29.屈強な戦士、モーギュスト・ミニタウロス
十五階層のボス部屋に侵入した『白銀の女神』は、ボス部屋内の異常な光景に言葉を失っていた。
「落ち着いて敵の様子を見るんだ、下手に動かないほうがいい」
俺は霧が晴れたらボスが大軍団を率いて現れ、すぐに襲ってくると思っていた。
しかし目の前に広がる光景はある意味想像を超えていて、混乱した頭を働かせるのに苦労していた。
霧が晴れ前方の視界が確保されて来ると礼拝堂の中の様子がわかってきた。
そこには長椅子に座って一心に祭壇を見ている老若男女と、祭壇の前に立ち信者に向かって説教をしている僧侶の姿があった。
声が小さくてよく聞こえない、しかし信者たちは熱心に僧侶の言葉に耳を傾けているようだった。
「なんて言ってるのかしら、小さくてよく聞き取れないわ」
霧に怯えて右横に張り付いていたセルフィアが、俺に囁きかけてきた。
「アニー、あの僧侶が何を言っているかわかるか?」
同じ僧侶なら話の内容が断片的にでもわかるかもしれないと思い、そっとアニーに聞いてみる。
「良く聞き取りにくいですが、女神教の教えを説いているのではないような気がします」
アニーはあまり自信が無いようで曖昧な返事を返してきた。
「旦那、あっしはよく聞こえやすよ、あの僧侶は『唯一神ザーティン』の降臨とか何とか言ってやす」
「ザーティンですか!? その名前なら女神教の経典にでてくる悪魔の名前です! あの司教は一体何者なのでしょうか」
「アニー、もう少し詳しくは説明してくれないか?」
「わかりました、冥王ザーティンは最古の神々の一柱と言われております。闇と冥界を司る神で無慈悲な性格で恐れられていたようです。女神イシリス様などの温和な神々と対立し、争いに敗れ去った後は冥界に封印されたと経典には書いてあります」
「なるほど、それじゃここは邪教の教会というわけだな。それからあの僧侶のことを司教と言ったね。どうして分かるんだ?」
「私達女神教のものとは少し異なりますが、あれだけの豪華な法衣を着ているのは司教以上でしかありえないです」
確かに注意して僧侶の衣装を見るとその衣装は豪華絢爛で、並の聖職者では着ることができそうにない。
「するとあの僧侶が大司教で間違いなさそうだな、みんな油断するなよ」
静かな空間で俺たちの囁き声は目立ったようで、俺たちの存在を大司教が認識してこちらに視線を向けてくる。
「今日は珍しい人達が来ているようですね、そのような部屋の隅に固まっていないでこちらに来なさい」
大司教が静かにこちらに語りかけてきた。
その声は穏やかで敵意など全く感じられず逆に耳に心地よかった。
まさか魔物に話しかけられるとは思っても見なかった俺達は、その衝撃でその場に釘付けになってしまった。
しばらく黙ったまま警戒をしていたが、このままでは埒が明かない。
相手に意思があるのに先制攻撃をしてしまうのも違う気がして、意を決して大司教に話しかけてみた。
「俺達は『迷宮都市ミドルグ』の探索者『白銀の女神』だ、迷宮のボスである大司教を討伐に来た。お前が大司教で間違いないか」
勇気を鼓舞するように大きな声で誰何する。
静寂に包まれた礼拝堂に俺の声が木霊した。
「なるほど、唯一神ザーティン様の眠りを妨げるために、またも異教徒がこの迷宮に侵入してきたのですね。自分達がどれだけの愚かな行為をしているのか分かっているのですか?」
「お前が何を言っているのか俺たちにはわからないしわかるつもりもない。大人しく俺たちに討伐されて冥界に戻れ悪魔崇拝者、大司教モルドバーン!」
俺が大司教の名前を叫ぶと礼拝堂の雰囲気が突如として変化した。
今まで穏やかな光が差し込みステンドグラスを照らしていたが、一転して血のような赤い光に変わる。
ステンドグラスは粉々に砕け散り床に散乱した。
遮るものが無くなった窓枠の向こうには虚空が広がり、黒い渦がぐるぐると回っているのが見えた。
信者たちが立ち上がりゆっくりとこちらを振り返る。
先程までは普通に見えた信者たちの衣服が、ボロボロの布切れに変わり床に落ちていく。
顔の肉がズルっと滑り落ち、むき出しの眼球が俺たちを睨む、数百人の信者たちは一瞬にしてゾンビやスケルトン、そしてレイスに成り果てた。
礼拝堂の床からファントム達がゆっくりとせり上がってくる。
瞳は爛々と輝き、生者の血潮を求めて地の底から聞こえるようなうめき声を上げていた。
「ドラム! 一発でかいのをお見舞いしてやれ! 手加減無用だぞ!」
「ガルゥ~!」
俺の頭にしがみついていたドラムに攻撃の許可を与える。
目一杯空気を吸い込んだドラムが、天井付近まで浮かび上がり特大のドラゴンブレスを大司教たちに向かって吐いた。
地響きを伴った紅蓮の炎が数百体の魔物を飲み込み、一瞬にして礼拝堂の中が炎に包まれた。
(やったか?)
ドラゴンブレスを受けて立っていられる魔物はそう居ないだろう。
余裕を持って炎が収まるのを待った。
「いつ見ても凄い威力ね、ドラムは凄いわ!」
一仕事終えて天井から降りてきたドラムを抱っこしたセルフィアが、ドラムの頭を撫ぜながら満面の笑みを浮かべている。
「ガウ~」
気持ちよさそうに目を細くしたドラムは力を使い切って眠そうにしていた。
炎が収まり視界が開けてくると礼拝堂内の様子が少しずつ分かってきた。
先ずゾンビやスケルトン達は大半をドラゴンブレスによって焼却処分され、塵一つ残らず消滅してしまった。
しかし一部がブレスから逃れ礼拝堂の隅に固まっている。
ファントム達やレイス達は、物理攻撃のブレスに全くダメージを受けておらず、大司教の前に壁を作りこちらを睨んでいた。
肝心の大司教は魔法障壁を展開して、ドラムのブレスを回避したようだ。
ファントム達はみな豪華な法衣を着ていて高位の聖職者であることが窺える。
そのファントム達が一斉に祈りの言葉をつぶやきだした。
「敵の半数は倒すことができたが油断は禁物だ、ファントム達がなにかしかけてくるぞ。セルフィアとアニーはファントムに攻撃呪文を放て、モーギュストは引き続き正面の防御、ワンさんは左からくるゾンビ達を近づけさせるな、俺は右を防衛する」
「「「「了解!」」」」
セルフィアがドラムを足の下に置いて杖を掲げ、特大のファイアーボールを放つために詠唱に入った。
その横では錫杖を握り気を集中させているアニーが、聖属性の魔力を練り込んだ気弾を打つ準備をしている。
ゾンビ達がゆっくりとこちらに近づいてきている。
「セルフィア、アニー、各自任意に攻撃を開始しろ! 俺はゾンビ達を迎撃する!」
指示を飛ばした後、右から迫ってくるゾンビを一刀のもとに切り伏せる。
返す刀でスケルトンの剣を弾き返し、前蹴りを食らわせて床に蹴り倒した。
ゾンビ達の数はそれほどでもない。
左に展開しているワンさんも余裕を持って対処している。
正面を守っているモーギュストなどは、盾と槍で敵を一切寄せ付けず鉄壁の守りを行っていた。
「ファイアーボール!」
「ホーリーショット!」
二人の息の合った攻撃がファントムたちに着弾した。
セルフィアのファイアーボールが派手な爆発音を響かせながらファントムたちを吹き飛ばしていく。
少し遅れてアニーの放った気弾が、セルフィアの崩したファントムたちの壁をすり抜け大司教に直接届いた。
大司教の魔法障壁とアニーの気弾が激しくぶつかり青白い光を周囲に拡散させた。
大司教の周りに居たファントム達が、アニーの気弾の影響で断末魔の悲鳴を残し消滅していく。
しかし依然として大司教は余裕の表情でこちらを睨みつけていた。
「右側の魔物は片付けたぞ! ワンさん、そっちの魔物はどんな状況だ!?」
「旦那! こっちも粗方片付きやした、いつでもいけやす!」
「よし! モーギュスト、ゆっくりと前進して直接ファントムたちを倒すぞ!」
「まかせて! 前進するよ!」
ゆっくりとした歩調でモーギュストが前に進みだした。
ドラムを俺の背中に張り付かせ、仲間とともに少しずつ大司教たちと距離を詰めていく。
セルフィアとアニーが連続で呪文を放ち敵の数を順調に減らしていった。
時折襲ってくるゾンビやスケルトンは、ワンさんが素早い機動力を生かして一撃で葬りパーティーに近づけさせなかった。
もう少しでファントムたちを攻撃の間合いにとらえようとした時に、ファントムたちの詠唱が完成して、大理石の床に大きな魔法陣が浮き上がってきた。
「ファントムたちの詠唱が終わってしまったぞ! 全員警戒しろ!」
警戒を促す命令をした直後、全身が何かに押しつぶされるように重くなった。
「なんなのこれ! 立っていられないわ!」
「身体が重くて立っていられません」
セルフィアとアニーが同時に床に這いつくばり苦しそうに顔を歪めた。
「旦那! あっしも少しきついでさぁ、立っているだけで精一杯で動き回ることができそうにありやせん」
今にも膝を床に付きそうになりながら足を震わせている。
俺の脳裏に文献の記述が蘇ってきた。
『見えざる軍勢の祈りの前に探索者達は膝をついて頭を垂れた』
これが文献に書いてあった記述の正体か、見えざる軍勢とはファントムのことだったようだ。
俺も刀を床に挿してかろうじて膝立ちをしている状況だ。
今ゾンビ達に襲われでもしたらひとたまりもないだろう。
「セルフィア! ファントムたちの数を減らすんだ! この呪文はファントムたちを倒せば消えるかもしれない!」
「わかったわ! やってみる!」
連続でファイアーボールをファントムたちに打ち込み数を減らしていくが、次から次へとファントム達が床から現れて減った数を補完していってしまう。
「だめだわ! 呪文が敵の沸く数に追いつかない!」
悲鳴にも似た声でセルフィアが報告を入れてくる。
俺は状況を打開することができずただ耐えるのみだった。
「僕に任せて! ヘイト! シールドチャージ!」
万事休すかと思ったとき、モーギュストが雄叫びを上げてファントムたちの群れに飛び込んでいった。
驚くことにこの超重力下でモーギュストは普通に体を動かしている。
ミノタウロス族の驚異的な力に驚きを隠せなかった。
「モーギュスト! 無茶をするな!」
俺の叫びも虚しくファントムたちに取り込まれモーギュストが見えなくなってしまった。
次の瞬間、ファントムの群れがすごい勢いで全方位に向かって吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた空間ではモーギュストが盾を振り回しファントムたちを殲滅していくのが見えた。
その殲滅速度は凄まじいの一言で、みるみるうちにファントムたちの数が減っていった。
床の魔法陣が淡く点滅し始めた。
とぎれとぎれになった魔法陣はファントムの数が半分以下になった時点で消えて無くなった。
身体が急に軽くなり、魔法の影響が消え普通に動けるようになった。
「みんな! 動けるやつはモーギュストを援護しろ! ワンさん、セルフィアたちを守ってくれ、俺は今からモーギュストに加勢しに行く!」
「わかりやした! まかせといてくだせぇ!」
ワンさんにうなずき返し、勢いを込めてファントムたちの中に飛び込んでいった。
断続的に聞こえるセルフィアたちの遠距離攻撃の音の中を、モーギュストを探してファントムたちを切り伏せていく。
「モーギュスト! 返事をしろ! 加勢に来たぞ!」
ファントムが襲ってくるが一匹ずつでは弱い魔物なので簡単に切り伏せていく。
モーギュストもやられているとは思えず早く合流して態勢を立て直したかった。
「レインさん! こっちだよ! 今からそっちに行くから攻撃しないでね!」
余裕のある声が前方から聞こえ、程なくしてモーギュストが姿を現した。
「無事だったか! 心配させやがって、でも助かったありがとう」
背中合わせになってファントムたちを切り捨てながらモーギュストにお礼を言った。
「勝手に突っ込んでごめんね、あの時はそれが一番いいと思ったんだよ」
まだまだ余裕のあるモーギュストがすまなそうに言ってくる。
「とりあえずパーティーに合流しよう、俺の合図で一気に抜け出すぞ、……今だ!」
二人で息を合わせファントムたちを蹴散らし再びパーティーと合流を果たした。
「ありがとうモギュッち、助かったわ」
「あの中で動けるなんてモギュさんすごいですね」
「モーギュストよくやったでやんす」
メンバーからの絶賛の嵐を受けてモーギュストが照れている。
「よし! これから仕切り直しだ、ファントムを蹴散らして大司教を討伐するぞ!」
「「「「了解」」」」
奇跡的に態勢を立て直した『白銀の女神』は、手の届く距離に迫った大司教を睨みながら次の一手を模索するのだった。