第一章 過去二
君と同い年だよ、とシャインが父から紹介された少年は、鮮烈な赤い髪と見ているだけで吸いこまれるような紫の瞳をしていた。
未だに前世の感覚を色濃く残しているシャインには、そのどちらの色も人が纏うには馴染みのないものだ。しかしそれでも、その二つがとても綺麗なものだとは思った。
ただそれは、彼のいかにも不本意そうな目つきさえなければ、の話だったのだが。
(うーん、これは……)
顔には出さなかったものの心の中で溜息を吐きつつ、シャインはどうしたものかと考えた。
シャインを見つめる少年の眼差しは、どういうわけか非常に鋭い。涼しげな印象を与える目元もあって、これは向けられた相手が自分でなければ間違いなく委縮していたことだろう。
ただこちらは中身が中身なだけに、何故なのかと内心で首を傾げる程度のことでしかないのだが。
(えー、私、初対面の男の子にここまで睨まれるような心当たりなんてないんだけど)
さすがにこんな目立つ子なら、一度見たら覚えているだろう。
色彩もそうだが、彼はそれ以上にとても整った、美しいとすら言える容貌をしているのだ。
でもだからこそ、そんな子にこうして自分が敵視される理由が謎である。
――なら、ほっぽっとけばいいか。
深くは考えず、シャインはそう判断した。
十二年過ごしたシャインの実感として、この世界は前世の自分が暮らしていた場所と比べると、かなり厳しい所だ。
幼少時の死亡率がかなり高いうえに、人々の平均寿命も六十年に満たない。
そして、成人年齢は十六歳で、十二歳にもなればその前段階と見做される。
つまり、完全な大人ではないが、その直前の猶予期間にいる者と扱われるのだ。
全ての責任を負わされるわけではないにせよ、いずれそうなる心構えは必須とされる。
(大人であることを要求されるのが早いから、必然的に成長せざるをえないんだよね。たまに領内の子たちを見かけるけど、皆『前』の私が知っている同年代の子たちと比べて、精神的な年齢がずっと上だと思うもの)
無論それは善し悪し云々ではなく、ただ単に、それがこの世界この時代に必要とされていることだというだけの話だが。
つらつらとそんなことを思いつつ、シャインが当たり障りのない笑みを浮かべて口を開こうとした、その瞬間。
「マティス様!」
空気を切り裂くような鋭い声が、室内に飛び込んで来た。
いつでも温厚で慇懃な態度を崩さない家令が、主の許可を待たずに踏み入って来る。
その信じがたい光景にシャインが呆然としていると、リード伯爵である父が静かに言った。
「何があった」
「ジーファにアルゴーの大群が現れました」
端的な言葉に、シャインも思わず目を瞠る。
ジーファは伯爵領であるロレンネの北東に位置する深い森だ。山の麓に広がる豊かな森は、周囲に暮らす領民の生活を支える重要な拠点でもある。
(そのジーファに、アルゴーが?)
本来、黒大蜥蜴とも呼ばれるアルゴーが生息しているのは高山の筈だ。山麓で見かけることなどほとんどないというのに。
「原因は?」
「今のところは何も分かっておりません」
「民の避難はどうなっている」
「まだ村の中には入って来ていないようなので、すぐに逃げ込めた者は支障ないとのことです。ですが、付近の田畑や森に出ていた者たちはまだ……」
家令はそこで一度言葉を切り、硬い声音で続けた。
「戻らない家族を、探しに行こうとしている村民たちもおります。現状どうにか押し止めているようですが、このまま飛び出してしまうかもしれません」
それは無理もないだろう。何しろ人すら喰らう巨大な蜥蜴が村の近隣をうろついているのだ。自分の家族がそんな場所にいるかもしれないと思えば、駆け付けたいと思うのは当然だ。
しかし気が気でないというのは分かるが、そうかといってこの状況で下手に捜索に向かえばどんな二次被害が起きるやもしれないというのもまた事実である。
「セラフ、館内にいる男たちを集めてくれ。私はすぐにヴィーに乗って出る」
家令にそう指示を出して立ち上がる父に、ラーフェン公爵が落ち着いた口調で言う。
「マティス。ついでだ、俺も連れて行け」
「ケリー! おまえな!」
「実際、人手はあった方がいいだろうが。幸い俺はここにグレイで来てたわけだし。フォルクに乗って動ける人間がいるのといないのでは大違いだ」
公爵の発言に父は何かを言いかけたものの、不承不承といった様子で口を閉じた。
ここで言い争っている時間の余裕はないと、そう思ったのかもしれない。
仕方なさそうな、不本意そうな表情を一瞬だけ浮かべ、友人を見る。
「……頼む、助かる」
そうして短いやり取りを済ませ、父は次いでシャインの方を振り向いた。
「シャイン、館のことは君に任せる。何かあったらセラフと相談して対処するように」
「承知しました」
頷きながらシャインはこれから己のするべきことを頭の中で数えていく。必要な物資の確認や急患への対処、各地の情報の把握に領民への伝達など、やることは山積みだ。
だが、それらの段取りについて思考を巡らせていたシャインのすぐ近くで、声変わり前の澄んだ少年の声があがった。
「父上! 俺も同行させて下さい!」
そう話す少年の瞳には強い光が浮かんでいたが、彼の父親はその言葉をすげなく却下した。
「駄目だ。ここはロレンネだ。我が家の領でしているお遊びじゃない。相手はアルゴーで、しかも大群だ。単にフォルクに騎乗できるだけのおまえでは話にならない」
きっぱりとそう言い切る公爵は、かつて名を馳せた騎士だったと言われても頷けるだけのことはあった。
そして、昔シャインの父と並び立って戦っていたというその人は、少し苦笑してこちらを見る。
「君には迷惑をかけるかもしれないが、この子のことは雑用係とでも思って好きに使ってくれ。我儘を言うようなら叱り飛ばしてくれて構わないから」
僅かに細められた紫の双眸は、穏やかにシャインを映している。だが、彼と向き合っているシャインの心情はというと、大荒れ以外の何物でもなかった。
(いやいやいやいや、ちょーっと、お待ち下さい?)
そちらとこちらとの家格の違いというのを、まるっと無視しないで頂きたいのですが、と危うく口を衝いて出そうになった言葉をシャインはどうにか呑み込んだ。
何しろかたや王族とすら縁の公爵家、かたや辺境の伯爵家だ。
いくら子供同士のことで、更に父親が友人関係にあるとはいえ、歴然とした身分差というのはそうそう蔑ろにできるものではない。
無茶振りすんな、というのが正直なところだったが、しかしそんな本音を暴露するわけにもいかずにシャインが曖昧な笑顔を浮かべていると、大人二人は部屋を出て行った。
遠ざかる背中を見送った後、シャインは正面を向いたままちらりと横に視線を動かした。
そしてその一瞬後に、緑と紫の二対の眼差しが交差する。
(えー、もう、どうしろっての)
気づかれないだろうと思っていたのに、何故かしっかりばっちりぶつかってしまった目に、シャインはつい胸の内でそうぼやいた。
それでも、さすがにこのまま彼をこの部屋に放置しておくのもあんまりな話だ。
ひとまず自分と一緒に来るかどうか、シャインが彼に尋ねてみようとした、その矢先だった。
遠く離れたところで、突如として悲鳴と怒号があがった。




