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第一章 過去四

 急いで飛び出した空の上は先程までの穏やかさが嘘のような、ひときわ強い風が吹いていた。

 耳のすぐそばで、ざあっと吹き荒れる風の音が鳴る。

 風にあおられ、視界の隅で揺れる己の短い金髪すらも鬱陶しく感じながら、シャインは真っ直ぐに前を見据えた。

 胸の奥で鳴り続ける警鐘は、治まるどころか更に激しさを増す一方だ。


(急がないと……!)


 逸る気持ちを堪え、手綱を握る手に力を籠める。そんなシャインのすぐ近くで、ばさりと力強い羽ばたきがあがった。

 そしてその音に重なって、澄んだ少年の声が響く。


「おい! どこへ行くんだ!?」


 苛立ちの滲むそれは、通常であれば軽く聞き流せるような言葉だったが、焦燥感に駆られている今のシャインには酷く煩わしいものだった。

 それでも、彼に八つ当たりするのも大人げないので、あえて落ちついた口調で言う。


「森の一角に大きな岩場があるからそこへ。あそこなら見晴らしもいいし、フォルクでの移動もしやすいから、父たちはそこを一時的な拠点にしている筈」


 ジーファの森は豊かだが、少しでも奥に入ると鬱蒼と木々が生い茂っている。ただの馬に騎乗しているのであればともかく、父たちが乗っているのがフォルクであれば相応の配慮が必要だった。


(何しろフォルクにはこの羽があるもんなぁ……)


 シャインは己の跨っている愛馬の背に広がる両翼を見下ろし、しみじみと息を吐いた。

 まだ若い純白のこの駒は、二年ほど前からシャインが世話をしている天馬だ。密猟者に母親を殺され、さらに捕獲されかけていたのを、偶然見かけたシャインが助け出した。

 拾った当時はまだ幼く、だからある程度成長したら手放そうと思っていたのに、一緒に過ごしているうちにすっかりシャインに懐いてしまった。


(天馬って、ものすごく気位が高くて、乗りこなすのはとんでもなく大変だって聞いてたんだけど……?)


 確か、余程優れた武人にしかその背に乗ることは許されないという話だった筈なのだが。

 だが、レナと名付けたこの天馬はかひどく人懐っこい性分で、シャインの姿を見る度にこちらへとすり寄って来る。

 時折シャインが、他の天馬でない普通の馬に乗っていたら拗ねるくらいだ。


(そりゃ、正直言ってありがたいんだけどね? 徒歩か馬で地上を進むのと、空中を移動するのとでは時間も労力も凄い差があるし!)


 この摩訶不思議といっていい世界には科学によって生み出された車や飛行機などは存在しないので、移動手段は限られている。

 その中で、最速ともいえる移動方法が、このフォルクだ。

 といっても、フォルクはかなり個体数が少ない種で、しかも人の手による繁殖が難しい生き物である。

 それゆえ、このカムル国で唯一、天馬に乗って任務を遂行する王立騎士団の騎士たちは民の憧れの存在と言えた。

 フォルク特有の青の瞳にちなみ、通称青騎士とも呼ばれる彼らの評判は、僻地であるロレンネにすら届くくらいである。

 ただ、幼い頃から父の長年の相棒であるヴィーを見慣れている上、更には領内でしばしばその姿を見かけていたシャインにはフォルクがそれ程特別な存在であることはあまりよく分かっていなかったのだが。


(でも、この子だってそんなフォルクを乗りこなしてるんだけど?)


 シャインは赤い髪の少年と彼が騎乗する漆黒の天馬――名はアディというらしい――をこっそりと盗み見ながら、心の中でそんな愚痴を零した。

 正直かなりの速度を出しているというのに、ぴたりとシャインに着いて来る。しかも、特に無理しているような様子もない。

 ルシードという彼の名前は、父親である公爵の口からよく出ていたので、シャインも元々知ってはいた。とはいえ、これまでに自分たちが直接顔を合わせたことはなく、今日が文字通りの初対面であるのだが。


(うーん、それでも、ケリー小父様ならそんなスパルタ教育もありか)


 ちなみに、昔からかなり頻繁にロレンネを訪れていたケリーが、実はラーフェン公爵家の当主であることをシャインが聞かされたのは比較的最近の話だ。

 彼は愛馬であるグレイがいるということもあってか、供も連れずに伯爵領に来ていたので、シャインも気づくきっかけがなかったのだ。

 父の親しい友人だとしか認識していなかった彼が、まさかそんな高位の身分にある相手であるとは夢にも思うわけがない。


(まあ、公爵家なら嫡子に天馬を与えるくらいのことは簡単だろうけど。ただなあ……)


 シャインの眉間に皺が寄った。

 はっきり言って、頭が痛い。まさかこんな状況で、自分を追って彼が飛び出してくるとは想定外だ。


(いや、それを言ったらそもそもアルゴーの大群も、館への襲撃も有り得ない事態なんだけど! そうなんだけど!)


 誰に対するでもない主張を、シャインは胸の奥で繰り広げる。

 そんなシャインのしかめっ面に気づいたのか、訝しげなルシードの声が届いた。


「なあ、今更だけど、何でおまえだけで出て来たんだ? さっき、家令が見せていたものがその原因か?」


 そのものずばりの指摘に、シャインは思わず言葉を詰まらせた。

 口にするべきかどうか、迷ったのは一瞬だった。この現状を思えば、伝えておいた方がいい事実なのは確かなのだ。

 シャインの懐に入れている、ほとんど重さを感じない小さな包みが、とたんにずしりとその存在を主張したような気がした。


「そう。ほら、露台で私が斬り付けた三人の男たち。すぐに身柄を拘束されたみたいなんだけど、彼らが隠し持っていたのが、相当に面倒な代物でね」

「面倒?」


 不可解そうに訊き返され、シャインは更に続けた。


「うん。私も精製された実物を見たのは初めてだった。あれはね、コーネルの実を原料とする解毒薬」

「解毒っ……て!?」


 物騒な単語に、ルシードの表情が一変する。


「沙漠にいるメリーヴェって蝶を知ってる? 青と黄色のすごく綺麗な蝶なんだけど、鱗粉に毒を持っててね。それが、ほんの少しの量でも致死量になる猛毒で……。唯一、それを解毒できるのがコーネルなの」

「どうして、そんなやばい物がここで出てくるんだよ!?」

「そんなの、私の方が訊きたいくらいだけど。でもそれ以上に気掛かりなのが、あの襲撃者たち。明らかに館の守りが手薄になっているだろうと知ってやって来てた。彼らの狙いが伯爵邸だけならいいけど、森の方に行ってる可能性も捨てられない」


 こちらは幸いにも毒による被害を受けた者はいなかったが、もしものことは考えられる。

 普通であれば、コーネルの解毒薬を持ち歩くことなどそうそうない。仮にそんなことがあるとすれば、それを必要とする可能性がある人間だけだ。それには、己が所持していた毒を誤って取り込んでしまいかねない者も挙げられるだろう。

 つまり、解毒薬を身につけているということは、同時にその解毒の対象となる毒そのものも持っていると想定しうるのである。


「もし、万が一にも、森に向かった父たちの誰かが、襲撃されて毒を受けていたとしたら? ……それとね、この解毒薬は、早めに使わないと効果がない」


 そしてもしもそんな状況に陥ってしまえば、一分一秒を争うのだ。

 これがただの取越し苦労であればいい。心の底からそう願いながらシャインが説明を終えると、詰めていた息を吐き出す音がした。


「……それなら、確かにおまえが急ぐのも無理はないが」


 幾分苦々しげではあったものの、ルシードの口調には得心した響きがあった。

 その案外理性的な態度に、シャインは少しだけ驚く。

 けれども折よく目指していた場所が見えて来たため、シャインはそのまま口を閉ざした。

 開けた岩場に近付くにつれて、その場にいる人々の姿が明瞭になってくる。

 シャインはレナの手綱を引き、速度を緩めた。

 己の存在を知らしめるため、上空を半周してから、ゆっくりと地上に降下する。

 シャインを乗せたレナに続き、アディとルシードも下りてきた。

 下馬した二人に真っ先に駆け寄ってきたのは、父の側近であるシュナルだった。


「シャイン様!?」


 驚きも露に呼びかけて来る彼に、シャインは短く尋ねる。


「父はどこにいますか?」


 シャインの鋭い声音に、シュナルは瞬時に何かを察したらしい。

 改まった様子でシャインに向き直り、指先で北西の方角を示しながら話し出した。


「ケリー様と共に、ここから少し離れた湖の近くにいらっしゃいます。幸いアルゴーの数はかなり減らせたのですが、どうやら領民が何人か、その周辺に逃げたようなのです」

「じゃあ、その人たちを保護するために?」

「ええ」


 シャインは少し間を置き、改めてシュナルを見た。


「それで、皆は大丈夫なの? アルゴーに襲われて怪我などはしていない?」


 心配のあまり強張った表情で尋ねたシャインに、シュナルは柔らかく答えた。


「多少負傷した者はおりますが、せいぜい掠り傷程度です。シャイン様がご心配なさるほどのことはございません」


 落ちついた声とその内容に、シャインは少しだけ胸を撫で下ろす。

 少なくとも今のところは、ここにいる顔ぶれに大した被害はないようだった。


「それよりシャイン様。何故こちらにおいでになられたのです」


 深い茶色の目がシャインを見た。彼も、父が出した指示を知っているのだろう。そして、それに反する行動に出たシャインを明らかに咎めている。

 その視線の意味は分かったので、シャインは簡潔に館の襲撃とそして自らの懸念を口にした。


「……杞憂で済めばいいの。でも、そうでなかったとしたら? 館の方は、セラフがいます。あちらは彼に任せれば問題ありません。そして、この状況で最も素早く動けるのは私でしょう?」


 シャインは騎士ではないが、レナに騎乗することができる。

 数少ない天馬で移動できる人間は希少であり、そして今が一刻を争う事態だからこそ、シャインは自分が出るのが最善だと判断したのだ。

 ……ただ――。

 シャインは危うく寄りそうになる眉間を堪えた。

 数歩ほど離れた場所に立つ、赤い髪を視界の隅に捉えながら、声にならない声でひそかに呻く。


(想定外の余計なお荷物がくっついてきたけどね……)


 はっきり言って、勘弁して欲しい。

 他人様のお宅の大事なご子息を危険な目に曝すなど、そもそも言語道断なのだ。

 更にそれがこちらよりも遥かに高位な家だなんて、頭を抱えるしかないというのに。

 これは断じてシャインだけの意見ではない。実際にシュナルもちらちらとルシードを横目に見つつ、微妙な表情を浮かべている。

 どうして連れて来たんだ、と語る無言の目に、シャインも同じく目線で返した。

 ――そうしようとしたけれど、振り切れなかったんです。

 視線だけで告げたシャインの意図を、シュナルも理解はしてくれたようだった。だが、同時に浮かべられた表情はそれでも納得がいかないとばかりで、シャインは複雑な心境になる。

 しかし、そんな二人の内心を余所に、北西を眺めていたルシードが身を乗り出した。


「おい! あれ!」


 その声に、シャインはとっさに彼の指先を目で追った。次いで、息を呑む。

 上空に向かって翔け上がる、幾つもの影。

 多少距離はあっても、その輪郭で人馬であることは一目で分かった。

 ただ、分からないのは。


「……何だ、あの動きは」


 天馬とその騎手は空中へと上がったものの、彼らがそれ以上移動する様子はない。

 遠目にはその場に留まっているようだが、一体何故――。

 ふいによぎった予感に、シャインはレナの背に飛び乗った。

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