32.ワンコイン・ザ・シーフ
大司教との壮絶な死闘を制し、『白銀の女神』は十五階層を突破した。
ようやく周囲の温度が下がってきて、周囲の地面が固まった。
アニーを中心に張られていたバリアが音を立てて砕け散る。
その瞬間ムッと熱気が体を包み、まだ周囲の気温が高いことがわかった。
アニーが疲労で立って居られずその場に崩れ落ちる。
俺は床に倒れる前に手を伸ばし支えた。
「アニー、大丈夫か?」
「レイン様……、私は大丈夫です。少し魔力を使いすぎただけですから……」
顔色はそれほど悪くはなく魔力欠乏による貧血だと思われた。
大事にならずホッと胸をなでおろす。
「最後の大司教の攻撃は凄かったわね、あたし死んだとおもったわ」
「確かに度肝を抜かれやした、あの攻撃を受けていまだに生きているなんて奇跡でやんす」
「アニーさんのバリアは凄いよ、あんなのどんな盾職でも防ぐことが出来ないね」
周りに集まっている仲間たちはみんなアニーのことを絶賛している。
だいぶ落ち着いて動けるようになってきたアニーが、上半身を起こしみんなを見て言ってきた。
「皆さん勘違いをしてはいけませんよ、あの光の帯で攻撃してきたのは冥王ザーティンです。退けたのはもちろん女神イシリス様です。あのとき確実にイシリス様の気配を感じ取れました。傍らで私達を守っていただけたのですよ」
「確かに俺もあのときイシリス様の気配を感じたよ、謎の空間で感じた気配と同じだった」
アニーと顔を合わせ、うなずき合う。
気配を感じ取れたのはアニーと俺だけだったようでみんな感心していた。
「旦那はともかくアニーの姉さんも女神様のお気に入りなんでやんすね。たいしたもんでさぁ」
「良かったねアニー、あんたの思いはイシリス様に伝わってたんだわ」
セルフィアは親友の偉業を心から喜んで目に涙を浮かべていた。
「みんな休みながらでいいから俺の話を聞いてくれ。周りの床は一見固まったように見えるが、まだ歩くと陥没して下の溶けた溶岩に落ちてしまうかもしれない。万全を期すためここでキャンプを行う、かなり狭いからテントなどは張れないのでそのつもりでいてくれ」
異教の神の攻撃は礼拝堂の様子を一変させていた。
鏡のように磨かれた大理石の床は、黒くゴツゴツした溶岩で覆われ見る影もなくなっている。
祭壇は跡形も無く吹き飛び、かろうじて台座の痕跡が残っているだけだった。
しかし俺たちがこの場から立ち去れば、この光景も全て迷宮に飲み込まれ、新たな礼拝堂が何事もなく立ち上がるだろう、迷宮の神秘に思いを馳せながら眠れない夜を過ごすのだった。
一夜明け、周囲の温度がだいぶ下がり過ごしやすくなっていた。
「うん、もう大丈夫みたいだよ」
モーギュストが短槍の石突で溶岩を叩きながら俺に言ってきた。
「それじゃ、十六階層に向けて出発するか」
礼拝堂の祭壇のあった場所の後ろにある小部屋に向かって歩き始めた。
その小部屋は大司教が討伐された時にせり出してきた部屋で、十六階層につながる階段があると思われた。
「旦那、その前にお宝をいただかなくてはいけやせんよ、これが楽しみなんでやんすから」
待ちきれないとばかりに急ぎ足で小部屋に向かうワンさんに、一同笑い声を上げる。
俺たちもワンさんを追うために歩く速度を少し早めた。
仲間たちも宝箱には大いに興味があって、歩く足取りは限りなく軽かった。
小部屋の扉をワンさんが慎重に調べ、罠のないことを確認してから開けていく。
ワンさんが先頭を務め部屋の中に入ると、中央に下に向かう階段が見え、その奥に四つの大きな宝箱が鎮座しているのが見えた。
「ずいぶんと豪華な宝箱ね、一体何が入っているのかしら」
「姉さん、それを調べるのがあっしの仕事でさぁ、楽しみに待っていてくだせぇ」
罠はずし用の極薄の手袋をはめた手首を、ぐるぐると回して解錠前の準備運動をする。
ワンさんが加入してから何回も見てきた解錠前の儀式だった。
ワンさんが宝箱の周囲を丹念に調べ始める。
いきなり宝箱に取り掛かるのは、素人の仕事だと日頃からワンさんが言っていた。
案の定トラップが仕掛けられており、踏むと酸が飛び出す仕掛けが床に隠されていた。
「旦那、姉さん方それにモーギュスト、そこから一歩も動かないでくだせぇ。これはかなりの代物でさぁ」
真剣な表情でワンさんが進言してくる時は、だいたいヤバイときなのでみんな声も出さずにその場で固まった。
宝箱の周辺にはトラップが合計で三つ仕掛けられていた。
一つは床に仕掛けられた酸を吐き出すトラップで、もう一つは天井に仕掛けられていて作動すると天井が崩落するえげつないトラップだった。
最後に見つけたトラップは、部屋の床一面に施された一種の転送魔法陣だった。
不用意に作動させると、どこかへ飛ばされてしまう仕組みになっているようだ。
ワンさんは懐からなにか小さな置物を出して部屋の隅に設置し始めた。
俺たちが聞いてもいないのに、その魔道具の説明をしてくる。
興味が無いわけではないので、ワンさんの説明に耳を傾けた。
「この魔道具は『魔力吸収像』と言うものでさぁ。得体の知れない魔力の罠のときは、この像を置いて強制的に魔力を発動できないようにするんでやんす」
解体の不可能な罠の場合、作動できなくするのが罠はずしの基本らしい。
慎重に『魔力吸収像』を置いた後、こちらを振り返り話しかけてきた。
「とりあえず宝箱以外の罠ははずしやした。旦那達はその場に座って楽にしていてくだせぇ、これから宝箱に取り掛かりやす」
動くなと言われてから小一時間、立ったまま動かなかった俺達はドッとその場に崩れ落ちた。
「もうだめ、うごけないわ」
「体の節々が悲鳴を上げています……」
「僕は鎧を固定していたから平気だったよ」
モーギュストが余裕の表情で未だに立ちながら話しかけてきた。
彼が言うには、座ることが難しい全身鎧には、直立しているためのサポート機能がついていて、楽に立っていられるとのことだ。
ふだんからモーギュストが床に座ったことを見たことのない俺は、便利な機能に納得してとても感心した。
「寝る時はどうするんだ?」
少し興味を覚えた俺はモーギュストに尋ねてみた。
「立ったまま寝ることも出来るし、万が一床に倒れても起き上がるサポート機能もあるよ」
鉄の塊だと思っていた全身鎧の驚異のテクノロジーを知って異世界の凄さを実感した。
休憩を挟んでワンさんが宝箱の解錠に取り掛かった。
宝箱を入念に調べていくワンさんを見て、俺も緊張をしてしまいなんだかお尻がムズムズしてしまった。
セルフィアは「もう見ていられない」と言って目をつむって床に寝そべってしまう、時々目を開けて宝箱を見ているので、眠っているわけではないようだ。
アニーはイシリス様に祈りを捧げている。
モーギュストはあいかわらす直立していて、兜のバイザーから宝箱を凝視していた。
ワンさんを一人だけ働かせているのは心苦しいが、当の本人は邪魔されずに仕事ができて嬉しいようだ。
この頃はこのスタイルが俺たちの中で確立していた。
俺も緊張には耐えられそうにないので、ドラムを抱っこして肉を一切れずつ与えて食べる様子を観察することにした。
ドラムは牛肉が好物なようで、小さな手を器用に使って肉の塊を持ち、美味しそうにかぶりついている。
頭や喉を優しくなでても嫌がる素振りはせず、一心不乱に食事をしていた。
食べ終わるのを見越して、次の肉の塊を巾着袋から取り出しドラムの前に差し出す。
すると嬉しそうに頭を上下してお礼をして、肉を掴んで大きな口を開けてかぶりついた。
(本当にかわいいな、ドラムを見ていると心が癒やされるよ)
ふと寝転がっているセルフィアを見ると、つむっていた目を開けてドラムを見ていた。
顔は微笑んでいて緩みきっている。
肉をセルフィアに渡すと嬉しそうに受け取ってドラムに与え始めた。
ワンさんは何やら床に文字を書き始めたようだ。
気になって少し離れたところから覗き込むと、真剣な表情で説明してくれた。
「この四つの宝箱は、全て連動していやすね。開ける順番が決まっていて間違って開けるとそこでおしまいでやんす」
「おしまいか……、具体的にはどうなるんだ」
怖いが聞かなくてはならない気がして質問をしてしまった。
「今回は爆発しやすね、それも相当威力が高い爆発でやんすよ。作動するとあっしらが跡形もなく消し飛ぶって寸法でさぁ」
嬉しそうに言うワンさんの顔を見た俺は、背筋がゾッとしてそれ以上聞かないほうがいいと判断した。
一時間後、最初の宝箱がゆっくりとワンさんの手で開かれた。
「レインの旦那ちょっとこっちに来てくだせぇ、面白いものが入っていやしたよ」
嬉しそうにワンさんが呼んでいる。
メンバー全員で恐る恐る宝箱に近付いていった。
宝箱の中を覗くと、高級そうな赤い色のベルベットに包まれた大きな魔石が入っていた。
紫色の透き通った魔石はアーモンドの形をしていて、ランプの光に照らされて神秘的に光っている。
大きさはスイカぐらいあり、その価値が途方も無いものだと言うことは一目瞭然で、この瞬間『白銀の女神』は金銭の呪縛から解き放たれたことが確定した。
「なんて綺麗なの……、あたしこんな大きな魔石見たことないわ……」
いつもは大騒ぎするセルフィアが、宝箱の罠を恐れて小声で感想を言ってきた。
アニーはうっとりと魔石を見つめ、手を胸の前で組んでいた。
(大きいな……)
俺は目をそらすことができず凝視してしまう。
もちろん魔石のことで、断じてアニーの胸のことではない。
モーギュストが、いったいいくらぐらいするかとワンさんに尋ねた。
「そうでやんすね……、まず普通の買い取り所では引き取りを拒否されるでやんすね、多分オークションにかけられるはずでさぁ」
「オークションか、確か王都で開催される催しだったよな?」
「そうでやんす、王国各地から珍しいものを集めて年に一度開催される国一番の祭典でやんす」
ワンさんの説明にセルフィアが明るい顔をして食いついてきた。
「王都に行ってみたいわ、あたしたち探索者で成功したら王都に行こうと二人で話し合っていたのよ」
セルフィアとアニーが顔を見合わせて嬉しそうにうなずきあっている。
「もちろん今はレイン様の元を離れるつもりはありませんから心配なさらないで下さい」
「ワンさん、オークションはいつ開催されるんだ?」
「確か収穫祭に合わせてやるはずでやんすから、秋の終わり頃になりやすね。しかし出品するならそろそろギルドを通してエントリーする必要があるはずでさぁ」
今は初夏なのでもう少し先の話だな、地上に戻ったらギルド長に相談してみよう。
興奮冷めやらないが宝箱は後三つ残っている、万全を期すために魔石を現状維持で宝箱の中にとどめ、後ろに下がりワンさんの邪魔にならない位置に座った。
二番目の宝箱は直ぐに判明した。
しかし鍵を開ける手段がなかなか判明せず時間だけが過ぎていった。
「旦那、今のあっしではこの宝箱は開けられやせん、最終手段で『氷結鍵破壊』を使い破壊することも出来やすが、あまりお薦めはできやせん」
罠解錠の道具の一つである『氷結鍵破壊』は、超低温の冷気を吹き付けて罠自体を凍らせて破壊する魔道具だ。
シーフの仲間内では最後の最後に使う切り札的な存在で、扱うのをためらう魔道具だった。
メンバー全員で話し合った結果、魔石だけ手に入れて十六階層に行くことが決まった。
「レインの旦那、あっしが不甲斐ないばかりに、むざむざ宝箱を諦めなくてはならなくなってしまって申しわけありやせん……」
気落ちしたワンさんが俺に頭を下げて謝ってきた。
「何いってんだよ、ワンさんが居なかったら、階段に近づくことさえ出来ずに罠にかかって死んでいたんだ。おまけにこんな大きな魔石まで手に入れることができたんだからもっと誇って良いんだよ」
「そうよ、ワンさんは最高のシーフなのよ、この中でワンさんを悪く言う人なんて誰ひとり居ないわ」
「私もそう思います、いつも危険な仕事をしてもらっているのです、謝るのは私達ですよ」
「ワンさん元気だしてよ、僕も悲しくなってしまうよ」
「あっしは幸せ者でやんす、もっと頑張って腕を磨きやす」
みんなに励まされ徐々に元気になったワンさんは、さらなる技術の向上をみんなに誓うのだった。
この先の階層は現役の探索者パーティーでは、片手で数えられるぐらいしか到達したものが居ない。
限りなく前人未到の領域に足を踏み入れた『白銀の女神』は、緊張と期待がないまぜになった感情を必死に抑えながら、十六階層への階段を一段一段慎重に下っていった。