61.クランハウス
旅支度を進める『白銀の女神』、俺は忙しい中でどうしても行かなくてはいけない場所があった。
『迷宮都市ミドルグ』には大きく分けて五つのエリアがある。
まず街の中央部にミドルグ市を統治する城がある行政区がある。
そして北側に険しくも自然豊かな山脈を望む富民区。
西にはミドルグ市民が住む居住区、東に探索者ギルドや商業施設のある商業区。
最後が南西の一角に集まるように固められたスラム街だ。
俺は一人、スラム街をある場所に向かって歩いていた。
『ルマンド公国』に旅する前に、どうしても行かなくてはならない場所があったのだ。
中央エリアを通り過ぎ大通りを一本スラム街に入ると、とたんに異質な空間が広がり始める。
路上には浮浪者が座っていて昼間から酒を飲んでいる。
舐め回すように俺をみて、危険人物かカモかを見極めているようだった。
辺りには糞尿の匂いが微かにして、いたるところにゴミ溜めが見受けられた。
みすぼらしい住居から陰気な表情をした女がこちらをうかがっている。
俺が見返すと慌てて窓の木戸を閉め隠れてしまった。
どこの場所でも子どもたちは元気がよく、群れをなして俺を追い越していく。
俺は違和感を覚え一人の少年の腕を捕まえた。
「いてえな! 離せよ!」
少年はすごい勢いで暴れ始める。
手加減しながら手に力を込めると、くぐもったうめき声をあげながらうずくまった。
先程まで一緒に走っていた子どもたちが、遠巻きに少年を心配そうに見ていた。
少年の手には俺の巾着袋が握られている。
女神様に貰った袋ではなく、小銭や手ぬぐいを入れてある別のものだ。
「これは何だ、何故おまえが俺の持ち物を持っているんだ?」
「しらねえよ! 手を離せよ!」
しらを切り通す少年の手首に握力を少し強めた。
途端に手首からミシミシと骨の軋む音が鳴り始めた。
「ぎゃ~! ごめんなさい! 俺が取りました。もうしませんから許してください!」
泣きながら謝ってくる少年を見てどうしようか悩む。
間違いなくわざと集団で俺を囲い、スキを見て掠め取ったのだろう。
鮮やかな手口からして盗みの常習者だとすぐにわかった。
「盗みの代償は腕一本だということはおまえも知っているな? その覚悟の上での犯行だろうから潔く腕を置いていくことだ」
「勘弁してくれ! 腕無くなったら生きていけねぇよ、後生だから逃してくれよ!」
すがりつくように謝ってくる少年の手首は、俺が握っているところから先が紫色になって、今にも破裂しそうなほど充血していた。
「なあ、そのへんでやめてやってくれねぇか、そいつも今回で懲りただろうからよ」
ふいに後ろから声をかけられる。
そこに立っていたのは『暁の金星』のリーダー、ビリー・バグダッドだった。
全く気配を感じられず後ろを取られたことに俺は戦慄を覚えた。
上背はゆうに二メートルを超えている、筋骨隆々で無駄な贅肉は一切ついていなかった。
短パンにシャツというラフな格好で足元はサンダル履きだ。
少年とビリーさんは顔見知りのようだ、少年をビリーさんの方へ突き出してやった。
慌てて逃げようとする少年をビリーさんが捕まえ押さえつける。
二カッと笑って俺を見てきた。
「恩に着るぜ、こいつは悪いやつじゃねえんだが手癖が悪くてな、日頃から注意はしてるんだが中々更生しねぇんだよ」
そう言うとでかい手の平で少年の頬をビンタした。
バチンと大きな音をして少年が二メートルほど飛んでいく、二回三回と地面をバウンドして地面をころっがっていく。
意識を刈り取られて路地に大の字になって横たわった。
「お前ら、こいつを運んでねぐらに帰れ、今度見つけたらただじゃすまねえぞ」
少年の仲間達が一斉に近寄ってきて少年を担ぎ上げると一目散に逃げていった。
「あんたこんな所で何してんだ? まさか散歩してたわけじゃねえだろ?」
「こんな所で会うなんて奇遇だな、いまからバグダットさんのところへ行こうとしていたんだ」
「ほう、そうかい、じゃあ案内するぜ。それからバグダットさんはやめてくれ、ビリーでいいぜ」
「そうか、それなら俺のこともレインって呼んでくれ」
ビリーさんのクランはスラム街の最深部にあった。
三階建ての木造施設で庭には訓練場が設けられている。
いまも数人の若者が思い思いの武器を使って鍛錬をしていた。
ちなみにクランと言うのはパーティーよりも大人数で迷宮を探索する組織だ。
メインで活躍するパーティー六人と、その座を狙う予備探索者、そしてクランを影で支えるサポーター役の人達。
クランのメリットはパーティーの中で怪我人が出てもすぐに補充出来ること。
周辺管理をサポーターがすることで、メインパーティーが探索に専念出来ることがあげられた。
「ビリーさんおかえりなさい、ちゃんと言いつけどおりに鍛錬してましたよ」
「おかえりなさい、今度の探索にはあたしを連れて行って下さい」
「兄貴、迷宮の話聞かせてくれよ」
ビリーさんが戻ってきたのを目ざとく見つけた若いクランメンバーが、すぐに取り囲みビリーさんをもみくちゃにしてしまう。
困った顔をしながら一人ひとりに声をかけていくのを見ていて、ビリーさんの人柄は決して悪いものではないということがわかった。
「みんな道を開けてくれ、大事な客人が来てるんだ。話は今度聞いてやるから今はおとなしくするんだ」
俺を待たせてしまい悪いと思ったのか、ビリーさんが気を使ってみんなを追い払う。
「ビリーさんこの人誰なんだい?」
「お前ら聞いて驚け、この人はレイン・アメツチ準男爵様、現役二組目の『完全階層攻略者』だぞ」
ビリーさんが俺を紹介するとその場の雰囲気が騒然とし始めた。
「すげ~! お貴族様だってさ」
「偉い人なの? すごいね」
「『完全階層攻略者』なんてなれる人いるんだね」
「バッカだな、ビリーの兄貴だって『完全階層攻略者』じゃねえか」
年齢の低い取り巻き達が一斉にはやし始めた。
若手の見習い探索者たちは貴族の肩書に萎縮して固まってしまう。
その中でも俺のことを見たことのあるルーキー探索者はキラキラした目をして俺を見ていた。
「みんなすまないな、ビリーさんに用事があってきたんだ少し彼を貸してくれ」
俺がその場のみんなに話しかけると、潮が引くように周りに散らばり道がひらけていく。
肩に止まっているドラムが眠そうに大あくびをした。
「ドラゴンだ、ホントに使役しているんだな」
「凄いわ、ドラゴンテイマーなんて初めてみたよ」
ひそひそ話をする取り巻きの中を、ゆっくりとクランハウスへ入っていった。
ビリーさんの部屋は建物の最上階、三階の奥にあった。
中に通された俺は客用の椅子に座るように促される。
オーク材で作られた椅子は中々趣味がよく座りごこちがとても良かった。
同じ素材のテーブルに綺麗に整頓された室内、無垢の木材で統一された空間は不思議と落ち着き心地よかった。
「レインがこんなに早く訪ねてきてくれるとは思っても見なかったぜ、改めて俺が『暁の金星』のリーダー、ビリー・バグダッドだ。そしてそして現役の『完全階層攻略者』でもある、お互い称号持ちだよろしく頼むぜ。ちなみに俺は金の称号をもらったんだ、クラン名の金星は本来は明星なんだ、間違ってつけたわけじゃねぇぜ」
向かい合った椅子から長い手を差し出して握手をしてきた。
聞いても居ないクラン名の由来まで自分から話してくるなんて、よほど話好きな人なんだな。
「こちらこそ『白銀の女神』リーダー、レイン・アメツチだ。俺の方は白銀の銀が称号だ、よろしく頼む」
ガッチリと握手をする。
「それでこんなゴミ溜めに何のようなんだ? 俺に用があるってことは迷宮関係なんだろ?」
不敵に笑うビリーさんは何でもお見通しのようだ。
ある程度腹を割って話し合おうと心に決めゆっくりと話し始めた。
「パーティー内の情報をどこまで出したらいいかわからないんだが、俺達は今十八階層を探索しているんだ」
唐突のパーティーの極秘事項の告白にビリーさんはオヤっと言う顔をして姿勢を正してきた。
「信じられないかもしれないがそこで民間人を保護したんだ。色々調べた結果『ルマンド公国』に故郷があるらしくそこへ明日から向かうことにした」
「ちょっと待て、なんでそんな極秘事項を俺に教えるんだ? 俺はレインの敵かもしれねえぜ?」
「俺も色々悩んだんだ、しかし他に話をする相手はビリーさんしかいないと思ったんだよ」
「信用してもらえるのは嬉しいがちょっと不用心すぎるぜ、レインだけでなく仲間まで危険にさらしているのがわからないわけでもねえだろう?」
訳が分からないという顔で俺を見つめてくるビリーさんの顔は呆れ返っていた。
「そのことについては仲間とよく話し合ったよ、その上での判断だと思ってくれ。それなりの覚悟があることを示すために俺一人で来たんだ」
真剣な俺の目を見たビリーさんは、フ~とため息を吐くと椅子の背もたれに背中を預けた。
「そこまで言われちゃあ、相談に乗らなきゃ男がすたるってもんだぜ、なんでも聞いてくれ俺に分かることなら何でも答えるぜ」
俺の並々ならない覚悟にビリーさんは親身になって話を聞いてくれることとなった。
「まず『ミドルグ探索結社』には参加させてもらうことにしたよ、しかし次の会合には出られないかもしれない。だから前もってビリーさんに言いに来たんだ」
「なるほど承知したぜ、他の奴らには俺が話をしておく、何も心配しねえでいいぜ」
男気のあるビリーさんが二つ返事で受けあってくれた。
そして俺は本題を話し始めた。
「ここだけの話だが今保護している人は現代の人間ではないかもしれない、彼女の故郷はもうこの世界には存在しないんだ」
俺の告白にビリーさんは顔をしかめ黙ってしまった。
「信じられないかもしれないがこれは事実なんだ、ビリーさんは探索経験が俺より豊富だ。ギルド長もあなたのことを買っていた、なんでも良いから情報を教えてくれないか?」
俺は頭を下げてお願いをした。
リサのことは少なすぎる、旅をする前に少しでも情報が欲しかった。
「迷宮で民間人が発見される事案はたまに聞くぜ、しかし何故彼女らがそこにいるのかは誰も知らねえ。ただ発見された人間の全てが記憶が曖昧で、どこから来たのか明確に答えられたものはいねえそうだ」
「今回もその人達と同じなのか?」
「わからん、だが全員うら若き乙女だということだ、レインの発見した奴もそうなんじゃねえのか?」
「……確かに、その通りだ彼女は若いエルフの少女だよ」
少しだけ接点が見えてきたがまだ依然として謎のままだった。
「レイン『ルマンド公国』に行くって言ったな、だとするともしかしたら『エレニア神殿跡』に行くつもりじゃねえのか? あそこの周辺はエルフたちが多く住んでいるんだ、なにかわかるかもしれねえ、慎重に行動するんだな」
俺の頭の中を見ているかのように次々と的中させていくビリーさんに驚くばかりだった。
「俺もあそこへは行ったことがあるんだ、まだ駆け出しの頃だったから大して覚えちゃいねえけどな」
「そうなのか、なんでも良いから情報をもらえるとありがたい、それなりのお礼はするつもりだ」
「おいおい、俺は銭では動かねえ男だぜ、レインを気に入ったから色々教える気になったんだ。見くびってもらっちゃ困るぜ」
少しおどけた感じで俺の申し出を断ると、知っている情報を惜しげもなく披露してくれた。
クランハウス前でビリーさんと別れる。
幼い子どもたちがいつまでも俺に手を振って見送ってくれた。