158.置き土産
『白銀の女神』は敵本陣に突入した。
狙うは大将首、帝国兵の全滅は近い。
混乱の中にある本陣の兵士はとても脆かった。
俺たちを見た帝国兵は、ただ逃げ惑うばかりで攻撃して来る者はいない。
そんな兵士をワンさんとモーギュストは、後ろから容赦なく殺害していく。
屍が辺りに散乱して、臓物の匂いでいっぱいになった。
血や内臓や糞尿が人に踏みつけられて混ざり合っていく。
踏みつけられて頭蓋骨を破壊され脳漿が辺りに飛び散る。
まさに地獄とはこのような場所だと思える光景が目の前に広がっていた。
「どけ、どくでやんす! 王国貴族、レイン・アメツチ男爵様のお通りでやんすよ! 死にたくないものは速やかにどきやせい!」
魔法の双短剣を高速で振るいながら、ワンさんが俺の前を進んでいく。
ワンさんの剣圧に耐えられる兵士は一人もいなくて、どんどん首を刈られていった。
「脆いぞ! もっと骨のあるやつはいないのか!?」
密集した帝国兵めがけてモーギュストが突撃を繰り返す。
壁盾を左手に持ち右手には短槍、もはや誰も彼を止める事は出来ない。
帝国兵には蹂躙されるのを待つ事しか選択の余地はなかった。
「旦那! あそこに大将首はいやすよ!」
混乱した兵士たちの中、ただ一角だけが冷静に陣形を整え、敵を迎え撃つ準備を整えていた。
きらびやかな鎧を着込んだ一団。
明らかにまわりの兵士たちと装備が違い、豪華で防御力が高そうだ。
「みんな集まれ! 最後の仕上げにかかるぞ!」
俺の指示に暴れまわっていたモーギュストが戻ってきた。
素早く俺の前に進んだ彼は既に冷静になっていて、壁役をきっちりこなしていた。
「よし、モーギュスト、一発壁盾をお見舞いしてやれ」
「オッケー!」
ゆっくりとモーギュストが鎧の一団に近づいていく。
盾を構えた帝国兵士たちは微動だに動かず、後ろに控えているであろう人物を死守するつもりのようだ。
「その心意気だけは認めてあげるよ、誇って死んでいいよ。『シールドチャージ』!」
盾と盾、ゼロ距離で放たれたモーギュストの必殺技、『シールドチャージ』。
その圧力がまともに兵士たちに伝わり一気に解放される。
兵士たちもバリアで防ごうとしていたようだが、それが仇となる。
『シールドチャージ』の圧力を一瞬だけ止めた兵士たちは次の瞬間、内側から破裂するように爆発して血しぶきに変わってしまった。
轟音があたりに響き渡る。
数十人が一気に霧散したことによって、辺りに血の雨が降り注いだ。
「ありゃ~、旦那、大将も一緒に死んでしまいやしたね。あの攻撃を受けて生きていられる訳ありやせんよ」
確かにワンさんの言うとおりだ。
数十人が一気に爆発してしまうほどの圧力を受けて、大将首がひとり生き残っていられるわけはなかった。
「ちょっとやりすぎたね、ごめんね」
ばつが悪そうにモーギュストが近づいてくる。
俺は苦笑いして彼を迎えた。
「まあしかたがないな、気にするな」
「さすがレインさん、優しいね」
嬉しそうにモーギュストが言う。
血の雨は既にやんでいて地面は血の池になっていた。
赤いモヤの向こう側に、光るドームが出現する。
薄っすらと虹色に光るドームは、アニーの『神聖防壁』にそっくりだった。
「すごいよ! 思ったよりやるじゃないか!」
パチパチと拍手をしながらドームが近づいてくる。
「みんな固まれ! 様子が変だぞ!」
俺は密集隊形で障壁内に仲間を集めた。
戦闘中ずっと『気配探知法』を使っていた。
しかし目の前の何者かの気配はつかめなかった。
そして今も目の前に確かにいるはずだが、気配は全く感じられず『気配探知法』には反応はなかった。
目の前のドームが虹色から透明に変わっていく、中の人物の顔がだんだん見えてきた。
「黒い悪魔……」
思わず呟いてしまう。
姿を現したのは王城の謁見の間で対峙した帝国の勇者、通称黒い悪魔だった。
「なんだい? 王国では僕のことを黒い悪魔と呼んでいるのかい?」
楽しそうに聞きながら更にこちらに近づいてくる。
『神聖防壁』にあと一歩のところでドームは止まり、黒い悪魔も停止した。
黒い悪魔と俺達は無言で対峙していた。
彼の顔はローブのフードで隠れていて全く見えない。
しかしなぜか俺は彼の表情を予想することが出来た。
きっと薄笑いを浮かべて面白そうにこちらを見ていることだろう。
「また会ったね、レイン。こんなに早く会えるなんて僕は嬉しいよ」
本当に嬉しそうな声で黒い悪魔は話しかけてきた。
「俺達は嬉しくないぞ、お前のせいでこんなところまで来なければいけなくなったのだからな」
「へえ、そうなんだ、それは悪かったね。おおかた僕を倒すように国王あたりに言われたんだろ?」
図星を突かれ言葉が詰まる。
「どうやら当たってしまったようだね、まあ誰でも予想できる簡単なことだよね」
つまらなそうに肩をすくめておどけた仕草をした。
「それでどうするんだい? ここで決着をつけようか? それとも今度にしておこうか」
余裕の言い回しで黒い悪魔が提案してくる。
本来なら先制攻撃をするか、それとも一目散に逃げるか、どちらにしても何らかのアクションをしなければならない。
しかし、俺たちは黒い悪魔を前にして一歩も動けないでいた。
「君たちでもわかるようだね、明らかに実力差があることを。そうだね、今の君達では僕に勝てはしないね。やはり戦うのは止めておこう」
冷たい汗が一筋背中を流れていく、戦いにならずに済みそうなことに俺は安堵していた。
「将軍はどうしたんだ?」
やっと絞り出すように言葉を吐き出した。
「将軍? ああ、あの無能な男の事かい? あいつなら僕のペットの餌にしたよ。僕のペットは大食らいだからね、君の可愛いドラゴンとは違うんだよ」
「どういうことだ? 将軍は死んだのか?」
「ああそうだよ、そうだ、僕のペットと遊んでくれないか? そろそろ飼うのにも飽きてきたんだ。僕はそろそろお暇しようかな、帝国へおいで、待っているよ」
黒い悪魔は言いたいことを言い切るとサッと腕を上げる。
彼の後ろの空間に小さい渦と大きな渦が突然湧き上がった。
その渦は王城で見た黒い渦と同じもので、ワープホールだと思われた。
「もっと強くなって僕に会いに来ておくれ、待っているよレイン」
黒い悪魔はゆっくりと渦の中へ消えていった。
しばらくすると徐々に渦は消えていき、大きな渦だけがその場に残った。
「消えないわね、どうなっているのかしら?」
渦に興味を覚えたセルフィアが不用意に近づこうとした。
俺はその瞬間、背筋に冷たいものを感じ、セルフィアを慌てて抱き寄せた。
「駄目だ! みんな撤退しろ! 渦の中になにかいるぞ!」
いきなり抱きしめられたセルフィアは、何がなんだかわからずキョトンとしている。
他のみんなも同様に訝しげな表情で渦を眺めていた。
シュッっと風切り音がして『神聖防壁』が七色に輝く。
ギュィィン。
障壁になにか硬いものが当たる音が響き渡る。
衝撃波が辺りに拡散して逃げ惑う帝国兵士を吹き飛ばした。
俺はとっさにみんなを押し出してその場を離れた。
ズドンと地響きがして黒い渦から大きな獣の手が伸びてきた。
俺たちが先程までいた地面を根こそぎ削り取り、辺りに投げ捨てる。
「魔物だ! 黒い悪魔は魔物を置き土産にしていったぞ!」
ゆっくりと巨大生物が渦から姿を現してくる。
その風貌から一筋縄では勝てない強敵だと俺の勘は言っていた。