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3/4オンスの約束 ー異世界転移子育て紀行ー

作者: 七八

長編予定の序章(予定)になります。読んで頂ければ、モチベになります……。




 少女は、一雫の涙だってこぼす事はなかった。

 私もまた、一雫の涙だってこぼす事はなかった。

 悲しみが無かった訳では無い。私にはそうして体現するための、器がなかった。

 大きな絶望に押し潰されて涙も出ない少女を、抱き締めてやる為の器も、私には無い。



「ねえ、カルメロ。わたしは世界を憎むよ」



 鬱蒼とした森の中程。ちょこんと小石が立つだけの粗末な墓の前で、少女は笑う。

 そこには、少女の母が眠っている。

 この国の為に命を賭して戦って、ひっそりと息を引き取った、この世界の、嫌われ者だ。



「教えて。ママが言っていたわ。あなたは何だって知っているんでしょう」



 温度の無い声で、少女は言う。

 私は別に何だって知っているわけではないけれど、大抵の事は知っている。だから否定はせずに、ただ頷くことにした。



「×××××、君は何が知りたい?」


「どうすれば、わたしは魔王になれる?」



 少女は、茨の道を進むと言う。

 淡々と、一貫した色の無い声で。

 それでも、例えそれが破滅へ続く道であったとしても。それが少女の生きる理由になると言うのであれば。私は大いに賛同する。手助けも、惜しみなくする。

 私は、この少女を託されたのだから。



「いいよ。知恵を授けよう、×××××。私はその行末を見届けるよ」



 魔王になる方法を教えてあげる。

 物語の中に良く良く出てくる、世界を滅ぼす存在だ。少女はそれになりたいと望んだ。自分の足で歩くと言った。僥倖じゃないか。

 俯いたまま話を聞く少女は、まだ十三になったばかりの子供だ。塞ぎ込んでしまうよりも、ずっと良い。


 恨まれるだろうか。いや、きっと褒められるんだろうな。

 頑張ったわね、カルメロ。ありがとう、って。

 少女のママに、私の唯一無二の友人に、笑顔でね。



「ママを殺したこの世界を、更地にしてやる」



 憎しみを宿した瞳で墓石を見詰める少女は、懐から小刀を取り出して、左右のお下げ髪を切り落とした。

 淡い赤色の髪が風に舞う。



「行こう、カルメロ。わたしは、――ボクは、物語の中のアルヴァになる」



 アルヴァ。十三才の男の子。

 後に魔王になったとされる少年の名前であり、少女の戸籍上の名でもある。革命の芽を指す名前であり、危険因子の目印でもある。


 育ての母の与えた名を捨て、物語の中の人になる。


 少女なりの、決意表明だ。


 あるいは、そうして姿を借りていなければ、立って歩く事なんて到底出来ないと思ったのかもしれない。



「全部、ボクが壊してやる」



 その言葉を聞きながら、私は少女のママの事を想った。

 四分の三オンスの質量しか持ち得ない私の、少女のママとの約束は、そうして履行されて行く。


 斯くして少女は、少年になった。

 魔王を目指す、旅出のために。






【 序章:やくそく 】






 木の葉がさわさわと囁く林道は、やっとのことで牛車ぎっしゃが一台通れる程度の道幅だった。


 人間の生活圏外に当たる、未開拓の林。

 背の高い木々の真ん中を、草の剥げた茶色い道がのったりと真っ直ぐ伸びている。青々とした葉を風が撫でて、林一帯が鳴いていた。

 うんと耳を澄ませば、遠くの方からは水の流れる音も聞こえてくる。

 ロクな舗装もされていない凸凹でこぼこな道を、私たちを乗せた牛車は進んでいる。


 茶色い道には、土を割って出た大きめの石や木の根っこが、我が物顔でのさばっていた。それらは、私たちの乗る(ほろ)のついた荷車の、大きな大きな車輪をがたりがたりと跳ね上げる。幌というものは、荷車を覆う白い布地の、屋根のようなものだと言ったら想像に易いかもしれない。縦に揺れながら進む茶色い木製の荷車には、白いお屋根がついている。


 牛車と言うくらいであるから、荷車を引くそいつは、牛と呼ばれていた。悪路だって物ともせず先頭を行くその生き物は、確かに、牛に良く似た生き物だ。異なる点とはと言えば、もさもさごわごわとした手触りの悪そうな長い毛を全身に纏っている事だろう。


 所謂(いわゆる)魔獣(まじゅう)と呼ばれるそれである。


 夏の暑い日に一日洗濯機の中に寝かせておいた洗濯物みたいな臭いのするそいつは、大きな角が四本ついたこれまた大きな頭を、左右に振り振り歩み「ぶもお」と大きく、一声鳴いた。道草を食おうとした為に、手綱を握る御者(ぎょしゃ)がその分厚い尻の皮に一発(むち)をくれたのだ。そうしてぴしゃりとされた後にはまた、余所見もくれずに前を向いてすごすごと荷車を引くもんで。ご愁傷様なもんだと心の中で手を合わせてやった。

 

「いやあ、坊っちゃんのお陰で本当に魔獣の一匹も見えやしませんや」


 御者が後ろに向かって大きな声で叫ぶもんで、私は張り切って見せて「そうだろうそうだろう。アルの前じゃ百獣の王さえ尾を巻いて逃げるのさ」と声を張り上げる。

 当の坊ちゃん――金糸で刺繍が施された、(すそ)の長い黒布のローブを着た子供――は、目深に被ったフードの下から鎖骨のあたりまで垂れ下がった、二房の赤い横髪の内の左の方を、くるりくるりと指先で弄ぶばかりだ。

 一向に声を発そうとはしない。

 商人である御者の運搬物である、木箱や樽や織物に囲まれて、だんまりと置物の様に腰を下ろしているばかりだった。


「鳥の旦那は上手い(たと)えをご存知で。仰る通りで御座います」


 御者は、そのあまりの反応の無さに、焼け石に水を浴びせている気分になったのかもしれない。仕方が無いので私と話をする事にしたらしい。鳥の旦那――見ての通りであるが夜の色をした鳥である――と呼ばれた私は「んふふ」と得意げに笑っておいた。


「御者の(あん)さん、あとどれくらいで次の村へ着くだろう」

「あと半日もあればって所でしょうね。夜には着きますよ。坊ちゃんのおかげであの長たらしく曲がりくねった街道を行かなくて済みましたもんで」


 またこの辺りに来られた際には是非(わたくし)めにお声掛け下さいねと媚を売る御者の呼び掛けに、坊ちゃんはようやく「是非そうさせてもらう」と返事をする。軒下に吊るした風鈴を風が撫でた時に聞こえる音みたいな、耳心地の良い声だ。


 御者が坊ちゃんに媚びる理由は、この林道が魔獣の縄張りだからだ。

 そこを安全に通るには、体内に宿る魔素(まそ)というエネルギーの濃度が高い者を連れて行けば良い。

 ほとんどの魔獣は、離れた位置からでも、その魔素の濃度を感知する事が出来る。

 魔素の濃度は、魔獣にとって己より格上か格下かの指標となる。薄ければ弱く、濃ければ強い。

 強いやつが来たぞと遠くからでも気付くことの出来るその習性を、私たち人間は利用するのだ。

 荷車を運ぶ魔獣が広く牛である事もこれが理由で、大角の内側二本にその魔素を多く宿す事で、彼らは自らを過大に見せる事が出来る。おまけに夜道ではその角が仄かに白く発光する為、これ以上に荷車を引く事の役に立つ魔獣は居なかった。


「贔屓にするから運賃は負けておいておくれよね」

「街道の何重にも搾り取られる通行税分浮いちゃいるんでロハでも全然儲けでございますよ」

「そういう訳にはいかない。運賃は約束通りきっちり満額支払う」

「アルはこういう時ばかり言葉を思い出すんだからね」


 やれやれと自慢の翼を左右に揺すって見せても、坊ちゃん、すなわちアルは一向に引く気配を見せなかった。フードの下から深い(みどり)の瞳を覗かせて、私をじっとりと睨むもんで、こうなってしまえば私が折れる他無いのだ。


「そうだ、運賃は約束通りきっちり満額支払う」


 私は鸚鵡(おうむ)では無いのだけれどなあと心の中では思いながら、文字通り鸚鵡の様に真似て見せれば、アルは納得したようだ。またフードを目深に被って、物言わぬ置物に戻ってしまった。


「お二人は仲良しでいらっしゃる」

「彼がおぎゃあと泣いた頃からずうっと側に居るからね」

「へえ、鳥の旦那は坊ちゃんの使い魔さんなのかと思っておりました」

「違う違う、私とアルは友人なんだよ」


 ほう、と御者が珍しいものを見たとばかりに息をこぼす。本当に物珍しいのだろう。

 御者と牛が恐らくそうであるように、魔獣というものが人間と居る場合、総じて契約が交わされる。従属契約の様なもので、身体に(しるし)を刻むのだ。

 そうする事で魔獣は契約者に背く事が出来なくなる。人間と魔獣の関わり方というものは、広くそういうものと相場が決まっていた。


「昔むかあしは良くあった事なんだよ。知恵のある魔族は言葉を重んじるもの。一度した約束は(たが)えない」

「魔法使いと呼ばれる人たちの事ですね」


 魔法使い。それはこの世界の子が母にせがんで聞かせて貰う物語の類に、良く良く現れる者である。(ところ)により()()に違いはあるけれど、共通する認識としては、光蟲(こうちゅう)と呼ばれる所謂(いわゆる)妖精の力を借りて超自然的現象を起こせる人種の事。光蟲と言葉を交わし、光蟲の力を借りて、火を起こし水を湧かせ竜巻を生み出し大地を揺らす。今よりもずっと昔に存在したと語られる、空想上の存在。それが一般的な認識だ。


「今はもう見ないけれどね」

「昔は見たと仰りますか?」

「どうだろうね、居ると思うかい?」

「居ればいいなと思いますよ、なんと言っても物語の中の魔法使いは世の乱れを正す存在ですから」


 とどのつまり革命の象徴なのだ。物語のそれは、大抵国の偉い人が私欲に塗れ、それを魔法使いが成敗するという流れが多い。悪い事をすれば必ず報いを受けるという戒めと、魔法使いが現れていないということは国が正しく在るという大人の事情が満載の話。都合の良い話だなぁといつ聞いても思うが、童話なんて多くが子供を洗脳する為のものなのだ。


「それにしても、旦那は本当に、私なんかよりもずっと聡明でいらして驚きます。こいつらとも、旦那の半分の半分でも話が出来れば良いんですがねえ」


 丁度首を振り始めた牛に、御者がまた鞭を振る。話が出来れば鞭なんて必要がないし、うんと美味いものを食わせてやるから暫く頑張ってくれなと約束出来るのに。

 そんな、大きな一人言をこぼす様子は、この世の中の身勝手さの縮図の様だった。


「私は特別知恵のある魔族ですからね」

「魔族という言葉だって、久しく聞きませんね」

「目に見える魔族なんて魔獣だけだものね」

「魔獣以外で言うと光蟲、でしたっけ」

「うんうん。光蟲にしても魔法使いにしてもそうだけれど、シヴニル教神と同じくらい耳にすれば眉に唾を吐けて聞かなければいけない話だね」

「ははは。我魔法使い、光蟲の力を(もっ)て世の(ことわり)に干渉せし者也……で御座いましたか」

「流行ったよね。シヴニル教を嫌っている、辺境の地で。あれは、とんだ詐欺師だよ」


 シヴニル教は国教であるが、嫌う人が多い。そもそも、この国の民は国を嫌っている者がほとんどだ。

 国の名前を、アシュディリア帝国。帝国と呼ばれるものは、皇帝が治める国の事であるけれど、複数の地域であったり民族を纏めて治めている国の意味で、色濃く使われている。

 二つの大陸と二つの島国から成るこの世界の、二大陸の内の一つ。北部の辺境地にある豆粒程の極小国家から、大陸内を南下する形で侵略行為を繰り返し、領土を広げ、大陸の中心に至るまで勢力を広げるこの武力国家は、魔法を(もと)に紐解いたと言われる魔術という力を(いしずえ)に、覇権を握っている。


「何にしましても、目に見えないものは信じるべきではありませんね」


 御者はそれだけ言うと「おっといけない」と声を上げて牛の手綱を強く引いた。大きく荷車が揺れて、アルがよたりと身を揺らす。

 牛に通じて浅い私にだって分かる。腹が減ったのだ。


「御者殿、丁度沢に差し掛かった事だ。昼食にしよう」


 言葉を思い出したアルが声を掛け、それに対して御者は「へえ、有難いです。坊ちゃん」と頷いた。




―――




「カルメロは、うそつきだ」


 カルメロとは、私に与えられた名前だ。

 牛に餌を与える御者から少し離れて、沢の流れの緩やかな所で手を水に浸しながら、アルは小さく呟いた。うそつきだなんて、失礼な話だけれど、事実私は嘘を吐いた。


「光蟲が見えないだなんて」


 恨み言の様に言いながら、アルはローブのフードを払いのける。

 陽の下に晒されたその髪は、光を透かす宝石の様な、ふんわり淡い赤い色をしている。

 アルはその場にしゃがみ込んで、小さな手のひらに満杯の水をすくった。

 翠の、これまた宝石を嵌め込んだような瞳を目蓋に隠し、手にすくった水で顔を洗う。


 その様子を私はぼんやりと眺めていたけれど、大変な事に気が付いて、ハッと身を強張(こわば)らせた。

 沢に向かって前のめりに身を屈めるので、無用心な事に真っ白な(うなじ)が露わになってしまっているんだ。

 肩にも届かない後ろ髪はそこを隠してはくれないし、やっぱり髪は伸ばすべきだ。私は慌てて、ばさばさと自慢の翼を羽ばたかせた。

 私のこの鳥の足でさえ手折る事の出来そうな、細っこい首を隠してやろうとフードを目掛けて飛び立ったというのに。当のアルは、鬱陶しそうに、手をバタバタと振り回して見せた。目も閉じたままで、嫌々をするのだ。


 これは如何やら、よっぽどのご立腹の様だ。


 腹を立てているのは、私が嘘を吐いたから。それでも、だって見えるだなんて言ったところで、見えない者には無意味じゃないか、と。私は、無い唇を尖らせる。


「魔法使いが、居ないだなんて、」


 二房長い左右の横髪から水を払うように、首を左右に振り振りしながらそう言ったアルの声は、先程までよりも、確かに怒気を孕んでいた。


「見えているくせに、知っているくせに、」


 ぐいとローブの袖で顔を擦り、押し上げられた目蓋から覗いた瞳は、驚くほどきらきらと光を集める。

 ちかちかと眩いそれを見ながら、言い訳をする子供の様に「変な事を言って可笑しな奴だと思われても面倒じゃない」と反論してみたけれど、アルは全く以って納得していない様子だった。


 アルの言う通り。光蟲は、存在する。今だって、沢の(きわ)に、木の葉の影に、石の(たもと)に。例えるならば蛍のような淡い光を放つ彼女らは、世界の一部として、確かに存在していた。

 けれど見えない者にとっては、居ないことと同義なのだから。何を言ってみたって、仕方が無い。魔法使いだって同じくだ。信じていない者に説法する奴なんて、シヴニル教徒くらいで十分じゃあないか。


「カルメロのそういうの、悪いところだよ」


 そう言いながら、アルはローブのそでを捲り手のひらを木漏れ日に晒す。上を向いた手のひらの丁度真ん中辺りに翠の色をした光蟲が溜まる。ちょうど、アルの瞳の色と良く似た色の光蟲だ。


「ボクらは、ちゃんと存在するんだ」


 噛み締める様な、力強い言葉だった。

 まるで自身に言い聞かせているみたい。

 そんな感想を抱いていると、形の良い薄桃色の唇が、小さく小さく言葉を紡ぎ始める。


『ぺんぺん草、ウールの絨毯、かげぼうし。樫の木の書き物机、麻紐のハンモック』


 それはまるで歌の様だ。

 遠くとおくで鳴る鈴の音の様な、密やかな声音で囁くその音に呼応する様に、翠の光蟲はゆらゆらと揺れた。

 光蟲は踊るのだ。

 何よりも自分が美しい瞬間が、一等好きな生き物だから。

 耳触りの良い声であればある程良い。彼女らの好きな音の単語を並べてみせると、その声に身を委ねて、彼女らは踊る。そうして気分が良くなれば、彼女らは人間のお願いを聞いてくれるのだ。


『ねえ、お願いだ。風を吹かせて』


 翠の光蟲がうんとひとつ頷けば、そこから光が弾けてアルの手のひらの上には小さな竜巻が生まれた。

 そいつはぱんと弾けて、辺り一面の木の葉を大きく大きく、揺さぶった。

 風に吹かれて吹き飛びそうな私は、必死に足元の木の根にしがみつき、小さく小さく身を縮こまらせているというのに。当のアルは悪戯が成功して喜ぶ幼子の様に、笑うのだ。


「ほうら、居るだろう。確かに」

「分かったよ、悪かった。ごめんよ、アルヴァ。魔法使いは居るよ」


 この通りだからと頭を下げる。そうするとアルは、初めから怒ってなんて居ませんでしたよとでも言いたげに、そっぽを向いてみせた。

 首元でくしゃくしゃになっているフードを引き上げて、綺麗な綺麗な赤い髪をそこへすっぽり隠すと、丁度、離れた所から声が聞こえてくる。


「坊ちゃん! 旦那! 今凄い風が吹きましたがお怪我ありませんか!」


 御者がせっせこ此方へ向かって走ってくる。

 ばさばさと翼を広げて「大丈夫! 本当に凄い風だったね! 御者の兄さんと牛くんは大丈夫かい!」と叫び返しておいた。


「お怪我がなさそうで安心しました。私たちも何とも問題御座いません」

「きっと光蟲が怒ったんだよ。御者殿とカルメロが居ないだなんて言うものだから」

「へえ、その通りで。私は本当にこれこそ光蟲の御怒りに違いないと思いましたよ」


 はあはあと肩で息をする御者が、えらく大袈裟に身振り手振りで言うものだから。私は何だか笑えてしまって、ごまかすように、翼の先で嘴を掻く。これこそ詐欺師の所業だし、母が子に言い聞かせるみたいでもある。


「薪もうんと集めました。昼食にしましょう。腕によりをかけて作ります」


 曇りの無い笑みを浮かべる御者が促すままに、牛車へ戻るアルの足取りは軽かった。

 ただ、機嫌が良かったのは牛車に戻るまでの事だ。

 アルの起こした突風のお陰で集めた薪が散り散りになっていたのだ。

 悪い事なんて何にも無いのに謝る御者に文句も言えず、アルは眉間に皺を寄せながら回収を手伝っていた。けれどもそれはまあ、自業自得であるからして、仕方が無いなと、私はまた嘴を掻き掻き、込み上げる笑いを必死に堪えた。


 世界はこの子にとって、とてもとても残酷だ。


 指を結って祈っても、微塵もより良いものになんてなりはしなくて、だからこの子は杖を取った。


 これは、後に魔王と呼ばれ、帝国を解体し、世界をその手に納めた()()が、確かに確かに人間であった事の証明の為の、私の記憶のお話だ。


 世界は酷く残酷で、けれどすべてすべてが捨てたものでは無かった。笑顔も悩みも、確かにあった。


 だから私はこの子の事を包み隠さず記録するよ。

 そうしてこの手記を、愛する友人に捧ぐね。

 インニェイェルド。君の娘は確かに確かに、誰よりも優しい人だ。それ故に、この子は魔王になったんだ。








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