7 後輩・和田優子さん
天気予報が、大阪の梅雨入りを伝えている。約40日間の雨季の始まりである。その後も、和田さんとのメールは続いている。毎日に張り合いがある。
和田さんが隣市で一人暮らししていたこともあり、休日の朝、時々自転車で一緒に走るようになった。何と偶然にも、行きつけのショップも同じだったのである。
私の自転車歴は、小学校にまで遡る。幼少期から放浪癖があり、この川はどこまで続いているのだろうかと気になって、大和川を延々と府県境近くまで遡って行ったとか、高圧電線の鉄塔を追いかけて、臨海工業地帯まで行ってしまったとか、エピソードには事欠かない。
中学時代には奈良方面、高校時代には淡路島や和歌山方面と活動の範囲を広げ、大学時代にバイクに乗るようになってからは疎遠に…。しかし数年前、ダイエット目的で再度乗り始めたところ大ハマリしてしまい。今は自分で組み立てたロードレーサーに乗っている。
一方の和田さんは、大学時代に自転車部に所属し、全国津々浦々輪行して走り回ったそうである。今でも体型維持と気分転換のために、時々ロードレーサーに乗っている。
早朝、光明池大橋で合流し、信太山やら泉北ニュータウンやらを気ままに走る。適度なアップダウンがあり、いい汗をかくことが出来る。汗を流すと、日頃の煩悩まで一緒に洗い流されていくようで気持ちが良い。そして、私の行きつけのカフェでモーニングをいただき、それぞれの帰路につく。そして夜にはメールを往復させる。
メールのみならず、こうしてリアルで会うことも増えていく中で、国松課長が、和田さんを私に…と考えた理由がなんとなく理解できるようになってきていた。しかしながら、私はもう女性は懲り懲りである。恋愛感情に発展することはなく、一友人…親友かな?というポジションから動くことはなかった。どうやら彼女もそんな感じであり、私にとっては非常に気楽な関係であった。
6月下旬。本格的な梅雨がやってきた。土曜日の朝、家でクサクサしていると、和田さんからメールが来た。
「森山さん。私の自転車の調整をお願いできませんか?変速がうまく決まらなくて困っているんです」
そういえば先週だったか、上り坂でうまくギアが落ちず、ペダルを踏みきれなくて転倒したことがあったよな…私は慌てて救助に走った場面を思い出した。
「了解。ウチに工具一式あるから持って走ろうか?それともウチに持ってきてもらって、一緒に直そうか?」
この文面を素直に読めば、独身男性が独身女性の家に行く、もしくはその逆ということになる。そこに恋愛感情があればドキドキするのだろうが、少なくとも私はドキドキしない。二人はそんな関係である。
結局その日の午後、雨上がりに和田さんが自転車に乗ってきて、我が家の「自転車工房(私が勝手にそう呼んでいる)」で調整することになった。不調の原因は、変速ワイヤーの劣化である。よく見れば、それ以外にもあちこち劣化がある。相当乗り込んでいるのだろう。この際ということで、徹底的に調整を行い、ローラー台で実際に乗ってもらった。
「うわぁ…見違えました。さすが森山さんです。ありがとうございます!」
和田さんはにっこり微笑んだ。
良い自転車は、手をかければきちんと応えてくれる。駅前に放置されているような安い自転車は、結局のところは使い捨てである。故障しても、パーツ交換すらままならないことも多い。初期投資がかかっても、自転車は良い物を購入されることをお勧めする。