒……?)
ヨーク
「すまんが、誰だかさっぱり分からん」
ヨークは少女の顔を、初めて見た。
本当に覚えがなかった。
それが記憶違いだとも思えない。
ヨークの村には、魔族は1人も居なかった。
なので、出会ったとすれば、王都に来てからということになる。
王都で1番大きなケンカをした相手は、闇ギルドだ。
だが少女は、闇ギルドのメンバーでも無い様子だった。
王都の魔族の数は、人族よりも少ない。
印象に残りやすいはずだが……。
少女の怒りに関して、ヨークにはまったく心当たりが浮かばなかった。
センリ
「なっ……!?」
少女は唖然とした様子を見せた。
ヨークに心当たりが無いということが、よっぽど意外だったらしい。
センリ
「なるほど……。よっぽどの罪を重ねているようね」
センリ
「私のことなんか、無数に積み重ねた罪の、ほんの一片に過ぎないんだわ」
ミツキ
「人聞きが悪いですね」
ヨークが戸惑っていると、ミツキが口を開いた。
そしてフードを外し、少女をまっすぐに見た。
ミツキ
「犯罪者はあなたの方でしょう? この薄汚い奴隷商人が」
センリ
「……別に、奴隷がメインの商材ってわけじゃないもん……」
ミツキに睨まれて、少女は後ろめたそうな様子を見せた。
ヨーク
(なるほど……)
2人のやり取りを見て、ヨークにもようやく、彼女が何者なのかわかった。
ヨーク
「ミツキを捕まえようとした奴か」
センリ
「ええ。まんまとあなたの罠に嵌まってね」
ヨーク
「罠? 何言ってんだ? こいつ」
センリ
「冷静に考えれば、貴重な第3種族が、あんなクソ田舎に居るわけが無かったのよ」
センリ
「彼女をエサに誘い込んで、返り討ちにして、金銭を奪う」
センリ
「それがあなたのやり口なんでしょう?」
ヨーク
「違うが?」
ヨーク
「俺とミツキが出会ったのは、お前がボコされた後だ」
センリ
「どうかしらね?」
ヨーク
「疑り深いな」
センリ
「逆に、あなたの言葉を真に受けているようじゃ、商人なんてやっていけないと思うけど」
センリ
「どちらにせよ、その奴隷は返して貰うわ」
ヨーク
「……はぁ?」
ヨーク
「返すもなにも、ミツキはお前のモノじゃねーだろ」
センリ
「いいえ。私のモノよ」
ヨーク
「どうして?」
センリ
「その奴隷がつけている首輪が、私の物だからよ」
センリ
「野良の第3種族の所有権は、最初に自分の首輪をはめた者が有する」
センリ
「実際に首輪をはめたのは、私ではなくあなたでしょうね」
センリ
「けど、首輪の所有権が無いあなたには、奴隷の所有権も無い」
センリ
「結果として、彼女の所有権は、首輪の所有者である私のものになるのよ」
ヨーク
「そうなのか? なんかややこしい話だな」
村民のヨークには、深い法律の知識など無い。
全てが初耳だった。
センリ
「この程度のことも分からないなんて、お里が知れるわね」
ヨーク
「悪かったな。けど、それなら……」
ヨークは、ミツキの首輪に手を伸ばした。
ヨークの指が、ミツキの首輪に軽く触れた。
ミツキ
「…………?」
ヨーク
「ここで首輪を破壊したら、ミツキは誰の物でも無くなるんじゃないか?」
ヨークはそう言って、にやりと笑った。
だが……。
ミツキ
「嫌……!」
ミツキは慌てたように、ヨークから素早く距離を取った。
ヨーク
「ミツキ?」
ミツキ
「やめて……壊さないで下さい……」
ヨーク
「気に入ってるのか? その首輪」
ミツキ
「……はい。とても」
ヨークは意外そうにミツキを見た。
あんな首輪の何が良いのか。
理解はできないが、個人の価値観にアレコレ言うつもりも無い。
ヨークは仕方なく、手を下ろした。
センリ
「残念だったわね」
センリ
「首輪が壊れたくらいじゃ、1度発生した所有権は、無くならないわよ」
ヨーク
「そうなのか。それじゃあ……」
ヨーク
「俺にミツキを売ってくれ。頼む」
ヨークはそう言って、少女に頭を下げた。
センリ
「……コソ泥の言うことなんか、聞くと思っているの?」
ヨーク
「俺は泥棒じゃねえ」
ヨーク
「それに、どうせミツキを手に入れても、誰かに売りつけるだけだろ?」
ヨーク
「だったら、相手は俺でも構わないはずだ」
センリ
「あなたに払えるのかしら?」
センリ
「貴重な月狼族の雌。さらにはこの美貌」
センリ
「奴隷の市場価格がいくらになるか、分かっているの?」
ヨーク
「いくらだ?」
センリ
「そうね……。慰謝料も込みで……」
センリ
「小金貨、1万枚」
センリ
「払えると言うのなら、耳を揃えて払ってもらいましょうか」
少女は勝ち誇ったように言った。
提示されたのは、莫大な金額だった。
並の収入では、その百分の一ですら、支払うのは難しいだろう。
常人の目線で見れば、それは不可能を提示されたのと変わりが無かった。
ミツキ
「せっかく命を救ってやったのに、この女は……」
元の運命では、この少女は、魔獣に殺されていた。
それが生きているのは、ミツキが運命を改変したおかげだ。
少女にとって、ミツキは恩人とも言える。
そんなことは、今の少女からすれば、知ったことでは無い。
ミツキにも理屈では、そのことはわかっている。
だが、恩を仇で返された。
そんな気分になったのだろうか。
ミツキは殺意のこもった目を、少女へと向けた。
ミツキ
「ヨーク。こいつの言うことを聞く必要はありません」
ミツキ
「そこいらの川にでも沈めてしまいましょう」
ヨーク
「落ち着け」
ヨーク
「お前が首輪を盗んだのは事実だろ」
ミツキ
「それはそうですが。それを言うならあっちだって……」
ヨーク
「金でカタがつくなら、それで良いじゃねえか」
ヨーク
「払うよ」
ヨークはそう言った。
話を聞いた感じでは、少女も完全な加害者とは言えない。
法律だけで考えるなら、ヨークたちの方に非が有るようですらあった。
ヨークからすれば、この国の法律自体に、思うところは有る。
だが、気に入らないからといって、何もかも暴力で解決する気にもなれなかった。
なのでできるだけ、穏便に解決したいと思っていた。
ミツキ
「ヨーク……」
センリ
「金貨1万枚、用意出来るというの?」
少女は、疑わしげにヨークを見た。
少女からすれば、ヨークはケチな犯罪者だ。
そこまでの支払い能力は無いと考えているのだろう。
ヨーク
「今すぐは無理だ」
ヨーク
「けど、必ず払う」
センリ
「信用出来ないわね」
ヨーク
「悪いがこっちも、これ以上は譲歩出来んぞ」
センリ
「誓える?」
ヨーク
「え?」
センリ
「必ず1万枚用意できると、全てに誓えるかしら?」
ヨーク
「良いぜ」
センリ
「それなら……」
センリ
「『契約書』」
少女がそう言うと、彼女の手中に、羊皮紙とペンが出現した。
ヨーク
「…………?」
ヨークはそれらをふしぎそうに見た。
空中から物が現れるというのは、ミツキのスキルで見慣れている。
だが、今少女が使ったスキルは、『収納』とは異なるようだった。
センリ
「これは、私がスキルで生み出した、特別な契約書よ」
センリ
「これにサインした者は、契約に逆らうことが出来なくなる」
センリ
「嫌がる相手にサインさせることや、命を奪うような契約は出来ないけどね」
ヨーク
(聞いたこと無いな。レアスキルか)
センリ
「あなた、コレにサイン出来るかしら?」
ヨーク
「……分かった」
それで信じてもらえるのなら、安いものだ。
そう思ったヨークは、羊皮紙とペンを受け取った。
ミツキ
「ヨーク。ちょっと待って……」
サインをしようとしたヨークを、ミツキは止めようとした。
だが……。
ヨーク
「書いたぞ」
あっという間に、ヨークは名前を書き終えていた。
ミツキ
「えっ?」
センリ
「よろしい」
サインが終わった契約書を、少女はヨークから受け取った。
ヨーク
「ミツキ。何言おうとしてたんだ?」
ミツキ
「ヨーク……」
ミツキは渋い顔で言った。
ミツキ
「あなたはちゃんと、契約書を読んだのですか?」
ヨーク
「契約って、俺が金貨を払うってだけだろ?」
ミツキ
「……奴隷商人。その羊皮紙を見せてください」
センリ
「私の名前はセンリよ」
ミツキ
「センリ。それを見せて下さい」
センリ
「どうぞ」
センリは羊皮紙を、ミツキに手渡した。
ミツキは契約書に目を通した。
そして……。
ミツキ
「…………!」
ミツキ
「ヨーク……」
ミツキは歯噛みしながら、ヨークに羊皮紙を見せた。
ヨーク
「どうした?」
ミツキ
「きちんと読んでください」
ミツキに言われ、ヨークは契約書の内容を、音読し始めた。
ヨーク
「ええと……」
ヨーク
「小金貨1万枚を返済するまでの間、乙は甲の命令に服従する……」
ヨーク
「何だこりゃ?」
ミツキ
「だから、金貨を返済するまでの間、ヨークはあの女に、絶対服従だということですよ」
ヨーク
「ナンデ?」
ミツキ
「そういう契約だからです」
ヨーク
「聞いてないが?」
センリ
「聞いてはいなくても、書いてはあるもの」
センリ
「契約書にサインするときは、隅から隅まで、文章をしっかりと読むこと」
センリ
「商人だったら、これくらい常識よ?」
センリ
「今日からあなたは、私の召使い」
ヨーク
「ふーん」
ヨークはのんびりとした口調で言った。
結ばれた契約の内容は、奴隷契約と大差ない。
だがヨークは、それほど気にしてはいない様子だった。
センリ
「……軽いわね。あなた」




