悪霊
旅館の廊下は誰も泊まっていないからか光は少なく、非常口を表示する緑色の看板が目立つ。
私達を誘導するように光る狐火は戌崎の術の一つであり、自分の魔力の特性である青白い光を放っていた。本来ならこの魔力の光は一般人の和希には見えないはずだった。だが、呪を解く時に戌崎の魔力が残ってしまったため、霊感のようなものが出来てしまったのだ。
ちなみに戌崎は自分が完璧に出来なかったのを隠したいがために、和希には呪の副作用みたいなものと説明してあった。
「綺麗な光ですね」
瀬々良木は暗くて見えないという恐怖をごまかすよう戌崎に話しかける。戌崎は和希の前に立ち先導していた。普段は頼りないそんな背中だったが、今日はその背中を見ているとほんの少し安心した。
「色が変わったら気をつけろよ。これは魔力によっているが変わるから」
「はい」
戌崎は短い返事しか返さなかった。きっと何時表れるかどうかわからない幽霊に対し気を引き締めているのだろう。
幽霊が出ることを知っているからか、肝試しをしているかのように思えた。だが、肝試しと違う点が2つある。
1つ、幽霊が出るかもでなく必ず出るという何かの罰ゲームのようなものだ。
2つ、その必ず出るということで和希の気持ちが盛り上がらないからだ。
そんなくだらないことを考え、目の前の恐怖から目を背けるようにして歩いていった。
本来人は暗闇が怖いというのは、幽霊が出るかもしれないと言う理由ではない。
普段見えている世界が暗闇によって見えなくなっているという視覚的な理由からである。もし暗闇でも何処に誰かいるか分かっていたら恐怖はないだろう。
またあるとしたら、その静寂から来る小さな音だろう。
その滴が地面を叩く音、または誰かの足音、もしかしたら何処かの地下アイドルの漏れた音楽かも知れない。
どんな音でも、その音はどんなものかを探し、それを頭は悪い方向へ悪い方向へと運んでいく。それはこれまでの人類の進化の過程で培った本能だからだ。視界の効かない暗闇でも身を守るために磨かれた自己防衛本能が、その音が無理やり悪い方へ運んでいくのだ。
戌崎が立ち止まる。
目の前で私達を導いていた青白い光は、いつの間にかワインレッドのような光へと変わっていた。
これまで歩いて来た旅館の雰囲気が一変した。魔力が満ちたこの空間では季節感は無く、ただ近くに危険なものがあるという危険本能がビンビンしていた。
ひんやりとした冷気のようなものが肌を撫でる。それに思わず和希は身震いをしてしまった。
出来るのなら今すぐこの場から逃げたい、そう本能が叫んでいた。
「戌崎さん......」
「ああ、近いな」
息を潜めるような小さな声で確認する。
これまで保っていた戌崎との距離を詰める。
たまに近すぎてぶつかるのだが、戌崎は気にしていないようだった。
一歩一歩踏み出す度肌を撫でる冷気は冷たくなっていくように感じる。踏み出す足も重くなっていき、確実に近づいて言っているのが見えなくても分かった。
それは三階に居た。
きっと自殺した部屋だったのだろう、戌崎は躊躇わずそこへ向かっていた。
その部屋からまるで液体窒素の冷気のように漏れる魔力は、光のようなワインレッドではなく、そこに黒の絵の具を足していったような色をしている。
「開けるぞ」
「はい」
部屋の中央に幽霊は居た。
和希が想像していたものとはかけ離れていた。それはまるで魔力に意志がついたようなものだ。
「瀬々良木、アイツとは眼を合わせるなよ」
「眼ってあれにあるのですか」
ただ魔力が漂っているとしか和希は見えなかった。
「ああ、見るためには眼が必要だからな。必ずついている」
いきなり何を行っているのだろうかと和希は思うが、とりあえず言うとおりに目をそらす。
「地脈から魔力を吸い取っている今のうちに結界を張っておく。バック」
はいと和希は返事し渡した。
戌崎はその中から紙束を迷わずに取り出し、それを手のひらに載せ息を吹きかけた。
それは息によって飛び散り、地面に落ちるかと思われたが、そんなことはなく幽霊を囲むように動き出す。無数の紙人形は螺旋を描く。筒状に一度紙人形は並び、そして手を繋ぐようにして幽霊を包み込んだ。周りに漂っていた魔力ごとミイラのように包み込んだ幽霊は封印されたかのように動かない。
「終わりですか?」
「まさか、ただの時間稼ぎだ。チョーク」
「はい」
チョークを手渡す。チョークは少々高価なもののようなチョークホルダの中に入っており、どうやらアルミで出来ているようだ。
チョークの長さを調節し、床に描き始めた。
「魔法陣ですか?」
「ああ。ここに流れてくる地脈を止めてしまえばこいつは成仏できる」
「さっきも地脈と言ってましたけれど、それって何ですか?」
戌崎はチョークで魔法陣を描きながら話す。
「地脈ってのは、大地に流れる魔力の流れだ」
「それがあるから幽霊が悪さをするようになったと」
まあそんなとこかな、と適当に返事を戌崎はした。
魔法陣を書き終わると戌崎は立ち上がり、中指人差し指を伸ばし魔法陣を指差す。起動、そう呟くとチョークで書かれた魔法陣は灰が風で吹かれたかのように消えていった。
和希には魔法陣が発動して何が起こったのかは分からなかったが、あの紙人形でミイラとなっていた幽霊から感じられていた魔力が弱々しくなっていくのが分かった。
「これで終わりですか......」
「いや、まだ」
というと、次は戌崎は和希に折り紙を要求した。
(折り紙?)
そう和希は思ったが、支持されたとおりに差し出す。
市販のタイプで23色300枚入りというお徳用の折り紙の中から、朱と緑を一枚ずつ取り出す。
そして何を折るのだろうと不思議そうに眺めていると、戌崎は折る前にチョークで慣れた手つきのように魔法陣を書いた。またその中心に折り紙を置く。
「起動」
また灰のように消える魔法陣。中心に置かれた折り紙はまるで時を早送りしたかのように動き出す。空中に浮かび、まるで自分がどうやって折られるか、それともどう折られるのが望まれているのか解っているかのように、シュルルゥ〜と紙と紙が摩擦する音を鳴らしながら動いていく。
出来上がったのは彼岸花だった。出来上がった彼岸花は、本物そっくりに出来上がっており、こんな複雑な折り紙を作れるのかと感心していた。
「この季節だったから本物を持ってこようと思っていたのだが、この近くには無かったからこれで我慢してくれ」
ミイラのように包み込まれた幽霊の上に置く。
包み込んでいた紙人形は、差し出された戌崎の手の上に紙束へと戻っていく。
その中に居たさっきまで禍々しい色をした魔力の塊だった幽霊は、今は小さなワイン色の綺麗な光となっていた。それは弱々しく、そして段々と光は闇へ消えていこうとしていた。
「これが幽霊の正体」
「ああ、これが本来の幽霊だ。何もなければすぐ消えるはずだったのだけれどな......」
戌崎は手を合わせて黙祷する。それに見習い和希も手を合わせた。
光は消えた。
瞼を閉じたらまだあの光が幻影として見える。これで彼は成仏出来たのだろうか。いや、これで彼は死ぬことが出来たというのだろうか。和希は思う。
戌崎は隣で煙草に火を付ける。
肺一杯煙を吸い込んで、ゆっくり吐き出した。
「依頼完了」
溜息とともに漏れた戌崎の呟きは、言葉のような達成感のあるような声音ではなく、どこか寂しさを感じさせた。