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僕に都合の良い世界  作者: 江東ゆーみん
1/1

1.現実



「僕に都合の良い世界」そんなものは存在しない。当然のことなのかもしれない。

しかし、この結論にたどり着くまでに、僕は出生以来の長い歳月を要した。世間の人にとってはどうでも良いことであろう。しかし、僕にとっては35年僕の脳を支配し続けてきた悪しき思想との訣別であり、革新だったのである。


僕がその閃きを得たのは、パソコンの画面のみが煌々と光る、締切った部屋で、空のビールの缶の群れの中に丸めたティッシュを放り込み、母に要求し買ってきてもらったマカデミア・ナッツ入のチョコレートを堪能している時であった。


ふと、自分は何をしているのだという虚無の念に駆られたのだ。

自分は何をしているのか。チョコレートを食べている。チョコレートを食べる前は、パソコンでネットサーフィンに興じていた。では、昨日は?昨日もチョコレートとネットサーフィン。一昨日も、それより前も。僕の一日はチョコレートとネットサーフィンにより構成されていた。


気がつけば今日と昨日の境すらも曖昧である。いつから時計を見なくなったのか。日に2度供給される食糧とその排出に時間を委ねたのは、いつからであろうか。

日付がわからなくなっている。今が何月であるのか、そもそも、先程僕は35歳であると書いたが、よく考えると1年や2年も前から35歳を自称している。自分が何歳であるかもわからない。

僕にとって時間は不要であり、時間も僕を急かさなかった。


ただ、徒然なるままにネットの世界の掲示板にくだらぬ文言を書き込み、時には論争し、時にはネットニュースのコメント欄に知りもしない現代社会への怒りをぶつける日々である。


話を戻そう。僕は虚無に駆られたのである。

虚無。なんと恐ろしいものであろうか。

それはあっという間に僕を飲み込み、脳を侵食しぼうっとさせる。

こうなってはもう真っ当に思考することなどできたものでは無い。

僕はぼうっとさせられたままに、パソコンの前にどっかりと座り、気がつけばマウスに手を置いていた。開いたのは同級生等等がよく利用する近況報告ツール、要するにSNSであった。


SNS、それは禁忌への扉である。

僕はアカウントだけ作って、ついに数年来そのページを開くことは無かった。

僕が虚無に駆られぼうっとし、パソコンに手を触れることは幾度となくあったが、このページをクリックする直前で恐れおののき、あわてて指をかみ、ほっぺを抓り、太股を強く叩くなどして、正気に戻るのが常であった。

しかし、その時は違った。ぼうっとしたまま僕はSNSのページを開いたのである。これぞ天啓。恐ろしきかな、パスワードは一言一句たがわず深層心理が覚えていた。明るい画面が開けると、そこにあるのはもはや恐怖ではなく一抹の好奇心であった。


僕と遊んでくれた旧友・Kなどはどうしているだろう。彼は心優しくも僕をサッカーに入れてくれた。僕がサッカーボール役だったけれども。

もしくは、可愛かった女子D、あの子は優しかった。分け隔てなく優しすぎて、僕が僕のことを好いてくれていると勘違いしてしまい、恥をかいたものだ。彼女が僕を好きだと言う噂が広まり、彼女がいじめにあって泣いていたのもまた懐かしい。

そんな思いで開いたSNS、そこのひとつのプロフィールが僕を冒頭の「僕に都合のいい世界なぞ存在しない」という結論にたどり着かせたのである。


榊原晴彦。現在41歳、既婚。二人の子供あり。僕はこの文字列を見た瞬間凍りついた。何も、榊原と同級生だった自分が41歳であることに驚いた訳では無い。トップ画像の溌剌と輝くような笑顔。あまり美人ではないが、気立てが良さそうな妻と、榊原によく似た娘2人。勤務先には中堅商社の名前が書いてある。

僕は慌ててスクロールした。僕の知っている榊原春彦でどうも間違いはない。絶句、絶句という言葉以外、ないのである。

なぜか。榊原は僕の同級生であり、僕の通っていた高校で1番バカで、ドベで、見た目も良くなく、冴えない男だったのである。僕が唯一見下していた男と言っていい。僕はいつも彼とつるんでいた。自分がましになれる気がしたからだ。人間、自分より酷い境遇の人間がいれば、多少自分の置かれた環境に耐えうるものである。

彼が高校を卒業し、大学に行く時も僕は笑ってやった。お前ごときが大学に行ってなんの意味がある、4年を無駄にする気かと。最も、僕はついに就職せずこうして6畳の部屋での無為な暮らしを続けているわけではあるが。

その榊原が商社か。僕は衝撃を受けた。商社に行って、あまつさえ妻子がいる。

僕はてっきり彼はその辺の路傍でホームレスでもしているんじゃないかと思っていた。道で会ったとしたら旧友の好で金を恵んでやろうかとも。最も、僕はついに外に出ずこうして無為な暮らしを続けているわけではあるが。


話は飛んだが、つまり榊原春彦の大いなる出世は僕にショックを与えたのである。紆余曲折あったが、僕はここでついに気づいたのだ。

僕は榊原春彦より断然ルックスが良いし、断然地頭が良い、さらに素晴らしい才能を、開花させていないだけでいくつも持っている。

しかし、もしかしたら僕は榊原春彦に劣っているかもしれない。

これらの事実からどんな結論が生み出されたのか。結論は残酷だった。つまり、僕、僕という精神性が悪いのである。僕自身がダメなのである。僕の環境は、もしかしたら関係ないのである。

僕はよく生まれ変わる夢を見た。転生をすることを強く望んだ。そんなライトノベルを何冊も読んだ。この世界がこの僕に合わないのだと強く確信していた。転生さえすれば、「え、俺普通ですよね?」などといいながら、努力もせずに溢れんばかりの才能を駆使し周囲に愛され女をはべらせ権力や名声を得ることが出来るのであると。


しかし、見えてきた事実は僕の精神性を否定するものであった。僕が僕である限り、僕は僕である。

つまり、「僕に都合のいい世界なぞ存在しない」のでは無いかと、僕はようやく気づいたのである。



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