黄昏
朝。
と言ってももう日も高くなりつつあるが。
眩しい日差しが僕を、ようやく、夢と現実ともつかない世界から引き上げる。
目に映るのは見慣れた天井。
変わったところといえば、少し色が抜けて、シミが2、3個増えた程度か。
「はやく、はやくっ!起きるまで待ってあげたんだから〜!」
「だから待ってってば」
小さく笑いながら体を起こすと、ベッドから抜け出す。
最近は何をするにも体が痛い。
ー君は全然変わらないな
「どうか、した?」
「いや、なんでも」
不思議そうな顔をする彼女に微笑みかけると、僕は朝食の乗った皿へと近づいた。
最近どうも食欲も落ちてきているようだ。
まあ、運動することもめっきり減ってきたからエネルギー的には問題ないか。
僕はご飯をゆっくりと口に運ぶ。
と、彼女が私の前に回り込んで
「はやく食べて遊びに行こうよ〜!食べないなら私が食べちゃうよ?」
「どうぞ。構わんよ」
「…ちゃんと食べなきゃだめ!ほら、はやく食べて食べて!」
「はいはい…」
青く晴れた空を鳥が1匹、まっすぐに飛んでいった。
☆
ーいい天気だ。
住宅街の家の間、舗装された道路の上をゆっくり歩く。
ここもいつの間にか大きく変わってしまった。
いつも可愛がってくれたおばあさんはいなくなって、ガラの悪い男たちが出入りするようになった。
家もだいぶ新しくなった。
知っているけど知らない。そんな感じだ。
「いい天気だね」
塀の上を歩いている彼女の声が聞こえる。
「…ああ。」
「よっと」
彼女は飛び降りるとこっちに近づき、そのまま僕のペースに合わせて歩き始めた。
「…この辺もだいぶ変わったね」
「…ああ。」
「前の方が良かった?」
「…そうかもな。でも本質は何も変わってない気がする。…高層ビルがいくら立ったとしてもこの街はどこまでいってもこの街だ。」
「…君らしいね。」
「そうかい?」
「うん、とっても。」
そのまま僕たちは少しの間2人一緒に歩いた。
「…じゃあ私先に行くね?」
「…ああ。」
少し進むと、彼女は振り向いた。
「…待ってるから。」
そしてそのまま駆け出した、
ー今まで本当に色々なことがあった
その遠ざかる背中を見送りながら1人、僕は思う。
そしてそこにはいつも彼女がいて、彼女の笑顔があった。
ー素晴らしい人生、か。
一言で表すならそうなるだろう。
でも僕はこの表現が嫌いだ
素晴らしいの一言でひとくくりにはしたくなかった。
急に一つ一つの思い出の輪郭がぼやけ、鮮明だったものが霞んでしまうから。
現実感が薄れて、どこか遠い思い出のように感じられてしまうから。
この街のように。
本質的な愛が変わらないという点では同じなのかもしれないが。
☆
「ふぅ…」
老いとは恐ろしいもので、ここにたどり着くまでに多くの時間を要してしまった。
すでに日は大きく西にかたむいている。
西日に目を細めながら、昔は一息で駆け上がっていた階段をえっちらおっちら登る。
左右の森の中を、小さな2つの影が駆け抜けたように見えたがーー見間違いだろう。
やっとの事で階段を登りきり、鳥居をくぐる。
「…遅いよ」
「すまん」
「いいよ、許してあげる」
昔と同じように賽銭箱の上に腰かけた彼女が微笑む。
「ちゃんと来てくれたんだ」
「まあ、元から今日はここにくるつもりだったからな」
「そっか…」
僕が賽銭箱の隣に座ると、彼女も降りて来て僕の隣に座った。
「……」
無言のまま時間が過ぎる。
「ん……」
僕が彼女の手を握ると、握り返してくれた。
そしてその頭を僕の肩に預ける。
接しているところから、ほのかな温かみが伝わってくる。
ーずっとこうしていたい
そう思った。
でもそれは多分、心のどこかで別れを予感していたから。
叶わないことだとわかっていたから。
「ごめんね。そして、ありがとう。…愛してるよ」
耳元で囁かれた声にハッとして隣を見る。
そこには誰もおらず、闇が彼女のいなくなった隙を埋めようとしていた。
「…ありがとう。…愛してるよ…」
誰ともなく呟くと、苦笑しながら立ち上がる。
本当に彼女がいたのかもわからない。
僕の妄想に過ぎないのかもしれない。
でも、僕は今確かに幸せな気持ちで満たされていた。
「…帰ろう」
少しの間手を見つめた後、僕は家に向かって歩き出した。
☆
ある日の昼下がり。
縁側で僕は、すっかりおばあちゃんになってしまった主人の膝の上で丸くなっていた。
庭でタンポポの白い綿毛が揺れるのを眺める。
その時、強い風が吹いた。
タンポポの綿毛が舞い上がる。
ーもう少しすれば僕もそっちに行くことになるだろう。だからー
「また、僕を待っていてくれるかい?」
綿毛達は青い空へと吸い込まれて消えてった。
(終わり)
こんにちは(おはようございます)さーにゃです。短かったけどおつきあいいただきありがとうございました。ありがとうございました。




