190.隠密
王都からの使者に随行してエレオラが俺のもとへ来た。
彼女は国王陛下の命令で俺の家臣になった。
エレオラは嬉しそうに仲間たちと話をしている。
特にリサは大いに喜んではしゃいでいた。
王都を出兵する時、エレオラを解雇したのだが、一番悲しんだのはリサだった。
一日中泣いて俺と口を利いてくれなかったぐらいだ。
最終的にはわかってもらえたが、時折エレオラを思い出して寂しそうにしていた。
今リサは満面の笑顔でエレオラに抱きついている。
再会がとても嬉しかったようで、エレオラにベッタリして離れようとしなかった。
その様子を微笑ましく見ていたが、ワンさんが近寄ってきたことで現実に引き戻された。
「旦那……」
「ワンさん、ちょっといいか? 塔の屋上で話そう」
「わかりやした」
みんなに気取られないようにこっそりと部屋を出ていく。
素早く螺旋階段を上がって塔のてっぺんに登った。
夕闇が迫る要塞の高所、風が思いの外強く吹いて俺の黒髪をかき乱した。
「勇者様に敬礼!」
「休め、持ち場へ戻ってよし」
見張りの兵士たちにいつもの号令をかける。
兵士たちは俺の命令に従って見張りの任に戻った。
辺りに他に人がいないのを確認すると、ワンさんと二人で帝国の大平原を見渡す。
風が吹いているので兵士たちは俺達の会話を聞き取れないだろう。
「ワンさん、エレオラの事だけどやっぱり王国の間者かな?」
「間違いありやせんよ、ゴルドン殿が使者として来たのも旦那に油断をさせるためでやんす。ゴルドン殿に付いてきた騎士の中には、旦那が王城で助けた上級騎士も混じっていやした」
「ああ、それは俺も知っているよ。処刑されかけたときのエレオラの上司だった上級騎士だね。彼も昨日の酒の席に挨拶に来ていたよ」
「王国は旦那を本格的に監視しようとしてやすね、いつかはこんなことになると思っていやした」
「実はみんなに言っていないことがあるんだ、心配をかけたくなくて今まで黙っていたけど、ワンさんには言っておくよ」
「なんでやんすか?」
俺の深刻そうな表情にワンさんが眉をひそめる。
「俺が戦争へ駆り出された原因は、実はある貴族の企みだと俺は思うんだ。その貴族はわざと会議の場で俺が戦争へ行くように仕向けたんだよ。その話に乗る形で国王陛下が俺に戦争へ行くように命令したんだ」
「そんな事があったんでやんすか、その貴族は生かしてはおけやせんね」
ワンさんが危険な目をして牙を剥いた。
「ワンさん、冷静になってくれ。相手は王国屈指の大貴族なんだ、今の俺が到底手を出せる相手ではないよ」
「しかし悔しいでやんす! 旦那を貶めるなんて膾切りにしてやりたいでさぁ!」
悔しそうに顔を歪めているワンさんの肩を叩きながらなだめる。
「もちろん俺も泣き寝入りするつもりはないよ、帝国の勇者を倒して王都へ帰ったら仕返しをしてやるつもりだ。どんな方法になるかはわからないけど、その時は手伝ってくれ」
「もちろんでさぁ! このワンコイン・ザ・シーフ旦那のためなら何だってしやすよ!」
「ありがとう、恩に着るよ」
しばらくワンさんは興奮して鼻息荒く怒っていた。
ワンさんが落ち着くまで夕日を眺めながら時を過ごした。
「てことはエレオラに旦那を監視するように命令したのは、その貴族なんでやんすか?」
「どうだろう? 王国の内部の力関係など俺はわからないからなんとも言えないね。もしかしたら国王陛下自ら命令を下した可能性もあるよ。そこでワンさんに頼みたいことがあるんだよ」
「わかっていやす、エレオラの監視でやんすね? そういう事はあっしの得意分野でさぁ、まかせてくだせぇ」
「たのむよ、隠密裏に監視できるのはワンさんしかいないからね。でもエレオラに直接危害を与えては駄目だぞ、彼女も俺の大事な家臣なんだからな」
「わかりやした、心に留めておきやす。でもエレオラが旦那の命を狙う刺客だった場合は、あっしの判断で殺害しやすよ、ここは譲れやせん」
「わかった、彼女が刺客じゃないことを祈るよ」
話が一段落したのでワンさんには部屋へ帰ってもらう。
俺は将軍に聞きたいことがあるので途中で別れた。
ー・ー・ー・ー・ー
チェンバレン将軍の執務室の前に俺は来ていた。
警護の兵士が直立不動になって最敬礼をする。
「休め、チェンバレン将軍はいるか? 少し聞きたいことがあると伝えてくれ」
「はっ、かしこまりました! 将軍、勇者様がおいでです。お話があるとのことです」
警護の兵士は扉をノックして用件を中に告げる。
どうやら将軍は中にいるらしくすぐに返事が返ってきた。
「すぐにお通ししろ! 勇者様をおまたせすることはまかりならん!」
扉から離れている俺のところまで将軍の声が聞こえてくる。
将軍は異常に声が大きい、日に日に大きくなっていく気がしてならない。
「勇者様! どうぞお入り下さい、中で将軍がお待ちです!」
俺が考え事をしていると、焦った顔をした兵士が俺の所へ来て中へ入れと催促してくる。
グズグズしていると将軍が直接ドアを開けて出てきてしまう。
そうなれば後で警護の兵士は将軍に大目玉を食らうのだろう。
怒られてしまうのは可哀相なので、速やかに部屋へ入ろう。
俺は兵士に促されて扉を開けて中に入った。
「おお! 勇者様! 今日はそちらからお出でくださるとは、チェンバレン嬉しく思いますぞ!」
満面の笑みで俺を出迎える。
この数日で将軍の顔色は劇的に改善して、明るくつやつやとしていた。
いかに要塞攻め失敗のストレスが、将軍を蝕んでいたかがよくわかった。
将軍は、俺が率先して酒を飲みにやってきたと勘違いをしたようだ。
今日は酒を飲みに来たわけではない、どうしてもこの周辺に詳しい人物に聞きたいことがあったのだ。
「チェンバレン将軍、今日は将軍に聞きたいことがあってきたのです。お時間がよろしいのなら、私の話を聞いていただけませんか?」
「おお! そうですか? 何でも聞いて下さい、このチェンバレンにわかることならば何でもお答えしますよ」
(このやり取りは前にもあったな、将軍職の人間は人に教えるのが好きなのかな?)
将軍はにこにこ顔だ、俺の役に立てることがとても嬉しいらしい。
『シャルマン要塞』のヒックス将軍も、俺にものを教えるのを喜んでいた。
嬉しいのなら快く教えてくれそうだ、早く聞いて明日に備えよう。
ソファーに座り将軍と対峙する。
将軍はワインの瓶を嬉しそうに持ち上げると一気に栓を抜き去った。
「将軍、今日はお酒は飲みません。どうしても素面で聞きたいことがあるのです」
「そうですか? それほど深刻なことでしょうか」
「いや、深刻ではないのですが、仲間にも後で伝えなくてはならないので頭をすっきりさせておきたいのです」
「そうですか、では私は少々いただきますよ。それで何をお聞きになりたいのですか?」
将軍は自分のグラスだけにワインを注ぐと美味しそうに一気飲みした。
(この将軍は本当に酒好きだな、もしかして体格のいいドワーフではないだろうか?)
王国の将軍に人間種以外の種族がなることはない。
俺の勝手に思った冗談だが、それほどまでに将軍は酒好きだった。
「お聞きしたいのはこの辺の山の中に出没するという凶悪な魔物に関してです。私達はその魔物を倒すことも、今回の遠征の目標のひとつなんですよ」
「もしかしたらこの地方のボス魔物のことですか? いやはやまさかそのことを聞いてくるとは思いもしませんでした。勇者様、奴を倒す事など忘れなさい。あれは触ってはまずい邪神の類ですよ」
ワイングラスをテーブルに置いて真剣に将軍が語る。
その目は先程までの機嫌のいい笑ったものではなく、恐ろしげで鋭く光っていた。
(将軍はこんな顔もできるのだな、本来こちらが将軍の素の表情なのかもしれないな)
姿勢を正して真面目に俺を見てくる将軍に、俺も真っ直ぐに見返して話をする。
「将軍の目を見てその魔物の恐ろしさを十分に理解しました。そのうえであえてお聞きします、その魔物の居場所を教えて下さい。私達はその魔物をどうしても狩らなければならないのです、お願いします」
深々と頭を下げて将軍に教えを請う。
将軍が教えてくれるまで頭を上げるつもりはなかった。
「勇者様! そのようなことはお止め下さい、勇者様に頭を下げさせたことが知れ渡れば私は生きていられません!」
将軍は大慌てで俺に近寄り頭を上げさせようとする。
「お願いです、どうしてもその魔物を倒さなくてはいけないのです!」
俺はしつこく将軍に頭を下げる。
「わかりました! わかりましたから頭をお上げ下さい、奴の居場所をお教えします!」
やっと将軍の言質が取れた。
俺はゆっくりと頭を上げるとにっこりと笑った。
将軍はワインの酔いも冷めて、青い顔をしている。
よほど俺に頭を下げさせることを嫌っているようだな。