５の１４「記憶と望み」
デレーナ
「…………」
デレーナは、ニトロの後について、階段を降りていった。
階段を降りた所に、３人の白ローブ姿の人物が見えた。
全員が、ローブのフードを被っていた。
おかげでデレーナには、３人の顔は見えなかった。
ニトロ
「やあ」
ニトロはその３人に、気安く声をかけた。
白ローブの連中は、ニトロが言っていた仲間らしい。
トトノール
「彼女は？」
３人の１人が、ニトロに問いかけた。
ローブの下から聞こえてきたのは、女の声だった。
まさか彼女が聖女トトノールであるとは、デレーナは微塵も予想できなかった。
ただの怪しい女。
それがデレーナが抱いた感想だった。
ニトロ
「メイルブーケの御令嬢だ。彼女も連れて行って良いかな？」
サッツル
「はい。よろしくお願いします」
デレーナ
「……よろしく」
ニトロの仲間の承諾を受け、デレーナは、彼らに同行することになった。
デレーナは、ニトロ一行と共に、迷宮の９９層を歩いた。
その間、特に危険は無かった。
聖女のスキルが、魔獣を弱体化させていたからだ。
デレーナが手を出すまでもなく、神殿騎士たちが、魔獣を撃退していった。
そして最後に、門の有る場所までたどり着いた。
ニトロ
「ほら、何も無いだろう？」
デレーナ
「…………」
ニトロに言われ、デレーナは壁の方を見た。
そこには本来であれば、邪神の間へと続く門が有る。
だが、デレーナはそれを認識出来なかった。
デレーナの知覚は、ニトロによって破壊されていた。
デレーナ
「たしかに、何も無いな」
ニトロ
「こっちを見て」
デレーナ
「…………？」
デレーナの視線が、ニトロの瞳へと吸い込まれた。
赤く輝く瞳に。
ニトロ
「ガッカリだよね。何も無いなんて」
ニトロ
「ねえ？」
デレーナ
「それは……」
デレーナ
「そうかもしれない」
デレーナ
「小さい頃は……お父様がする迷宮の話に、心躍らされていた」
デレーナ
「何か煌く物が、待っているのだろうと思っていた」
デレーナ
「だというのに……」
デレーナ
「何も……無かったのだな……」
ニトロ
「ああ。かわいそうなデレーナ。女の子なのに」
ニトロ
「迷宮伯の長子に産まれたばかりに、来る日も来る日も剣術の稽古」
ニトロ
「本当なら、着飾ったり、男の子とデートだってしたかったはずだ」
ニトロ
「キラキラした王子様と出会って、運命の恋をして、結ばれる」
ニトロ
「そんな女子としての幸せが、有ったはずなのに……」
ニトロ
「とても、とても、かわいそうだよ」
デレーナ
「私は……」
デレーナ
「かわいそう……なのか……？」
ニトロ
「うん。君はかわいそうだ」
ニトロはデレーナに言い聞かせた。
ニトロ
「背負う必要の無い重荷を、背負わされてしまっている」
ニトロ
「さあ、肩の荷を降ろして、楽になろう？」
ニトロから言葉を浴びせられるたびに、デレーナは、己の本心が分からなくなっていった。
そして、ニトロの言葉が正しかったような気がしてくるのだった。
デレーナ
「どう……したら……？」
デレーナ
「私はどうすれば良いんだ……？」
自分がかわいそうだと気付き、デレーナは悲しくなった。
だが、どうすれば良いのかはわからなかった。
だから眼前の男に、助けを求めてしまった。
ニトロ
「まずはそれを捨ててしまおう」
そう言ってニトロは、デレーナの胸の辺りを指さした。
そこには先祖から受け継いだ、首飾りが有った。
デレーナ
「それ？」
ニトロ
「君の首にある、立派な首飾り」
ニトロ
「メイルブーケ後継者の証を」
デレーナ
「これを……？」
デレーナ
「これを捨てたら……私は幸せになれるのか……？」
ニトロ
「大切な家宝を失えば、君は継承者としての資格を失うだろう」
ニトロ
「楽になれるよ。さあ」
優しいふりをした声音で、ニトロはデレーナを誘った。
デレーナ
「楽……に……？」
デレーナの手が、首飾りに伸びた。
デレーナ
「……………………」
そして……。
デレーナ
「違う」
ニトロ
「えっ？」
予想外の言葉に、ニトロの喉から素の感情が漏れた。
さきほどの優しそうな声とは別物だ。
純粋な驚きの声だった。
デレーナ
「違う違う違う違う違うっ！」
ニトロの声色が変わったことなど、今のデレーナには興味が無かった。
デレーナの表情が、苦悶と苛立ちに満ちた。
デレーナの姿が、ニトロの視界から消え去った。
一瞬だった。
ニトロには、彼女を呼び止めることすらできなかった。
リドカイン
「おいおい。しくじりやがったのかよ」
３人のうちの１人が、呆れたようにフードを外した。
フードの下からは、リドカインの顔が現れた。
ニトロ
「ああ……」
ニトロは苦い顔で言った。
ニトロ
「私にはやはり、乙女心というものは分からないようだ」
リドカイン
「せっかく授かったスキルも、宝の持ち腐れだな。全くよぉ」
ニトロ
「言葉も無い」
サッツル
「どうします？ 追いかけて始末しますか？」
ニトロ
「それで済む相手なら、苦労は無いよ」
リドカイン
「そんなにつええんなら、あいつを邪神と戦わせりゃ良いんじゃねえのか？」
ニトロ
「邪神を殺すには、ただ強いだけじゃ駄目なのさ」
ニトロ
「失われた聖剣を複製出来なければ、神には届かない」
ニトロ
「百年か、二百年か、人類の技術レベルが、もっと進歩する必要が有る」
ニトロ
「それまでは、邪神の封印は守られないといけない」
トトノール
「気の長い話ですね」
ニトロ
「仕方ないさ。人じゃない、神々の喧嘩なんだから」
トトノール
「あなたはメイルブーケに顔を見られています。だいじょうぶなのですか？」
ニトロ
「『暗示』の力で、認識はごまかせているはずだ」
ニトロ
「……だいじょうぶだと思うけどね」
それから少しして、デレーナは、メイルブーケ後継者の座を捨てた。
……。
夢は終わった。
デレーナ
「っ……！」
デレーナは、ベッドの上で飛び起きた。
ミツキ
「目が覚めましたか」
ベッドの脇に控えていたミツキが、デレーナに声をかけた。
デレーナ
「ここは……？」
フルーレ
「お姉様の部屋ですよ」
フルーレが答えた。
エル
「…………」
フルーレの隣には、エルの姿も見えた。
デレーナ
「……雁首揃えて、私の寝顔を見ていたんですの？」
フルーレ
「心配したんですから。急にお倒れになってしまって」
デレーナ
「……ごめんなさい。けれど、だいじょうぶです」
デレーナ
「むしろ、憑き物が落ちた気分ですの」
フルーレ
「憑き物……ですか？」
デレーナ
「ええ」
デレーナ
「私は、剣を振ることが嫌なのだと思っていました」
デレーナ
「もっと着飾ったり、普通の貴族の女子のような楽しみを、欲しているのだと……」
デレーナ
「だけど、本当は違いましたの」
デレーナ
「本当の私は、好敵手を求めていた」
デレーナ
「猛者相手に死闘を演じ、技を極限まで駆使して……」
デレーナ
「技を磨き続けたことは無駄では無かった。そう思いたかったんですの」
デレーナ
「高みに立つ喜びを、分かち合う誰かに、巡りあいたかったのですわ」
デレーナ
「……ヨーク様」
デレーナ
「あの方に敗れて、私は知ることが出来ました」
デレーナ
「私ていどの剣では届かない、遥かな高みの存在を」
デレーナ
「フルーレ」
デレーナ
「まずは謝罪をしなくてはなりませんね」
デレーナ
「私の勝手で振り回してしまって、本当に申し訳有りませんでした」
フルーレ
「いえ」
フルーレ
「またお姉様の格好いい所が見られて、嬉しかったです」
デレーナ
「負けてしまいましたけどね」
姉は笑った。
それを見て、妹も笑った。
なのでメイドも笑ったのだった。
……。
とある豪邸。
２階の客室のベッドで、ユーリが眠っていた。
ユーリ
「ん……」
ユーリは目を開け、上体を起こした。
そして周囲を見回した。
ユーリ
「ここは……」
アヤ
「あなたはしくじったのよ。ユーリア」
少女の声が聞こえた。
ユーリ……ユーリアは、声の方を見た。
見ると、ベッドの隣に、アヤ＝クレインの姿が有った。
ユーリ／ユーリア
「負けた……？ あの人に……」
ユーリアは、戦いの記憶がはっきりとしていない様子だった。
それだけヨークの動きが、人間離れしていたということだろう。
アヤ
「ええ。一撃で、有無を言わさず、完膚無きまでに負けたわ」
ユーリア
「……申し訳有りません」
アヤ
「まあ、あんな化け物みたいな男が乱入してくるなんて、誰も予想して無かったけどね」
アヤ
「三兄弟の邪眼も、全く効いて無かったみたいだし……」
アヤ
「だけど、しくじったのは事実よ」
ユーリア
「……はい」
アヤ
「すぐに次の作戦を立てるわ」
アヤ
「あなたには、死んでもらうことになるかもしれないけど……」
アヤ
「愛する家族のためだもの。覚悟は出来ているわね？」
ユーリア
「…………はい」
アヤ
「それじゃ。次の作戦が決まるまで待機していて」
ユーリア
「はい」
アヤは寝室から出ていった。
ユーリアは、ベッドの上で１人になった。
そのとき……。
窓の方から、コンコンと音がした。
ユーリア
「…………？」
ユーリアは窓を見た。
窓にはカーテンがかけられていた。
そのおかげで、外の様子はわからない。
ユーリアは、音の正体を確かめようと思った。
それでベッドから立ち、窓へと向かった。
そしてカーテンに手をかけた。
カーテンを勢いよく開くと、そこには……。
ヨーク
「よう。ユーリアちゃん」
ユーリア
「お前は……！」
窓の額縁に、ヨークが足をかけていた。
