あなたの誇りが許さなかった。
キスから進まない、高校生のような恋愛。
それはそれで楽しかったが、同時に息苦しいものだった。
好きな女が目の前にいる。
その女も俺のことを好きだと言っている。
それなのに。
俺は、Tを傷つけたくない。
Tに嫌われたくない。
でも、いつまでもいい人ではいられない。
その日も俺の部屋に連れて行った。
男の部屋に付いてくるなんて、そういう関係になってもいいと暗黙の了解だろう。
だけど、それがTには通用しない。
人妻らしく妖艶だと思えば、驚くほど幼い仕草をする。
そのアンバランスさに惹かれたが、そこにあんなに深い意味があろうとは思わなかった。
可愛そうなT。
でも、そのことを知るのは、もっと後の話し。
その日は、もう俺も我慢の限界だった。
キスだけでは済まない。
抱きたい。
Tが欲しい。
俺のいつもと違う様子に怯えたT。
それに、また俺はそそられた。
キスをしたまま、抱きしめたまま、Tを寝室に連れて行き、ベッドの上で抱きしめた。
だめよ、いやいや、やめて。
もう我慢できない、愛してる。
いや!
Tは大きな瞳に涙をため、大きな声を出した。
本気で怒っている。
今まで、このベッドで何人の女の人を抱いたの?
そんなところで、抱かれるのは嫌よ。
二人の初めてなのに、馬鹿にしないで!
ああ、そうだ、二人の初めてなんだ。
ごめん、ベッドを買い替える、いや引っ越すよ。
それとも、どこかへ行こう。
とにかく今日は帰るわ。
ほんとにごめん。また逢ってくれるよね?
これっきりじゃないよね?
分からないわ、少し考えたいの。
たしかに俺は無神経だった。
遊びの女を散々抱いたベッドで抱かれるのは、Tの誇りが許さなかったんだ。
Tだって人妻の遊びじゃないのかと思う反面、俺はどうしたいのか考えた。
ここで一歩踏み出せば、泥沼の地獄が待っているかもしれない。
Tはたぶん、遊びで男と寝るような女じゃない。
そう言う関係になったら、俺たちはどうなるのだろう。
考えても答えは出なかった。
今はただ、あの花のようなTが欲しい。
今までで、一番厄介な存在だ。
二人の初めて…か。
そうだな。
今まではその場のノリや成り行きなどで女を抱いて来た。
ライブなどで気分が高揚していて、そのはけ口が欲しかったり、純粋に女を抱きたいときなど、後先考えず、女を抱いて来た。
いつからだろう。
女と真面目に付き合うのが面倒になってきた。
女に求めるのは、その場の快楽だけになっていた。
俺も独身だったから、多少のことは許された。
Tは…。
今までで、一番厄介な存在だ。
Tは人妻。
いくら俺が独身でも、相手が人妻では。
そんなこと最初からわかっていた。
でも、Tが好きだ。欲しい。
手を出しちゃいけない存在だ。
俺はこの先どうしたい?
いつものように、手を出して、飽きたら捨てる?
俺は、それでは済まない予感におびえていた。
きっと、俺はTにのめり込む。
この先には、泥沼と破滅が待っている。
それでも。
Tとしばらく逢えない日が続いていた。
Tから連絡は来ない。
怒ってしまったんだろうな…。
毎日、こんな辛気臭いことを考えていた訳じゃない。
でも、ふとした時、Tの笑顔を思い出して、心が温かくなった。
また、Tの憂い顔泣き顔を思い出しては、心が痛んだ。
逢いたいな。
一緒に笑いたい。
悩んでいることがあれば、慰めたい。
俺はいつの間にか、遊びに行かなくなった。
ライブの後や、仕事の後、スタッフを引連れて、嬢のいる店に行くのが大好きだった俺が…。
スタッフや仲間に軍資金だけ渡し、自分はさっさと部屋に帰っていくようになった。
そして。
俺は、引っ越しを考えていた。
忙しくて、中々実行できなかったが、マネージャーに条件に合うような物件を探させていた。
今の部屋より広く、二人で暮らしても大丈夫なような。
二人で暮らしても?
俺は、いつの間にかTと暮らすことを夢想するようになっていた。
あれ以来、逢ってももらえないのに。