64.ダメ、絶対
王国を出国し、『ルマンド公国』に無事入国した。
軽快に走る馬車は公都『ロマド』へ着実に近づくのだった。
『ルマンド公国』は国土の大半が深い森に覆われた緑豊かな山岳国家だ、南は海に面していて左右は大国に挟まれている。
人口は『オルレランド王国』の四分の一にも満たない小国で、隣り合った大国に併合されないのは、特殊な地形と君主であるルマンド公爵家の手腕によるところが大きかった。
馬車は通るのがやっとの山道を慎重に登っていた。
下手な運転では谷底へ真っ逆さまになってしまうほど険しい山道だが、ワンさんの手綱さばきは一流で全く危なげなく進んでいた。
「レインこっちに来て窓の外を見てみなさいよ、すぐ下が崖になっていてスリル満点よ」
セルフィアは馬車の窓から乗り出して、断崖絶壁の崖下を面白そうに覗いていた。
「セルフィア危ないからやめてくれ、バランスが崩れたら真っ逆さまに谷底行きだぞ」
「そうよセルフィア、あなたの悪い癖だわ、もう少し大人しくしていなさい」
セルフィアと反対側の車内の床にアニーと二人で抱き合いながら固まり、セルフィアを説得する。
俺とアニーは高所恐怖症なので足場が安定しないところは苦手なのだ。
「二人ともだらしがないわね、この程度じゃバランスなんて崩れないわよ」
セルフィアは俺たちを挑発するように足をばたつかせて馬車を揺らそうとする。
「お願いだからやめてくれ! 何でも言うことを聞くから! お願いします!」
生きた心地がせずつい口を滑らせてしまった。
セルフィアが突然止まり顔をこちらに向けてくる。
その顔は満面の笑みを浮かべていて悪巧みをしている時の顔だった。
「レイン、今の言葉を撤回しては駄目よ、なんでも言うことを聞いてもらうわ」
馬車の窓から上半身を車内に戻したセルフィアは嬉しそうに座席に座った。
順調に馬車は進み『ロマド』の一つ前の宿場町に到着した。
あと少しで公都へ到着するが既に日が暮れて辺りは暗くなっている。
ワンさんの判断で今日はここで一泊して、明日一番で公都へ行くことになった。
森の木々の隙間から大きな赤い満月が見え隠れしている。
その不気味だが美しい姿に思わず馬車の窓からじっと見入ってしまった。
街の入場門で誰何を受け問題なく中に入れてもらう。
宿場町の街並みはちょうど日本の温泉地のようで、いたるところから蒸気が吹き出していた。
「なんか臭いですね、変な匂いがします」
アニーが鼻を押さえしかめ面をしている。
「これは温泉の匂いだよ硫黄の匂いなんだ、正確には硫化水素って言うやつの匂いなんだけどね」
「りゅうかすいそ? なんですかそれ」
「まあ説明しろと言われると難しいんだけどね……」
ニワカな知識は披露するもんじゃないな、余計混乱させてしまった。
「旦那、あそこの宿が立派で良さそうでやんす、先に行って部屋を取ってきやす」
ワンさんとモーギュストが馬車を宿屋の前に止め駆け足で中へ入ってしまった。
俺は自動で開いた扉から出て、宿屋の周りを少し探索した。
両手にはセルフィアとアニーがくっついていて背中にはリサが張り付いている。
少し変な格好だが、かわいい女の子三人に囲まれて温泉街を歩く、日本にいたときには考えられない状態だった。
「いらっしゃいませ~、御三名様ご到着しました~」
陽気な少女が俺たちが店の扉をくぐると声を張り上げた。
「「「「「いらっしゃいませ~」」」」」
その場にいた店の従業員が一斉に挨拶してくる。
「旦那! こっちでさぁ、部屋はもう取っておきやしたよ」
ワンさんが嬉しそうに俺を呼んでいる。
部屋は離れになっているようで既にモーギュストが向かっているようだった。
「ようこそおいで下さいました。この湯宿の女将でございます、準男爵様には当店を選んでいただきまして誠にありがとうございます」
女将さんに丁寧にお辞儀をされて、離れまで案内してもらう。
通された部屋は宿の離れの一番奥で、窓が大きく開いた広い部屋だった。
「天気のいい月夜にはロマド城の尖塔が見えることがあるんですよ」
気さくな女将さんが景色を眺めている俺に説明をしてきた。
「山だらけなのに城が見えるのか?」
「はい、『ロマド』はこの国で一番高い山の上に建てられた難攻不落の城塞都市です。今まで一度も陥落したことがありません」
『ロマド』のことを語る女将さんはとても誇らしげだった。
遠くからオオカミたちの遠吠えが聞こえてきた。
山々に反射して幾重にも聞こえる悲しそうな声は、赤い満月と相まって不思議な雰囲気を演出していた。
「お食事をすぐ持ってきますね、それまで『ロマド』の絶景を楽しんでいて下さい」
しばらく山林から月が上るのを眺めながら食事が来るのを待つ。
マンホールに落ち、異世界へ来たときの月夜を思い出して懐かしさを感じていた。
ドアがノックされて女将さんを筆頭に従業員がごちそうを運んできた。
テーブルの上には野性味あふれる山の幸が次々に並べられていく。
すべての皿から湯気が立ち上り出来たてであることを教えてくれていた。
「お肉があるわ! 塊肉、美味しそうね」
「何種類もありますね、楽しみです」
「リサもお肉大好き」
肉好きっ娘達が目ざとく肉料理を見つけたようだ、焙り焼きした肉に煮込んだ肉、辛そうな赤いタレを絡ませた薄切り肉など、内陸特有の肉料理がずらっと並べられた。
もちろん肉だけではなくキノコのスープに山菜のサラダ、パンの代わりに詰物をしたお焼きなどがどんどん運ばれてくる。
極めつけはこの地方特産の強い地酒で、ワンさんとセルフィアが小躍りして喜んでいた。
食前の祈りをしてからみんなで俺の合図を待つ。
「じゃあ食べようか」
俺の合図を皮切りにみんな競って食べ始めた。
女の子三人組は最初から肉にかぶりつく。
独特な辛味がベースの各料理はどれもこれも絶品で箸がどんどん進んでしまう。
セルフィアが一度に食べすぎて肉を喉につまらせた。
ワンさんが地酒の入った杯をセルフィアに差し出す。
ひったくるように取り上げたセルフィアは、強いお酒にもかかわらず一気に杯を飲み干した。
一同歓声を上げセルフィアの飲みっぷりを称える。
調子に乗ったセルフィアは二杯目も一気に飲み干し、食事を開始してすぐに泥酔状態になった。
セルフィアの飲みっぷりに火をつけられたワンさんが、立て続けに三杯、地酒を飲み干した。
しかしワンさんは酔うことはなく、すました顔で山菜をつまみながら酒をどんどん飲んでいく。
あっという間に地酒が空になり、追加で持ってきてもらうことにした。
俺の巾着袋からもワインや火酒を出しテーブルに並べる。
ワンさんが嬉しそうに火酒を手に取り、大事そうに少しずつ飲み始めた。
宴会は遅くまで続き、温泉に入ること無く皆んな酔って寝てしまった。
朝早めにベッドの上で目が覚めた。
眠る前になんとか個室に移動出来たようだ。
昨夜の宴会場はすっかり片付けられ綺麗に清掃されていた。
まだ出発の時間には早すぎるので、昨日入れなかった温泉に入ってみよう。
昨晩女将に聞いた露天風呂に向かって部屋の外へ出た。
離れの庭の一角に、専用の露天風呂があり湯気をモクモクと上げている。
脱衣所で衣服を脱ぎ巾着袋だけ頭の上にくくりつけて手ぬぐい片手に温泉に浸かった。
今朝は気温がかなり寒いので湯気で手先すら見えない状況だ。
ちょうどいい湯加減についつい長風呂してしまった。
湯船でうつらうつらしていると人の気配が脱衣所の方でした。
慌てて出ようとしたら立ちくらみをしてしまい盛大に湯の中に倒れてしまった。
「誰かいるの?」
まずい、セルフィアが入ってきたようだ。
「おかしいですね、いま物音がしましたよ」
続いてアニーまで入ってきた。
「すごいね、手の先も見えないわ」
(なんてことだ……、リサまでついてきたのか!)
「みんな、そこで止まるんだ。俺が先に入っていたんだよ、いまから出るからあっち向いていてくれ」
「レインなの!? 見当たらないを思ったら先に入っていたのね!」
「一緒に入ろうと思って探していたんですよ」
「お兄ちゃん今いくわ」
三人の気配が近付いてくる、湯気で見えはしないがドキドキしてきたぞ!
「来るな! きちゃだめだ、混浴は禁止だよ」
「何を今更言ってるのよ、レインの裸なんて見慣れてるのよ」
「そうですよ、お背中流しますから上がってきて下さい」
とうとう誰かが湯船に入ってきた。
どこかへ隠れようとするがそれほど広くないので逃げ場はなかった。
「そこね、捕まえるわ」
セルフィアが急接近してくる。
俺は思わず目をつむった。
「いたわねレイン、もう逃さないわ」
腕を掴まれ逃げることは叶わなくなってしまった。
「昨日の約束覚えているわよね、一緒にお風呂に入ってもらうわ」
昨日の何でも約束を聞くと言ったことをセルフィアは覚えていたようだ、観念しておとなしくすることにした。
俺はいま左右をアニーとセルフィアにいつものように押さえられている。
前方にリサが座っているので、湯船の中で動くことが出来ずに目をつむって固まっていた。
ちょっとでも動こうものなら色々大変なことになってしまうので、石像のようにじっとしているのだ。
「レイン顔が赤いわよ、湯あたりしたんじゃない?」
「外に出て背中を流しましょう、介護していた時を思い出しますね」
左右から嬉しそうな二人の声が聞こえてくる。
俺は心の中で平常心、平常心と唱えながらただひたすらに耐えていた。
「お兄ちゃん抱っこして……」
リサがとんでもないことを言ってくる。
「ダメ! ダメダメダメ…… ダメ絶対! タッチは駄目です!」
ガバッと立ち上がり脱衣所めがけて走っていく。
しかし本当に湯あたりしていたようで、数歩先で湯船の中にダイブしてしまった。
最後まで巾着袋だけは湯船に浸からないように手で持ち上げながら意識を手放した。
気がつくとベッドの上に寝かされて三人娘に介抱されていた。
気を失った俺を慌てて湯船から引き出し、連れて来てくれたようだ。
傍らには大事な巾着袋が水に濡れずに置いてあった。
三人にはいろいろ迷惑をかけたようだが、俺は一切彼女たちを風呂場で見ていない、それだけは誓って言えるぞ。
俺のせいでだいぶ遅くなってしまったが、無事『ロマド』に向けて馬車が出発した。
車内の三人娘は俺の顔を見て満足気に微笑み、何故かスッキリした顔をしている。
(俺が気を失っている間に何があったんだ……)
真相は闇の中に葬り去られ永遠に解明されることはないのだろうか……、俺の気も知らないで馬車は山道をゆっくりと登っていくのだった。