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これが僕たちの距離。 ~あなたは私の心の中に~

作者: まなつ

 私が彼のことを知ったのは夏休みが明けて、まだ間もない頃。

 文化祭の準備が着々と進む校内。暗幕の取り付けられた教室や、白いシーツをかぶせた机を一直線に並べてその上に自分たちの手作りの雑貨を並べている教室、どのクラスも夏休み返上で、文化祭の準備をしてきただけあってなかなかの出来栄えだ。しかし、今年の文化祭の目玉は運動場の片隅に設置された黄色とオレンジのきらびやかな舞台。大きく「告白大会」と書かれた舞台の上で生徒たちは各々、告白したい異性の名前を叫ぶのだと言うから驚きだ。中学生という一番多感な時期にこのような行為はまさしく公開処刑というにふさわしい。

 「あんなの、テレビか漫画でしか見た事ないよ。」

 私の隣を歩いていた斉藤純は窓枠に肘をつくと呆れたようにため息をついた。私も立ち止り純の背後からそっと運動場を見下ろした。開け放たれた窓からは、今も舞台の準備をしている男子たちを見ることができた。まだ、秋というのは名ばかりの暑いさなかに必死になって、あんな物の準備に汗をかいている男子達がどうしようもなく馬鹿に思えてならない。

 「誰が参加するんだろう?」

 私だったら参加するのもごめんだし、あんなところで自分の名前が出る事を想像しただけでゾッとする。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、純は振り返り、私をニヤリと見つめながら言った。

 「誰かが杏奈の名前言ったらどうする?」

 「やめてよ。そんなのあり得ないんだけど。」

 「どっちの意味で?」

 「面倒じゃん。」

 「あ、やっぱそっちね。」

 面倒事に巻き込まれるのは嫌だったし、私は中学校生活を平穏無事に過ごしたかった。そのために親友の純にさえ隠し事をしているのだ。それは親にだって言えない大きな隠し事だった。

 スタスタと廊下を歩く私のあとを純は悪びれる様子もなくついてくる。まったくもって心のこもってない「ごめん」を二、三度繰り返した純に、私は思わず噴き出した。

 クラスで学級委員を務める純は勉強も運動も出来るし、同性の私から見ても美人だと思うけれど、全然そんな事を鼻にかけていないところが好きだった。たまにお節介をやくけれど、さばさばとした性格も付き合いやすくて好感が持てる。だから、私はずっとこの関係を続けて行きたいと思っていたし、私の秘密を知ってしまった純が、私に対しての態度を変えるかもしれない事が耐えられなかった。

 廊下を真っ直ぐ自分の教室に向かって歩いていると、向かいから一人の男子生徒がこちらに向かって歩いてきた。運動場で笑い声を上げながら仲間たちと汗を流し、告白大会の準備をしている男子達も馬鹿げていると思うが、彼はそれ以前の問題だった。負のオーラをまとう彼に私はゾッとした。廊下の端、壁ギリギリを歩く彼になるべく近づかないように私も壁ギリギリを通った。そんな私を不思議に思った純が首を傾げる。

 「どうしたの?」

 「いや、ちょっと……。」

 言葉を濁す私に、純は何かに気がついたように私の耳元にそっと口を寄せた。

 「荒井悟。隣のクラスの変わり者。みんな近づかないし、杏奈も気を付けなよ?」

 聞き覚えのない名前に私は思わず純を振り返った。違う意味であんな目立つ生徒、二年生の今まで気がつかなかったのだろうか。目を白黒させる私に純は驚いたように言う。

 「まさか知らなかったの!? 違う学年の間でも有名なのに。みんな貧乏神って呼んでるよ?」

 「へ~。」

 私は再び、廊下を歩きだした。

 「うわ! 興味なさそう!!」

 純はそう言って、私を相変わらずだと笑うけど、本当は痩せ我慢をしていた。背後に感じる寒気に似た感覚はどんどん遠ざかっていくが、それと反比例するように、私の動揺は増していった。

 私は幼い頃から人には見えないものが見えた。ある程度の年齢になれば、それが世間一般に言う「幽霊」であることが分かった。幽霊にも良い霊と悪い霊がいて、私の周りに現れるのは決まって悪い霊。そしてその霊を私はやっつけることができた。幼い頃から悪霊が近くにいる環境で育ってきたせいで私自身が知らぬ間にそれに対抗できる能力を身につけてしまったらしい。悪霊を自分の体内に取り込み浄化する。ただ、それは自分の命を削る、恐ろしい能力。自分で制御する事は出来ないので、日頃から悪霊に近づかないように心掛けている。すぐにどうこうという話ではないが、浄化の後は一歩も動けないほどに疲れるし、どういうわけか涙が止まらなくなるのだ。

 かかわらない方がいい、そう思っているのに、それ以来、彼のことが頭から離れない。

 「あいつって一年の時、何組だったの?」

 「あいつって?」

 放課後、部活動をしていない私と純は、途中の交差点まで一緒に帰ることが多い。純に学級委員の仕事がある時は別だが、それ以外はほぼ毎日一緒に帰っている。どういうわけか悪霊は夕方に多く現れ、それも決まって私が一人の時だ。

 「ほら、今日廊下ですれ違った。」

 「荒井悟?」

 私はコクリと頷いた。

 「何言ってんの!? 三組だったじゃん。隣のクラス!」

 「そうだったけ……?」

 「もう。ホント、どうしたの? 今日おかしいよ?」

 交差点の横断歩道を渡りきったところで「あいつの事なんて考えるだけ損だよ。」と言い残して、純は去っていった。一人になった私は、足早に家路を急ぐ。

 その時、ゾッとするような気配を感じて私は立ち止った。肩に掛けた学生鞄の持ち手を両手でぎゅっと握る。恐る恐る振り返った。そこには誰もいなかったが恐ろしくなって私は全力疾走で家に帰った。

 翌日も、その翌日も純と別れると決まって同じ気配を感じた。

 純に相談してみようかと考え始めた五日目の放課後。昇降口に向かう私たちは二階の廊下を二人で歩いていた。相変わらず、文化祭の準備に忙しい校内は騒がしかったが、この日はいつも以上だった。廊下に出てきた生徒たちはこぞって運動場を見下ろしている。顔を見合わせた私と純も近くの窓を開け、運動場を見た。運動場にもたくさんの人だかりがあったが、生徒たちは皆完成したばかりの舞台に注目しているようだった。すると、運動場の人だかりが二つに割れて、中から二人の男子生徒が舞台に上がった。一人は荒井悟で、もう一人の男子生徒に無理やり引きずられている感じだった。

 「荒井が好きなやつの名前を言うんだと。」

 どこからかそんな声が聞こえてきて、私は窓から身を乗り出した。

 舞台から慌てて降りようとする荒井悟を無理やり押し付け、どこからともなく手拍子と共に告白を急かすようなコールが始まる。

 「あいつに好きなやつなんているのかよ?」

 いるわけない。私は瞬間的にそう思ったのだ。だって、あいつは――――…。

 コールが大きくなる。

 そして次の瞬間、彼は学校中に響くような大声で私の名を口にした。

 「僕が好きなのは、深森杏奈だ!」

 

 だって、あいつは人間じゃない。

 悪霊なんだから。


 翌日、私が登校すると生徒のほとんどがこの告白を知っていた。教室の黒板にはでかでかと相合傘が書かれ、私の名前と何故か「貧乏神」と書かれていた。荒井悟が貧乏神と呼ばれている事を思い出し納得する。ため息をつく私の元に押し寄せるクラスメイト達。

 「おい、深森。おまえは貧乏神のこと、どう思ってんだよ?」

 男子が言う。私は答えなかった。私が弁解すればするほど、周りは面白がって盛り上がるだけだと知っている。だから、何事もなかったように席に着く私にクラスメイト達は不満げだった。

 そしてそこに着火剤が現れた。

 荒井悟だ。荒井悟はこんな状況に躊躇することなく教室に入ってくると、入口の所で微動だにしなくなった。その距離三メートルほどでこう着する状況。奇妙な空気が教室に流れた。突然現れた荒井悟を毛嫌いする生徒、別に上手くもない口笛を吹いてはやし立てる生徒やドラマのような甘い展開を期待する女子生徒。私は、息を飲んだ。よけいな事を言わないでくれと必死に心の中で念じるのだった。

 「好きです。」

 その一言に教室中が沸いた。気がつけば、廊下にも大勢の野次馬が集まっている。

 「深森さんは特別な人だから、よけいに僕を嫌うかもしれないけど。」

 私はその言葉にハッとした。だから、彼は私に近づかないのだと。近寄れば体内に取り込まれ、浄化されてしまうから。

 私は顔をしかめた。だったら、なんでわざわざこんな事をするのだろうかと理解に苦しむ。なんでかかわろうとするのだろう。

 彼は答えだと言わんばかりに私を力強く見ると、もう一度口を開いた。

 「好きだから。」

 いつもは俯いている彼が真っ直ぐと私を見つめている。相変わらず、負のオーラ満載の彼だったが、生まれてこの方、告白などされた事のない私は、それだけで顔が赤くなった。

 「なんだ。深森だってまんざらでもないんじゃん?」

 一人の男子生徒が言うと、人だかりの向こうから聞き慣れた声が響いた。

 「なわけないでしょ! ちょっとどいてよ。」

 突然の純の声に私は声のした方に目をやる。すると人をかき分けて、眉間にしわを寄せた純が現れた。

 「いったい何の騒ぎ?」

 突然の学級委員長の登場と、思っても見ないほどの剣幕に静まり返る教室。一人の男子生徒が口を開いた。

 「貧乏神が深森に告白しに来たんだよ。」

 そう言って教室の入り口に突っ立っている荒井悟を指さす。キッと鋭い目つきで振り返る純に荒井悟も思わずたじろいだ。

 「何なの、あんた? 杏奈にちょっかい出さないでよ!」

 「おい、斉藤。貧乏神だって勇気だして告白してんだよ。そんな言い方、野暮ってもんだぜ。」

 何だろうか。ここにきて荒井悟の支持率がうなぎ登りだ。初めのうちは怪訝な顔つきをしていたクラスメイト達も今ではまるで荒井悟の信者のように男子生徒の主張に頷いた。

 「ちょっと、杏奈。いったい私がいない間に何があったのよ? 荒井ってこんなに人気あった?」

 本人の前でズバリという純に私もズバリと首を振る。

 「ごめんね、騒がせて。今日の所は帰るよ。」

 苦笑を浮かべながら頭をかく荒井悟は、野次馬をかき分けながら自分の教室へと帰って行った。

 その日から貧乏神改め『貧乏神のビンちゃん』は、特に男子から英雄扱いを受けることになる。ビンちゃんの影響もあって文化祭当日の告白大会は大盛況のうちに幕を閉じた。

 後夜祭のキャンプファイアーでも、私と荒井悟をくっつけようとする生徒たちは私を無理やりフォークダンスの列に並ばせた。女子達も荒井悟とのフォークダンスに少々顔を引きつらせていたが、私と荒井悟の番が近づくにつれ、周りが浮足立つのが分かった。そんな周囲の反応に思わずため息をついていると「どうしたの?」と荒井悟の声が聞こえた。とうとう順番が回って来てしまったのだ。

 嫌だなと思いながらも、思わず荒井悟の手を取ってしまいそうになった私は慌てた。あまり近づきすぎると、彼を取り込んでしまう。手を引っ込めて顔を曇らせる私に荒井悟は微笑んだ。軽やかな音楽に混ざってキャンプファイアーの火がパチパチと音を鳴らす音が、とても遠くに感じた。

 初めて見た彼の笑った顔に時が止まった気さえした。

 「ありがとう。」

 曲が終わると同時に、荒井悟はそれだけ言うとフォークダンスの列から去っていった。

 その日から、荒井悟に対する私の考えに少し変化があった。告白をされるのも悪いもんじゃない。彼は私が今まで知っている悪霊とは違っていたし、そもそもなぜ人間の姿で学校に通っているのか。その理由を聞いてみたい気もしたけど、自分から踏み込む勇気はまだなかった。彼が一人の時を狙うとしても、万が一、他の生徒に見つかってはやし立てられるのも嫌だった。こんな事を純に頼むわけにはいかない。私が自分の席で頬杖をついていると、純が心配そうな表情でやって来た。

 「どうしたの? 浮かない顔で。」

 もう一度ため息をついて、私が口を開こうとすると、その前に純が言った。

 「当ててあげようか? 荒井悟の事でしょ。」

 嬉しそうににやりと笑いながら、私が頷くのを待っていた。この時ばかりは純の事を少し面倒だと思った。私がしょうがなく頷くと、「あ~、やっぱり?」と言った。

 うざい。

 「知ってる? 最近、荒井のやつ『ビンちゃん』なんて呼ばれてるんだよ?」

 「知ってる。」

 私は、上の空で純の話を聞いていたと思う。だから、自分からこんな言葉が出た事は一種の事故であると思いたい。

 「あり得なくない?」

 今どきの女子のような口調で一人盛り上がる純に私はポロリと言ってしまったのだ。

 「なんで? 可愛いじゃん。」

 その言葉に、流れる一瞬の沈黙がやたらと長く感じた。

 「あ、えっと。」

 慌てる私に純はにやりと笑う。嫌な笑い方だ。

 「杏奈も好きなんじゃないの? ビンちゃんの事。」

 私はカァっと熱くなった。

 「図星?」

 純のペースに乗せられてたまるものかと私は、邪心を振り払うように小刻みに首を振ると一つ大きく深呼吸をした。

 「好きと言われれば、その人の事を好きだと錯覚する。」

 私は机の上に散らかった教科書やノートを片付けながら言った。

 「はい?」

 「あるでしょ。そんな思い込みって。」

 私はそれだけ言うと席を立った。

 「あんたねぇ~……。そういうとこ、あんたの悪い癖だよ!?」

 立ち去る私の背中に向かって、そう叫ぶ純。やれやれと肩をすくめた。

 その日の六時間目は二クラス合同のレクリエーションで、体育館でドッヂボールをやった。一部のやる気満々の生徒たちが盛り上がり、あとの生徒たちは体育館の隅っこで楽しげに話していた。その中にはビンちゃんの姿もある。ビンちゃんはドッヂに参加する事もなく、一人で体育館の隅っこに座っていた。

 六時間目終了のチャイムが鳴り、私は重い腰を上げた。すると足元にさっきまで使っていたボールが転がって来て、私はそれを拾い上げた。辺りを見回しても、みんなそそくさと教室へ帰っていくだけ。仕方なく私はそのボールを倉庫に持っていく。

 倉庫は雑然としてして、少し気味が悪かった。ボールをボールかごに入れた私は倉庫から出ようと振り返った瞬間、誰かにそうこの扉を閉められてしまったのだ。重い倉庫の扉が閉まる音を追ってカチャッと今度は妙に軽い音が響く。

 「ちょっと、嘘でしょ!?」

 慌てて扉に駆け寄るが、残念ながら嘘ではなかった。そう、私たちは閉じ込められてしまったのだ。私は肩を落とした。

 「で。なんで、あんたはそんな冷静でいられるわけ?」

 私は平均台に腰かける彼に言った。

 「たぶん、みんなは僕の事を気遣ってくれたんだと思うから。」

 その言葉に私はバッと振り返り、怒りに身を震わせた。

 「あんた、私の能力の事知ってんでしょ!?」

 「うん。」

 「知ってるなら、告白とか止めてよ、ホントに。」

 「なんで?」

 「付き合えるわけないじゃん! 近づいたら私はあんたを取り込んで浄化しちゃうんだから!!」

 怒りにまかせてまくし立てたせいで息が苦しかった。肩で息をする私に彼は微笑んだ。

 「何がおかしいのよ……?」

 「だって、それは君も僕の事が好きって事だから。」

 私は言葉に詰まった。正直、今自分が何を言ったのか正確には思い出せなかったが、その言葉には確かに、こんな能力がなければ、と言う思いがあった。こんな能力がなければ……。その先の言葉を想像して私は頬を赤くした。

 「触れることは出来なくても、お互いがお互いを思うことは出来る。」

 そう言って、彼はスッと立ち上がった。そしてゆっくりと一歩二歩と私に近づいてくる。そして立ち止った。

 「これが僕たちの距離だ。」

 それはお互いが手を伸ばしても、ボール一つ分届かない距離。私たちはお互いに手を伸ばした。その手は何もつかめないまま、私は頷いた。

 「分かった。この私があんたを思ってあげるんだから、有難く思いなさい。」

 彼は笑っていた。


 悪霊の定義って何だろう。

 そう考えると彼の事を悪霊と呼べるのだろうか。

 そんな事を考え始めた十月の終わり。私達が付き合い始めたという噂は校内中を駆け巡っていた。あの騒動のおかげで、彼は男子達に一目おかれるようになって、いつも彼の周りには人がいた。私との事を根掘り葉掘りい聞かれて困っているようだったけど、その顔はとても嬉しそうだった。

 私たちが付き合っている事はクラスの全員が知っていたけれど、半信半疑のやつもいた。手をつなぐ事もなければ楽しげに話す事もない。そんな私たちを見れば誰だって疑いたくなる。二人の会話はもっぱら電話とメールだった。クラスが離れている分、放課後は一緒に帰ったり、恋人らしい事に憧れもしたが、これはこれで楽しかったし、私にはこっちの方があっている気もした。

 そんなある日、私と彼と純、クラスメイトを代表した小島春人の四人で遊園地に遊びに行こうという話になった。ふだん恋人らしい雰囲気がまるっきりない私達に痺れを切らしたクラスメイト達が、私達の恋人ぶりを確かめるために企てたに違いない。私は乗り気ではない素振りを見せながらも、一応、メールだけは打ってみることにした。すると、次の昼休憩に彼から返信が来た。そこにはただ一言『大丈夫?』と書かれていた。私がその返信に一瞬、ケータイを打つ手を止めていると、背後から純がケータイを覗きこんできた。

 「あ、ビンちゃんから返信来たの? ……大丈夫って、何が?」

 「ううん、何でもない。」

 そう言って、私は慌てて返信を打った。『何が?( ´∀`)』

 純が見ていたのでは、そう返すよりほかなかったのだ。彼の言いたい事は分かっていたはずなのに……。でも、本当のところ、私は全然分かっていなかった。彼を思えば思うほど、触れられない事がこんなにつらいものなんて、全然分かっていなかった。

 その週の日曜日、遊園地に集合したのは、私と彼と純、そしてクラスメイトの小島春人と住田直也だった。ここに直也がいることには驚いた。クラスも違うし、私は知らせていない。私は純を睨んだ。

 「誘っといた。……さぁ、今日は楽しむわよ~。」

 そう言うと、純は小島と直也を引きつれて遊園地へと入って行った。

 「ちょっと、純!」

 「深森さんは、彼のこと好きなんだね?」

 肩を落とす私に声をかける彼は、いつものように少し距離を取って、私を見つめていた。

 「ただの幼なじみ。両親同士も仲良くて、小学校の頃はよくみんなでバーベキューとかしてた。それだけ。」

 「じゃぁ、嫌いなの?」

 「嫌いってわけじゃないけど……。」

 言い淀む私に彼は笑いかけると、「そういう事だよ。」と言った。

 「さぁ、僕達も行こうか。」

 恋人同士なら、ここで手でも握るのだろうが、私達にはできない。ふと、ずっと感じていた疑問が頭をよぎる。

 彼を悪霊と呼べるのだろうか――――?

 私は彼に手を伸ばした。その瞬間、寒気のような、悲しい気持ちが流れ込んできて私は手を引っ込めた。慌てて彼から距離を取る。

 その光景を直也は見ていたのだ。私がトイレから出てくると待ち伏せしていた直也に呼びとめられた。

 「お前ら、本当に付き合ってるわけ?」

 「え……、当たり前じゃん。なんでそんなこと聞くの?」

 「だって、お前ら、わざと距離とってるみたいじゃん。乗り物に乗るのも、順番待ちしてる時も。それっておかしくね?」

 「照れ、だと思う。……そう、照れだよ。直也、何言ってんの?」

 誤魔化すように笑う私だったけど、顔が引きつってうまく笑えない。案の定、直也は私を疑わしげに見つめていた。

 「杏奈、少しおかしいよ。杏奈じゃないみたいだ。……何隠してるの?」

 「何も隠してないよ。変なこと言わないで。」

 そう言って私は足早にみんなの元へ戻った。みんなはベンチに座って待っていたけど、彼は私を見つけると心配そうに立ち上がってくれた。それだけで、泣きだしそうだったけど、我慢した。

 自分でも分かっている。私は少しおかしい。この遊園地に来てから、悲しい気持ちが溢れている。何か分からないモヤモヤが心の中に漂って、スッキリしない。そしてそれは、彼の顔を見るといっそう強くなった。

 「ここのお化け屋敷、超怖いって有名なんだってさ!」

 小島がそう言って、私たちを連れてきたのはいかにも怖そうな黒塗りの建物だった。楽しげな遊園地の一角でそこだけ異様なオーラを放っている。

 「ご、ごめん。私ムリ。」

 「え?」

 「は?」

 突然の事に純も小島も驚いたように尻込みする私を振り返った。

 「そういや、昔っからお化け屋敷だけはダメだったよな?」

 そう言って直也は笑った。

 「そうなの?」

 「あぁ、昔から幽霊とかはダメなんだ。こういうところには本物が出るんだと。」

 「ちょっと直也。よけいなこと言わないで!」

 「深森が幽霊苦手なんて、意外だな。」

 小島はそう言ってにやりと笑った。私の背後に回り込むと、私の肩を力いっぱい押して、お化け屋敷へと引きずっていく。

 「ちょ、ちょっと。何すんの!?」

 「大丈夫だって! 作りもんだよ、作りもん。」

 どんどん近付いてくるお化け屋敷に私は涙目になっていた。すると、鬼の首を取ったように意気揚々の小島の肩に彼が手を伸ばした。

 「ん?」

 振り返る小島に彼は笑いかけた。

 「大丈夫だよ、深森さん。」

 その言葉に私も彼を振り返る。

 「僕なら本物だってやっつけられるでしょ?」

 思いもよらない彼の言葉にポカンとする私達に、直也だけが鋭い眼を彼に向けていた。

 「ねぇ、杏奈。なんかビンちゃん雰囲気変わったね。」

 私はコクリと頷いた。そしてそれは漠然と私に影を落とした。何だかこのまま彼がどこかへ行ってしまうような、そんな気が。

 そして、純の提案で直也と小島ペア、私とビンちゃんと純に分かれてお化け屋敷にはいることになった。純は気を利かせて、私と彼を二人にしてくれると言ったけれど、私がお願いして一緒のペアになった。そうじゃないと、怖さに負けて、彼にしがみついてしまいそうだったから。

 「何が嬉しくて、男とお化け屋敷に入るんだよ。」

 小島は不機嫌だったが、そんな小島を純がなだめた。

 お化け屋敷はさすが評判になるだけの事はあって、とても怖かった。怖がる私を尻目に表情一つ変えずに突き進んで行く純と、私達の後ろを涼しげな顔つきで歩いてくる彼はさすがだった。

 作り物のお化けは、私だって怖くない。でも、必ずこういう場所には本物が隠れているのだ。

 「守ってくれるのよね? 強いんだよね?」

 道中、何度も彼にそう確認しながら、私は終始、純にしがみついていた。

 「なんか色々、間違ってるような気がするんだけど……? そういう事は、ビンちゃんの腕にしがみつきながら言うものだと思うよ。っていうか、守ってもらうんなら逆じゃない? それにすっごい離れてるし……。」

 「いいの!」

 「あぁ、そう。」

 純はこの不可思議な状況についていけないと言った様子でため息をついた。

 するとその時、ゾッとするような寒気を感じて私は思わずしゃがみ込んだ。

 「杏奈?」

 「ちょっとストップ。これ以上行ったらやばい。」

 偽物に混じる本物に近づきすぎれば、私が命を削る事になる。すると彼が空から降って来たかのように錯覚するほど、作り物のお化け達を踏み台にして高くジャンプして私達の前に立ちはだかった。彼が鋭く睨むと、その本物は恐ろしいうめき声をあげて消えてしまった。

 「大丈夫。自分では実体を持つ事ができない雑魚だから。」

 そう言って振り返る彼は、突然の事に目を白黒させている純に笑いかけた。

 「斉藤さん。」

 「は、はい!」

 「行こうか。悪いけど、僕の代わりにしっかり深森さんを支えてあげてね。」

 「……う、うん…………。」

 お化け屋敷の外では先に入った小島と直也が私たちを今か今かと、首を長くして待っていた。

 「遅いぞ、三人とも。」

 「ごめん、ごめん。杏奈が途中で歩けなくなっちゃって。」

 「まじかよ? 大丈夫か、深森。」

 「だ、大丈夫。ごめん、遅くなって。」

 「いや、別に良いけどさ。」

 その様子を離れて見守っていた彼に直也が近づいた。射るような目つきで彼を睨みつける。二人は何やら話していたようだったけれど、それに聞き耳を立てる余裕は今の私にはなかった。

 遊園地に行って以来、隣のクラスの直也がよく私達のクラスに遊びに来るようになった。私は相変わらず彼とは普段からメールでやり取りする事が多かったから、何度となく直也から注意を受けた。そんなやつは止めた方がいいと。それでも私は聞く耳持たなかった。

 「どこが良いんだ? あんなやつ。」

 今日も私のクラスにやって来た直也は自分の席でケータイをいじっている私を心配そうに言った。

 「あんな薄情なやつ。」

 「薄情?」

 私はケータイを打つ手を止めて、直也を見た。

 「遊園地でお化け屋敷から出てきたお前を支えてたのは斉藤だった。」

 「それはっ――――。」

 慌てて弁解しようとしたけれど、そんな私にはお構いなしに直也は続けた。

 「あいつ、ホントに杏奈の事が好きなのか?」

 「……どういう事?」

 「遊園地でお化け屋敷から出てきた時、あいつに聞いたんだよ。」

 いつもと違う直也の雰囲気に私は息を飲んだ。そして彼はいったい何をどう答えたのか。気になってしょうがなかったけど、勤めて平静を装った。

 「人は、死んだら守れない。」

 「は?」

 「そう答えたんだ。俺が好きなやつの事は死んでも守りたいって思うもんだろって聞いたら。」

 なんで彼はそんな事を言ったんだろう。彼は人ではないから、ずっと私のそばで守ってくれるという事だろうか。ならばずっと……。

 「ちょっと大丈夫!?」

 甲高い女子生徒の声に視線を向けると、教室の前の方に人だかりができていた。その中心にいる彼は困ったように頭をかいた。見ると、声を上げた女子生徒は彼の右手を取り、その甲を食い入るように見つめている。

 「ちょっと、ぶつけちゃって……。」

 私は、その光景に思わず立ち上がった。勢いよく立ったせいで椅子が後ろに倒れて教室中に音が響いた。みんなが私の方に注目する。

 ならずっと……。なら、ずっとこのままなのだろうか。このまま好きな人に触れられないまま。私は耐えられるのだろうか。私以外の誰かが彼に触れている。そんな姿を見るとやきもちをやかずにはいられなかった。別に女子に限った事ではない。ふとした瞬間に肩に手を触れる男子にも、授業のノートを集めると言って笑顔で、当たり前のように彼に手を伸ばす女子にも。私には出来ない事をなぜみんな私に見せつけるように、するのだろう。

 「杏奈……。」

 直也は心配そうに私に話しかけた。私は慌てて教室を後にした。

 彼が追いかけてくる。それでも私は立ち止る事なく、走り続けた。でも次第に、疲れてきて、観念した私は昇降口の所で立ち止った。彼も、私が立ち止ったのを見て慌てて立ち止った。雨の音が響くひんやりとした人気のない廊下は何だか不気味だった。

 「教室に戻ろう、深森さん。」

 「いや。」

 「もうすぐ、授業が始まる。」

 「ビンちゃんだけ戻ればいいじゃん。私は次の授業サボるから。」

 「こんな所に君をおいていけないよ。」

 「じゃぁ、無理やりにでも引きずって連れて行けばいいでしょ!」

 そんなこと出来るわけがないのに、私は大声で叫んだ。しかし、彼はゆっくりとこちらに歩いてくるではないか。私は驚きに目を丸くした。

 「そんなことしたら、君を傷つける……。」

 「自分が取り込まれて浄化されてしまうからでしょ? 調子のいい事言わないで。」

 そう言いながらも私は、近づいてくる彼と一定の距離を取るようにゆっくりと後ずさった。数歩下がったところで、いきなり彼は叫んだ。

 「深森さん、止まって!」

 私はいきなりの事に、その一歩を踏み出してしまった。その瞬間に襲ってくる凄まじい寒気は今までとは比べ物にならない。彼は凄い形相で私の背後にある『それ』を睨みつけた。

 「君たち、こんな所で何をしてるんだ? チャイムが聞こえなかったのか? 早く教室へ戻りなさい。」

 「え?」

 しかし、聞こえてきたのは穏やかな教師の声。振り向こうとした私だったが、次の瞬間にハッとした。以前、彼が言っていた。雑魚は自分で実態を持つことは出来ない。裏を返せば、彼のように人間に姿を変えられる悪霊も少なからずいると言う事だ。浄化が早いか、私の力が尽きるのが早いか、そんな強力な悪霊を取り込んでしてしまったら私は間違いなく死んでしまうだろう。

 次の瞬間、彼は助走なしに天井近くまで飛び上がると、私を飛び越えて悪霊に突っ込んで行った。その瞬間、何が起こったかは分からなかったけれど、私が振り向くと、そこにはぐったりと倒れている彼の姿があった。

 「ビンちゃん!」

 思わず彼に駆け寄ろうとして、慌てて立ち止った。私が近寄ったら彼を取り込んで浄化してしまう。

 「今回は、上手くいかなかったね。」

 苦しそうに上体を起こしながら彼は言った。

 「まさか、その手の甲の傷……!」

 考えてみれば分かる事だ。霊である彼がぶつかって切り傷を作るなんて事はあるはずがないのだ。だとしたら、私の知らないところで、ずっと私を守っていてくれたのだ。

 「君は悪霊を退治できる。そんな君の命を悪霊たちは狙ってるんだ。だからこの学校に紛れ込んで、君を守ろうって決めたんだけど……。」

 「命を狙われてるなんて、私ちっとも知らなかった!」

 「そんな事、知らなくてもいい事だ。そして、これからも。」

 「どういう事?」

 「僕が消滅すれば、みんなの記憶から僕は消える。もちろん君の記憶からもね。」

 「そんな!」

 私は次の瞬間、彼に駆け寄った。そして彼に抱きついた。彼は心底驚いた様子で必死に私を引き離そうとしていたけれど、吸収の始まった体では思うようには動けないようだ。

 「なに、してるの。早く離れて。僕を吸収したら君は死んでしまうよ。」

 「死なない! あなたはもう悪霊なんかじゃないから。忘れないよ、あなたの事。絶対忘れないから。」

 徐々に薄れて行く意識の中で、必死に彼は抵抗していたけれど、絶対離してなんかやるものかと、私は両腕に力を込めた。次第に私の意識も遠のいて行く。しかし、今さら彼が悪霊のはずはない、だから私は死なないなんて、勢いで口から出まかせを言ってしまった事を後悔なんてしなかった。



 「……な。……あんな。……杏奈!!」

 暗闇で私を呼ぶ声にゆっくりと目を開けると、そこは保健室だった。眩しさに目がくらむ。ぼんやりと純の心配そうな顔が見えた。朦朧とする意識の中で、起き上った私は辺りを見渡した。そこには直也もいて、私の鞄や制服のジャケットなんかを持ってくれていた。

 「私、どうして……。」

 「まったく……。心配させないでよ。たまたま校医の先生が通りかかったからよかったけど、あんなとこで一時間も倒れたままだったら……。」

 「あんなとこ?」

 「杏奈、昇降口のとこで倒れてたんだよ。」

 直也がしかめっ面で教えてくれた。するとカーテンが開いて、校医の先生が顔を覗かせた。

 「あ、深森さん。気がついたのね。どう、帰れそう? それとも迎えに来てもらう?」

 「大丈夫です。帰ります。」

 「そう? くれぐれも気をつけて帰るのよ? お友達は一緒の方向なの?」

 「はい。私達が家まで送っていくんで。」

 そう言って、純はふらふらと立ち上がる私にジャケットを羽織らせてくれたし、帰り道はずっと直也が鞄を持っていてくれた。秋も深まって夜の五時半を過ぎれば、辺りはもうすっかり薄暗かった。私は二人の後をとぼとぼと歩いていたけれど、ふと、洋菓子店のショーウィンドウが目に入って、立ち止った。

 「杏奈?」

 振り向く純と直也に私はポツリと言った。

 「夢を見たの。」

 「夢?」

 純と直也は不思議そうに顔を見合わせた。

 「小さい頃ね、大事にしてたトナカイのぬいぐるみがあってね。でも、小学校四年生の頃、私の不注意でそのぬいぐるみをお母さんが粗大ゴミと一緒に出しちゃったの。」

 「あー。あの時、杏奈、一晩中泣きじゃくってたよな?」

 懐かしそうに直也は言う。私は頷いた。

 「その時の夢。」

 「私もその話、聞いた事ある。確か名前までつけて可愛がってたんでしょ? えーっと、確か……めちゃダサい名前だったような……。」

 純は記憶の糸をたどる様に沈黙した後、やはり思い出せなかったのか、答えを求めるように直也を振り返った。しかし直也も覚えていないのか、肩をすくめた。


 「私の事、恨んでるかなあ……。ビンちゃん。」


 肌寒い秋の風が、懐かしさとほんの少しの悲しみを運んでくる。それは私の心の中に入り込んできて、私は一筋の涙を流した。

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