5の20「王子と腕輪」
マレル公爵領。
その中心地、大都市リヨに位置する、マレル公爵本邸。
広大な館に有る公爵の執務室に、兵士たちがなだれ込んで来た。
室内には、ユーリアとシュウの姿が有った。
ユーリアは執務用の椅子に腰かけ、シュウはその隣に立っていた。
ユーリア
「おやおや。いったいこれは何用ですか?」
ユーリア
「……お父様」
兵士たちに守られるように立っているのは、ギャブル=マレル。
この部屋の、ついこのあいだまでの主人だ。
今は公爵としての権利を剥奪され、ただの平民となっていた。
だがそれでも、長く領地を治めていただけのことは有る。
彼に従う兵隊が、まだ残っていたらしい。
ギャブル
「何の用かだと? よくも……!」
ギャブル
「父であるこの私を売っておいて、よくそんな事が言えたものだな!?」
ユーリア
「それで?」
ギャブル
「それでだと……!?」
ユーリア
「あなたの罪は、既におおやけにされています」
ユーリア
「私を捕らえたところで、何も変わらない」
ユーリア
「それどころか、揺らぐ公爵領の地盤を、さらに揺るがしかねない」
ユーリア
「お父様……」
ユーリア
「あなたはいったい、何がしたいのですか?」
ギャブル
「ッ……!」
ギャブル
「父に背くという大罪を、償ってもらう!」
ユーリア
「なるほど」
ユーリア
「特に未来への展望も無く、私を私刑にかけるということですか」
ユーリア
「救えないね」
ユーリア
「元公爵ともあろう方が、その場の感情だけで暴挙に走るなんて」
ユーリア
「そんな風だから、賭博で身を持ち崩すのですよ」
ギャブル
「黙れ!」
ギャブル
「公爵家に背いた大逆人だ! 捕縛しろ!」
兵士たちは、ギャブルに忠実だった。
命じられるがままに、ユーリアに迫った。
ユーリア
「シュウ」
ユーリアが一言、シュウの名を呼んだ。
シュウ
「はい」
事はそれで済んだ。
ばたばたと、兵士たちが倒れていった。
シュウは一瞬で、大勢の兵士を切り伏せてしまったのだった。
「ひっ……!」
運良く倒されなかった兵士は、明らかにシュウに怯んだ様子を見せた。
シュウ
「命までは取らん。おとなしく武器を捨てろ」
元々、たいした覚悟も無かったのだろう。
兵士たちは次々に、武器を取り落としてしまった。
シュウに立ち向かおうとする者は、1人も居なくなった。
ユーリア
「さて。観念してもらえますかね。お父様」
ギャブル
「シュウ……! 恩知らずの化け物め……!」
シュウ
「化け物?」
シュウ
「俺は凡庸なメイルブーケですよ」
シュウ
「本当に平凡な……」
シュウ
「それと俺の主は、ずっとユーリア様です」
シュウ
「主の父として敬うことはあっても、あなたに主従の恩はありません」
シュウはギャブルに歩み寄った。
そしてあっという間に、ロープでギャブルを捕縛してしまった。
ギャブル
「ユーリア。父を縄にかけることを、何とも思わんのか?」
ユーリア
「あなたのせいで、ユーリは死ぬところだった」
ユーリア
「家族を守ろうともしなかったあなたに、肉親の情に訴えかける権利なんて無い」
ユーリア
「シュウ。お父様を牢屋に」
シュウ
「はい」
ギャブルを連れて、シュウは部屋を出ていった。
ユーリア
「君たちも、さっさと消えてくれるかな?」
兵士
「はっ……!」
無傷の兵士が、倒れた兵士たちを運び出していった。
やがてユーリアは、1人になった。
ユーリアはぐったりと、椅子に体重を預けた。
そして天井を見た。
ユーリア
「たとえアナタみたいなロクでなしでも……」
ユーリア
「何とも思わないはずが無いでしょうが。お父様」
……。
数日後。
王宮の中庭に、フルーレとエルの姿が有った。
2人が中庭を進むと、あずま屋が見えた。
フルーレはあずま屋に進み、石造りの椅子に腰掛けた。
フルーレ
「お待たせしてしまいましたか?」
マルクロー
「いや。僕も今来たところだよ」
フルーレの向かいの席には、マルクロー王子が座っていた。
2人は平凡な世間話をした。
少しするとフルーレは、マレル元公爵のことを話題に出した。
フルーレ
「それでマレル元公爵は、僻地に送られることになったようですね」
マルクロー
「らしいね。そんなことより……」
マルクローの手が、フルーレの髪に伸びた。
恋人同士でも無ければ、無礼なふるまいだ。
だがマルクローは、当然のようにそれを行った。
マルクロー
「今日も綺麗だね。フルーレ」
フルーレ
「ありがとうございます」
フルーレは、愛想笑いを浮かべた。
マルクロー
「それで……考えてもらえたかな?」
マルクロー
「僕との結婚のこと」
そのとき、フルーレが急に立ち上がった。
マルクロー
「フルーレ?」
フルーレ
「歩きながら話しませんか?」
マルクロー
「うん。良いよ」
フルーレの提案によって、2人はあずま屋を出た。
供を連れ、中庭を歩いた。
王宮の庭では、季節の花が咲き誇っていた。
花と花のあいだを、一行は進んでいった。
フルーレ
「先日のパーティのことですが……」
マルクロー
「うん」
フルーレ
「ヨークが名乗り出なければ、殿下が決闘をするようになっていましたね」
マルクロー
「気にしなくて良いよ」
マルクロー
「愛する人のために剣を取るのは、男として当たり前のことだ」
マルクロー
「それに、こう見えて、けっこう腕に覚えが有るんだよ」
フルーレ
「そうですか」
フルーレ
「それで、結婚に関してですが……」
フルーレ
「ユーリとの婚約を、継続することになりました」
マルクロー
「……………………えっ?」
マルクローの表情が、驚きで固まった。
マルクロー
「どうして……? あんなことが有ったのに……」
フルーレ
「たしかに、良からぬ陰謀に巻き込まれたことは、ショックでした」
フルーレ
「あの時は、関係を修復することなど、不可能のように思いました」
フルーレ
「ですがどうやら、ユーリたちにも事情が有ったようです」
マルクロー
「事情が有ったからって、やって良いことと悪いことが有るだろう?」
フルーレ
「そうかもしれません。ですが……」
フルーレ
「あの後で必死に謝罪をされて、気付いたのです」
フルーレ
「私はまだ……あの人を愛しているのだと……」
マルクロー
「駄目だよ……! そんなこと……!」
マルクローは、フルーレに掴みかかった。
フルーレの手首が、乱暴に掴まれた。
とても紳士の行いでは無い。
マルクロー
「あんなロクでもない男……! 君を不幸にするに決まっている……!」
フルーレ
「それでも彼を愛しているのです」
マルクロー
「そんな……」
マルクロー
「ッ……!」
マルクロー
「首飾りは……?」
マルクローはフルーレが、いつもの首飾りを身に付けていないことに気付いた。
フルーレ
「首飾り?」
マルクロー
「とぼけるなよ! 当主の証の首飾りだよ!」
フルーレ
「ああ。あれですか」
フルーレ
「実は……」
フルーレ
「ラビュリントスで不覚を取って、落としてしまったのです」
マルクロー
「な……!」
マルクローの手が緩んだ。
フルーレの腕が、開放された。
マルクロー
「どこだ……! どこで落としたんだ……!?」
フルーレ
「さて。手傷を負っていたので、とんと思い出すことが出来ません」
フルーレ
「ひょっとしたら、もう誰かに拾われてしまったかもしれません」
フルーレ
「殿下……」
フルーレは、マルクローの左手を掴んだ。
袖の奥にちらりと、真珠のブレスレットが覗いた。
真珠粒は全て、ゴールデンパール色をしていた。
フルーレ
「素敵な真珠ですね」
フルーレ
「それでは。ごきげんよう」
フルーレは、エルと共に去っていった。
マルクロー
「あ……」
マルクロー
「探せ……!」
マルクローは、自身の従者に命じた。
マルクロー
「ラビュリントスの隅々まで、調べて探し出せっ!」
……。
ミツキが運命を変える以前のこと。
フルーレは夫となったマルクローとその護衛、そしてエルとで迷宮に潜っていた
そして……。
フルーレ
「あっ……」
突然に、フルーレの胸を刃が貫いた。
エル
「お嬢様!?」
フルーレ
「マルクロー……?」
フルーレは、なんとか振り返った。
そこには、酷薄な笑みを浮かべた夫の姿が有った。
マルクロー
「呼び捨てにするなよ。気持ち悪い」
マルクローは、死に瀕する妻の体から、強引に首飾りをむしり取った。
フルーレ
「ぁ……」
そしてフルーレの体を、地面へと蹴り倒した。
エル
「お嬢様! お嬢様っ!」
突然の事態に混乱しながら、エルはあるじを呼んだ。
マルクロー
「うるさいな。黙らせろ」
マルクローの部下たちが、エルに掴みかかった。
エル
「むぐーーーーっ!」
エルは布で口を塞がれ、何もできなくなった。
フルーレ
「エ……ル……」
血を失いながら、フルーレは従者の名前を呼んだ。
そんな彼女を、マルクローはあざ笑った。
マルクロー
「鳥肌モノだったよ。お前みたいな迷宮臭い女と結婚だなんて」
マルクロー
「全てはこの鍵を、手に入れるためだった」
マルクロー
「ようやく手に入れた。僕たちの悲願を」
マルクロー
「ハハハハハッ!」
フルーレ
「……っ!」
屈辱を浴びても、フルーレは何もできなかった。
胸の傷は、致命傷だ。
死がすぐそこまで迫っていた。
そんなフルーレに対し、夫だったはずの男が言った。
マルクロー
「『魔剣化』しろ」
マルクロー
「『魔剣化』しないのなら、メイドも殺す」
マルクロー
「それに、お前もこのまま野垂れ死になんて、望んじゃいないだろう?」
マルクロー
「矜持を残してみせろよ。メイルブーケ」
エル
「む~~~~~っ!」
口が開けていたら、エルはフルーレを止めていただろう。
だが、布で抑え込まれた彼女の口からは、うめき声しか出てこなかった。
フルーレ
「……………………」
何も残せずに、死にたくは無い。
フルーレは、そう思ってしまった。
だから、呟いた。
フルーレ
「『魔剣化』」
それはメイルブーケにだけ伝わる、呪いのスキルだった。
フルーレの体が、強く輝いた。
周辺の全てが、白く染まった。
光が消えた後、フルーレの姿は無く、ただ一本の魔剣だけが有った。
エルの体から、ガクリと力が抜けた。
フルーレはもう居ない。
逝ってしまったのだ。
マルクロー
「まったく、化け物だな。メイルブーケも」
マルクローは、かつてフルーレだった魔剣を、拾い上げた。
マルクロー
「これに聖障壁殺しを、刻むという話だったな」
マルクロー
「新たな聖剣となれるのだから、この女も本望だろう」
従者
「このメイドはどうしますか?」
エル
「…………」
マルクロー
「丁重に扱え」
マルクロー
「そいつの引き取り先は、既に決まっている」
そして……。
マルクロー
「申し訳有りません……! 僕が非力だったばかりに……!」
ブゴウ
「…………」
メイルブーケ本邸の、応接室。
自身の手で殺めた妻の、父親の前で、マルクローは泣いてみせた。
ブゴウ
「顔を上げて下さい。殿下」
ブゴウ
「魔獣相手に後れを取った娘が甘かった。それだけのことです」
マルクロー
「お父さん……」
マルクロー
「本当に……本当に申し訳有りません……」
父親の許しを得られると、マルクローは去った。
そして、けろりとした顔で、王宮まで帰っていった。
ブゴウ
「…………」
残されたフルーレの父は、彼女の死に、一筋の涙を流した。
そうなるはずだった。
マルクローを袖にしたフルーレたちは、王宮から出た。
通りを歩いていくと、ヨークとミツキの姿が有った。
フルーレ
「無事に済んだよ」
ヨーク
「良かったな」
フルーレ
「まあこれで、メイルブーケが連中に狙われることは、無くなったはずだ」
ヨーク
「これからどうする?」
フルーレ
「何日かは、迷宮に行くのは止めておいた方が良いかもな」
フルーレ
「混雑するだろうから」
ミツキ
「本物の家宝が、ここに有るとも知らずに……」
ミツキはスキルを使い、家宝を取り出してみせた。
事件以来ずっと、首飾りはミツキが保管していた。
フルーレ
「世界一安全な隠し場所だ」
ミツキ
「過大評価どうも」
ミツキは首飾りを『収納』した。
ヨーク
「しかし、迷宮に行かないってのは暇だな」
フルーレ
「そうか。暇か」
フルーレ
「それなら、私とデートでもするか?」
ヨーク
「えっ」
フルーレ
「嫌か? 今ならエルもついてくるぞ。両手に花だ」
エル
「…………」
エルは期待するような目を、ヨークへと向けた。
ヨーク
「別に嫌じゃねえけどよ」
ヨーク
「お前とデートすると、婚約者が怖いぜ」
ヨークはそう言うと、苦笑いを浮かべたのだった。




