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神の徒事  作者: 葦元狐雪
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 澆季ぎょうきの世に跋扈ばっこするは、有象無象の怠惰で退屈を持て余した人類であった。

 彼らは皆、愚人だった。口を開けばやれ「飽きた」だの、やれ「つまらない」だの、やれ「おっぱい」だのうるさかった。


 仕事はしない。娯楽は貪り尽くしてやることがない。隣人がどうなろうと知ったことではない。

 漫然と生きて死ぬのだ。


 上界から見下ろす我々神々は、かくのごとき惨憺たる下界の有様を嘆き、悲しみ、激怒した。

 しかし人間の信仰なくして存在する能わずの神であるため、不承不承、食べ物や生活必需品、なにがしかの金銭などを月に一度地上の人々に分け与えた。


 すると、ますます堕落した。

 朝な夕なに酒盛りお祭りどんちゃん騒ぎ。眠らぬ街は燦然さんぜんと輝くぼんぼりの光に満たされた。


 ——彼らは言った。私たちは、神のヒモであると。


 あるとき。天界の長であるザハク殿は突如、八畳間の茶室にてくだんの端緒を開くべく、鳩首凝議している我々——下界の静謐せいひつを見守る七人の女神——『七天神』に申し立てをした。


 雲神のアマユリ、水神のチカ、火神のミーネ、光神のヴォルトラ、愛神のラウラ、災神のジエンダ、そして、霊神のカラクラを名乗る私を含めた七人は、一様にザハク殿を見遣った。


 彼女曰く、腐敗した俗世を救う奇計を思いついたという。して、それは何かと問う。

「異世界に送ってやれば良いのだ」


 ザハク殿が言うと、一同はため息をついた。御多分に洩れず、私も盛大にバラの香りのする息を吐いてやった。茶室は瞬く間にかぐわしい匂いに包まれ、並の邪霊ならば即刻成仏してしまうくらい神聖な場と化した。


 ザハク殿は顔をしかめた。臭いからではない。きっと、言葉に表さずとも反駁的意を「ため息」という行為を以って呈した我々に対し、面白くないと思っているからに相違ない。


 ザハク殿の顔はたちまち、彼女の髪色と同系色の赤に染まった。リュウグウノツカイの背ビレもかくやと思われる鮮やかさである。藍染の着物の袂を振り振り、素足で畳を踏みつけては「つまらん! つまらん!」と喚いた。背丈が三尺と五寸ほどしかないので、頑是ない子女が癇癪を起こしているようにしか見えない。こう見えて、御齢四十六億歳なのだが——


「なにゆえダメなのじゃ! アマユリ、申してみよ!」

 ザハク殿は指をさして言った。


 アマユリは雲を操る能力を有している、閑麗な容姿に雪のような冷たさを湛えた白皙はくせきの女性である。ザハク殿は彼女のことをいとわしく思うきらいがあり、気にくわぬことがあれば「おい、アマユリ」と呼びつけるのが常であった。しかし、毎度のごとくアマユリに論破に喝破されては、悔し涙をこらえながらトテトテ退散するので、いい加減やめてはどうだと諫言するのだが、なぜか聞く耳を持たない。


 水を向けられたアマユリはイソイソと紅碧の着物を正し、空色の髪を揺らしながら、スソスソと彼女の眼前に迫った。


「お言葉ですが、ザハク殿」

 剣呑な声音で言った。ザハク殿はたじろいだ。

「な、なんだ。怖い顔で脅したってダメだぞ」


「あなたは、如何様にして地上の人間を、異世界に送るというのですか?」

「そ、それはだな——待て。ちょっと、待て」

 ザハク殿は忙しなくアマユリとは対照的に貧相な胸元を弄り、一冊の本を取り出すと、パラパラとページをめくりはじめた。


 やがて、めくる手が止まった。それをアマユリに突きつけた。

「見よ。書物によると、どうやら下界では人をトラックに轢かせると異世界に飛ぶらしい」

 得々と言った。アマユリは可憐な美少女の絵が描かれた本を受け取ると、眉根を寄せて文章を読んだ。

 すぐに読み終えると、嘆息気味に「お言葉ですが」と言った。


「ザハク殿は、これを本気で鵜呑みにしていらっしゃると?」

「無論だ。わかったら、早速トラックに人間を放り投げにいくぞ。ついて参れ!」

 そして、英邁なるわたしを敬い、称えよ、奉れ! 

 腰に手を当て、小躍りで茶室を後にしようとするザハク殿の襟元を、細く白い指が捕らえた。


「うえッ」

 首がしまったらしく、ザハク殿は激しく咳き込んだ。襟元を掴んだアマユリを睨んだ。

「なにするんじゃい!」

「お待ちください。というか、そこにお座りなさい」

 アマユリが言うと、ブツクサと文句を垂れながらも、ザハク殿は素直に従った。


「ほれ、座ったぞ」

 端然と正座をし、さあかかって来なさいと言わんばかりの煌々とした表情で、アマユリに言った。

 アマユリはザハク殿と対面するように座った。我々は彼女たちの横顔が見える位置へ、三々五々移動した。


 まるで親子だ。叱る母と叱られる娘だ。私もあやかって、正座をして静観することにしよう。

 母役・アマユリの「いいですか」を皮切りに、教戒がはじまった。

「ザハク殿、これは小説です、虚構です。実際にトラックに轢かれた人は死にますし、異世界などというご都合主義の世界で八面六臂の活躍をして、数多の美女に異様に迫られることもありません」


 ザハク殿は激した。

「なんじゃと! この書の主人公のカズヤはなあ、救い難い無精者だったけれど、ちーと? とやらの恵沢を胡散臭い女神から賜り、その理不尽な力を以って異世界に蔓延はびこる悪漢を斬って斬って斬り捲り、安寧をもたらした、いわば革命児的存在なんだぞ。それを、ウソだと言うのか!」


 はい、嘘です。

 アマユリは斬り捨てるように言った。

「よしんば事実だったとして、異世界へ行くための鍵となり、はからずともカズヤを轢き殺してしまったトラックの運転手さんはどうするのです。悲惨でしょう。呵責の念と絶望的未来に立ち向かわなければならない彼の胸臆は推するに余りあります。救うべきだったのはカズヤではありません、運転手さんです」


「くっ......たしかに。運転手さん、かわいそう」

 ザハク殿は下唇を噛んで、悲しそうに顔を歪めた。

 話を逸らされているぞ、気づけ、同調してどうすると、私の右隣にいるヴォルトラが呟いた。


 次いで、背後から「ザハちゃん頑張れ〜」とチカの気の抜けた声が聞こえてきた。

 アマユリはコホンと咳をひとつした。

「わかっていただけましたか。だから、徒らにトラックに無精者を投げつけるのはやめましょうね」


「ああ......わかった」

 俯いて答えた。

 意外である。てっきり、いつものように涙を目の端に湛え、口をモゴモゴさせて立ち去るのかと思っていたのだが。


 私の左隣のジエンダも驚いたのか、「あら。今日はなんだか素直ねえ」と言った。

 どうしたのかしら。ようやく聞き分けの良い子になってくれたのだろうか。

 思案していると、つとザハク殿は立ち上がり、呵々と笑った。


「よし! では運転手さんを救ってやろう」

 奇計を閃いたのだ。


 ザハク殿の言葉に、アマユリは目をしばたたかせた。

「あの、ですから、虚構なんですよ。それに実際下界でトラックが人を轢いてしまう場合、注意力散漫や睡眠不足などが主たる原因なので」

 

 するとザハク殿はふんぞり返った。

「では、なにゆえ運転手さんは注意力散漫になる」

「それは」


 劣悪な労働環境のしからしむるところですと、アマユリは言った。

「嘆かわしいことですが」

「やはり、救わなければならぬな」


「救うとは? いったい、どうするのですか」

「異世界にご招待するのだ」

 言うと、ザハク殿は不敵な笑みを浮かべた。アマユリは嘆息する。

 ——だから、異世界は存在しないと再三再四言っているのに。


「あ」


 チカが頓狂な声をあげた。それを嚆矢こうしに、場が徐々にざわつき始めた。

 私の右斜め後ろを見ると、ラウラとミーネが青ざめた顔をして、震えながら抱き合っていた。ジエンダは楽しんでいるみたいに「うふふ」と微笑み、片膝を立てているヴォルトラは、おおどかに茶を啜っている。


 まさか、ザハク殿は力を行使するつもりなのだろうか。

 世界を創生し、天地万有の祖と謳われる、女神の原点にして頂点——ザハク。

 海の塩辛いのが嫌だと言って、塩を全て砂糖に替えてしまった——ザハク。

 下界を漫ろに逍遥していると、不躾な人間に子供扱いされて激昂したから、人類全てを貝にしてやった——ザハク。


 その他諸々、巨億の蛮行がアマユリの露見するところとなり、天界の最果てに桎梏を掛けられた状態で、百年もの間放置されたことがある哀れなザハク殿。

 ——巍然ぎぜんたる、創神の力を。


「ちょっと待って!」

 私が言った。

「ダメじゃ」


 ザハク殿が答えた。却下された。彼女は両腕を大きく拡げた。

 空気が震撼し、囲炉裏の炭は燻り、吊るされた茶釜がカチャカチャと鳴り、襖に鋭利な刃物で切りつけたような傷が幾つも刻まれた。


 傍観者の我々は立つことさえ困難になり、畳に伏せる格好になる。アマユリただ一人が居然としたまま、凍てるような目でザハク殿を睨んでいる。しかして、ザハク殿は朗々と叫んだ。

「なければ創れば良いのだ! さあ、とくと見よ! 新たなる世界の誕生じゃ!」

 視界はまばゆい光に満ち溢れ、 あたりを無量の白が領した。

 

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