31.異教の神
大司教は巨大なムカデに変身した。
圧倒的な力を持った魔物の弱点が見つからず、『白銀の女神』は再びピンチに陥っていた。
とうとうムカデが攻撃を仕掛けてきた。
赤黒い大顎を左右に大きく開けてシンプルに体当たりをしてきたのだ。
「モーギュスト! 盾でムカデの攻撃を防いでくれ!」
俺とワンさんはモーギュストが大顎に捕まえられて連れ去られないように警戒をする。
モーギュストが魔法鉄鋼の大盾に魔力を流し強化した。
大盾にムカデの頭がぶち当たる。
生物がぶつかった音とは思えないほどの金属音が響き渡り火花が飛び散った。
ムカデは再び壁に張り付き距離を取りながら攻撃の機会を窺い始めた。
「すごく重い攻撃だったよ! でも防げないほどじゃないね、レインさん達は攻撃に集中していいよ」
モーギュストが平気な声で俺に提案してくる。
(あの攻撃を受けて平気でいられるのか……、どこまで丈夫なんだ)
モーギュストの丈夫さに唖然としながらも、頼もしい壁役に嬉しくなってしまった。
「わかった、攻撃はまかせてくれ!」
モーギュストの背中を軽く叩いてムカデに向き直った。
「みんな聞いてくれ、あのムカデの機動力をどうにかしなければ勝ち目はない。足に集中して攻撃を加えて動きを止めるんだ」
「わかったわ、私も魔法を撃つわ」
セルフィアは俺がプレゼントした魔力を貯められるネックレスを握りしめ、魔力を回復しながら俺を見てきた。
「そのネックレスが役に立つ時が来たようだな、たよりにしているぞ」
返事の代わりに微笑みを返してきたセルフィアの体が、淡く発光して魔力が回復していくのがわかった。
「アニー、遠距離攻撃が使えるのは君とセルフィアだけだ、なにかいい魔法があったら使ってくれ」
「わかりました、やってみます!」
気合を入れて錫杖を掲げるアニー。
短い詠唱の後に錫杖をムカデに向けて突き出した。
「スロー!」
光の靄が一直線にムカデに向かって飛翔していく。
そして尻尾の方の足に当たり絡みついた。
ムカデの挙動が少し鈍くなる。
しかし後ろの方の足を引きずりながらもまだ止まることはなく徘徊していた。
「状態異常魔法の一つ『スロー』をムカデにかけました。暫くの間は若干動きを阻害できます」
「よくやったアニー、その調子だ」
「はい!」
俺に褒められて嬉しそうに笑うアニー。
戦闘中じゃなければその可愛さに見とれてしまいそうだ。
「私も負けてないわよ、ウィンドカッター!」
セルフィアが呪文を唱えると、複数の風の刃が唸りを上げてムカデの足に飛んでいった。
強化されたウィンドカッターが複数の足を切り飛ばし、真っ赤なムカデの足が宙を舞った。
足を切られバランスを失ったムカデが、もんどり打って地上に激突する。
切られた足から体液が絶え間なく流れ出て、ムカデの体力を削っていった。
「だいぶ動く速度が遅くなってきたぞ、ワンさん俺と一緒にムカデに接近戦を仕掛けるぞ」
「わかりやした! こうなったら破れかぶれでさぁ。地獄の底までお供しやす!」
腹をくくったワンさんが、俺の隣を走り抜けムカデに接近していった。
移動速度が遅くなったムカデより、今のワンさんのほうがすばやく動くことが出来る。
魔法の双短剣を振るうたびに、ムカデの足が関節の所で切り離されていって、どんどん機動力が無くなっていった。
「ワンさん! くれぐれもムカデの大顎には気をつけるんだ! けして目を離してはいけないぞ!」
ムカデの攻撃は今の所体当たりと噛みつきだけのようだ。
この二つに気をつけていれば何とか戦えそうだった。
「わかったでさぁ、なるべく移動して敵の注意をそらしやす」
瞬間移動とも言えるほどの移動力を駆使して、所狭しと駆け回るワンさんは、ムカデが捕まえられる速度ではなく、ムカデを相手に一方的にダメージを食らわしていた。
俺も負けてはいられない。
脇に構えた刀を流れるように横に振り抜き、一刀のもとにムカデの足を切り飛ばしていく。
関節を正確に狙うことによって、思いのほか簡単にムカデの足は切り飛ばすことができた。
しかし脚の本数は尋常じゃないほど生えているので、なかなか動きを止めるには至らなかった。
俺とワンさんが比較的安全にムカデを攻撃できたのは、モーギュストがムカデの攻撃を一身に受けていてくれたからだ。
俺の腰ほどの背丈しか無い彼だが、魔法鉄鋼の全身鎧を身に着け、魔法鉄鋼の大盾を装備した彼の体重は、並の大人の数倍に達していた。
普通の人間では立ち上がることさえできない状況でも、涼しい顔をして動き回るモーギュストを見ていると、ミノタウロス族一の怪力と言っていた彼の言葉も、あながち嘘ではないと思えてきた。
重いムカデの攻撃を大盾で器用に捌き、ミスリルの槍で牽制をする。
ときにはムカデの体当たりに合わせ、シールドチャージをカウンターで食らわせて大ダメージを与えていた。
礼拝堂の床は、ムカデの体液で足の踏み場もないほどに満たされていて、足が滑りやすくなっていた。
上段に構えた刀を一気に振り下ろし、ムカデの胴体の可動部分を切ろうとしたときだった。
急にムカデが向きを変え、その煽りで切り飛ばしたムカデの足が、俺の足元に転がってきた。
もろに体重をかけて踏んでしまい、見事に尻餅をついてしまう。
その状況を見逃すムカデではなく、大顎を最大に開いて俺に向かって突進してきた。
「旦那! よけてくだせぇ!」
近くで戦っているワンさんが声を上げる。
しかし既に大顎がそこまで近付いてきてダメージを受けるのは避けられそうになかった。
「ウィンドカッター!」
高速の刃が風切り音を伴って俺の頭上ギリギリを通過していく。
ウィンドカッターが三連続でムカデの大顎に突き刺さり牙の片方が切り飛ばされた。
俺は回転してその場から離れ、体勢を立て直した。
「セルフィア助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして、バックアップはまかせてね」
ウインクをしながら俺に笑いかけるセルフィアに親指を立てて合図をした。
セルフィアも親指を立てて返してくる。
一瞬だけ見つめ合って、ムカデを攻撃すべく戦線に復帰をした。
ムカデの動きは緩慢になってもうほとんど動いてはいない。
足のほとんどは切り飛ばされて辺りに散乱していた。
それでも体力が尽きないムカデは、鎌首をもたげて攻撃のすきをうかがっていた。
ムカデの頭の後ろがミシミシと音を立てて裂け始めた。
「なにか様子が変だ、モーギュストこちらに戻ってこい!」
仲間たちを呼び戻し一箇所に固まって防御陣形を取る。
アニーはここぞとばかりに俺たちにキュアをかけて傷を癒やしていった。
キュアをかけられ体力と気力も回復していく、大司教討伐まで後一歩。
みんなの顔を見渡すと気力がみなぎり自信のある顔をしていた。
(これは行けそうだな)
油断はしないが実力は俺たちが上のようだ。
ムカデが出現した時はどうなることかと思ったが案外どうにかなったな。
「セルフィア、魔力の残量はどのくらいある?」
「大技を使わなければまだ行けるわ」
「アニーは回復魔法まだ行けるか?」
「私はレイン様達が大怪我をしなかったので魔力を温存できました。まだまだ大丈夫ですよ」
二人の魔力もまだあるらしい。
これならば相当有利に戦闘が行えそうだな。
警戒していたムカデの頭の裂け目から驚くべき人物が姿を現した。
それはオオムカデに変身したはずの大司教で、腰の下は完全にムカデと癒着して境目がわからなくなっている。
身体が半分溶けかかっていて、片目は眼球が飛び出して神経でぶら下がっている状態だ。
顔が溶けてはいたが、豪華な法衣の切れ端をまとっていたので、大司教だと認識できたのだ。
その姿は『大聖堂』で散々見てきたゾンビにほかならず、異教ながら神の教えを説く崇高な僧侶の面影はもはやなかった。
「悪辣なる異教徒たちよ、この身が朽ち果てようとも、お前たちに天罰を与えることを諦めることはない。見よ! これが神の裁きだ!」
肉が腐り落ち、骨だけになった両手を天に突き上げくぐもった叫びを上げる大司教。
既にムカデの身体も腐り落ちて来ていて、俺達の攻撃した傷から腐った膿を吐き出しながら崩れていった。
大司教から光の帯が天に向かって登っていく。
その光に分解されるように光の粒子になって大司教とムカデが消滅した。
「やったか?」
「やったわ! 大司教を倒した!」
「あっしたちは生きているでやんす、奇跡でさぁ!」
「なかなか骨がある敵だったよね」
みんなが一様に驚き喜んでいる。
どこからかドラムが飛んできて俺の背中に張り付いた。
俺のことを心配していたようで頭を俺の背中にこすりつけて低い声で鳴いている。
その中でアニーだけが眉間にシワを寄せて何かを感じ取ろうとしていた。
ゴワーン ゴワーン ゴワーン ゴワーン
天空の彼方から低く恐ろしげな鐘の音が聞こえてくる。
アニーを除く全員が、キョロキョロと周囲を見て不安そうに警戒している。
突然上空を錫杖で指し示しながらアニーが叫び声を上げた。
「皆さん! 天から異教の神の裁きが間もなく放たれます! もう逃げ道はありません! 女神イシリス様にお祈りをして、その慈悲にすがるしか助かる道はありません! さあ、みんなで祈りましょう!」
冗談を言っている雰囲気ではない。
俺たちはアニーの足元にすり寄ると、一斉に膝を付き一心に祈り始めた。
アニーの祈りの声が頭の上から聞こえてくる。
「イシリス様! お願いします! 私達に慈悲をお与え下さい!」
アニーの絶叫が破壊し尽くされた礼拝堂に響き渡る。
鐘の音がピタリと鳴り止んだ。
次の瞬間、天から凄まじい光の帯が降りてきて俺たちに直撃した。
大爆発が俺たちを中心として巻き起こる。
地面が地響きを上げて揺れ始め、おもわず目を開けてしまった。
俺の目に映った光景は想像を絶するものだった。
アニーを中心にして半径三メートルの範囲外が、灼熱の溶岩のように煮えたぎっていて、大理石の床は広範囲に溶解していた。
光の帯は未だに降り注いでいて、俺たちを消滅させようとしていた。
天井の崩落が始まる。
爆発によって崩壊した礼拝堂の天井部分が、音を立てて落下してきた。
重さが何トンもある石材がバリアにぶつかり鈍い音をたてている。
周りの仲間も驚愕して目を見開いて周囲を見渡している。
落下してきた石材は、光の帯によって瞬時に溶かされ溶岩に代わっていく。
その凄まじい熱量に戦慄を覚えざるを得なかった。
アニーだけは苦悶の表情をしていて、両腕を高く掲げ錫杖をささえていた。
今にも倒れそうなアニーを中心に、透明な半球状のバリアが光の帯の攻撃を受け止めていることが見受けられた。
「みんな、アニーを支えるんだ! もうイシリス様にすがるしか助かる方法はない!」
倒れそうなアニーを『白銀の女神』のメンバー全員で支える。
俺達から力を貰ったかのようにアニーが体勢を立て直し、力強く錫杖を掲げ直した。
その後もしばらく光の帯は降り注ぎ続けたが、永遠に終わらないわけでは無いようで少しずつ収束していった。
光の帯は完全に止まり、辺りに静寂が戻ってくる。
大理石の床がまだ溶けているので、今バリアが消えたら熱で焼け死んでしまうだろう。
心配をよそにバリアは消えることがなく、いつまでも光り輝いていた。
「イシリス様、ありがとうございます。あなた様のおかげで私達はまた救われました」
疲れ切って膝をついたアニーが、イシリス様に感謝の祈りを捧げている。
その間も錫杖だけは手放さず天に向けて掲げている。
錫杖の飾りの部分は暖かで慈愛に満ちた光りで輝いていた。
俺たちもイシリス様に祈りを捧げる。
その祈りは数分、数十分と続き、誰一人としてやめる者はいなかった。
こうして十五階層の戦いは俺たち『白銀の女神』の勝利で幕を閉じた。
しかし完全勝利には程遠い内容で、イシリス様の慈悲がなければ到底生きていることはできなかった。