56.危険な探索行
『深淵の樹海』を抜けてきた『白銀の女神』は、アトラスさん家に泊めてもらい旅の疲れを癒やしていた。
アトラスさんとリサはすぐに仲良くなり、言葉はわからないが身振り手振りで意思疎通を図っていた。
こういう事は子供のほうが慣れるのは早いらしく、アトラスさんにおんぶをしてもらい笑っているリサを眺めていると、自然と笑顔になってしまった。
リサを見守っているメンバー達を集めて、今後のことを話し合う。
「みんな聞いてくれ、俺とワンさんは一旦地上に戻ることにする。セルフィア達はアトラスさんの家で少しの間待っていてくれ」
「何をしに戻るの?」
不安そうにセルフィアが聞く。
「まだ先になるが九階層の『山岳』で『水神の障壁』が必要になるのを思い出した。今は五つしか持ってないのでリサの分を道具屋に注文してこなくてはならない」
「『水神の障壁』ってあれですよね、たしか高温を遮断して活動できる温度にまで下げてくれる魔道具、とても綺麗な青い宝石だったと思います」
「懐かしいでやんす、昔お世話になったすぐれものの魔道具でさぁ」
俺たちが『完全階層攻略者』になったきっかけの九階層で大活躍した青い宝石、中々手に入らない魔道具を今のうちから予約購入してこようと思ったのだ。
「お昼には戻ってくるからここで休んでいてくれ、これも大事な任務だと思ってほしい」
俺と片時も離れたことのないアニーとセルフィアは、少し不満げだが何とかわかってもらえた。
アトラスさんに事情を話す、快く引き受けてくれて門を開けてくれた。
俺とワンさんが門の外に出る。
ここからスピードを上げて一気に石碑まで行くつもりだ。
「ワンさん、準備はいいか? 魔物とは極力戦闘は避けて一気に石碑まで走り抜けるぞ」
「わかっていやす、旦那、あっしの足についてこれやすか?」
「見くびるなよ、これでも機動力重視のアタッカー職なんだ、シーフには劣るが速度には自信があるんだ」
「わかりやした! どれだけ早く石碑にたどり着くかやってみやしょう!」
俺とワンさんは『身体強化』を高めていく、心臓の鼓動が早くなって筋力も高まってきた、顔を見合わせてうなずき合うと一気に樹海に向かって走り始める。
視界の横を大樹がものすごいスピードで後ろに流れていく。
たまに遭遇するオオカミやトレント達は俺たちの速さについて来られず、すぐに引き離されていった。
爆発的なスピードで樹海の中を駆け抜け一気に石碑までたどり着いた。
最初訪れた時は一時間以上かかった道のりを十分足らずで走り抜けた。
「旦那! こんなに早く走ったことなんて生まれて初めてでやんす! すごく気持ちよかったでさぁ!」
「ああ! 『身体強化』とは凄いスキルだな! これだけ走っても疲れをあまり感じないよ!」
興奮して動悸が収まらないが体は全く疲れていない、ワンさんと笑い合って石碑の前に大の字で寝転ぶ、快晴の空に大きな雲が雄大に浮かんでいた。
スポーツドリンクで喉の渇きを癒やす、少し休んだだけで石碑で一階層へ転移した。
足取り軽く街に戻る。
迷宮衛兵への説明も程々に道具屋にやって来た俺は、店の女将さんに『水神の障壁』があるか聞いてみた。
あいにく品切れだと言われ、しかたがないので予約購入をする。
予約購入の順番は十番目で『水神の障壁』の人気があらためてわかった。
「レイン様はお得意様ですから順番を一番上にしときますね」
以前アダマンタイトの鎧セットを一括購入したので女将さんから一目置かれている。
俺は内緒でリストのトップに割り込ませてもらえた。
お貴族様の俺に文句を言ってくる探索者はいないので、次来るときには購入できるだろう。
女将さんに探索のスケジュールを話し、『水神の障壁』を取っておいてもらう。
少し多めに代金を先払いして店を出ると、向かいの『雄鶏の嘴亭』に入っていった。
「サムソンさんただいま、少し休憩させて下さい、またすぐに迷宮に潜るんです」
挨拶をそこそこに食堂へ行き、いつもの椅子に座り込む、ワンさんも向かいに座り一息ついた。
「他のみんなはどうしたんだ? 姿が見えないようだけど」
不安そうに聞いてくるサムソンさんに詳しい話はぼかして事情を話す。
納得したサムソンさんは冷たい山羊の乳とエールをテーブルの上に置き、おつまみに塩漬け肉の干物を置いて笑顔で離れていった。
「旦那、あっしだけ昼間から酒を飲んでもいいんでやんすか?」
俺に聞いてくるワンさんは舌なめずりをしてエールを凝視している。
その様子を見ていておかしくなってしまい少し意地悪をしたくなった。
「飲みたくないなら俺が飲むよ? ちょうど飲みたい気分だったんだ」
テーブルの上のエールを掴むと見せびらかしながら手前に引き寄せた。
「旦那~、それはないでやんす。あっしが悪かったでさぁ、エールを飲ましてくだせぇ」
可哀相になるくらい気落ちしたワンさんを見て、謝りながらエールをかえす。
途端に明るい顔に戻ったワンさんは、美味しそうに喉を鳴らしてエールを飲んだ。
「ん~うまいでさぁ! 生き返りやす!」
満面の笑みのワンさんを見ながらヤギの乳を飲む、冷えた乳はとても美味しく俺も生き返った気がした。
ワンさんを宿屋に残し、ギルドへ報告に行く。
ギルド長が斡旋所にいたのでリサのことをぼかして手早く報告を済ませ、とんぼ返りで宿屋に向かった。
ワンさんを拾い迷宮に向かう、酒を飲んでいるとは思えないほどワンさんの足取りは通常通りで、流石『白銀の女神』一の酒豪だと思った。
すぐ戻ってきた俺達に迷宮衛兵たちが慌てて駆け寄ってきた。
なにか不具合が発生して俺の機嫌が悪くなったのかと思ったようだ。
誤解を解いて今から迷宮に潜ることを告げる、今度はその事に役人たちが驚いて事情を聞いてきた。
面倒くさいので、ジロリと睨みつけ急いでいることを説明する。
役人たちは青い顔をして平謝りをしてきて慌てて道を開けた。
無理を通してしまっても誰も非難してこない、貴族の特権をあらためて肌で感じた。
「ワンさん、酒もう抜けた? また走って帰るけど大丈夫?」
「みくびらないでくだせぇ、エールなんてあっしにとっては水でさぁ、何杯飲んでも酔うことなんてありやせん」
余裕綽綽のワンさんは準備運動をし始める。
慌てて俺も足の関節を曲げ伸ばしして走る体勢を整えた。
「じゃあ行くよ? さっきのルートを逆戻りだ」
「わかりやした、一気に走り抜けやしょう」
二人して走り始め、トップスピードに乗った俺達がアトラスさんの家に到着したのは、お昼を少し過ぎた頃だった。
門に近づくと勝手に開いていく、気を利かせてくれたアトラスさんが門を開けてくれたのだ。
セルフィアとアニーが俺に飛びついてきた。
たとえ半日だが迷宮で離れたことなどない二人にとって、よほど不安だったのだろう。
腕を抱えられて引きずるように小屋まで連れていかれた。
「ただいま、お昼にぎりぎり間に合ったみたいだな、『水神の障壁』は無事予約できたよ、昼ごはん食べようか」
いつもより女性陣の俺への構い方が激しい、先を競って食べ物を食べさせようとスプーンを口に持ってくる。
寂しい思いをさせてしまった罪滅ぼしに一生懸命食べまくる。
昼ごはんが終わる頃には動けないほど食べてしまい、二人に介抱してもらいながらベッドで唸っていた。
ー・ー・ー・ー・ー
『また行くのか、いつでも戻ってこい、待ってるぞ』
アトラスさんが俺たちを門の前で見送ってくれる、だいぶ強くなった俺達を認めたアトラスさんは、快く送り出してくれた。
モーギュストが魔物を轢き潰していく、樹海の浅い地域の魔物では相手にならないほど俺たちは強くなっていた。
石碑にリサを認識させると十五階層への階段を登っていく。
少しだけ不安はあったがボス部屋には大司教は現れず、十四階層への階段もちゃんと出現していた。
下から登ってくる場合には、迷宮の法則は適用されず時空の狭間へ飛ばされたり、強いボスが登場することはなく至って普通の探索ができた。
十四階層は『大聖堂』だ。
リサはおばけが苦手ではないらしく、普通に討伐に参加してきた。
魔物の強さがどんどん弱くなっていくので気をつけるのは罠だけになる、ワンさんの一人舞台になっていった。
一直線に十三階層の階段まで進んでいく、数日で到達して『地下墓所』へと侵入した。
ここで問題が発生する。
十一階層から十三階層はコロニーが存在しない日帰りエリアなのだ。
今までは日帰りで探索しながら攻略してきたので気が付かなかったが、三層を一気に駆け抜けることなどできず、初めてのコロニー外でのキャンプをすることになってしまった。
一層攻略するごとにアトラスさんの家に戻ることも考えたが、図書館の資料によれば今の俺達に倒せない魔物は出ないらしいので、あえて前進することを選んだ。
「みんな聞いてくれ、今回はじめての夜の魔物との戦闘に入る。どれぐらい強いかわからないが、決して倒せない魔物は出てこないと思う、骸骨騎士よりは確実に弱いだろう。昼の今のうちに交代で仮眠を取り、夜になったら探索を続行しようと思う」
真剣にメンバー達が話を聞いている。
リサも雰囲気を察して不安な表情を浮かべていた。
「大丈夫よ、お姉ちゃんは強力な呪文を使えるからアンデッドには強いのよ」
アンデッドに相性がいいアニーがリサを抱えて励ましている。
セルフィアもリサの頭を撫ぜながら不安がるリサを落ち着かせていた。
『地下墓所』の一角でキャンプを張り束の間の休息を取る、幸い魔物が現れること無く無事全ての仲間が仮眠を取れた。
時刻は午後六時を回った。
そろそろ夜の魔物たちが徘徊し始める頃だ。
気を引き締めて探索の準備をする。
ガッチリとモーギュストが前を固め、慎重に十二階層への階段を目指し探索を開始した。
「みんな覚悟は良いかい? 悪魔たちが現れだしたよ」
モーギュストの報告にメンバー達に戦慄が走る。
暗い迷宮の通路の先にゆっくりと人魂が浮かび上がり始めた。
とうとう夜の悪魔たちとの戦闘が始まる。
刀の柄を強く握り戦闘に備え深く腰を落としていった。