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03 かわいそう

 


 9月に入って、早くも数日。


 夕方5時頃。この日、珍しく多めの事務仕事をすることになった俺は……疲れ目をいたわるように、目頭を指で押さえて揉み解すようにしていた。


 その様子を、数日前に入った新人の石栗さんが声をかけてくれる。彼女はうちの課とは別部署なんだが、ちょうど用事があってうちの課に来てたようだ。


「その……だ、大丈夫ですか、黒田さん? どこか具合悪いんです?」


「いや、大丈夫大丈夫……ちっと目が疲れただけだから」


「目が……」


 そんな言葉一つで、またというかやはりというか、『かわいそうな人』を見る目になる石栗さん。


「あの……黒田さん。私、まだ新人ですけど、仕事ちょっとずつ覚えて来てるので……もし、何か力になれることがあったら、何でも相談してくださいね? 課が違うのであんまりお手伝いはできないかもしれないですけど……できる範囲で力になりますから!」


「ははは、ありがとう。まあ、その時は頼むかもしれないから、よろしくな」


「お、よかったな黒田。先輩思いのいい後輩ができて」


 係の他の同僚や、他の島の連中からそんな風に言われて苦笑する俺。

 そんな俺に、同じように苦笑しつつも、係長は、


「でも、きついようだったらちゃんと言えよ。無理して体壊される方が困るからな」


「あ……はい。その時はちゃんと相談しますんで」


 ここでも、俺が『ARD』であることに対する……よく言えば同情、悪く言えば偏見が顔を見せている……気がする。


 ゴスペルギアを使ったARでの書類作成やらの事務作業は、あくまで本当に目に見えているわけじゃなく、脳に信号が送られることで、視界の中に『見える』状態になっているだけ。

 目の前に見えているかのように『認識』……もっと言えば、わざと『錯覚』しているだけだ。


 それゆえ、目自体には負担はかからず、疲れにくいという利点がある。視界には見えているが、目で見ているわけじゃないから。


 しかし俺の場合、タブレット型にしろノートパソコン型にしろ、デバイスを使って、その画面に表示されている書類を見る。スマートフォン型も、サングラス型ももちろん同じ。

 そうすると、その分目が疲れることになる。こっちは、実際に目を、そして視神経を使って脳に情報を送っているから。


 さらに、デバイスの画面から出る光には、ブルーライトなんかの……目の疲れを引き起こすとか脳を覚醒状態に持っていくとか、そういう作用を起こす光が含まれている。らしい。

 そのため余計に疲れやすく……ゴスペルギア使用者に比べて、同じ事務作業でも負担が大きい。


 また、これは目だけじゃなく、耳でも同じことがいえる。

 音声関係の情報でも、ゴスペルギアは脳に直接送るのに対して、ARDの人間がデバイスを使ってそれと『聞く』場合、耳を使うから、聴覚の負担になる。特に職場では、他の人の迷惑にならないように、何かを聞く時はイヤホンなんかを使うから、なおさら。


 これらの理由から、ARDの人間がデバイスを用いて事務作業をすると、目や耳の疲労による健康問題にもつながる恐れがある。というか、増す。

 俺らは仕事以外にも、普段からデバイスを使ってゴスペルギアの代わりにしているから……その画面を見たり、音声を聞いたり、ずっとそういう形で目や耳に負担をかけてる。その上、職場でも同じようなことをずっとやってれば……そりゃまあ、疲れ目の1つや2つ起こるだろう。


 もちろん、これらには個人差がある。ゴスペルギアを使っても疲れ目になる人はいるし、デバイスを使っていても疲れ目になりにくい人だっている。

 けど、全体としてそういう傾向があるのは確かだし、若い人の中には、自覚できるレベルの『疲れ目』になったことがない、なんて人も今じゃざらにいる。


 だから……職場もちょっとそのあたりには気を付けるというか、語弊を恐れずに言えば、神経質になったりするのである。ARD雇用者関連の労災とかにならないように。

 多分今のも、石栗さんは、自分には全然起きないような症状に悩まされている俺を見て、『やっぱりARDの人って…』なんていう考えに思い至ったからこそ言ってくれたのだと思う。


(そして、いつもの腫物扱い……と)


 いや、係長も彼女も、悪気は全然ない、むしろ俺を気遣ってのことなんだろうし……気持ちは純粋に嬉しいんだよ? 迷惑だなんて微塵も思ってない。ホントに、嬉しいんだよ。

 ただ……ちょっと寂しいだけ。どこまで行っても、俺には『ARD』という認識がついて回る、それなしで見てもらうことはできないんだな……って思ってしまうというか、な。



 ☆☆☆



 夕方。


「それじゃ、お先します。お疲れ様でしたー」


「お疲れ様でしたー!」


 同僚達より一足先に、黒田響平は今日も定時で退庁した。


 その背中を見送っている、石栗明日美の存在には、気づかないままに。

 たまたま退庁時間が被った――黒田よりほんの少しだけ遅かった――彼女は、目の間を指圧するようにしながら、疲れた様子で帰っていく彼の姿を見て、とっさに『お疲れ様でした』の声が引っ込んでしまい、そのまま何も言わずに見送ってしまっていた。


「心配? 黒田さんのこと」


「えっ!? あ、あの……」


 そこに通りがかった先輩達――同じようにこれから帰るところのようだ――に、唐突にそう声をかけられ、慌てる石栗。

 しかし、すぐに落ち着いて……彼の後ろ姿を思い出しながら、こくりとうなずいた。


「その……よくない偏見だとはわかってるんですけど、やっぱり『不適格症』の人が事務の現場にいるのって、なかなか大変なんだろうな、って。一応、普段はそれが問題にならない業務をメインにしてるみたいですけど……」


「このご時世だとどうしてもねー……旧時代みたいに、いちいち紙に印刷してあれこれ処理するようなやり方に逆戻りするわけにもいかないし」


「ゴスペルギアを持っていないと、どうしても2つ3つ遠回りになって、業務も遅れるから……任せられる業務も限られるもんな。もっとも、さっき係長が言ってたみたいに、それ以外の業務ではすごく頼りになるし、世話になってるんだぜ? それこそ、この係だけじゃなく、他の課にヘルプで入ったりしてるからな、黒田さん」


「知ってるよ。総務課(うち)もたびたびお世話になってるからな」


企画課(うち)もだよー。イベントとかでめっちゃ手伝ってもらってる。この前もね」


「ゴスペルギアがないだけで、普通にいい人ですもんね」


 同僚達は、皆一様に……それこそ、彼の勤める課以外の者達も含めて、黒田響平という人間のことを、別に悪くは思っていない。

 今話に出た通り、業務を進めるうえで決して小さくないハンディキャップを背負っているのは、否定のできない事実だが、それでも彼も立派に職場を支えている1人であることは間違いない。

 ただ、人とは得意不得意が少し違うだけ。そう思って受け入れていた。


 おそらくは行き過ぎなのであろう、彼に対しての『かわいそう』という思いを持つ自分も、そんな風に自然体で受け止められるようになる日が来るのだろうか。そう思いつつ……石栗は、『お疲れ様でした』と断って、自分も帰路に就くのだった。




『脳波連動型デバイス不適格症』……通称にして、ある意味蔑称であるスラングで『ARD』。

 一昔以上も前から、差別することはよくないことだ、と世界中で声高に叫ばれているわけだが……それでも、その体質を持つ彼らが、この『超情報化社会』を生きる上で、あまりにも多くの問題を抱えていることは、否定できない事実。


 何をするにも外付けのデバイスが必須であり、まずもって『普通の生活』を送ることができない。

 看板や張り紙を見ることも、電話をかけることも、メールやメッセージを受け取ることも、買い物の支払いも電化製品の操作も、全てデバイスを介して行わなければならない。


 できる仕事は限られ、その他の仕事を任せようにも、目に見えて遅く、効率も悪い。あるいは、そもそも任せられない。


 もちろん今の時代も、工事現場や家電製品の取り付け・修理、さらには建設作業などの場面で、データではなく物質を相手にした肉体労働や技術労働は存在する。

 そういったところであれば、『健常者』も『ARD』も等しく活躍できる……かと言えばそうでもなかったりする。工事の手順の確認や、進捗状況の共有、指字出し、安全確認、写真記録の撮影、迅速な注意点の共有など、ここでもデータをやり取りする必要は出てくる。

 むしろ、体を動かしながらも思考1つでそれらの作業ができるという点では、肉体労働者にこそゴスペルギアは重宝されていると言ってもいい。


 そしてそこでも……『ARD』は、同じことができない。

 むしろそういった現場では、安全対策などの基準がAR込み、ゴスペルギアを持っていることを前提にして設定されていることすら多く……ここでもARDは、むしろ余計に入り込めない。


 こういった背景がどうしてもあるからこそ……どうしても偏見とか差別みたいなものはなくならない。

 石栗のように、かわいそうだと思う人もいれば……もっと悪い、そして昔からある意味で差別や偏見の対象とする人も、残念ながら、いる。


 例えば、バスの乗り降りの時。

 健常者であれば、思考一つでキャッシュレス決済を行い、ほとんど足を止めることなく乗り込めるところを、ARDの人は、デバイスを取り出して操作するのに手間取って、流れを止めてしまい、後ろから『何もたもたしてんだよ!』『バス乗るなよ!』と心無い言葉が飛んでくる。


 例えば、仕事の商談などをする時。

 相手側の担当者にARDの者がいるだけで、『仕事が遅くなるんじゃないか』『費用対効果が悪化するんじゃないか』と考え、契約締結の可否に差し障る。そのため、そういった部署にはARDの者を置かないし、外に、ないし目に見えるところに居させない、という業者はかなり多い。


 例えば、男女のお付き合いや結婚の時。

 ARDについては、親から子への遺伝によって発生することはなく、血縁によらない完全に個人の体質である……という研究結果が、もう何年も前に研究結果として報告されている。

 しかし、古い考え方を持つ者や頭の固い者はどこにでもいて……『うちの家によくない血を入れるわけにはいかない』『子供がARDになったらどうするんだ』……そう言って、ARDの人との結婚に反対する……そんなケースは、どこにでもある。

 統計によれば、ARDと判明した人の生涯独身率は……世代・年代によってばらつきはあるが、かなり高い。


 そして、おそらくは彼も、そういう経験があるんだろうな、と石栗は心の中で思っていた。


(『それ』以外は、本当に、普通にいい人なのにな……黒田さんもだけど、よく来る梅津さんも。話してみると、全然普通の人だし……なんなら話しやすいくらいだし。なのに……)


 ゴスペルギアは、少し頭や目を休めたいと思った時には、表示をオフにできる仕組みもある。

 ただし、日常生活を安全に送る上で必要な最低限の機能ないしアプリケーションに関しては、オフにできないようになっている。一部の道路標識や、工事中の通知、事故・事件発生の緊急通知などがそれにあたる。


 ARDの者は……それすらも見えないし聞こえない。

 一応、デバイスを介して音声や振動で通知は来る仕組みにはなっているが、それでも……彼らの視界には、そう言ったものは出てこない。

『着けていると目も首も疲れる』と苦笑しながら本人が語っていた、サングラス型のデバイスを着けなければ、何も見えないのだ。


 もし、自分がそんなことになってしまったら……そう考えると、彼女の体に小さく震えが走った。


(不便だし、差別されるし……何より……時代に、世界に取り残されてるみたいに感じちゃうかも……やっぱり、かわいそう……)


 一緒の景色を、一緒の『楽しい』を共有できない。

 できて当たり前のことができなくて、迷惑をかけることも多い。


 それでも彼らは……この厄介な『体質』を治せない以上、一生付き合っていくしかないのだ。

 これからますます発展していって、ますます便利になっていって……ますます彼らを置き去りにしてしまうのであろう、この『超情報化社会』で、ずっと。


(せめて……私達は、黒田さんや梅津さんのこと、そんな風に思わないようにしなきゃ……2人とも、ちょっと得意不得意が違うだけの、同じ人間なんだから……!)


 これから何十年もつらい時を過ごすのであろう知人を思いながら、上から目線であることは自覚しつつも、彼女は決意を新たにした。




 いつまでも続くと、これからもっと発展していくと思っていた『超情報化社会』そのものの終焉が……すぐそこまで迫っていることも、知らないで。





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