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【短編小説】コラテラル・ダメージ

掲載日:2026/01/26

 ホームを滑り出て行く満員電車を見送ると、次の電車を待つ間にまた人が押し寄せ、黄色い線の内側に律儀な列が形成される。

 歩行不能に陥ったホームでは、線の外側を歩いた客が駅員に怒鳴られ、その声に神経を逆撫でされた別の客が怒声を返し、さらにそれを見た誰かが軽蔑の視線を投げる。


 是正アナウンスが三度目に流れた。


 ――公共空間における不適切な服装・行動を発見した場合、速やかに通報してください。


 おれはそれら全てへの参加を諦め、列に並び、スマホで昨日の業務報告書を確認したり、ニュースを眺めたりしていた。

 世界情勢も国内経済もどうかしている。

 善意と安全の名の下で更新される制度だけが、やけに元気だ。


 通報アプリを閉じたとき、少し先の列で声が上がった。


「ちょっと、やめてください」


 女の声だ。

 痴漢か、盗撮か。どちらにしても面倒なやつだ。

 被害者を守る正義と、それを消費する野次馬と、全部がセットで発生する。

 おれは関わらない。


「なんだよ、ちょっと親切にしてやろうってのに」


 男の声が続く。

 親切。最近は免罪符みたいに使われる言葉だ。


 背伸びして見ると、女は太ももから脛まで露出したダメージジーンズを履いていた。

 男は全身をそれと分かるブランド物で固め、胸元には是正協力者バッジが光っている。


「いいです、結構です」

「遠慮しないで。君を買うとか、連絡先を聞くとかじゃない。

 我慢ならないんだよ、そのジーンズが」


 男は真顔だった。


「基準、見たでしょ。露出率、超えてる。

 風邪ひいたらどうするの? 公共空間で体調不良者を出すのは、全体への迷惑だ」


 周囲は視線を逸らす。

 誰も通報はしない。

 だが誰も止めもしない。


「もうやめてください」

「どうしても駄目か」


 男は一瞬だけ考え、それから視線をこちらに向けた。


「……君は?」


 突然、おれを指差した。


「君は黙って見ていた。

 つまり、分かっている人だと思った」


 心臓が一拍遅れる。


「その靴、踵が潰れてる。

 社会人として是正対象だ。

 協力してくれるよな?」


 アプリが震えた。

 是正カウント:1


 女はいない。

 さっきまでそこにいたはずなのに、いない。


「断る理由は?」


 男は穏やかだった。

 善意の顔だった。


 ホームに電車が入ってくる。

 風が吹く。

 アプリがもう一度震える。


 是正カウント:2


 男は服を脱ぎ捨てた。

 ブランドのシャツも、靴も、線路に放り投げる。


「どうしても分かってもらえないなら仕方ない」


 そして、入線する電車に歩いていった。


 轢かれたわけじゃない。

 悲鳴もなかった。


 ホームの電光掲示板が一瞬だけ切り替わる。


 本日:是正不能者 1名


 きっとな。


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