3.過保護な女神
無事探索者になった俺は、斡旋所で門前払いを食らい逃げるようにギルドを後にした。
ギルドから逃げ出してからの記憶は曖昧であまり覚えていない、宿屋のベッドの上で頭を抱えて気絶するように寝てしまったようだ。
頭が冴えてくるにしたがって昨日の事が蘇ってくる。
現代日本の生ぬるい生活環境に生きていた俺は、この異世界で命のやり取りをする探索者なんか出来るわけなかったのだ。
探索者達の笑い声がまだ耳に残っている。
俺は心のどこかに自分でも気づけないほどの小さな自信があった。
神様に会って、力をもらい、優遇されて、この世界に来た。
物語の主人公のように敵を簡単に倒し強くなっていく、そう疑わなかったのだ。
あの慢心したままの心で迷宮に降りていたら、間違いなく魔物に殺されていただろう。
現実を直視したら震えが止まらなくなってしまった。
パーティーを組めなくてよかったんだ、これからはもっと慎重に行動しよう、俺は固く心に誓った。
一階に降りて宿屋のおじさんに昨日のことを謝る。
いきなり帰ってきてわけも言わず部屋を要求する、鍵をふんだくるようにして部屋に逃げ込んでしまったのだ。
宿屋のおじさんは快く俺の謝罪を受け入れ、食事を出すから食堂に行って待っていてくれと優しく言ってくれた。
人のぬくもりに触れ感動し、目頭が熱くなった。
食事を終えて部屋に戻り、今後のことをじっくりと考えた。
ギルドのおじいさんが言ったように、武器や防具を装備しないと探索者じゃないな、まず武器防具を揃えよう。
それに俺は迷宮のことを何一つ知らない、魔物や罠の種類、探索に必要な道具など知らないことだらけだ。
図書館みたいなところを探して勉強しなければいけないな。
そしてこの街をもっと歩き回って早く慣れなくてはいけない。
全て自分でやらなくてはならないこの世界は、一筋縄ではいかないことが改めてよくわかった。
一階に降りて宿屋のおじさんに武器防具、道具の店、それと本が閲覧できる場所を聞き宿を出た。
店関係はギルドの周りに集中して立ち並んでいることがわかり、意外と便利が良い街の作りに感心した。
そして今更ながら宿屋の名前が『雄鶏の嘴亭』という事がわかった。
ネーミングセンス無いな。
武器屋に入り主人のすすめで剣とナイフを購入した。
初心者とバカにせずに丁寧な接客態度に感動を覚え、また来ることを心に誓った。
武器屋の隣に防具屋があり、武器屋の主人の弟さんが経営していた。
やはり丁寧な接客で、革装備一式を見繕ってくれて、たちまち探索者らしくなった。
さらに防具屋の隣には道具屋があって、武器屋と防具屋の主人たちのお嫁さん二人が切り盛りしていた。
迷宮探索のための色々な道具を一式取り揃えてくれて、浅い階層の情報なども教えてくれた。
道具屋で一番驚いたのは懐中時計が売っていたことだ。
日本の腕時計よりは大きいが革袋などに入れて持ち運べそうだ、探索者には必須のアイテムらしくぜひ買って行けと道具屋のおかみさんたちに勧められた。
三店舗とも主人達はいい人揃いだった。
しかしあえて言いたいが、何故一店舗にまとめて営業しないんだ? あまりにも非効率なんじゃないか?
そんな事を思っていても口には出さない、すっかり探索者らしくなった俺は、四人の店の主人達に見送られて、次の目的地に向かうのだった。
「図書館を利用したいのですが」
街の一角を占める大きな建物に向かい、受付で図書館員と思われるお兄さんに声をかける。
「銀貨一枚いただきます」
高価な入館料を徴収されたが、大人しく払って中に入れてもらう。
中は意外と明るく、革張りで値段が高そうなぶ厚い本が所狭しと本棚に収まっていた。
どこに迷宮関連の本があるのかとキョロキョロしていたら、メガネをかけた文学少女が声をかけてきた。
「よろしければお探しの本をお持ちいたしましょうか?」
いきなり声をかけられて、ビックリしてしまい返事が遅れてしまう。
「申し遅れました、私は『迷宮都市図書館』の司書をしていますメアリー・アイスと申します。図書館内の蔵書なら全てご案内が出来ますよ」
「はじめまして探索者のレイン・アメツチです、是非お願いします。迷宮の魔物の図鑑や探索の仕方、迷宮の歴史やこの街の地図など、迷宮と迷宮都市ミドルグの事を知りたいんです」
「随分とたくさんの本をお探しでしたのね。そちらにおかけになってお待ち下さい、今何冊か持ってまいります」
「いや悪いですよ、荷物持ちぐらいは出来ますから一緒に行かせて下さい」
「ふふふ、珍しい探索者さんね、では参りましょう」
メアリーさんに本を探してもらい、思ったよりも効率的に情報を仕入れる事ができた。
閉館を告げる鐘が静かな図書館内に響き渡る。
いつの間にか図書館利用者の最後の一人になってしまったようだ。
館内を行ったり来たりして本を元の場所に片付ける。
最後の一冊を本棚に差し込んで急いで館内から出ようとした。
「そんなに慌てなくても構いませんよ、ゆっくりお帰り下さい」
優しく微笑みながらメアリーさんが話しかけてきた。
「こうした所は慣れてなくて、閉館時間まで居座ってしまいすみません」
「いえいえ謝らなくて結構ですよ、熱心に本を書き写されていたのを感心して拝見していました」
「探索者は情報が大切だと思って必死になってしまったんですよ、恥ずかしいですね」
「恥ずかしいことではありませんよ、本当に熱心に書き写していましたね、よろしければ拝見させていただけませんか?」
「俺はいいですけど図書館が閉まってしまうんじゃ……」
「大丈夫ですよ、この図書館の館長は私ですから」
幼い容姿をしているからてっきり職員だと思っていたら館長さんでした。
驚きを顔に出さないように気をつけながら、書き写した紙をメアリーさんにそっと差し出した。
明かりが落とされた館内は、メアリーさんと俺が座っている一角だけがランプの光でほのかに明るくなっていた。
そこはまるで闇夜の大海原に浮かぶ小さくて静かな孤島のようで、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
椅子に座ってくつろいでいた俺は、幻想の世界に迷い込んでしまった錯覚におちいっていた。
メアリーさんはしばらく無言で俺の書いた資料を読み進んでいった。
資料のページをめくるたびに聞こえる擦れた音だけがここが図書館だということを思い出させた。
すべてを読み終えたメアリーさんは、俺をまっすぐに見据えて質問してきた。
「あなたは若い方でいらっしゃるのにとても博識なのですね。所々にある記号のような言語は何が書いてあるか存じ上げませんが、とても興味深いです」
本心から言っているのは目を見ればわかる、俺の日本での学力はこちらでも通用するようだな。
しかし一つ気になることを言われたな、今年で三十四歳になるおじさんを捕まえて若いだなんてお世辞でも嫌味になるな。
「博識なんて滅相もない、それに俺はそんなに若くありませんよ」
自嘲気味に返答した。
「あら、本当のことですのよ、あなたのお顔はまだ幼さが残るようにも見えましてよ」
高校生ぐらいの見た目の女の子に幼いと言われて、ちょっとムッとして顔に出してしまった。
すると少し困った顔をして懐から手鏡を出して俺にかざして見せた。
更にバカにされたと思い何か言い返そうとしたが、出てきた言葉は言おうと思った言葉とは程遠かった。
「へ? な、な、な、なんじゃこりゃ~」
大きな声を出してしまい、メアリーさんがビックリした顔で俺を見た。
俺は両手で頬を挟み込み、悶てしまった。
確かになにかおかしかったんだよ、体が軽くて疲れがすぐ取れる、神様にもらったスキルの影響だと思っていたんだ。
しかしメアリーさんに手鏡を突きつけられ顔を見た瞬間、全てが理解できた。
俺の顔が高校生の頃の顔になっている。
女神様は俺の身体を十五、六歳に戻してくれたようだ。
この世界に来て鏡を一度も見ていなかったから気づかなかった。
俺は年の割に幼いと子供の頃から言われていた。
メアリーさんが言うのも無理はないな。
冴えない中年のオッサンをピチピチの若者にしてくれた女神様は、ちょっと過保護すぎるのではないか?
今度なにかお供えでもしようかな。
メアリーさんに騒がしくしてしまったことを謝って図書館を後にした。
俺の書いた資料の読めない文字を、今度教えてくれと言ってきたので、快く引き受けた。
あれは日本語だから難しいぞ、頭が良さそうだがどうなるか見ものだ。
図書館を出るとすっかり辺りが暗くなって、道が見えなくなっていた。
図書館の前で停泊していた辻馬車にギルド前まで送ってもらい、宿屋に帰りその日は終わった。
図書館で若返りの事実を知ったその日から、数日間図書館に通って知識を蓄えた。
迷宮と迷宮都市のことはもちろんのこと、この国の歴史、果ては隣国の情勢などありとあらゆる情報を、開館から閉館まで収集し続け、メアリーさんも舌を巻くほどだった。
学生の頃から知識を蓄えることが無上の喜びだった俺は、若い脳みそを授かりフルパワーの記憶力で図書館にある情報を吸収していった。
その一方でメアリーさんに日本語を教える事も並行して行い、頭脳明晰なメアリーさんは、図書館を後にする日までにひらがなとカタカナ、簡単な漢字まで覚えて、俺が日本語練習用に書いた桃太郎の話を読めるまでになっていた。
(さすがは異世界のエリートだな)
数日でこれほどの日本語をイチから覚えられる人なんているのだろうか。
メアリーさんは図書館の奥から何故か日本語の本を引っ張り出してきて解読すると息巻いていた。
チラッと見せてもらったけれど、あれは古語で書かれた文章だな、多分今の知識では解読なんて出来ないだろう、余計なことを言うと古語を教えてくれと言ってきそうだから、黙って退散することにした。
俺は『迷宮都市ミドルグ』にある『ミドルグ迷宮』前の広場に立っていた。
今日から嫌われ者の『単独迷宮探索者』として迷宮デビューをする。
未だ迷宮の最深部は何層目なのかは誰もわからない。
『低層階』は探索者で溢れているが、『中層階』からは魔物が強く探索が進んでいないのが現状だった。
本来なら六人フルパーティーで挑むのがいちばん効率的で安全な探索方法だが、なかには変則的なパーティーを組んで挑む物好きも一定数いて、正解は探索者の数だけあると言われていた。
しかしそんな探索者でも口を揃えて言うことがあった。
『単独迷宮探索者』はだめ、アイツラは屑だ。
『単独迷宮探索者』とは、どこのパーティーにも所属できず単独探索をし、一番簡単な低層でさえ苦戦して、雑魚魔物を漁る半端者の蔑称である。
広場には探索者が大勢集まっていた。
そして若い探索者を中心に、一人迷宮に向かう俺を蔑み嘲る雰囲気が漂っていた。
露骨には表さないが、俺をバカにしているのは確実で、心が折れそうになる。
しかし今日まで図書館で情報を収集してきた自信が、かろうじてこの場から逃げ出さない勇気を与えてくれていた。
俺が迷宮に降りる番になる、迷宮衛兵の役人が俺を見て一言言う。
「死なないように」
「わかりました」
もっと辛辣なことを言ってくるかと身構えていたが、意外とまともな声かけだった。
蔑んでいるのは探索者の中だけの話で、役人はそうでもないのかな。
腰につけたランプに明かりを灯す、盾を左腕に装備して一度深呼吸した。
落ち着いていけば一階層ならなんとかなるはずだ。
不安を背に慎重に暗い階段を一歩ずつ踏みしめながら降りて行った。