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第三章 婚約一

「――今、何と仰いました?」


 思いがけない話を聞かされた後、真顔になったシャインはそう聞き返していた。

 相手は、見舞いと称してシャインの自室に顔を出していたケリー小父様ことラーフェン公爵である。

 伯爵家の娘にすぎないシャインがとるには少々不遜な態度ではあるが、さすがにこの状況下ではそんなことに構っていられなかった。

 傷を負っている左肩と背に負荷をかけないよう、寝台の上に起こしていた右上半身をクッションに預けた姿勢でシャインはケリーに鋭い視線を向ける。


「彼の父親として、貴方がそうなさりたいお気持ちは理解できますので、謝罪は受け容れます。ですが、そのような償いをしていただく理由はございません」


(というより、むしろ私への嫌がらせじゃないですか?)


 喉元まで出かかっていた言葉をどうにか押し止め、小さく息を吐いた。


「申し訳ありませんが、半人前の私には、貴族としての常識が足りません。どうかご説明を願えませんでしょうか。――どうして、私とご子息との婚約なんて話が持ち上がったのです?」


 寝台の横に置かれた椅子に腰かけているケリーと、そしてその斜め後ろに立つ父を交互に見つめながら、シャインは静かにそう問いかける。

 その疑問に対し、先に口を開いたのはケリーだった。


「……そうだな。非常に端的に説明すると、こうしなければ公爵家がリード伯爵家を蔑ろにしていると周囲に思わせてしまうことになるからだ」


 あまりに想定外の方向からの話に、シャインの目が丸くなった。


「え……?」

「ルシードが身勝手な行動に出た結果、君にこんな取り返しのつかない傷を負わせることになった。どれ程詫びても済むようなことではないし、元を辿れば私の教育が行き届かなかったせいだ。だから、これについては間違いなく私の責任だ」


 それらの言葉には色々と反論したいことはあったが、我慢して呑み込む。何を話すにしろ、ひとまずの内容を聞き終えてからだ。


「まず、基本的な話だが……。このカムル国の中央部や豊かな所領の多くが公爵家や侯爵家、そして一部の伯爵家によって管理されていることは、シャイン、君も知っているだろう。そして王城の存在する王都から遠く離れた土地程、あまり有力ではない貴族に委ねられていることが多い」

「はい」


(ちなみに、うちもその『あまり有力ではない貴族』ですけどね)


 とはいえ、ここでそんな茶々を入れていては埒が明かないので、シャインは大人しく頷く。


「だが、ある意味でそれは非常におかしなことなんだ。だって、この国は様々な国と国境を接しているだろう? 国防という面で考えると、そんな重要な場所を力のない貴族に任せておくのは危険すぎる」


 これまで考えたこともなかった視点での話に、シャインの視線が揺れた。


「……危険な場所だからこそ、担わされていたのではないのですか?」


 ただし、シャインが生まれ育ったこのロレンネは、戦による危険よりも規格外の野生動物たちによる被害の方が遥かに凄まじいのだが。

 実際に、ある意味では人よりも彼らの方が怖いので、そういう観点から言うとシャインを含めこの地で生活している者たちはあまり外部の人間を脅威だとは捉えていない。


(アルゴーだって、完全にあれ、中型の肉食恐竜だもんね。異世界あるあるで空を飛ぶ竜がいるくらいなら許容範囲だったけど、映画に出て来るみたいな生々しい爬虫類はさすがに厳しい……)


 シャインが初めてアルゴーを目にしたときは、あまりにもリアル、かつでかい爬虫類に卒倒しかけたくらいだ。蜥蜴だと聞いていたのに、出て来たのがどう見ても恐竜なのだから、シャインは今でもあれは詐欺のような話だったと思っている。

 だがこの場において、そんな例外的なロレンネの事情は話の本筋とは関係なさそうだった。


「……長い歴史で色々あってね、国の上層部があまり身分の高くない貴族にそれらを押しつける措置を続けていた。でも、次第に国境沿いや僻地の領主たちにも力をつける者たちが現れてきたんだ。それも、国であっても彼らの存在を無視できない程に」


 国や貴族、もしくは中央や辺境における力関係についての話を、シャインはここまではっきりと聞かされたことはなかった。

 ちらりと父を見遣るが、マティスは無言のまま軽く頷き返すだけだった。その仕草から判断するに、ケリーの言葉に彼も異論はないのだろう。


「今までの待遇に、彼らが不満を持つのは当然だ。でも、国の中枢や上位の貴族たちが、強くなりつつある下位や中級の貴族たちを警戒するのも無理もない話でね。……そしてね、俺や君の父上は、少しでもその溝を埋めるために国が動き出した世代に当たる」


 成程。王族縁の公爵家当主と辺境の伯爵家当主が、互いを悪友と呼んで憚らない理由の一端はそのあたりにあるようだった。


「昔から、中小貴族や中央を離れた地方の期待の星ということでマティスは注目されていたんだが……。特に近年はロレンネを中心としてこの一帯が急速に発展しているものだから、色んなところから関心を持たれていてね。高位貴族であるうちとの関係もどうするのか、正直あちこちから探りを入れられているような状況だったんだ」

「………………………………」


 いつの間にか、シャインの口元に力がこもっていた。

 これまで露知らぬことであったが、どうやら思っていた以上に自分の暮らしている場所は他から注視されていたらしい。


(いや、だってここって、ほんっとに田舎というか、野性味溢れる土地だし)


 天馬や竜が空を飛び回り、ちょっと森の奥へ行けば狼や巨大な蜥蜴に出くわすような、そんなところなのだ。

 希少な動植物が多いといった意味で学術的な価値はあると思っていたが、まさかそんな貴族間の勢力争いなどが関わって来るとは想定外である。

 だが、そんなシャインの感想はさておいて。

 このロレンネがそのような関心を持たれているのであれば、それはこの地の領主である父も同様ということだ。

 ひいては、その父の娘にあたる自分も、完全には無関係ではない。


「つまり、私の負傷とその扱いは、外部の者からすれば判断材料の一つとなるわけですね。そして今回の事に関しても、対応を誤れば高位貴族がそうでない貴族を軽んじていると思われかねない。……一応お尋ねするのですが、そもそもこの件を隠しておくといった対処はできないのでしょうか」


 多分無理だろうなー、と想像はつきつつも、とりあえず確認はしておく。

 答えたのはケリーではなく、それまで沈黙していたマティスの方だった。


「おまえの治療にあたったのは、うちの医者だけじゃない。ケリーのところの薬師も、こいつの指示で貴重な薬を山ほど抱えて飛んできてくれた。彼らの手当てがなかったら、おまえが無事に目覚められたかどうかはかなりあやしいだろう」

「ストレアから、ですか……」


 ラーフェン公爵領であるストレアはロレンネからは遠く離れており、幾つもの山と川と谷を越えた先にある。

 勿論フォルクを使用しての移動だろうから、地上を行くよりも速く最短距離だったにせよ、相当な強行軍だったであろうことは間違いない。

 その移動方法だけでも目立つというのに、更に公爵家お抱えの薬師が動いたともなれば、それは確かに隠し通すのは難しいだろう。

 なかったことにする、という目論見は見事に外れ、シャインは手のひらを額にあてた。


「……現状、一部の古参の高位貴族と最近力をつけてきた新興貴族とが激しく対立する気配が出て来ている。そしてラーフェン公爵家はこの国でも五本の指に数えられる古い貴族だ」

「しかも、名門な上に、所領も財産も抜きんでている、な」


 ケリーの話に、幾分苦々しい顔のマティスが付け足す。


「皮肉んな」


 しかめっ面でケリーは軽くマティスを睨んだ。それから彼は、再びシャインに視線を戻す。


「民の模範となるのは貴族の当然の義務だ。だから俺たちはそれに相応しい行動をとることが求められる。……息子の行いによって君に一生ものの怪我を負わせた以上、公爵家としてはその埋め合わせをしないわけにはいかない」


 シャインは頭を抱えたくなった。

 ケリーの言っていることは、不本意にせよ理解できる。これまでさんざん領内の農民の子供たちと転げ回って遊んではいたが、それでもシャインも貴族の娘だ。身分の高い者ほど社会的な責任と義務を負っているものだし、それが高位になればなるほど厳しい視線にさらされるだろうことも分かった。


(それは分かる、分かるんだけど……っ!)


「……でも、こんな身分違いの婚約をする必要がありますか?」


 足掻くように口にしても、ケリーは難しい顔で首を振った。


「大袈裟ではなく、君の負った傷はそれくらいの話だ。たとえ君が友人の娘でなく、伯爵家の令嬢ではなかったとしても俺は同じ判断をしていただろう」


 きっぱり言い切られ、シャインはがんがんと響く頭を押さえた。肩と背中は変わらぬ鈍い痛みを訴えてはいたが、この頭痛はそれを遥かに上回っている。


(……なら、もう、子供の戯言として言いたいことは言っとこう)


 最悪、痛みのせいで錯乱していたとでも通せばいいだろう。


「分不相応であることは百も承知で申し上げますが、嫌なんですが」


 ばっさりと、シャインはそう言い切った。


(だって面倒だし)


 身も蓋もないシャインの本音に、ケリーは何とも形容し難い顔になり、その後ろでマティスが天を仰ぐ。

 それでもこれが正直なシャインの気持ちなのだから、仕方がない。どんな理由があろうとも、嫌なものは嫌なのだ。


「だから、他に何か手はありませんか?」


 だがそのとき。シャインの発言に言葉を失う大人たちの背後で、扉を叩く音が聞こえた。


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