162.勇者?
どうにか大猿を倒すことが出来た。
戦闘が終わり、辺りは静寂に支配される。
周りを見渡せば、おびただしい帝国兵の屍が散乱していた。
炎で焼かれ炭化した人骨、逃げ惑う兵士に踏み潰された肉塊、大猿に食い散らかされた人だった物。
どれもこれも損傷が激しく、きれいな状態の死体は一体たりとも見当たらなかった。
帝国兵の生き残りは、ざっと見渡しても数名が遠くを逃げ惑っているだけだ。
総勢一万人の敵国兵たちはことごとく戦死して、ごくわずかだけが戦場から逃げ出していた。
帝国の本陣だった小高い丘の上から『シャルマン要塞』を眺める。
城壁の上には王国兵が鈴なりになってこちらの様子を窺っていた。
戦闘に勝利をしたというのに、誰一人として喜び騒ぐ者は居なかった。
何百人という兵士は眼前に広がる光景を、ただただ目を見開いて見ているだけだった。
「終わってみればあっけなかったな、大猿が現れたときはどうしようかと思ったが、どうにかなるものだな」
俺はしみじみ語り、目の前の光景を眺める。
まだ炎が消えておらず、くすぶっている死体があちこちで煙を上げていた。
「旦那、ひとまず要塞へ戻りやしょう。ここに立っていてもしかたがありやせん」
「そうだな、そうしようか。みんな、要塞に戻るぞ、今後のことを部屋で決めよう」
ゆっくりと歩いて要塞へ戻っていく、俺達が近づくにつれて要塞が慌ただしくなっていった。
ー・ー・ー・ー・ー
「お前たち整列しろ! 失礼の無い様にするんだ!」
王国兵士たちの指揮官が、大声で命令を下している。
兵士たちは慌てて城門付近に集結し、きれいに隊列を整えていった。
みんな顔は緊張でこわばっている。
中には今にも倒れそうに青白い顔をしているものも見受けられた。
みんな低い声で隣の兵士と何かを話している。
小さくて聞き取れないが、不安な顔つきはここからでもよく見えた。
城門の外、五重の隊列で門の両側に綺麗に並び、俺たちを迎える兵士たちが見える。
更に門の奥、中庭には負傷した兵士までが直立不動で控えていた。
「レイン・アメツチ男爵様とその従者様に敬礼!」
司令官が大きな声で号令をかける。
今までざわついていた兵士たちがビシッと姿勢を正して最敬礼をした。
その見事な整列に少し感動してしまう。
(みんな俺たちを歓迎してくれているのかな? ちょっと嬉しい)
直立不動で控えている兵士たちの間を、ゆっくりと城門に近づいていくと、見知った顔が見えてきた。
王国の貴族ハンス・ヒックス将軍と、俺を将軍の所に案内した中年の上級騎士だ。
二人とも顔色はすこぶる悪い、特にヒックス将軍は青さを通り越して黒く土気色になっていた。
「将軍、丁寧なお出迎えありがとうございます。『白銀の女神』は敵兵を退け、ただいま帰還しました」
国王のお墨付きが有るとは言え、相手はこの要塞の最高司令官なので丁寧に帰還の挨拶をした。
するとヒックス将軍は、ビクッとしてから片膝を付いてかしこまった。
「勇者レイン様、ご帰還お慶び申し上げます。此度の戦、助太刀していただき誠にありがとうございました」
震えながら話す将軍は、今にも倒れそうだ。
『シャルマン要塞』で初めて会った時のような、偉そうで意地悪そうな態度はもう影も形も残っていない、完全に萎縮した従順な態度だった。
この反応は俺も予想していた。
戦闘が終了し戦場を眺めていて、自分たちのやったことの意味を考えていた。
帝国兵は一万人を超えていた。
俺たちが要塞に到着した時点では、戦闘で死んだ帝国兵はまだそれほどいなかった。
そこに参戦したのが俺たち『白銀の女神』だ。
総勢わずか六名と一匹、誰が考えても戦局を左右する人数ではないのは明白だった。
しかし、結果的にはセルフィアの大魔法の一撃で数千名を倒し、ドラムのドラゴンブレスで残りの兵士の九割が消滅、更に敵本陣へ切り込み壊滅させた王都からの援軍。
さらに驚くべきことに突如現れた災害級の魔獣を、短時間で葬り去る化け物ぶり。
将軍たちが萎縮して小さくなるのも当たり前のことだった。
「将軍、立ち上がって下さい。そんなに丁寧な言葉づかいをしなくても結構ですよ。あなたはこの要塞の最高司令官なんですから」
将軍に近寄って立たせる。
彼は俺が触った時、ビクッと体を震わせた。
「し、しかし目の前で繰り広げられた戦闘を見てしまっては、もはや態度は改めざるを得ません。勇者様に無礼な態度をとったことを心よりお詫びいたします」
将軍は青い顔をして冷や汗を流しながら謝罪してきた。
(なんかめんどくさいことになったな……、それに勇者ってなんだ?)
「将軍、その勇者という呼び方はなんですか? 私はただの王都からの援軍ですよ?」
「そんな! あなたはご自分がなされたことをわかっておいでですか!? あれだけの兵力を少人数で打倒してしまわれたのです。これが勇者でなければ何なのでしょうか!」
将軍は興奮して顔を真赤にしてまくしたてる。
(黒かったり青かったり赤くなったり忙しい人だな)
「まあ、もういいです。それより疲れたので部屋へ戻ってもいいですか? これから仲間たちと打ち合わせをしたいのです」
議論しても始まらない、どっと疲れが出てきた俺は早く部屋で休みたくなった。
「おお! これは大変失礼いたしました。どうぞお好きなようになさって下さい。おい! 勇者様をお部屋へご案内しろ!」
そばにいる上級騎士に大声で命令する。
(そんなに大きな声で言わなくてもいいだろうに……)
飛び上がって近づいてきた上級騎士は、更に青い顔をしながら俺たちを部屋まで案内した。
「将軍、縮こまっていたわね……」
「レイン様の前ではあれが当たり前なのです、今までがおかしかったんですよ!」
アニーが興奮してまくし立てる。
「旦那の凄さがわかったようで何よりでさぁ、本来こうでなきゃいけやせん」
アニーの言葉を受けてワンさんが満足そうに言う、二人は意見が一致してご満悦だ。
他の仲間達も概ね機嫌がよく、椅子に座ってにこにこしている。
そんなメンバーに向かって俺は静かに語りだした。
「みんな聞いてくれ、これからの事だ。要塞の安全は確保した、あれだけの打撃を与えれば帝国も当分攻めては来られないだろう。しかし、俺達の目的はまだ達成されていない、黒い悪魔を見ただろう? 一万の帝国兵を壊滅させたこの戦力を持ってしても奴を倒すことはむずかしい」
敵本陣で対峙した帝国の勇者の事を思い浮かべながら皆に話していく。
先程までにこにこしていたメンバーたちは、険しい顔で俺の話を聞いていた。
「俺達に残された選択肢は二つ。一つは帝国へ攻めて行き、黒い悪魔を倒す。もう一つは国王の命令を無視して迷宮で暮らすこと。流石に王国も迷宮までは俺達のことを捕まえには来られないはずだ」
俺は今回の旅の中で考えていたことをみんなに提案する。
「俺は奴を無傷で倒すことが出来るとは思えないんだ、きっと悲しい結末が待っている。みんなの意見を聞かせてくれ」
部屋の中は静まり返る。
誰も口を開こうとはしなかった。
暫くすると意外な人物が意見を言い出し始めた。
「あっしはこういう時、今までは旦那の指示に従ってきやした。しかし今回はあえて言わしていただきやす。帝国へ行きやしょう、まだ逃げる時ではありやせん。あっしらはまだまだ強くなりやす」
「そうね……、ワンさんの言う通りだわ。もっと強くなればいいだけのことよ」
「レイン様、黒い悪魔を倒す方法はきっとありますよ、イシリス様が付いておられます。ご自分を信じて下さい」
「リサはお兄ちゃんと一緒に居られるならどこでもいいよ」
「僕は帝国へ行きたいよ、尻尾を巻いて逃げ出すのはミノタウロス族の名誉のためにも出来ないのさ」
「僕も戦いには賛成だよ」
珍しくドラムも意見を言ってくる。
いつもは興味なさそうに居眠りしているのに、今日は起きているようだ。
みんなの意見は出揃った。
帝国へ攻め込む意見が四、中立が二、俺が反対しても帝国の勇者との対決は避けられないな。
パーティーの掟、多数決の結果は出た。
俺は覚悟を持って宣言する。
「みんなの意見はよくわかった。その意見を参考にしてリーダーである俺が宣言する。帝国に乗り込もう、黒い悪魔を倒して堂々とミドルグヘ戻ろう」
「「「「「「了解」」」」」」
そうと決まれば行動有るのみだ。
俺は将軍と今後のことを話し合うことにした。