4の29「遭遇と桃色の髪」
ニトロ
「隠れるよ。私が良いと言うまで動かないように」
サレン
「あの?」
ニトロ
「問答は後だ。時間が無い」
サレン
「……はい」
サッツル
「了解しました」
ニトロ+サレン+サッツル
「寂寞光」
3人は、同時に呪文を唱えた。
治癒術師が用いる、補助呪文だ。
聖騎士も、これを用いることが出来る。
そして、神殿騎士たちは、聖騎士のクラスを持つ。
3人ともが、この呪文の行使が、可能だった。
呪文の効果によって、3人の姿が、景色と同化した。
もし誰かが通りかかっても、そこに人が居るとは、気付けないだろう。
それが、人を超える嗅覚の持ち主でなければ。
サレン
「……………………」
サレンは息を殺し、周囲の様子を見守った。
呪文を唱え、身を隠したのは、ニトロの指示だ。
彼女自身が、事態を把握しているわけでは無い。
危機の本質を、掴めてはいなかった。
サレン
(いったい……何が……?)
サレンはただ待った。
足音が、近付いてきた。
さらに、何かを引きずるような音が。
ずるずると、ずるずると。
ゆっくりと、近付いてきた。
そして、サレンの視界が、ソレの姿を捉えた。
サレン
「ッ!?」
それが何なのか理解した瞬間、サレンは短い悲鳴を上げてしまった。
サレン
(しまった……!)
サレンは冷や汗を流した。
寂寞光は、人の姿を消してくれる呪文だ。
だが、気配をゼロにしてくれるわけでは無い。
大きな物音を立てれば、察知されてしまう。
「…………?」
視線が、サレンの方へと向けられた。
「……………………」
それは、不思議そうに首をかしげて、じっとサレンの方を見ていた。
寂寞光の効果は、継続している。
今も、姿は見えていない。
だから……だいじょうぶのはず……。
サレン
(お父様が居るからだいじょうぶお父様が居るからだいじょうぶお父様が居るからだいじょうぶ)
サレンはひたすらに、自分にそう言い聞かせた。
「…………」
やがて視線が、サレンから外れた。
ずるずると、ずるずると。
それは、サレンたちから遠ざかっていった。
音がしなくなってからも、サレンは身動きが出来なかった。
ニトロ
「そろそろ良いかな」
ニトロが術を解いた。
ニトロの姿が、外部から視認出来るようになった。
続いてサッツルも、姿を現した。
ニトロ
「サレン?」
サレンが姿をあらわさなかったので、ニトロは心配して声をかけた。
少しして、サレンが姿をあらわした。
サレン
「う……」
サレンは脚を震わせ、ぺたりとしりもちをついた。
サレン
「腰が抜けました……」
そう言ったサレンは、顔色を悪くしていた。
ニトロ
「……うん」
ニトロ
「気組みが足りないね。サレンは」
サッツル
「そうは言っても、私の目から見ても、相当のものでしたよ」
サッツル
「あれが……あんなものが……聖女候補なのですか?」
ニトロ
「優等生……だったはずなんだけどね」
ニトロ
「3日会わなければ、目をこすって見ろとは、良く言ったものだ」
サッツル
「それは男子の話では?」
ニトロ
「男女差別なんて、いまどき流行らないよ」
サッツル
「彼女はどうして……」
ニトロ
「何かが有ったんだろうさ」
サッツル
「何か?」
ニトロ
「部外者には、分からない何かさ」
サッツル
「つまり、何も分からないということですね」
ニトロ
「人は人だ」
ニトロ
「私たちは、私たちの事情で動けば良い」
サッツル
「野放しにするのですか? あれを」
ニトロ
「君が戦いたいのなら、止めはしないけど?」
サッツル
「……絶対嫌ですけど」
ニトロ
「うん。サレン、立って」
サレン
「はい……」
ニトロの言葉を受けて、サレンは立ち上がった。
彼女の脚は、まだ震えていた。
ニトロ
「サレン」
ニトロ
「君は、要領よく立ち回れば、自分は死なないで済むと思っていたね?」
ニトロ
「常にスマートな最適解が有って、それを選んでさえいれば、安全だと思っていた」
ニトロ
「だから、想像を超える暴力を目の前にして、戦意を失った」
ニトロ
「どれだけ小賢しくても、死ぬ時は死ぬ」
ニトロ
「悪意とは、殺意とは、暴力とはそういうものだ」
ニトロ
「そして、死地において活路となるのは、ささやかな勇気だ」
ニトロ
「絶対の死地に、あえて1歩を踏み出す勇気」
ニトロ
「命が惜しいのなら、それを覚えておくと良い」
サレン
「……難しいです」
サレン
「言葉の意味は、分かります」
サレン
「それでも……難しいです」
ニトロ
「うん……」
ニトロ
「少し、急ぎすぎたかもしれないね」
ニトロ
「ゆっくりと行こうか」
ニトロはサレンが落ち着くのを、少し待った。
あまり長くは待たなかった。
3人は再び、迷宮を歩きはじめた。
……。
ヨークたちは、ニトロよりも先を歩いていた。
クリーン
「あのあの。ヨークヨーク」
歩きながら、クリーンはヨークに声をかけた。
ヨーク
「はい。ヨークヨークです」
ヨーク
「何ぞ?」
クリーン
「少し休みませんか? 疲れてしまいました」
ヨーク
「なさけねえな。それでも村民かよ」
クリーン
「こちとらレベル1なのですが?」
ヨーク
「仕方ねえな。おぶされ」
ヨーク
「ミツキに」
ミツキ
「えっ?」
クリーン
「モフミちゃん……お願い……」
ミツキ
「はぁ。どうぞ」
ミツキはクリーンに背を向け、しゃがみ込んだ。
クリーン
「ありがとです~」
クリーンは手にしていた杖を背負い、ミツキの背後に駆けた。
そして、ミツキの背におぶさった。
クリーン
「ふい~。楽ちんなのです」
ヨーク
「さよか」
ミツキがクリーンをおんぶした状態で、3人は先へと進んだ。
すると……。
クリーン
「げっ」
イーバ
「あら……」
ヨークたちは、イーバの一団と遭遇した。
取り巻きのトリーシャとマギーも、イーバに同行していた。
守護騎士と合わせると、イーバたちの人数は、9名にもなった。
ちょっとした大所帯だ。
イーバ
「……怪我でもしたの?」
ミツキの背のクリーンを見て、イーバが尋ねた。
クリーン
「シュワット!」
イーバを相手に、弱みを見せたくは無い。
クリーンはそう考えたらしく、ミツキの背から下りた。
そして胸を張り、イーバと向き合った。
クリーン
「体力温存です。高度な戦略的判断なのですよ」
イーバ
「……? 歩いたくらいで、体力が減るわけ無いでしょう?」
試練の参加者たちは、パワーレベリングを受けている。
その体力は、常人の平均を、遥かに上回る。
よほどの激闘でも無ければ、疲労はしない。
クリーン
「私は減るのです!」
イーバ
「そんなので、よくここまでやって来られたわね」
イーバ
「なさけないアナタに、今ここで、引導を渡してあげようかしら?」
クリーン
「やる気ですか?」
クリーンは、背から杖を下ろし、構えてみせた。
対するイーバは、長剣を構えた。
やや小ぶりな剣だ。
鍔のところに、羽をモチーフにした、繊細な装飾が為されている。
切れ味や頑丈さよりも、見た目を重視しているらしい。
刀身は美しく、刃こぼれは見当たらない。
使用回数は、少なそうに見えた。
ミツキ
「待って下さい」
ミツキ
「3対9で戦うつもりですか?」
クリーン
「えっ? 1対1じゃないのですか?」
イーバ
「当然でしょう? これはチーム戦よ?」
クリーン
「卑怯!」
イーバ
「卑怯? 聞き捨てならないわね」
イーバ
「数を揃えるのは、戦いの基本でしょう?」
イーバ
「自分の人望の無さを、棚に上げられても困るわ」
クリーン
「人望? あなたのお父さんが、お金持ちというだけでしょう?」
イーバ
「負け犬の遠吠えは、そこまでにしなさい」
イーバは剣先を、クリーンへと向けた。
ヨーク
「すっかりやる気だな」
ヨーク
「クリーン。一応確認しとくが……」
ヨーク
「聖女になりたいのか、あいつらをぶっ倒したいのか、どっちだ?」
ヨークは尋ねた。
第2の試練を勝ち抜くだけなら、戦闘は避けた方が良い。
特に、今回は3対9だ。
条件不利の戦いに挑むのは、試練の参加者としては、利口だとは言えない。
もしクリーンが、聖女になることを優先すれば、ヨークは彼女を連れ、逃げるつもりだった。
クリーン
「馬鹿ですね。決まっているでしょう?」
クリーン
「両方なのです!」
ヨーク
「なるほど」
好みの答えだ。
ヨークはそう思い、軽く笑った。
ヨーク
「それじゃ、やるか」
ヨークは魔剣を構えた。
そして、剣先をイーバに向けた。
ヨーク
「樹殺……」
ミツキ
「待って下さい」
先制のヨークの呪文が、ミツキによって遮られた。
ヨーク
「……何だよ?」
気勢を削がれたヨークは、剣を下ろし、ミツキを見た。
イーバ
「いまさら命乞いかしら?」
ミツキ
「まさか」
ミツキはイーバに、体の側面を向けた。
そして、自分たちがやって来た方角を見た。
ミツキ
「誰か来ます」
ミツキ
「今戦えば、その人も巻き込むことになると思いますが」
イーバ
「本当かしら?」
ミツキ
「すぐに分かります」
ヨークたちは、動きを止めた。
すると遠くから、声が聞こえてきた。
「「おいっちにーおいっちにー」」
それは、2つのかけ声だった。
マジメな試練の最中だとは思えない、のんびりとした声だった。
イーバ
「何……? この間の抜けた声は」
「「おいっちにーおいっちにー」」
ヨークたちは、声が近付いてくるのを待った。
やがて、カドを曲がり、人影が現れた。
それはゆっくりと、ヨークたちに近付いてきた。
イーバ
「ッ……!?」
イーバ
「な……何なの……あれは……」
やって来る人影は2つ有った。
1人は、白いローブの人物だ。
女性的な体格で、ローブについているフードのせいで、顔は見えなかった。
白ローブ
「…………」
そして、もう1人は、仮面をかぶった聖女候補だった。
のっぺりとした白い仮面が、彼女の顔全体を、覆っていた。
おかげで素顔は見えない。
服装は、素朴な神官服だ。
色気の無い格好だった。
だが、彼女の桃色の髪は、艷やかで美しかった。
仮面の聖女候補
「ヒッ……ヒヒヒヒヒヒヒッ……!」
仮面の聖女候補
「見つけた……」
そう言って、聖女候補は立ち止まった。
ヨーク
「…………?」
仮面の聖女候補
「ヨーク」
聖女候補は唐突に、ヨークの名前を呼んだ。
そして、自身の仮面を外し、放り捨てた。
ヨークは彼女の容姿を、はっきりと認識した。
ヨーク
「…………!」
ヨーク
「クリスティーナ=サザーランド……!?」
仮面の下の顔は、リホの友人とよく似ていた。




