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神の徒事  作者: 葦元狐雪
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 神の性質は二種類に分類される。

 善か悪、そのどちらかだ。

 どうだろう、実に単純明快だろう。もうさんや、我々七天神はすべからく善である。無論、ザハク殿も然り。

 本当だ。

 

 嘘ではない。

 ザハク殿は少々悪戯心と癇癖かんぺきが強いだけで、基本的に彼女は敬天愛人の神である。ちなみに、敬天の意味するところは、自分のことだそうだ。


 彼女は残虐非道なる悪者に対しては仮借なく罰を下すことができる、存外思慮分別のある神だ。ちょっとばかり仕方が粗略なだけである。

 見くびってはいけない。


 ただのおっちょこちょいではない。

 やるときはやる。しかしひとたび褒めそやしてしまうと、彼女の鼻はピノキオのように高くなり、徒らにはしゃぎ回るためか彼女の褒めるを忌避する者が続出した。


 ただし、あまり褒めてやらぬとへそを曲げてしまう故、我々は週に一度『ザハク殿に一日粘着される当番』を不承不承に決めている。なおアマユリだけは内心嬉々として参加しているのが一目瞭然なのだけれど、彼女の敗率は依然として零であった。


 なにゆえ負けないのか。アマユリはいつも呟く。

 不遇を託つアマユリに相反して、敗率七十パーセント台を常にキープしている傑物がジエンダである。


 ジエンダは災神と謳われており、その名に恥じぬ厄災を大なり小なり、下界に幾度となくもたらしてきた。これでは彼女が悪神ではないか、と思われるかもしれないが、あながち間違いではない。

 理由は過去にある。



 時あたかも二十世紀初頭、『ゴリラ病』が大流行した時代。中国の総人口の約半数以上をゴリラへと変えてしまったこの恐ろしい病は、致ゴリラ率九十八パーセントという、一度感染してしまえば医者もバナナを投げる忌むべき伝染病である。


 潜伏期間は二日ないし六日。感染者の差し出すバナナを食べることで感染する。


 発症すると全身の体毛が変異し、一晩にして毛むくじゃらとなる。繭のごとくに覆われた黒い毛玉は、なし崩しに毛量を減殺し、三日後には筋骨隆々、老若男女分け隔てなく立派なゴリラフェイスを公衆の面前に晒しあげることになる。

 被害は激甚であった。


 動物園の檻はゴリラコーナーで溢れかえり、ジャングルに帰らざるをえないゴリラの群れのなか、どうしても故郷から離れられぬゴリラたちの苦肉の策として、国中すべての公園のジャングルジムがゴリラに占拠されてしまうという痛ましい事件が相次いで起こった。


 当時、ジエンダはゴリラたちにシルクロードを渡らせ、イタリアへ侵攻をしようと画策していた。

 スーツを着るゴリラ、シルクハットを被るゴリラ、パイプを喫むゴリラ、シャツのボタンを留めるのに四苦八苦しているゴリラ、太すぎる腕のために仕方なくノースリーブの服を着るゴリラなど、種々雑多のゴリラがひしめき合っていた。


 ジエンダはどこへ出しても恥ずかしくない悪神だった。しかし、その計画は頓挫することとなる......

 ある日、ザハク殿はオアシスの道を行くゴリラの行列の前にふわり降り立った。地面に波紋が幾重にも広がった。


 照りつける太陽の下、緑の枯れ果てる荒涼とした砂の大地に、無機質な茶色い岩岩が雑然と転がっている。砂埃が目に入ろうと躍起だ。

 文字通り突然に降って湧いた荊棘けいきょくにゴリラたちは色めき立ち、ウホウホと胸部を殴打——とりもなおさずドラミングをした。


「ええい、ウホウホとやかましいやつらじゃ」

 ザハク殿は言った。しばらくこう着状態が続いた。


 すると、蒼穹ににわかにもくもくと立ち込めたる暗雲より、ジエンダが雷を纏いながら現れ出でた。

 黒の着物に身を包み、柳眉を吊り上げて嫌忌の態を隠そうともしない。

「誰かと思えば、創神のザハク。何しにいらしたの」


「懸案事項の解決に来たのじゃ」

「私の邪魔をするおつもりですか」

 ザハク殿は首を振った。


「そうではない」

「退いてくださいまし。怒りますわよ」

「......仕方ないの。ならば、退くとしよう」


 言うと、ザハク殿は上空へ飛んだ。ジエンダも飛んだ。

 ふたりの神は地上百メートルくらいから、ゴリラたちの様子を眺め見ている。上から見下ろすと、蟻の大群が一斉に天を仰ぎ見ているようだ。

 ゴリラたちは困惑しつつも、神に課せられし使命を貫徹すべく、またぞろ歩きはじめた。


「乙に素直ですのね」ジエンダが言った。

「そうかの」

「何を企んでいらっしゃるのかしら」


「......あれはお前の仕業か」

 西から涼風が吹き、それがジエンダの前髪を搔き上げた。

「ええ、とっても愉快でしょう。今回は趣向を少し変えてみましたのよ。いかが」


「うむ、たしかに」

 ザハク殿はニッと口角を上げた。

「しかし、これからもっと愉快になるがの」

 ジエンダは鼻白んだ。

「何を言ってらっしゃるの......」


 瞬間、叫声と轟音の唸りが空気をどよもして響かせた。

 ジエンダは地上に目をやる。おびただしい砂埃のたちのぼる底から、「ウホウホ」と悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 しばらくすると、四散する砂塵の間隙に折り重なるゴリラたちを認めた。どうやら陥穽かんせいに嵌ったらしかった。


「あはは! 見事にひっかかったわ!」

 ザハク殿は腹を抱えて笑い転げている。

「落とし穴......」


 巨大な穴の底にみっちり詰まったゴリラたちを見て、ジエンダはフッと笑みを溢した。

 ザハク殿を見る。

「くだらないことをしますわね。とても神の御業とは思えません」

「いやはや、お前も似たようなもんじゃろう」


「いっしょくたにされては困りますわ」

 呆れた風にため息を吐く。

 束の間の沈黙。

 ザハク殿は仰向けに大の字に寝そべり、空空たる九天を仰いだ。


「なあ、ジエンダよ。お前、いつまで独りでいるつもりなのじゃ」

「永遠に、でございます。そもそも、皆自由気ままに暮らしておられるではありませんか」


「昔はそうじゃった。しかし今は違う。けだし人類は時代の移り変わりとともに着々と智慧を蓄積し、その瞠目すべし野心を持つ有智高才たちによって、さらなる発展を目指すだろう。いずれ生活は豊かになり、掃いて捨てるほどの娯楽に溢れ、野心が無用の長物となった時代の人類は堕落の一途を辿る」

 ザハク殿は上半身をがばと起こした。そして続けた。


「その時こそ、皆が手を取り合い、頽廃した下界を正すに尽力することが、神の義務ではなかろうか。——今現在、わしの元には六人の上級神が集うておる。どうじゃ、ジエンダよ。わしらと手を組まぬか」


「関係ありませんわ。辞退させていただきます」

 にべもなく断ると、ジエンダは地上へ向けて降下をはじめた。

 するとザハク殿は顔を真っ赤にして、頬をフグのように膨らませた。


「ひどいのじゃ! 戻ってこい! こら、ジエンダ!」

 ジエンダは構うことなく、降りてゆく。

 ザハク殿はハッと気づいたような表情をしたのち、腕を組みふんぞり返った。


「......長野県、だったかの」

 ジエンダの動きがピタリと止まった。

 睥睨しているザハク殿を見上げた。


「長野が、何でしょう」

「いや、お前の社はたしか長野県の木曽にあったよな、と思ったのじゃ」

 ジエンダは眉根を寄せる。


「そうですが」

「うむうむ、やはり。わしに間違えはなかった。では、行ってよいぞ」

 ザハク殿は森羅万象ことごとくの創成が意のままである。創ることができるならば、壊すことなど造作もない。しこうして、信仰者である人間の記憶の一部を壊すことは造作もない。


 ——神、人間の信仰なくして存在する能わず。


「卑怯だわ! それでもあなたは善神ですか!」

「なんとでも言うがよいわ! 厭なら大人しくわしの下につけ!」

「あなたみたいな鬼畜神の眷属になるなんて、まっぴらごめんです!」

「言いおったな、このデカ乳!」


 かくして、ザハク殿とジエンダ熾烈ないさかいは、五年の月日を経て決着を果たした。

 諍いは昼夜兼行片時も休むことなく行われた。その際、北斗七星を破壊したが為に、多くの北斗七星ファンは怒り、悲しみ、嘆いた。しかし、アマユリがザハク殿に創り直しをさせてことなきを得た。


 天上界の面々はジエンダを快く迎え入れた。

 はじめはツンケンしていたジエンダも、今やすっかり圭角が取れ、何くれとなく皆の世話をする温柔敦厚なおっとり系お姉さんと化した。



      $



 現下私の胸中は、下界の人々への憂慮の念に満ちている。

 癇癪持ちのザハク殿が白のシエンタのボンネットに衝突し、そのまま北東にある七階建てのマンションの屋上に落下したのを見たのだ。


 大変だ。

 彼女の瞋恚の炎は火の原を燎くが若し勢いで、無差別に民への八つ当たりを仕掛けるかもしれない。そうなる前に、身内である私がなんとかせねば。

 私は蹶然けつぜんと立ち上がった。

 

「あら、ちょっと待って」

 ジエンダが私の袂を軽く引っ張った。あやうく膝を落としかけた。

「どうしたの?」


「私が行くわ」

 言うと、ジエンダは鷹揚に立ち上がった。

 

「晩御飯の支度をお願いね、カラクラちゃん」

「いや、でも......」

「いいから、私に任せておきなさい。もし先にザハク殿が帰ってきたら、遠慮ぜずに食べ始めちゃっていいからね」

 ジエンダは光の渦に身を投げた。


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