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西洋史学科生たちの四方山話 ~魔女の一撃~

作者: 天口 洋平

初見でも問題ないよう書いたつもりですが、一応、登場人物の紹介は前作にて。

コル・ロジエ、G・クリストフ、ノワルティ・プラジェトワが通う大学の文学部西洋史学科には奇妙な伝統が存在した。その伝統とはまさしく彼らの名前についてである。西洋史学科への分属が決定すると、親愛なる先輩方から彼らはヨーロッパ風の名前を付けられる。そして、西洋史学科内ではその名前が本名に成り代わるのであった。もとより傍から見れば「西洋かぶれ」と目されがちな彼らにとってこの綽名をつける伝統は多少なりとも刺激となるため、この慣習に異議を唱えた学科生はいなかった。ただし、この慣習が非常に煩わしく感じられるときもないわけではない。他学科の学生を交えて話をするときなどは、この制度について説明するところから始めなければならない。綽名で呼び合うことに慣れた者たちはそういう場合、部外者に気を使ってお互いを自分たちさえ呼びなれない本名で呼んだりはしないのだ。そういうわけで日本文学科所属の松上俊征は以上のような説明を図書館の休憩所でロジエから受けたのだった。寒々しい師走のある火曜日であった。


「ま、先輩方の遊び心というやつだな。わかってくれよ。あー、松上君」

「理解はするけど…。なんというか、多少排他的な感じを受けるよ。えー、ロジエ君」

丸顔に困惑を、その垂れ目に煩わしさを浮かべて日本文学研究者の卵は答えた。

「このプラジェトワに君のようなフレンドリーな友人がいたとは知らなかったね。それと、君はいらないさ」

クリストフが口を挟む。

「そうかい、じゃあ君らのことはロジエ、クリストフと呼ぶよ」

その名前を口に出しつつも苦笑する。

「だいたいプラジェトワの友達なら君が教えておくべきだったぞ」

クリストフが今度はプラジェトワに顔を向けた。いつもと変わらない陰気な顔と声でプラジェトワは答えた。

「身内のノリを持ち出すべきか判断しかねたんだ…」

「これからだれかを紹介してくれるときはそいつらに言っといてくれ」

「ああ…」

「さてプラジェトワ、シュンをどうしてわざわざ紹介してくれた」

ロジエがなんでもなさそうに言った。

「ちょい待ち。いきなりシュンって呼ぶのか」

呼ばれた当の本人が困惑する。

「嫌かな?」

「いや…まあ、別に」

「では結構。プラジェトワ、いつも君からは話しかけてこないのにシュンを紹介したいと言ったときは珍しく君からだったな。どうした」

「それは俺から話した方がいいかな」

シュンが椅子から乗り出した。

「ああ、教えてくれるか」

「御易い御用だ。実は俺は今ちょっとした難題を抱えているんだが、それについて、えっと、プラジェトワに相談したところ君ら2人にたらい回しにされたんだよ」

「たらい回しはひどいな…」

プラジェトワが抗議にならない抗議をした。

「なんでまたオレ達に」

「僕らなんかしたかな」

クリストフとロジエが顔を見合せる。彼らは学内でそれほど有名というわけではない、というより知っている者のほうが少ないような目立たない学生だったからだ。

「他の人たちがどう思っているかは知らないがプラジェトワは君ら2人をずいぶん高く評価してるみたいだよ。この前も立派なひとたちだと言ってたんだ」

と、言ったシュンの隣でプラジェトワの頬にスッと赤みがさした。クリストフとロジエはまた顔を見合わせた。

「おやおや」

「学年トップ成績のプラジェトワ先生が我々のことをそんなに評価してくれていたとはな」

「恐悦至極ですね」

「まことに光栄の至りでありますな」

「交互に茶化すのはやめてくれ…」

プラジェトワは顔をテーブルに伏せてしまった。

「真面目な話、君が僕たちのことをそう見てるとはね」

「ああ。てっきり軽蔑されてると思ってたな」

「実際に優秀なひとたちを軽蔑する理由はないだろう…」

プラジェトワがボソッと呟いた。

「さあさあプラジェトワ、顔をあげろよ。どうやら我々はもっと仲良くなれそうだな」

ロジエが彼の肩をたたく。彼はのっそりと起き上がった。

「松、じゃなかった、シュン、君の事情を話せよ…」

少しごまかすようにしてプラジェトワがシュンに水を向ける。

「あ、じゃあ話してもいいかい」

「すまないね、脱線して」

そうしてシュンが喋り始める。

「まずわかっといて欲しいのは、俺にはじいさんが1人いるんだが、そのじいさんが近年病気がちなんだ。もう70だったかな」

「ああ」

「ところが、たとえじいさんが入院したとしても俺には知らされないんだ。どうもじいさんが固く口止めを家族にしてるみたいで」

「それはまたなんでだね」

「じいさん曰く、『孫の勉強の邪魔は出来ん』ということだそうだ。こないだ帰省したときは『死にそうになったら儂が自分で手紙で知らせるから、そしたら看取りに来い』とまで言われたよ」

「おう、強気なおじいさまだな」

ロジエが合いの手を入れる。

「しかしそう冗談にもできなくなったんだ」

「ほう」

「というのもつい昨日、そのじいさんから手紙が届いてしまったんだよ」

「おっと、こいつは失敬」

「いやいや、まだその手紙が本人作の死亡通知かどうかは分からないんだ」

「こちらもよく分からないがね」

クリストフが眉をしかめて見せた。

「まあ見てくれ、その手紙を持って来てるんだ」

自分の手提げかばんを開けると、数秒ゴソゴソやったのちシュンは何の変哲もない「松上俊征様」と書かれた封筒を取り出し、手紙を開いて見せた。こちらも何の変哲もない便箋。

「読んでくれれば俺の不可解さを分かってもらえると思う」

「僕も読ませてもらったが、理解しかねたな…」

シュンとプラジェトワが早く読め、という眼差しをしているので残りの2人も手紙に目をやった。手紙の本文自体はごく短いものだった。


おお、魔女の一撃! 重荷持ちし我を遂に天は打ち倒したり。其は痛恨の一撃なれば天地創造において、我ただ横たわるのみ。最後に安息の日来たりてこれを汝に書き送るなり。願わくば汝の健康たらんことを。             

                        敬具

                            松上 征靖


「征靖というのは当然俺のじいさんの名前だ。まさしく五里霧中、さっぱりだよ」

シュンが肩をすくめて見せた。

「君のお祖父さんは詩人だな。魔女の一撃…」

ロジエが皮肉げに言う。が、彼はすぐに手紙から眼を離すとその視線は宙に向けられた。

「だが文面を見るとあまり楽観はできないような気もするね。『我ただ横たわるのみ』なんていうのは物騒じゃないか」

クリストフが心配そうに意見を述べた。

「『最後に安息の日来たりて』っていうのも嫌な感じだな…。よく言うだろう『彼は死んでようやく安息を得た』とか…」

プラジェトワも同調する。

「やはり様子を見に帰省すべきかなあ」

「そうするに越したことはないと思うね」

クリストフの言葉に対して、だがねえ、とシュンがため息をつく。

「俺は帰省しようとすると飛行機で2時間かかるんだが、経費も馬鹿にならんのよ。これでもし実はなんともありませんでした、と言われた日には我が家を破壊してしまいそうだよ」

「ご家族のほうはなんと…」

「それが何も言って来ないんだよ。それでもまた参ってるんだ」

「でも、連絡なしってことは心配ないってこともありえるわけだね」

「ところが、じいさんが家族に口止めしたから連絡してこないだけかもしれない。もっと悪いことに両親は2週間前から海外旅行中だ」

最悪のタイミングである。

「おばあさまは…」

「どっこい、ばあさんはほとんど耳が聞こえないときてる。5歳の弟の甲高い声しか聞こえないありさまだよ」

「手詰まりだね。どうしたもんか」

「うーん…」

ところで、シュン、クリストフ、プラジェトワがうんうん唸っている間もコル・ロジエは全く会話に参加していなかった。彼の視線は宙をさまようばかりだったのだ。それに気づいたクリストフが声をかけた。

「おい、ロジエ、君は何か思いつかないか」

するとロジエは不機嫌そうな顔をした。普通の人からすれば近寄りがたい表情、だが。

「何か浮かんだようだね。よし、いいぞ」

彼の最大の友人クリストフにかかればこの通りである。そしてロジエが唐突に尋ねた。

「シュン、君はこの前の帰省のときプラジェトワの話をお祖父さんにしたか」

「えっ。あーどうだったかな。うーんと、そう、した、したよ。学部でトップのやつと友達だって言った」

またプラジェトワが顔を赤らめた。そんなことにお構いなしでロジエが続ける。

「彼が西洋史学科生だということも話したな」

「もちろん。超優秀な研究者になると思う、ってな」

プラジェトワの顔が真っ赤に… これ以上は彼のために述べるまい。

「が、彼がどの国や時代を専門にしようとしているかまでは話さなかったな」

「ああ。知らなかったしな」

「結構。次の質問だが、シュンのお祖父さんは西洋文化に詳しいのか」

ここにきてシュンが困った表情をした。

「じいさんが昔西洋文化のことを専門に勉強したかは知らないな。でもヨーロッパ大陸にはよく旅行に行ったみたいだよ」

「例えばドイツなんか」

「ああ、そういえば若いときドイツのなんとかブルクっていう町に行った話を小さい頃よく聞いたっけ。今の今まですっかり忘れてたよ」

「それでわかった」

そう言うなりロジエは急に立ち上がると足早に休憩所を出て行った。

「なんだい、今のは」

突然の行動に驚いてシュンが眼を丸くした。

「未だに彼の行動をすべて理解できるわけではないんでね」

クリストフが首を横に振って言った。



戻ってきたロジエは分厚い本を抱えていた。

「ありがたいことに丁度図書館にいたおかげですぐに辞書が見つかった」

彼がテーブルに置いたのは『ブリタニカ国際大百科事典』のうち一冊であった。

「この本を開く前に、だ。シュン、君は天地創造と聞いて何を連想する」

「さあ。天地が創造されたらしいということかな」

「実に結構。ではクリストフとプラジェトワは」

「それはもちろん旧約聖書だろう」

「さすが西洋史学科。その通りだと僕は思うな。だが君らはこの手紙が日本文学のシュンに届いたっていうんで、西洋史を基礎に考えるのをやめてしまったんだな。そうでなければ君たちも気づいたはずだ」

「ああ、旧約聖書では神がこの世界のすべてを作り上げたことを『天地創造』や『創造神話』というのさ」

ぽかんとしているシュンにクリストフが説明する。そうしてようやくシュンは頷いた。ロジエが続ける。

「ところで神は何日かけてこの世界をお創りになった」

「7日、いや違う6日だ」

「そう、6日だ…」

「ご名答。つまり西洋史を学ぶ者からすればこの暗号めいた手紙の天地創造はイコール6日間を表わす、ということになる」

「なるほど。そんな気がしてきた」

納得する2人。

「この世界を創るのに6日もかかったのか! 神様なのに。なぜだい」

シュンのほうは素朴な疑問をぶつけてきた。

「神様ものんびりやる派というわけだね」

「そういうことにしといてくれ、シュン。先に進んでもいいか」

「ああ、ごめん」

「こうすると安息の日っていうのが何かわからなきゃ逆におかしい」

「あーそうか。安息日だ、もちろん」

「しまった…」

どうして見落としたのか、という悔しげな顔をクリストフとプラジェトワが浮かべた。専門外のシュンは当然尋ねる。

「あんそくにちってなんだい」

「神は天地創造をしたあと1日休んだ。だから人も6日働いたら1日休もうっていうユダヤ教やキリスト教の決まりさ。だから日曜日は休みなんだ」

「待てよ、神様が休んだって、どういうことだよ」

「どういうこともなにも、休んだんだ…」

「どうして」

「どうしてって言われても… 疲れたんだろう…」

「今はそれは問題じゃない。だが、神様がもっと忙しくしてたらこの世界はも少し平和だったろうよ」

少しイライラした調子でロジエが言った。

「ロジエ、続けて」

「もう終わりだがな。以上のように考えると『天地創造において、我ただ横たわるのみ』というのは単純に6日間病気か何かで寝込んでいた。が、7日目、つまり安息日に病気が治ったもしくは良くなったのでシュンに手紙を書く余裕ができたので送る、ということだと思う。だからそれほど心配する必要はないと思うな」

「この時期する病気だとなんだい、インフルエンザとかかね。それはそれで危険ではないかね。ご老人なんだし」

「いや風邪とかインフルエンザなら熱や咳について書いてあってもいいはずだ。が、それはない。『魔女の一撃』とあるだけだ。となればもっと別のものだろう」

「ではなんだっていうんだね。だいたい魔女の一撃っていうのも分からない。その口ぶりだと分かっているようじゃないか、教えろよ」

「ヒントは手紙の中にある。重荷を持ったら痛恨の一撃だというんだろう。有名なやつだがな」

クリストフは首を振った。

「オレには分からないね」

「シュンはどうだ」

「俺が分かるもんかい」

「プラジェトワは」

プラジェトワは意外にも自信ありげだった。

「もしや、というものはある…」

そう言って彼は腰骨のあたりをトントンと叩いてみせた。

「さすが大先生。正解だ。ここで辞書を見てみよう」

ロジエが恐るべき速さで百科事典をめくっていく。

「ほら」

彼は一つの項目を示して見せた。



ぎっくり腰

重い物を持ち上げようとした時などに急に激しい腰痛が起こり、歩行も困難になる状態をいう云々… 湿布をして安静にしていると、通常、1週間ほどで全快する云々… この状態をドイツでは「魔女の一撃」(hexenschuss)と呼んでいる。




「これで全部わかったよ。で、俺は結局どうするべきだろう」

シュンが改めて3人に問うた。ロジエが代表して答えた。

「お見舞いと再発防止を心がけるように返事を出しておけば大丈夫だと思うがな。それと成績トップの友人の専門は英国史だということを適当に仄めかしておきなさいよ」

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[良い点] 前作の最後で「やりすぎた」と思ったのではないかと推測致しますが、作品全体の親切度が上がっており、すんなりと読めました。 [気になる点] (悪いと言いたいのではなく)新潮文庫版で、ヘルマン・…
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