その一瞬で。
1ヶ月後、あなたの気が変わらなければ…ね。
人妻の余裕を見せて、彼女は言った。
俺より年下のくせに。
いや、余裕はあっただろうか。
最初のキスの時の初心な様子。
2度目のキスだって、俺を受け止めるのに精いっぱいな様子だったじゃないか。
意外と男をあまり知らないのかも。
深窓の令嬢ってやつか…。
俺は、アメリカでのレコーディング中、そんなことばかり妄想して楽しんでいた。
まさか、あんなこととは…な。
彼女は、いやTと呼ぼう。
Tは精一杯、人妻を演じていたんだ。
今思うと、可哀そうで仕方ない。
でも、あのときは、俺だって必死だった。
手の届かない存在だと思っていた相手との甘美なキス。
ふとした拍子に抱きしめた華奢な肩。
思わず握りしめた、折れそうなほど細い指。
その一瞬で、俺の心に火がついた。
それは甘美だけど、茨の道に誘う一瞬だった。
1ヶ月後、その一瞬は永遠へと確信に変わった。
アメリカでのレコーディングを終え、帰国した俺は早速、Tに電話した。
俺の気は変わるどころか、益々燃え上がった。
約束の日、渋谷の喧騒に表れたT。
Tを見たその時…。
時は止まり、喧騒はやみ、Tの姿しか俺の目には映らなかった。
鮮やかで清楚で美しい。
いつの間に、俺はこんなにこの人に恋していたんだろう。
俺に差し出されたほっそりとした手指。
俺に何かを囁くふっくらとした愛らしい唇。
俺を見詰める大きな瞳。
すべてが悩ましく愛しい。
今日、逢いに来てくれたってことは、少しは俺のことが好き?
俺の問いかけに、くすりと笑う。
その日、暗闇にまぎれてキスをした。
3度目のキス。
俺の背中にまわされたTの腕の温かさに、さっきの質問の答えがあった。