帰宅
2人は朝起きて朝風呂に入ってから旅館を後にした。もちろん混浴だと分かっていたため、時間を分けて入った。
ぼんやりと漂う湯気を眺めながら和希は考えていた。
幽霊退治の後とは思えない虚しさが心の中を満たしていた。
思い出すのは、弱々しく光るワインレッドの魔力と、煙草に火を付ける時に照らされた寂しげな戌崎の横顔だった。何故あの時戌崎は寂しそうにしていたのだろうか。そのことをずっと疑問に思っていた。
一体戌崎切夜はこれまでどう生きた来たのだろうか。どんな経緯があってあのような力を手に入れ、戌崎怪奇探偵事務所を立ち上げ、そして今に至るのか。
昨日彼の仕事に初めて立ち会って和希は興味が湧いた。
今思えばこんな意味の分からない仕事をしていることや、こんなオカルトのような知識と能力を持ったのか。いろいろな疑問がすぐ思いつくはずなのだろうに、なぜ私は思わなかったのだろうか。興味がなかったから?それともこの胡散臭い風貌だから、何か変なことをしてもおかしくはないと自分を納得させていたからか。目の当たりにした不可思議なことから目をそらしていたのだろうか。
*
車は相変わらず乗り心地は最悪で、段差で尻をぶつける。
退屈そうに外の流れる自然の風景を肘を付き和希は見ていた。
季節は美しい紅葉の季節から、銀色の季節に移り変わろうとしていた。山を紅く染めていた紅葉は散り、赤は朽ち果てた茶となっていた。そんな風景を見て、まるであの時退治した幽霊のような朽ち果てる姿を思い浮かべた。
この車にはカーステレオは取っ払っているようで、ただ低い唸りを上げるエンジン音が煩かった。回転数が上がっていく度音は高くなっていく。シフトを変えると回転数は落ち、また音は低くなる。
旅館に行くときはあんなに楽しそうに運転していた戌崎は、疲れからか安全運転を行っている。
「あ、あの戌崎さん」
「なんだ?」
戌崎は煙草が吸いたいのだろうが、それを密室となった車の中で吸うと和希に副流煙を吸わしてしまうと心配していたのだろう。代償行為としてガムを噛んでいた。
どうやら彼にとってこの仕事はかなり精神に来ていたようだ。
「その、今回の依頼について聞きたいのですが......」
「どうしたんだ?」
運転をしていた戌崎がこちらを見たのが分かった。だが、なんだか目を合わせるのは気まずかったため視線は外の風景にしたままだった。
「いや、興味を持ちまして」
「ふ〜ん。まあなんでもいいのだけれど」
戌崎は一度ガムを口からティッシュに出し、話し始めた。
「まず事の発端、旅館に宿泊していた男が自殺をした。原因は株取引の失敗による借金から。彼はきっと死ぬときには後悔よりも諦めが強かっただろうな、あの最後の魔力を見るとそう思う。あんな弱々しい魔力を見ている限り、あんな魔力が悪霊と成るなんて考えられない。だが、調べてみると彼が悪霊となる条件が2つあった。」
「2つ?地脈だけじゃなく?」
それにいつの間に調べていたのだろうか。あの幽霊退治が終わってからは、まるで忘れようとしているのか、いつも以上にスマホゲームに夢中になっていた。いや、夢中になろうとしていた。
「ああ。地脈となる前にある魔力によって励起された」
「魔力?」
「まあここを出る前に以前宿泊していたリストを調べたのだが、知り合いの魔術師がここに訪れていたみたいでな。その時にどうせくだらない魔術でも使ったのだろうな。その部屋を調べてみると残存魔力があって、それが彼を悪霊へ励起させた。そして丁度地の底に流れていた地脈によってあそこまでの悪霊へとなったってとこだな」
あのクソ魔女が......と戌崎はぼやく。どうやらあまり不仲のようだ。
「つまり彼の本意ではなかったってことですか?」
「ま、そんなとこだ」
車は信号に捕まり一旦停止する。
その間に戌崎は煙草を吸おうと箱に手をやるが、掴む瞬間に思い出したかのように手を止め、変わりにペットボトルホルダーに入れていた水に手をやる。
「それにしても、幽霊退治って思っていたのととても違いました」
「何を想像していたんだ?」
「漫画みたいに急急如律令とかいって派手に戦うのだと」
漫画で見たように主人公と同じようなポーズを取る。
「陰陽師ね。まあ式神とか似たようのは使うけれど、そうやって物理で戦うのはなかなか無いかな」
「へ〜」
信号が赤から青となり、車は発進した。
「まあ場合による。今回はいろいろ調査が出来ていたからな、部屋と地脈の流れを絶ち、紙人形に魔力を吸い取って、そして最後にその霊の後悔を鎮めた」
「それじゃあ、あの彼岸花は?」
「花言葉は諦め」
「そう」
そんなことまで考えていたのか、と感心する。
なぜ仕事をやり終えた後にそんな寂しそうな顔をしているのか、それは聞くことは躊躇ってしまう。
話が途切れ、またエンジン音が大きく聞こえた。
*
和希が旅館から事務所には夕方に、そして家に着く頃にはもう夕日は沈んでいた。
家には誰もいない。母と妹はまだ入院しており、父は仕事だ。一応ただいまは言うが、その声は真っ暗な部屋に響いて消えた。
明かりも点けずに二階にある自分の部屋へと向かった。長時間のドライブと、事務所から家は少々距離があるため疲労が蓄積され、意識はぼんやりとしていた。
覚束ない足取りで歩き、ベッドに倒れ込んだ。長時間あの車に乗ったため、まだ身体が車に乗っているかのような感覚が残っていた。
少しだけ服にしわが寄らないかと思ったが、クタクタに疲れていたためどうでも良くなった。布団と毛布の隙間に潜り込んだ。しかし不思議なものだ。いざ寝ようと思い瞼を閉じるのだが、眠いのに、疲れているのに、意識はだんだんはっきりしていく。まるで水でも頭から被った気分だ。
呪に掛かってから、私の人生は少しだけ、いや少しずつ変わっていく。始めは身の回りで起こり続ける不幸に悩まされ、苦しみ、悲しんだ。だが戌崎に呪を解かれてからは、まるでいつも通りの生活、いつも通りの世界に戻ったと思いきや、こうしてまたオカルトの世界へたまに足を突っ込んでいる。そして呪が解かれてからは、うっすらだが、あちらの世界のものが見え、そしてうっすらだったのがはっきり見えるようへとなっていた。
このままでは元の世界へ戻る事はできない。それはまるで沼にはまったかのように、始めは浅く何時でも抜け出せそうだったのが、藻掻く内にいつの間にかもう帰れないほど沈んでいた。もう戻ることは出来ないだろう。
まあ、私は戌崎に多額の借金があるから事務所をやめることも離れることもできない。
でもそれは言い訳じゃないの?逃げようと思えば逃してくれそうだ。それはこれまで戌崎を見ていて分かる。それに逃げてみないと戌崎が来るかどうか試したというわけではない。結局は私はオカルトの世界から逃げようとしていないのかもしれない。
嫌なのだろうか?一度自分に問いかけてみる。
別に嫌ではないし、モノクロだった世界に色鮮やかな色彩が付いたかのように世界は変わって見えた。オカルトという非日常が退屈な世界から連れ出してくれたかのような感じがしたんだ。
まだ気になることは沢山ある。オカルトのこと、戌崎のこと。そして、このまま進んだ先に何があるのだろうか。
時間が経って毛布と布団が私の体温が伝わって暖かくなっていく。その心地よい暖かさに意識は微睡みの中へ誘われうたうたしていく。私は睡魔に抵抗すること無く眠りについた。