47.腐っている
注意! 食事中の方は後で見て下さい。もう一度言います、食事中の方は後で見ること!
謎の石碑から探索を再開した『白銀の女神』は、天候悪化で予期せぬ探索の停滞を強いられていた。
「雨……、中々止まないわね……」
縦穴の近くで外を覗きながらセルフィアがつぶやいた。
謎の石碑に飛んでから丸一日、豪雨に寄る足止めを食らっているのだ。
遺跡の内部は何故か魔物が湧かず、安全だけは確保できていた。
遺跡の縦穴からは絶え間なく雨水が流れ落ちてきていて、狭い通路に小さな川を作っていた。
雨水は通路の端にある排水口に吸い込まれていく、その排水口のおかげで水没を免れ、俺たちは安心して雨宿りができていた。
いつ止むかわからない雷雨に、一時撤退をするか決断を下す必要が出てきた。
「セフィー、一旦街に戻って出直そうか?」
「う~ん、なんか違うような気がするわ、せっかく気合い入れてきたんだから、なにか成果を上げてから帰りたい」
セルフィアの言うことはもっともで、探索には勢いという物が重要だった。
気分が乗っているときと、気分が乗らないときの探索の効率は、目に見えて変わってくるのだ。
一旦街に戻るのはいいが次の探索の時に集中力が足りなくて、思わぬミスをするのが恐ろしかった。
消化不良の探索が連続して、パーティー解散に発展する探索者グループも少なからず存在するほどだった。
「みんな少し聞いてくれ、樹海の雨が止みそうにないので、撤退するか強引に探索するかをここで多数決で決めたいと思う」
一斉に俺を見た仲間達が難しい顔をして考え込んだ。
「一時撤退をしたいもの手を上げてくれ」
アニーがおずおずと手を挙げる、他の仲間は動かなかった。
「アニーだけだな……、それでは探索続行したいもの手を上げてくれ」
真っ先にセルフィアが大きく手を挙げる。
それに続いてモーギュストがしっかりとした動作で手を上げた。
ワンさんは腕組みをして唸っている。
「ワンさんどうしたの? 手を上げてもらわないと多数決にならないよ」
「旦那……、あっしも探索はしたいんでやんすが、なんか嫌な予感がして仕方がありやせん、申しわけありやせんが棄権させてくだせぇ、旦那の判断に任せやす……」
ワンさんは決して優柔不断ではない、そのワンさんが曖昧な答えを出してきた。
一抹の不安がよぎるが、ここはリーダーとしての決断をしなければいけないだろう。
「実は王都で魔道具の雨具を購入したんだ、それを着込めばもう濡れることはないと思う、これもいい経験だと思って少し探索してみよう、危険があるようならすぐ撤退する。それでいいな?」
アニーを見ると納得しているようで、力強くうなずいた。
「やる気が出てきたわ! 今日中に新しい『コロニー』を見つけるわよ!」
セルフィアが両腕を突き上げ高らかに宣言した。
その様子をアニーとワンさんが苦笑いしながら眺めていた。
「凄いわ! 雨があたっても全然濡れない!」
「これは画期的だね、雨が鎧に当たる前に滑り落ちていくよ」
「レイン様は何でもお持ちなのですね」
俺は巾着袋から魔道具の雨具を取り出しみんなに配った。
それはネックレス型をしていて首にかけると発動するシンプルな作りだった。
原理はよくわからないが、装着した人の周りを薄い不可視の膜が覆い雨を弾くようになる、現代日本に持っていったら大ヒット間違い無しのスグレモノだった。
天候は悪化の一途をたどって回復の兆しが見えない、遺跡がある広場は水浸しになっていて、土むき出しの地面がドロドロのぬかるみになっていた。
「旦那! こいつは凄いでやんす、靴にも泥が付きやせんよ!」
機動力が命のシーフ職であるワンさんが嬉しそうに飛び跳ねている。
魔導雨具は相当便利に作られていて、雨粒の他に靴に着く泥まで寄せ付けない便利アイテムだった。
ギルド長の土産を選んでいる時に買ったものだが、衝動買いをしてしてよかった。
「いつもの陣形で探索をする、視界が悪いからいつもより注意して探索しろ」
稲光が俺の顔を照らす、広場を抜けた奥に広がる暗い樹海が、不気味に俺たちを待ち構えていた。
探索は慎重に行われた、時折木々の間から餓狼や巨大熊が襲ってくる。
その殆どの敵をモーギュストがミスリルの槍で突き刺し一撃のもとに葬り去っていった。
「みんな止まって! 前方に敵影発見、早く隠れて!」
モーギュストが焦りながら報告してきた。
急いでガサ藪に滑り込み身を隠す。
「何が見えた?」
「わからない……、でもなにか大きな物が動くのが見えたよ」
注意して前方の木の間を見つめる、雷がパッと光り一瞬だけ明るくなる。
すると木々の間に黒い大きな物が横切ったのが見えた気がした。
「今見えたわ、何かとても大きな物が動いているわ」
セルフィアにも見えたようだ、魔物ならボスクラスの大きさだな。
「あっしが先行して様子を見てきやす、旦那方はここで待機していてくだせぇ」
「よし、いつでも援護できるように各自戦闘準備、ワンさん気をつけてくれよ」
「わかりやした、行ってきやす」
腰を低く落とし物音を一切たてずにワンさんが前方へ進んでいく。
さすがはシーフ職、滑るように移動していき、みるみるうちに未確認物体へ近づいていった。
程なくしてワンさんが戻ってきた。
顔は蒼白で焦りを感じさせる歩き方だった。
「旦那、ヤバイでやんす。ドラゴンがいやす、それもアンデッド、ドラゴンゾンビが前方にいやすよ」
小声でしゃべるワンさんは相当興奮していて、今にも逃げ出しそうだ。
「落ち着けワンさん、それは本当なのか? 『深淵の樹海』でアンデッドは一度も見ていないはずだ」
「確かでやんす、いまはこちらに気づいて無いようで動きやせんが、見つかったらあっしらでは倒せるかわかりやせん」
「一旦撤退しよう、遺跡まで戻って作戦を練るぞ」
遺跡に向かうため後ろを向いて移動しようとした時、メキメキと樹海の木々が倒れる音がして黒い大きな物体が姿を現した。
「見つかってしまいやした! 旦那どうしやすか!?」
「あんなの倒せないわ! 早く逃げましょう!」
眼の前に現れたドラゴンゾンビはかなり巨大だった。
木々に遮られて体の一部しか見えないが、顔はそれだけで俺たちの身長を越えている。
肩口は腐り落ちて白い骨がむき出しになっていて翼も骨だけになっていた。
目はとうの昔に腐り落ちたらしく、顔にはポッカリと暗い穴が二つ空いていた。
どうやって俺たちを見ているのだろう、完全に認識をされていてゆっくりと木々をなぎ倒しなら向かってきた。
「凄い臭気ですね、鼻が曲がりそうです」
アニーが顔をしかめている。
豪雨が降っているにもかかわらず、周囲にはドラゴンゾンビの腐臭が充満していて目がしみるほどだった。
「レインさん、もうやるしか無いよ。このまま後退するより先制攻撃したほうがいいよ」
撤退か交戦か決断を瞬時に行わなければならない、時間はそれほど残されてはいなかった。
「こうなれば戦うしか無い、みんな戦闘準備をしろ、モーギュストはドラゴンの一撃に備えろ、ワンさんは陽動、アニーみんなにバリアをかけろ」
次々に指示を出していく、最後にセルフィアに声をかけた。
「生半可な攻撃は効きそうにない、セルフィアの最大火力を撃ち込んでやれ!」
「わかったわ! 少し時間を稼いでちょうだい! 呪文を詠唱するわ」
黒檀の杖を掲げてセルフィアは呪文の威力を高めるため魔力を練り始めた。
「これより攻撃に移る、深追いせずに一撃離脱を繰り返すんだ」
ワンさんは右に展開している、俺は左から攻めようか。
派手に泥水を跳ね上げながら、大回りにドラゴンの脇腹へ回り込んだ。
(大きいな……)
脇に回り込んだことによってドラゴンゾンビの全容が明らかになった。
体長は推定で二十メートル、もちろんしっぽは計算に入れていない大きさだ、十階層のボスサラマンダーの二倍は余裕であるようだ。
体高の方は木々に阻まれ正確にはわからない、しかし最低でも五メートル、正確には測れないが十メートルに届くか届かないかの高さがあるかもしれない。
一つ朗報なのは後ろ足から先が腐りきっていてしっぽが今にも千切れそうになっていることだった。
あの状態なら尻尾の攻撃は出来ないだろう、何とか出来たとしてもここは樹海の中、木々に邪魔されてまともな攻撃が来るとは思えなかった。
「みんな聞こえるか! 奴はしっぽが腐り落ちそうだぞ! 前方の攻撃に注意しろ!」
俺の声は豪雨でかき消されて届いているかどうか怪しい、しかし何人か仲間の返事が聞こえたような気がした。
脇腹に一撃を入れようと近寄っていく、ふいにドラゴンの腹の一部が震えたかと思うと赤ん坊くらいの大きなウジ虫が飛び出してきた。
「うおっ!」
体を捻りギリギリでかわす、返す刀でウジ虫を刺殺した。
「みんな気をつけろ! ドラゴンの腹の中に魔物が寄生しているぞ!」
次々と湧き出してくる虫に鳥肌が立つ、ドラゴン本体を攻撃する前にこの虫たちをどうにかする必要があった。
俺の傍らにドラムが寄ってきた。
「ガウガウ、ガァウ! (ブレス吐くよ)」
声が直接頭の中に聞こえてきた。
ドラムのブレスで虫を焼き殺すのもありかもしれない。
「よし! 一発吐いてくれ、でも向こう側にワンさんがいるはずだから手加減してくれよ」
「ギャウギャウ(わかった)」
頭を上下に振って了解の意思を示すと体に空気をため始める。
その間にも虫はボロボロと腹から這い出してきて新たな獲物を見つけるために動き出した。
「みんな! いまからドラムがブレスを吐くぞ! 注意してくれ!」
ドラムの身体が空気を取り込んで怒った河豚のように丸くなる。
「やれドラム!」
俺の掛け声とともにドラムの口から紅蓮の炎が吹き出した。
炎は腐りきってポッカリと空いているドラゴンの腹に命中する。
周りの虫もろとも一気に燃え上がり大爆発を起こした。
放射熱が凄い、一旦モーギュストたちの所まで戻ろう。
ドラゴンは腹に一撃を喰らいその場で悶え苦しんでいる。
声帯が腐り落ちているのか無言の咆哮を上げながら、首を左右に激しく動かしていた。
正面に戻ってくるとメンバー全員が集まっていた。
「今のドラムがやったの?」
モーギュストが敵から目を離さず話しかけてきた。
「ああ、腹から虫が大量に湧き出てきたんだ、そうしたらブレスを吐くってドラムが言うからやってもらったんだ」
「あっしの方も虫が出てきやした、数が多すぎるので一旦下がってきたんでやんす」
「あのドラゴンさっきから動かなくなったね、僕に攻撃してくるかと思ったけど期待ハズレもいいところだよ」
(残念そうに言っているが攻撃してこないなら喜ぶところだろ、どれだけモーギュストは攻撃を受けたいんだ……)
左側の虫はほぼ焼却できたようだ、右側はまだ残っているがモーギュストが槍で突いて処理している、じき居なくなるだろう。
後ろで魔力を練っていたセルフィアが呪文を唱えだした。
紺のローブの裾が波打ち始める。
慌ててセルフィアの前からどいて邪魔をしないようにした。
「炎の精霊たちよ、我に応えよ、灼熱の宝玉、紅蓮の光球……」
詠唱しているセルフィアの、構えている黒檀の杖の先に、バランスボールぐらいのファイアーボールが出現する。
セルフィアの周りを青白く透き通った光の膜が覆っていく。
呪文の旋律に合わせ徐々にビー玉ぐらいまで収縮していった。
収縮してできた火球は、上下左右に微振動をして内包するエネルギーを放出させる場所を探しているようだった。
傍らに避難した俺の頬に容赦ない放射熱が襲いかかる。
今まさに生まれた太陽の小型版、それをセルフィアが制御していた。
「盾を貫く三つの刃……、そして力強き渦をともないて我は敵を討ち滅ぼさん!」
振動している光体が細長い形状に変化していく、更に三本に分裂した光の鏃が高速回転し始めた。
(あれは大司教に大ダメージを与えた呪文だな、果たしてドラゴンゾンビに効くのだろうか……)
明らかに大司教より強いドラゴンに効くのか疑問に思う。
そうこうしている間に呪文の完成が間近に迫った。
突然ドラゴンゾンビの上半身がズルっと滑るようにして前進してきた。
ドラムのブレスによって腹部分を焼かれ、背骨が焼け落ちて上半身が自由になったようだ。
前足を器用に使ってゆっくりと近づいてくるドラゴンに一同緊張が走る。
距離が二十メートルぐらいにまで近寄ってきた。
あまりに巨大な頭のせいで遠近感が狂い、今にも襲いかかって来るように錯覚する。
「貫け!! ファイアーアロー!!」
閃光があたりを包みドンっと衝撃波が辺りに響き渡る。
セルフィアが三本の光の矢をドラゴンに向かって発射したのだ。
あまりの眩しさに目をつむってしまい、慌てて目を開けると三本の光の矢がドラゴンゾンビの顔に突き刺さっていた。
一瞬置いて大爆発が三連続で起きる。
爆発の威力は凄まじく腐ったドラゴンの顔が一瞬にして爆散した。
辺りが爆炎で明るくなりドラゴンゾンビの骨格を映し出した。
その骨格も次々に崩れ落ち、次の瞬間には光の粒子になって消えていった。
「すごい威力でやんす! 姉さんは大魔法使いでさぁ!」
派手な魔法にいつも冷静なワンさんが興奮してはしゃいでいる。
「けっこうあっけなかったね、もっと強いと思ったよ」
肩透かしを食らったモーギュストが率直な感想を言って来た。
「完全体のドラゴンゾンビだったら、こんなにうまく討伐できなかったよ。今回は運が良かったな」
「あ~、疲れた、レイン~おんぶして」
魔力を相当に消費したのだろうフラフラになりながらセルフィアが近寄ってきた。
「お疲れセフィー、すごい威力だったね」
「当然よ、あれだけ魔力を練れば威力も高くなるわ」
嬉しそうに自慢するセルフィアを抱き寄せ倒れないように抱きしめた。
「ありがとう……」
薄暗い雨の樹海でも分かるくらいセルフィアの顔が赤くなる。
俺は微笑みながらうなずき返しセルフィアの頭を撫ぜた。
今回は幸運にも戦いに勝利できたが、遺跡から奥の樹海は明らかに十六階層とは異なる、ここは十七階層で間違いなさそうだ。
進むか退くか、俺は難しい選択に悩まされていた。