42.気さくな狩人
十六階層で人工構造物を発見した『白銀の女神』は、構造物を調査する過程で巨人と遭遇し、全滅の危機におちいっていた。
ゆっくりと巨人が俺たちに近づいて来た。
アニーとセルフィアを抱き寄せ目をつぶる。
せめて一撃で引導を渡してほしいと願った。
いつまで待っても衝撃が来ない。
しかし間近に巨人が居るのは気配で分かっている。
俺はゆっくりと目を開け、目の前にいるであろう一つ目の巨人を見た。
そこには大きな一つ目で俺たちを観察している巨人が見えた。
巨人は攻撃どころか腰の剣すら抜いておらず、じっとこちらを凝視している。
「どうして攻撃してこないんだ……」
おもわずつぶやいた途端、俺の言葉に巨人が反応して驚きの声を上げた。
『ん!?、おまえの言葉わかるぞ!』
今度は俺が驚く番だった。
目の前の魔物の言葉が俺には理解できたのだ。
「ワンさん、この人の言葉、なんて言っているか分かるか?」
巨人から目をそらさずにたずねる。
「何言ってるんでさぁ、この魔物は唸なってるだけでやんすよ」
「俺には言葉としてちゃんと聞こえるんだよ、少し話してみるよ」
仲間達は驚き固まっている。
そんな仲間を置き去りにして巨人とコンタクトをとることにした。
「すみません、おまたせしました。あなたの言葉はよくわかります、こちらに敵意はないので攻撃しないで下さい」
頬を一筋冷たい汗が流れた。
相手の機嫌を損ねればそれで終わりなので、生きた心地がしない。
『おお! わかるぞ、おまえの言葉は理解できる。そっちの奴はわからない。もちろん攻撃しないぞ、そっちが攻撃しないならな』
「ありがとうございます。ここに来たのは初めてなんです、あなたの縄張りに来てしまってすいません。すぐ出ていくので勘弁してください」
『そうかそうか、別に縄張りじゃないぞ、急ぐこともないだろう? 家に寄ってけ』
話の内容からすると、気さくな巨人だな、表情はよくわからないが怒ってはいないようだ。
「みんな、この人怒ってないよ。家に寄っていけって言っているよ」
「信じられないでさぁ、何とかごまかして逃げやしょう」
俺は黙り込んで考えてしまった。
下手なことを言うと巨人が怒ってしまうかもしれない。
みんなと相談したくても、俺の言葉を巨人は理解しているから話せないな。
「行ってみようよ、どのみち怒らせたら逃げ切れないよ。アタッカー職の格上はえげつない攻撃をしてくるからね」
完全に諦めたモーギュストが腹をくくれと言ってきた。
「俺一人では駄目ですか? 他の四人は帰りたいそうです」
怒るかもしれないが最後の抵抗をする。
『駄目だ駄目だ、この辺には強い魔物も出るから、いろいろ教えてやるから』
もう断ることはできそうにないな、みんなに小屋に寄ることを了承してもらい扉をくぐって中に入った。
囲いの中に入ると巨人は扉を閉めて閂をかけてしまった。
俺たちの手では中々開けることはできそうにない。
やはり一か八か逃げ出したほうが良かったのではないか。
少し後悔したが時既に遅く、巨人に生殺与奪の権を握られてしまった。
囲いの中は案の定、円形になっていてかなり広い空間だった。
巨人が通るにふさわしい幅広の道が一直線に小屋に伸びている。
よく手入れの行き届いた畑が左右にあり、ミドルグの市場でよく見かける野菜がたくさん実を付けていた。
小屋は円の中心にあり、その隣には納屋がある。
納屋には巨人が使う巨大なクワやスコップなどが綺麗に整理され置いてあった。
巨人が小屋の扉を開ける。
部屋の中は別段変わった所はなく普通の作りだが、全てが巨大だった。
きれいに磨き上げられた無垢の木の床、黒光りした長椅子は俺の肩の高さに座面があり、テーブルに至っては見上げる高さだった。
『今お茶をいれる、座って待ってろ』
巨人が嬉しそうに奥に消えていく。
立っていてもしかたがないので長椅子によじ登った。
俺とワンさんは何とか一人で登れたが、セルフィアとアニーは登れなかったので俺が引き上げてやる。
モーギュストは鎧が重すぎるので床の上に立っていることになった。
俺とアニーとセルフィアが隣り合って座り、向かい側にワンさんが一人で座る。
ワンさんの椅子の下にモーギュストが立つ形だ。
「あたし達どうなるのかしら……」
「悪い人には見えませんけど……」
二人は不安な顔をして俺にピッタリと寄り添い俺の腕を抱えている。
ワンさんは抜け目なく辺りを観察して不測の事態に備えていた。
ドラムが俺の膝の上で丸まり居眠りを始める。
ドラムが警戒していないということは、それほど危機が迫っているわけでもないのかな。
「しかし驚きやしたね、旦那は魔物の言葉まで分かるんでやんすね」
「レイン様は『異世界言語』のスキル持ちです、きっとそれで話ができるのだと思います」
「なるほど! レインって凄いわ!」
(俺が凄いんじゃなくてイシリス様が凄いんだぞ、みんな勘違いするなよ……)
十数分が経った頃、巨人がお盆にお茶の入ったコップを載せて戻ってきた。
『待たせたな、これでも飲め』
巨人はみんなの前に巨大な木のコップを置いていく。
普通の三倍はあるコップからは香ばしい匂いが立ちのぼっていた。
『おお? 一人座ってないのがいるな、小さすぎて登れないのか?』
そう言うとヒョイッとモーギュストを抱えてワンさんの隣に座らせた。
『チビのくせに、けっこう重いな、面白いやつだ』
モーギュストの鎧を含めた体重は相当重いはずだ。
ムカデの攻撃にも耐えた重量を、いとも簡単に持ち上げた巨人に驚きを隠せなかった。
持ち上げられたモーギュストは、座るとテーブルから見えなくなるので、椅子の上に膝立ちになった。
それを見た巨人は嬉しそうにモーギュスとの頭をグリグリとなでていた。
「あの……、俺の名前はレインです、こっちがセルフィアとアニー、そっちに座っているのがワンコインにモーギュストです」
『おおそうかそうか、俺の名前はアトラスだ、サイクロプス族のアトラスだ』
「アトラスさんはここに住んでるのですか? 他には誰か居ないのですか?」
『俺しかいない、みんなやられちまったよ』
話を聞くと昔はもっと大勢いたらしい、魔物に襲われてだんだん数が減って、今ではアトラスさんだけしか居なくなってしまったそうだ。
人と話すのは久しぶりらしく嬉しそうに色々教えてくれた。
アトラスさんは猟師だそうだ。
『深淵の樹海』で動物を獲って、畑を耕し暮らしているらしい。
樹海には魔物の他に俺たちではかなわないような動物もいるので、気をつけるように言われた。
具体的には狼や熊など一般的な森にいる生き物が、二倍から三倍の大きさになってうろついているらしい。
十メートル超えの熊なんて見たくもないな。
ただこの辺りはアトラスさんが適度に間引きしているので、滅多に現れないから心配いらないと言われた。
しかしこれ以上森の奥に進むなら、命の保証はないと言い切られてしまった。
夜はアトラスさんですら、めったに壁の外には出ないらしい。
強力な魔物がうろついているらしく、戦闘になると少し苦戦すると言っていた。
苦戦しても勝ててしまうなんてアトラスさんは相当強いな、戦わなくて本当に良かった。
『お前ら森に何しにきたんだ、弱そうなのに……、ここは危ないぞ』
「ここのことを俺たちは『深淵の樹海』と言っているんです。俺たちは探索者です、未知の領域を探索するのが仕事です」
『そうかそうか、面白い奴らだな、昔に来た奴もお前らに似ていたな』
「その探索者達はどうなったんですか?」
『俺が危ないから帰れって忠告してやったのに、攻撃してきたから追い払ったら、森の奥に逃げていった。戻ってこないから熊にでも食われたな』
言葉が通じなかったら俺たちも同じ行動に出るよ、有用なスキルをくれた女神様に感謝しなければいけないな。
お昼をごちそうになって、午後はアトラスさんに森の中を案内してもらうことになった。
『みえるか? あれはウサギだ、すぐ逃げるやつだが、お前らは弱いから襲ってくるかもしれないぞ』
アトラスさんがニヤッと笑ったような気がしたが気のせいかもしれない。
魔物であるアトラスさんの表情は、人間の俺たちには分かりづらかった。
アトラスさんは革鎧に取り付けてあったダガーを抜き取り、狙いを定めると素早い動作で投擲した。
狙い違わずウサギの首に突き刺さったダガーは、一瞬でウサギの命を刈り取りその場に横たわらせた。
近付いてみると、ウサギの大きさはモーギュストとあまり変わらなかった。
口から生えている歯が鋭く研がれていて、噛みつかれたら大怪我ではすまないだろう。
アトラスさんがウサギの首のあたりを素早くダガーで切り裂き血抜きを始めた。
まだ温かい血が地面に落ちて独特の匂いを辺りに漂わせた。
アトラスさんはウサギを肩にぶら下げると、こちらに戻ってきて得意そうに言った。
『今夜はウサギのシチューだぞ、お前らも食ってけ』
「ありがとうございます、でも夜になったら帰れなくなるのでまた今度ごちそうして下さい」
『心配いらないぞ、泊まってけ泊まってけ、明日お前らが言っていた『コロニー』に連れて行ってやるから』
みんなで話し合った結果、お言葉に甘えて泊めてもらうことにした。
まだ明るい内にアトラスさんの家に戻る。
シチューが出来る間、壁の内側を見せてもらった。
「あ! 小川が流れているわ!」
直径三百メートルぐらいある大きな丸太の囲いの中には、様々なものがあり森の中から小川がつながっていた。
納屋の近くまで流れてきている小川には水車小屋が設置してあり、ゆっくりと水車が回っている。
午後の日差しに照らされて魚が泳いでいるのが見える。
きちんと管理された畑の土はよく肥えていて、手に取って見ると腐葉土が大量に混ざっていた。
周りの樹海の落ち葉を取り放題なので、アトラスさんが畑を耕した時に混ぜているのだろう。
栄養豊富な良い土壌で育てた野菜は、大きくてみずみずしかった。
夕焼けに照らされながら裏手の丸太の壁まで歩いてきた。
そこには入ってきたのと同じ門があって頑丈な閂がはまっていた。
『そろそろできるぞ~、戻ってこいよ~』
気がつくと辺りは薄暗くなってきていて、そこかしこで虫が鳴き始めている。
「わかりました~、いまいきま~す」
みんなで手を振って小屋に向かって歩き出した。
セルフィアとアニーの手を握って畑道を歩いていく。
ここが迷宮の奥深くということを忘れてしまうほどのどかで安らぐ空間に、俺は心が癒やされていた。