86.喧騒
最終試験を終えた『白銀の女神』は、アトラスさんの家に戻ることにした。
『洞穴』で一泊した後ゆっくりとした足取りでアトラスさんの家へ戻った。
数日ほど休んだ後、名残惜しいがアトラスさんの元を離れることにした。
今日は旅立ちの朝だ、アトラスさんと別れるのが辛くてベッドの中から中々起きることが出来なかった。
それは仲間達も同じだったようで、いつも早起きなメンバー達も誰一人として起きることはなかった。
『お前らそろそろ起きろ、朝飯が冷めてしまうぞ』
アトラスさんが俺達を起こしに来る。
仕方がないので起き上がると、隣のベッドで寝ていたワンさんやモーギュストも一斉に起き上がった。
「おはよう、二人共目が覚めていたのか……」
「おはようございやす、今日で師匠とお別れだと思うと中々寝床から出ることが出来やせんでした」
「おはよう、僕も同じだよ、アトラスさんと別れるのは辛いね……」
三人とも元気がなく肩を落としながら立ち上がる。
ドラムは俺達の気持ちを理解しているのかいないのか、まだベッドの中で気持ちよさそうに眠っていた。
起こさないようにそっと部屋を出ると、顔を洗うために母屋の外の小川へ三人で歩いて行った。
母屋を出るときに食堂からアトラスさんが顔を出した。
朝の挨拶をしたが今日が最後かと思うと泣きそうになってしまった。
食卓に座り女性陣が起きてくるのを待つ。
しばらくするとアニーを先頭にセルフィアとリサが食堂へ入ってきた。
アニーがいつも通りに背筋を伸ばしてにこやかに挨拶してくる。
ねぼすけのセルフィアとリサは今日に限って寝ぼけてはいなく、はっきりとした口調で静かに挨拶をしてきた。
「おはよう、セルフィア今日は寝ぼけてないんだな」
「え? そうね……、アトラスさんと今日でお別れだと思ったら目が覚めてしまったわ」
リサもセルフィアの隣でウンウンうなずいている。
「セルフィア達もなのか、実は俺達もそうだったんだよ」
静かだった食卓が、一気に暗くなってしまった。
みんなアトラスさんが大好きで、戦闘の師匠という以上にお父さんのように感じていた。
厨房からアトラスさんが大皿を持って食堂へ入ってきた。
美味しそうな匂いが部屋中に広がり食欲を刺激し始めた。
『何だお前ら、おとなしいな、いつもはうるさいくらいなのに』
「みんなアトラスさんと別れるのが辛くて落ち込んでいるんですよ」
『そうかそうか、今日でお別れだからな、お前らまた来ればいいんだぞ、俺はいつもここに居るぞ』
みんなにアトラスさんの言葉を伝える。
モーギュストが我慢しきれずに泣き出してしまった。
「うわ~ん……、ごめんなさい僕我慢できなくなっちゃたよ」
大粒の涙を流しながらモーギュストみんなに謝ってきた。
俺達もつられて涙が出てきてしまった。
「あっしも悲しいでやんす、師匠にはお世話になりっぱなしで何もお返しできていやせん」
『泣くな泣くな、また来ればいいんだぞ、待ってるからな』
モーギュストとワンさんの頭をグリグリと撫でながらアトラスさんがみんなに話しかける。
俺も泣きながら通訳をする、しばらく食堂はすすり泣く声とモーギュストとワンさんの豪快に泣く声が混ざりあっていた。
旅支度を整えると門の前に勢揃いした。
アトラスさんがみんなの前に立ち最後の講義をし始める。
『お前ら見違えるほど強くなったな、これで立派な戦士だ、後は自分たちで精進しろ。お前らがこれから向かう森の奥には、想像を絶する敵が待ち構えているぞ。絶対気を絶対抜いては駄目だ、お前らなら迷宮の奥深くまで行ける。さあ元気に出発しろ』
「アトラスさん、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません、またここに戻ってきます」
一斉にお辞儀をして別れを告げる。
アトラスさんはうなずくと門の扉を両方とも目一杯開けて俺達を送り出してくれた。
門の前に立ちいつまでも手を振ってくれているアトラスさんに、俺達も何度も立ち止まっては振り返り手を振る。
森に遮られてアトラスさんの姿が見えなくなるまで手を振ることを繰り返していた。
十六階層の樹海の畔、その小高い崖の上の石碑の前に俺達は立っていた。
慣れ親しんだ樹海を見渡しながらアトラスさんのことをまた思い出していた。
「みんな、これから街に戻って探索の準備をするぞ、アトラスさんの言う通り樹海の奥は今までより更に厳しい敵が待っている。しっかり準備して探索に備えよう」
「「「「「「了解」」」」」」
五人と一匹が同時に返事をしてくる。
俺達の絆は過去最高に強まっていた。
「『白銀の女神』迷宮探索から帰還しました!」
俺達が迷宮から現れ高らかに帰還の宣言をすると、迷宮広場は騒然となって収拾がつかなくなってしまった。
大勢の探索者が俺達を一目見ようと迷宮の入り口に殺到する。
迷宮衛兵の役人達が一斉に詰め所から駆け出してきて、事態の沈静化に当たろうとする。
しかし一向に喧騒は収まらず更に大きくなっていった。
「準男爵様、お手数ですが詰め所へ姿をお隠しください、探索者達が興奮して危険です」
顔を真っ青にしながら衛兵長が俺に言ってくる。
その場の雰囲気が尋常じゃなくなってきたので、素直に指示に従った。
詰め所に移動を開始すると、人の壁が左右にきれいに分かれていく、一番前の探索者たちは俺達の顔を見て喜びに絶叫した。
「『白銀の女神』のフルパーティーを見られたぞ!」
「立派なドラゴンが浮かんでいるよ!」
「見て! レイン様よ! こっちを見てください!」
興奮がどんどんエスカレートしていき俺も少し怖くなってしまった。
俺の横にピッタリくっついている三人娘達が、俺に色目を使った女の探索者達を睨みつけた。
その途端に周りにいる探索者が次々と気絶して倒れていく。
俺達は気づいていなかったがアトラスさんに鍛えられたせいで、体から発せられるオーラが強大な魔物レベルに達していたようだ。
その気をまともに浴びた探索者達が、耐えきれなくなってバタバタと倒れているのだった。
慌てた衛兵たちが探索者達を遠ざけ、青い顔をしながら俺達を詰め所に押し込んでいった。
興奮が収まる間、詰め所に閉じ込められた俺達は、衛兵長に探索の事をかいつまんで話していた。
衛兵長は終始うつむいて相づちだけしていて一向にこちらを見ようとはしなかった。
その顔には脂汗が光り、体は小刻みに震えていた。
広場の様子が落ち着いてくると裏口から外へ出ることにした。
大通りを避け裏通りを『雄鶏の嘴亭』に向かって進んでいく。
貴族になってからどんどん街に住みづらくなっていたが、今日は笑っていられるレベルではなくなってしまった。
「レイン、コソコソしなくちゃいけないなんてあたし嫌だわ」
「さっきは凄かったですね、私落ち着きませんでした」
「なんであの人達興奮してたの? リサ怖いわ」
三人は眉をハの字にして不満げだ、その中でワンさんとモーギュストは終始ご機嫌で足取りも軽かった。
「姉さん方、何を言っているんでやんすか、これは旦那の人気が凄いということでやんす、喜ばしいことでさぁ」
「『白銀の女神』が大人気で僕嬉しいよ、僕の名前も呼んでくれた人がいたよ!」
「とりあえず宿屋に戻ってから話し合おうか、久しぶりにサムソンさんに会えるぞ楽しみだろ?」
「そうね、サムソンさん元気かしら。レインはたまにあっているからいいけど、あたしたちはずっと会ってないわ」
「そろそろ着きますね、裏口から入っていったら驚かれてしまうでしょうか……」
『雄鶏の嘴亭』の建物が見えてきた、久しぶりの宿屋の外観に安心感を覚える。
サムソンさんに会えるのを仲間達が嬉しそうにしていた。