10 和田さんの苦悩
食事後、再び4人で来た道を戻る。気温は35度を越え、暑さに弱い和田さんは、はるか後方を走っている。高田さんの提案で、常滑の駅前にある甘味処に立ち寄ることにした。しかしながら、この炎天下…考えることは皆同じで、長い行列が出来ている。やむなく、近くのコンビニに鞍替えし、皆で並んでカキ氷を食べた。
「いやぁ…たまらんねぇ…」
「ホンマやなぁ…美味い!」
伊東さんと高田さんは三河弁、私は大阪弁…タメで会話する。まだ出会って数時間であるが、同い年の魔力か、この異常なまでの暑さがそうさせたのか、もうすっかり旧知の仲である。この2人とは、その後も、フェイスブックや自転車を通じた交流が続いていく。
東海市まで戻り、今回の知多半島ツーリングは終了。伊東さんと高田さんは名古屋市内まで走って帰るが、一旦中締めということで、近くのスーパー銭湯で一緒に汗を流した。そして湯上がりに、ノンアルコールビールで乾杯し、再会を約して別れた。
ここからは、車に自転車を載せ、和田さんと2人で大阪へ帰る。
「和田さん。今日はありがとう。いい仲間にも出会えて楽しかった。ところで、愛知まで来て、ご実家には寄らなくていいの?」
「…いいんです。私は母と折り合いが悪くて、会うと喧嘩してしまうから…」
ここでふと、春に国松課長から聞かされていたことを思い出した。和田さんも家族問題を抱えている…。
この会話がきっかけで、大阪に向かって車を走らせながら、和田さんの生い立ちを聞くことになる。
幼少期から両親の不仲があり、何度も離婚の話が出たこと。
和田さんは高校卒業と同時に敢えて県外の大学を選択し、家を出たこと。
年の離れた弟君がいるが、同じような理由で家を離れてしまったこと。
母上は家計管理が上手ではなく、そのため頻回に生活費の要求があり、和田さんが就職した後、ずっと仕送りを続けていること。
父上は数年前に脳梗塞で倒れて療養中であるが、母上は、父上の病状についての理解が乏しく、適切な対応が行えていないと思われること。
和田さんは離れて暮らしているが、ご両親のことはやはり心配であること…
和田さんの話が終わった頃には、車は奈良盆地に下りる「Ωカーブ」に差し掛かかろうとしていた。
「森山さん、すみません。お疲れのところ、こんなつまらない話を聞かせてしまって…」
和田さんは恐縮している。でも、その表情はどこか晴れ晴れしていた。まるで、溜まっていた膿みをすべて吐き出したかのように…。なるほど、彼女が独身を貫き、1人で生きてきた理由はそこにある…。「家族」に対するプラスイメージがないのだ。
「私、自分の家族のことを、ここまで詳しく他人に話したのは初めてかもしれません。森山さん聞き上手ですよね。森山さんに相談した人は幸せだなぁって、南部福祉にいた頃から思っていました。それに、ケースの見立てや部下への指示も的確…こっそり尊敬していました」
「私なんか大したことないよ。口が下手やから、どうしても話を聞いている時間の方が長くなってしまうのよ。それに、要領ばっかりよくて中身がない…。北部児相時代、国松課長によく叱られてた。私は、和田さんは丁寧に仕事をする人やなと思ってた。私も見習わねばと…」
「森山さん。私は家族のことでしんどい思いをしたので、自分には家族は必要ない。だから一人で生きていく決意をして、10年前に、収入の安定した大阪府に就職することにしたんです。でも…先月、森山さんのお家でコーヒーをいただきましたよね。あの時、こんな人が旦那さんだったら…とか少し思ってしまいました」
和田さんはそう言い、ダッシュボードに視線を落とした。
「和田さん。私もあの時…一緒に夕食を食べたでしょ?あの時に、『1人じゃないっていいよな…』とか、和田さんともっと早くに出会っていたら、10年もの無駄な月日を過ごすことはなかったやろうなと思った。でも、私には離婚歴がある。経過はどうであれ、人生を失敗している。私みたいな人間は、和田さんみたいな出来た人にはふさわしくない…」
車は奈良盆地に下り、西名阪自動車道に入った。私は車をパーキングエリアに停めた。