その3 そうして俺は旅に出ることにした。
嫌な臭いで目が覚めた。
死臭ってやつだ。
隣の住人、下の階の住人、みな腐り始めたんだ。早晩、此処には居れない。
マンションどころか、街中の死体が腐り始め、ものすごい事に成るだろう。昔なじみの感染症も心配だ。街も捨てなきゃならないか。
とは言え、食料や水、その他生活出必需品は、おそらく俺一人しか生き残っていないこの街では無尽蔵に近いほどある。出て行くには惜しい。
妻の墓もあるし・・・・・・。
しかし、だ。資源もいつか尽きる。幾ら保存の効くインスタント食品やレトルトは一年もたてばにダメになるし、ミネラルウオーターや缶詰類も二三年でアウトだろう。
やはりここにしがみつく理由は無いに等しい。
と、いう訳で、俺はこの街を捨てる事にした。
移動すれば、他に生き残っている人間にも見つかるかもしれないし、たとえヒャッハーな悪党に出くわしてもベネリM3にモノをいわせれば何とかなる。はず。
自衛隊や米軍辺りから強力な武器を調達した奴もいるかもしれないが、その時はその時だ。
全く持ってウォーキング・デッドの世界。
ゾンビは居ないけど。
では脱出って話だが、どこへ?どうやって?
目的地は先ず近隣の都市。することは物資の補充と生き残りの捜索。
ただし生き残りを見つけても安易に近づくのはマズイ。悪意がある奴なら面倒だ。十分観察してから接触すべきだろう。
もし、生き残りが大勢いて、良好な関係のコミュニティーを形成していたらそこに混ぜてもらい、旅の終着点とする。
俺の医者としてのスキルは、おそらく歓迎してくれると思う。
旅のプランはおおむね固まった(と、しておこう)次に移動手段だ。
車と言う選択肢は、まず最初に外そう。
ガソリンスタンドはやって無いだろうし、地下タンクからポンプで汲む、あるいは他の車から抜くて手もあるが、もし車自体が壊れたら?そこで旅はおしまいに成る。
人は治せても流石に車は治せない。
自転車?悪くはない。歩くよりはマシだ。けど、旅は長くなるだろう。修理も必要だし消耗品の交換も必要だ。その辺は車と変わらない。
そもそもアラフィフの俺が自転車旅野宿旅?体力が持たんよ。悲しいかな。
さんざん考えた挙句、最後の可能性にたどり着いた。
馬だ。
実に金持ちの自慢みたいで恐縮だが、俺の家は代々の開業医で親父の趣味が乗馬だった。俺も子供のころから馬にたまに載せられ、最近でも乗馬クラブに通っていた。
妻からは「狩猟に乗馬って、ヨーロッパの貴族みたい、柄じゃないのにねぇ」と笑われたが、なぁ妻よ、俺はその柄にもない貴族的な趣味で生き延びられるかもしれないんだぞ。
次の日、近郊にある乗馬クラブに向かった。
ランドクルーザーに乗って、人っ子一人いない、居てもカラスやら野良犬に食い散らかされた元人間くらいしか見当たらない街を抜ける。やはり街は死に絶えた様だ。
乗馬クラブに着くと、門の錠を壊して中に入る。早々と閉鎖していたおかげで誰もいないし死体も無い。
心配したのは肝心の馬だったが、コース内を元気に走り回っている様子を見て安心した。
おそらく最後に残ったスタッフが厩舎の扉を開放し馬の自由にさせたのだろう。それほど馬を愛していたと言う事だ。正直、胸が痛んだ。
驚いたことに馬たちは、俺の姿を見るなり集まって来た。人間に会えて喜んでいるのか?単に餌をもらえると思ったか?
柵の外に居る俺に近づいて来て、首を振り小さく嘶く「あんた、久ぶりだな」「他の人間はどうしたんだい?」そんな感じか?
馬語が解らないので(当たり前か)答えないまま、なじみの馬を探す。
居た、立派な馬体の青鹿毛。鼻づらの白い星は細くシュッと長い。名前はバロン。牡で5歳
かつては競走馬でそこそこいい成績を残したらしいが、種牡馬としては向かず乗馬クラブで余生を過ごす事に成ったとか。ま、挫折したエリートって感じか?
頭が良く、病気も怪我にも強いタフな奴なのだが、性格が少々偏屈で生意気にも客を選ぶ。そんなところが貴族っぽいので『男爵』の名がついたとか。
よって、ある程度乗馬経験のある俺にインストラクター達があてがおうとするので、以来ずっとコイツの世話なっていた。向うも俺の事が気に入っているらしい。
だからだろうか?俺の姿を認めた途端、仲間を押しのけて近づいて来た「生きてたのかよ?先生」
よし、バロン、お前に決めた、死の街を一緒に出て行こうぜ。
厩舎に入り必要なものを漁る。
鞍、鐙、頭絡、手綱、馬用のブーツ、コートなどなど、あと馬のケアに必要な物も拝借していく。
行ってないときも年会費を払ってたんだから、良いよな?な?代わりにランクル置いて行くからさ。
頭絡、手綱をバロンに着けて、グランドから連れ出す。他の仲間が付いてくるかなと思ったが、やはり外の世界は怖いのだろう。柵からは一歩も出ようとしない。
ま、その内、人間が死に絶えた事に気が付くだろう。そうなれば柵を乗り越え自由に生きていくことに成る。それはそれでいいじゃないか。
ところが、だ。一頭だけ俺に、いやバロンについてくる奴が居る。
明るい鹿毛に鼻づらには綺麗なひし形の白い星。ここではサクヤとよばれている牝馬だ。歳は4歳、人間で言うなら二十歳のお嬢さんだ。
人懐っこいのだが、性格が優しすぎて競走馬には向かず、早々に頸に成ってこの乗馬クラブ来た。という経歴の持ち主。
前々からバロンの事が好きらしく、客を載せながらも彼の後をついて行こうとしていた節がある。
当のバロンはあまり気にしていない様子で無視を決め込んでいる風。今回も彼について行こうと言うのか?
追っ払う訳にもいかないなぁ、と思ってはいたが、長旅に成ることを考えればもう一頭連れて行くことも有りといえば有り。
荷物も多く持たせることができるのでそのままついてこさせることにして、彼女分の装備も頂戴することにした。
バロンよ、まぁ、そう言う事だ。うっとおしいかもしれんが、人間のおっさんとだけ旅するよりはいいだろ?な?
鞍を載せ、またがってみるとぞれだけでどこまでも行けそうな気がして来た。やってやれないことは無い。
たのむぜ、バロンとサクヤよ。
腹を軽く抑え込み、常歩で前進を命じる。今まで歩いたことのない所を歩くわけだからバロンもおっかなびっくりだろうが、彼を驚かす車もバイクもそもそも人間が居ないから案外すんなりと公道を歩いてくれる。
しかし、肩にショットガンを下げて、公道を馬で行くおっさんの姿は、かなり異様。
お巡りさんが居れば一発で飛んでくる絵面だが、残念ながら警察官はカラスの餌になっている。
実にアナーキーな世界だ。