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序章二 悪足掻き

 広すぎるわけではないがそうかといって狭すぎるわけでもない、ほどほどの大きさの馬車の中にいたシャインの耳に、出発する御者の掛け声が聞こえてきた。

 馬がゆっくりと歩き出し、ガラガラという音とともに体に静かな振動が伝わってくる。

 伯爵邸からの帰路に就いたシャインは、馬車がある程度走り出したところで、ようやく取り繕っていた仮面を放り捨てた。

 その白い面に浮かぶのは、硬質で冷ややかな無表情だ。そこには先程まで湛えていた柔和かつ隙のない微笑みは欠片もない。

 人形のように整った顔立ちをしていると評されるシャインが笑みを消すと、見る者によってはひどく近寄りがたい印象を抱くようなのだが、この場に同席している人物はそんな気後れとは一切無縁の性格の主だった。


「なんだ、不機嫌そうだな」


 そして実際に、そう語る声は完全に常と変わらぬものだ。

 ……いや。むしろこれは、比較的機嫌がいいときの響きだろう。

 そう気づいたシャインは、向かいの席に座る相手をじろりと見た。


「そっちこそ、随分楽しそうじゃないの?」


 刺々しいシャインの態度は到底淑女のそれではない。しかし、向ける対象がこの男であれば話は別だった。


「まあ、人助けが上手く行ったんだから、それは祝うべきことだろ?」


 面白そうに話すその様子に、シャインはいささかむっとする。それでも彼の言っていることは間違ってはいなかったので、しぶしぶながら頷いた。


「――まあ、ね。それは否定しないけど」


 ただちょっと、こちらの計画が頓挫しただけで。

 シャインは心の中だけでそうこっそりと呟いた。


(本当に、今度こそはと思ったのに)


 何でこうも、毎度毎度暗礁に乗り上げるような事態となるのだろう。

 そんなシャインの内心の言葉を見透かしたように青年が言った。


「おまえもいい加減、悪足掻きは止めたらどうなんだ」

「――はああ!?」


 シャインは髪と同じ金色の眉を吊り上げた。言うに事欠いて、悪足掻きとはなんだ、悪足掻きとは。


「だって事実だろうが。何だっておまえはこう、いつもいつも難儀な事情を抱え込んだ男にばかり狙いを定めるんだ」


 彼はゆっくりと指を折りながら幾つもの名前を挙げて行く。


「モンティ伯爵にリッヘン侯爵子息、スモィモラ伯爵子息だったか。それ以外にもまだいた筈だが、ことごとく訳有りだっただろう」


 そうして、呆れの滲んだ声で続けた。


「隠し子や過去に別れた恋人がいたりするのは序の口で、凄いのになると実はやんごとなき御方の血筋だったりとか、裏組織の幹部だったりしたよな。よくもまあ、こんな面倒なのばかり引き当てて来るもんだ」


 目は口ほどに物を言うというが、向けられた何とも言い難い眼差しにシャインは思わず言い返した。


「ちょっと! 人に見る目がないみたいな言い方はやめてよね! 確かに、私がお相手にと見定めた皆様方に、色々な経緯があったのは事実だけど!」


 その結果、自分と彼らとの縁は綺麗さっぱりなかったわけではあるが!

 でも、それでも、だ。幾らあれこれ背負う物はあったにせよ、彼が挙げた男性たちは皆、誰もがこの上なく真っ当な人間性の持ち主ではあったのだから、節穴呼ばわりは心外である。

 ――いいや、それ以上に!


「けどね! ルシード! 私が誰かに目当てをつける度に、その対象者の背景を根こそぎ調べ上げる貴方だって普通とは言い難いんじゃないの!?」


 なんせこの男ときたら、夫候補にとシャインが検討するその都度、相手側の様々な実情を探り当て、その挙句に話をなかったことにせざるを得ない事態に持ち込むのだ。

 さすがにそんな男にだけは言われたくないと睨み付けたが、シャインの苛立ちを余所に、彼はどこまでも涼しい表情をしている。

 まさしく暖簾に腕押し、若しくは糠に釘だ。


(あー、そういえば似たようなのに『豆腐に鎹』ってのもあったっけ)


 と言っても、今の自分の周囲には暖簾はともかく糠や豆腐はないので、そんな言葉を口にしたところで通じるわけもないのだが。

 逃避以外の何物でもないと自覚はしつつも、シャインはそんな明後日なことを考える。

 だが、無理もない、とも思う。だってこれでまた、ふりだしからやり直しだ。

 一体何度こんなことを繰り返しているのか、考えるだけでも頭が痛い。

 それにしても、どうしてこんなことになってしまったのか。

 今のこの状況がかつての己の行動が招いたものであることは承知していたが、そうと分かっていてもシャインはつい愚痴りたくなった。

 はああああっ、と重い溜息を吐き出す。

 気力を使い果たし、シャインはそれまで伸ばしていた背筋を背もたれに預けた。


(何かもう、色々疲れた)


 貴族令嬢としてはあるまじきだらしのない格好だが体裁を取り繕う余力はとうにないし、しかもこの場にいるのはこちらの実態を良く知る、まあ昔なじみの友人といっていい関係の男である。


(ルシードしかいないんだから、どうでもいいか)


「おい、こら。お偉方に淑女の鑑とまで称賛されているリード伯爵令嬢が何してる」


 向かいの席からルシードのお小言が飛んできたが、シャインは今更だとやさぐれた。


「貴方がそれを言う? そっちだって、社交界では貴公子の中の貴公子だなんて騒がれてるくせに」

「周囲が勝手にそう言ってるだけだろ。それにしても、おまえは本当に内面と外面の差が激しいな」


 呆れたような感心したような感想は、人前では完璧な淑女として立ち振る舞うシャインを知っているからなのだろうが。


「魚心あれば水心よ。私だって礼には礼を尽くしてます」


 つまるところ、こちらの態度はそちらに合わせたものだと言い返すと、ルシードは肩をすくめた。


「相変わらず、口が減らない奴だな」


 それには多少かちんときた。


「貴方だって、十九歳にもなるっていうのに、性格の悪さは全く変わってないじゃないの」


 シャインがルシードと最初に顔を合わせたのは、互いに十二歳のときだった。しかしこの男は、あの頃と比べて見た目はともかく、中身はほとんど成長したようには思えない。

 それゆえに、自分が彼と話すときにはこんな昔と変わらぬ子供じみた言い合いになるのだ。


(大人げないとは分かってるけど、でも、これは決して私だけのせいじゃないし)


 シャインだって、彼がこうして絡んで来なければ、令嬢らしくきちんとした対応をとるというのに。

 そう内心でふてくされているうちに、馬車は目的地に着いていたらしい。

 がくんっと、体が揺れる衝撃にシャインは急いで身を起こした。

 小窓に掛かっていた目隠し用の布を軽く持ち上げ、外を見る。次第に近づいて来ているのはシャインの自宅の正門だった。

 そうして家の前で停止した馬車からシャインが降りようとしていると、目の前にルシードの片手が差し出された。

 その手に、シャインは一瞬だけ逡巡する。

 確かに、伯爵令嬢がエスコートもなく飛び下りるのは褒められた行いではない。ない、のだが――。

 それでも、未だにシャインはこうして彼の手を取ることに躊躇いを覚えずにはいられない。

 それと気づかれぬ程の僅かな間を置いた後に、シャインはそっと片手をルシードに預けた。そうして地面に足を降ろすと同時に、シャインの全身に冷たい風が吹き付ける。

 いつの間にか、随分と暗くなっていたようだ。

 冬の日が落ちるのは早い。沈み始めた空を見上げると、すでに一番星が光っている。


「じゃあな」


 短くそう告げて馬車の中に戻るルシードを、シャインは慌てて振り返った。


「待って」


そのまますぐに馬車を出そうとする彼を呼び止める。

 ここに着くまでのあれこれに不本意な点がないわけではないが、言うべきことは言うべきだった。


「あの、送ってくれてありがとう」


 急いで礼を述べるシャインに、ルシードは目に笑みを浮かべる。

 別れ際に覗かせたその表情は昔と変わらぬ無邪気なもので、シャインはふと、最初に彼と出会ったときのことを思い出した。

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