30.焦り
モーギュストの機転で絶体絶命のピンチを乗り切った『白銀の女神』は、態勢を立て直すことに成功して反撃の機会をうかがっていた。
「みんな戦いながら聞いてくれ、さっきの攻撃の正体はファントムたちの仕業の可能性が高い、文献にこんな記述があったのを思い出した。『見えざる軍勢の祈りの前に探索者達は膝をついて頭を垂れた』この記述がさっきの攻撃と完全に一致する」
ファントムたちが再び呪文を詠唱しないように間引きをしながらメンバー達に語りかける。
「他の文献にはこういう記述もある、『大司教の呼びかけに光が降り注ぎ、不埒な輩に天罰を下した』、『大司教の怒りは大いにうねり、礼拝堂を駆け巡った』、ファントムの攻撃が文献と一致する以上、この二つの記述もなんらかの攻撃だと思ったほうがいいと思う。十分に注意をしてくれ」
「不吉な予言みたいで気味が悪いわ」
小さなファイアーボールを連続で発射しながらセルフィアが不安そうにつぶやく。
「敵が仕掛けて来る前にこちらから打って出てやっつけてしまいやしょう」
「僕はいつでも行けるよ、突撃する時は声をかけてね」
「邪教に天罰を加えなくてはいけませんね」
他のメンバーはやる気満々だ。
このままではジリ貧だしそろそろ仕掛けてもいい頃合いだな。
俺はみんなに聞こえるように大声で指示を出した。
「いつまでもファントムを相手にしていてもしかたがないから、大司教に直接攻撃をする。モーギュストを先頭にして密集隊形で前進するぞ」
「「「「了解」」」」
俺の号令を合図に五人ひとかたまりになってファントムの群れに突入する。
ファントム自体の攻撃力は今の俺達には通用しないので、簡単に大司教が陣取っている祭壇前まで来ることができた。
祭壇前には魔法障壁が展開されていて、陽炎のようにゆらゆらと空間が歪んで見えた。
魔法障壁が可視化するなんて相当な防御力がある証拠だ。
生半可な攻撃では突破することはできないだろう。
「異教徒の分際で神聖な祭壇に近づくなど神をも恐れぬ悪行ですね。神に代わって私が天罰を与えてあげましょう」
爛々(らんらん)と光る赤い目を怒りに燃やしながら、大司教がさらなる魔法陣を展開し始めた。
「モーギュスト! シールドチャージを魔法障壁に向かってぶちかましてやれ!」
「オッケー! くらえ! シールドチャージ!」
盾が一瞬光り、ファントムもろとも魔法衝撃を破壊するためにモーギュストは突撃をした。
ガギィィィィン
鈍い衝突音がして大司教の魔法障壁が激しく輝く。
モーギュストは弾き飛ばされたが全くダメージは受けておらず、ファントム達が爆散して魔法障壁に亀裂が入った。
「よし! 魔法障壁に亀裂が生じたぞ。セルフィア、威力を最大にしてファイアーボールをあの亀裂に打ち込むんだ!」
「まかせなさい! 炎の精霊たちよ、我に応えよ、灼熱の宝玉、全てを貫く刃……、ファイアーアロー!」
魔力を練りに練ったファイアーボールが人の頭ほどの大きさに膨らみ、次の瞬間パチンコ玉ぐらいまで収縮した。
収縮してできた火球は、真っ白く輝いていて内部は尋常じゃない温度になっていそうだ。
完全な球体だったファイアーボールが長細く変形していく。
それはまるで矢のような形状で、よく見ると高速で回転をしていた。
音速の壁を超える時に起こるソニックブームを伴って、魔法障壁の亀裂へ一直線に飛んでいく。
爆発の威力はファイアーアローの前方に全て集約し、一気に魔法障壁を破壊した。
一瞬爆発の輝きで視界が真っ白く染まる。
視界が回復した後には無残に膝をつく大司教の姿があった。
「やったわ! 大司教にダメージを入れたわ!」
会心の呪文を放ったセルフィアが、額に玉のような汗をかきながら肩で大きく息をした。
相当量の魔力消費をしたらしく、おそらくもう大技は使えないだろう。
しかし大司教にダメージを与えたので、この攻撃は成功だと言えた。
モーギュストとセルフィアが攻撃している間も、ファントム達が絶え間なく襲ってきたが、俺とワンさんで全て排除した。
特にワンさんは魔法の盗賊のブーツの影響で素早さが尋常じゃなくなっていて、ファントムの群れの中を攻撃しながら縦横無尽に走り抜けていた。
ファントム達もただ立っているわけではなく、ワンさんを捕まえようと手を振り回したが一切触ることができなかった。
ワンさんが通った後には、断末魔の悲鳴を残し無残に消えていくファントム達がいるだけで、ファントムたちに反撃するすべは残されていなかった。
「俺がとどめを刺す!」
大きな声で気合を入れて刀の切っ先を大司教に向ける。
腰を低く落とし刀に全神経を集中させた。
脇を締め両手できっちりと刀の柄を握りしめ、大司教の心臓めがけて刀を突き出した。
『刺突』
爆発的なスピードで俺は大司教に迫る。
風切り音を伴った刃が大司教の体の中央に深々と突き刺さり奴は絶叫を上げた。
すばやく刀を引き抜き、一足飛びに後ろに下がる。
サラマンダー戦の失態は二度と起こさない。
慎重に周囲を警戒して一切のスキを作ることがなかった。
手応えは十二分にあった。
大司教に大ダメージを入れた感触はある。
しかし大司教の足元には未だに大きな魔法陣が展開されていて、赤く不気味に輝きを発し続けていた。
「なかなかの攻撃でしたよ異教徒たち……、しかし私の魂はとうの昔にこの世にはない。私を滅ぼすことは不可能なのです」
先程まで俺たちの攻撃で虫の息だった大司教が、何事もなかったかのように立ち上がった。
足元の魔法陣がまばゆい光を放ち大司教を包んでいく。
魔法陣は祭壇の周りに残っていたファントムたちを残らず吸収して最大の輝きに達した。
背中に悪寒が走った俺は仲間たちに後退の命令を出した。
「全員壁際まで全力で下がれ! 嫌な予感がする早く行くんだ!」
俺はその場に留まって足の遅い仲間たちが安全に逃げる為に殿を務めた。
突然大司教を包んでいた魔法陣から光の柱が立ち登る。
その光は天井の天使の絵画を破壊し、更に上空へと登っていった。
(何が起こっているんだ、こんな事は図書館の文献には書かれていなかったぞ)
仲間たちの撤退が完了したのを見計らってすばやく壁際まで後退する。
その間も光の柱は消えずに天空まで立ち登っていた。
やがて光が収束をし始めて大司教が姿を現し始めた。
姿を現した大司教は既に人間の姿をしておらず、体の大きさも何倍にもなっていた。
俺たちの前に立ちふさがったのは、全長がどのくらいあるかわからないほどの巨大なムカデだった。
祭壇を囲ってとぐろを巻いている巨大なムカデ。
体幹は大人が二人がかりでやっと抱えられるくらいに太く、黒々と光る鎧のような甲羅は、並大抵の攻撃では傷一つ付けられそうにない。
足が無数に生えていて危険色である鮮やかな赤色で染まっていた。
驚くべきことにムカデの足は一本ずつが大人の男性の足ぐらいの太さがあり、その足が規則正しく波打っている。
触覚はムチのようにしなり、鋭い牙がこちらを威嚇するように左右に開閉していた。
ムカデはすぐには襲ってこなかった。
変身直後は動きが鈍くなるなど、なにか問題があるのだろう。
こちらとしてもそのほうが都合がいいので、下手に刺激せずに相手の出方を慎重に見ることにした。
「みんな、あれはムカデの化物だ、毒を持っているかもしれないから噛みつかれないように気をつけろ」
大司教関連の文献にはムカデのことなど一切書いてなかった。
ボスを撃破した先達が、故意に隠していたとしか思えない。
どういう意図で隠したかは不明だが、あまり褒められたことではないだろう。
しかたがないので日本に住んでいたときの拙い知識で仲間たちに指示を出した。
大司教が化けた巨大ムカデと、日本にいるムカデが同じ攻撃をしてくるかわからないが、何も言わないよりはいいと判断した。
「どうしたんだみんな、ただ立って眺めていたって勝つことはできないぞ! みんなで力を合わせれば必ず勝てる、諦めたらそこで終わりだぞ!」
あまりのグロテスクさに言葉も出ず、棒立ちしているメンバー達を、叱咤激励して現実に引き戻した。
「レイン! あんな化物に勝てないわ」
「すいませんっ、気分が悪くなってきましたっ」
「旦那! 今回ばかりはもうだめでさぁ、あんなのに勝つ事なんて出来やせん」
ワンさんはしっぽを股の間に入れてブルブルと震えている。
そんな中モーギュストだけが平気な感じで話しかけてきた。
「あんな虫の牙なんて僕の鎧を貫くことなんて出来ないよ、僕が囮になるからみんなで攻撃してね」
そう言うと一人でズンズンと中央に歩いていってしまう。
「みんな、モーギュストの行動は無謀だが、あのムカデを倒さないことには帰れないんだ。モーギュスト一人に戦わせていいのか!? 覚悟が決まった奴は俺の後からこい!」
そう言うとモーギュストを追って俺も中央に走っていく。
俺の背中にはドラムがピッタリと張り付いていて、それだけでも心強かった。
大して進まない内に後ろから足音が複数近付いてきた。
振り返ると三人が泣きそうな顔をして走ってきている。
「置いてかないでよ! レインのそばが一番安心するのよ!」
「私もレイン様のそばに居たいです、待って下さい!」
「旦那~、あっしが悪かったでやんす。もう弱音を吐きやせん、最後までおともしやす!」
覚悟と言うには程遠いが、やる気になってくれればそれでいい。
俺達は再び五人と一匹でひとかたまりになって、ムカデと戦う態勢を整えた。
ムカデの足が徐々に大きく波打ち始める。
それに伴ってムカデの身体がゆっくりと祭壇から離れていった。
壁沿いに移動したムカデが着実に速度を上げて動き始めた。
そして俺達の周囲をぐるっと取り囲む形で回り始めた。
礼拝堂は少し大きめな体育館位ある大きな施設だ。
その周囲をぐるっと囲って回り始めるムカデの身体の長さは、間違いなく三、四十メートルあるだろう。
ムカデ攻略の糸口さえつかめずに、ただ礼拝堂の中央に一塊になってムカデの攻撃を警戒していた。
始めは地面をただ円を描いて回っていたムカデが、徐々に周囲の壁や天井を這い回り始めた。
明らかに活発化していて、すぐに攻撃してきてもおかしくない状況だ。
いつ襲ってくるかわからないムカデに、どういう風に対処していいかわからなくなってしまい焦りを感じていた。
『大司教の怒りは大いにうねり、礼拝堂を駆け巡った』
文献に書かれていた事は間違いなかったようだ。
攻撃を仕掛けてくるのも時間の問題だ。
なんでもいい、ムカデの弱点はなにかなかっただろうか、俺は日本にいたときの記憶を必死に思い出していた。