嘘つきな僕と文芸部の先輩
結局のところ、誰にも聞かれない音楽に価値はない。よく『自分の感情に身を任せて歌いたいことを歌えば、いつかきっと誰かの心に響く』なんてことを言うヤツがいるが、そんなのは真っ赤な嘘だ。
人は自分が感情移入できる歌詞や共感できる歌詞を望む。曲だってノリが良くてなんとなく明るい曲が好まれるし、好き勝手書いた歌詞には誰も見向きしちゃくれない。楽曲を一本作るのに俺の感情なんて必要ない。それを歌うときだってそうだ。
なぜなら、それは聴き手の感情移入を邪魔するノイズにしかならないから。
だから僕は読者に――
◇
「ああくそ、また間違えた」
僕は部室にあるノートパソコンに向かいながら、悪態を吐いた。自分の小説の中で創作の話をしようとするといつもこうだ。僕は自分の話を直接作中でするのが嫌いだから、創作の話をするときは小説以外のことで表現する。
例えば、音楽とか。
例えば、ゲーム制作とか。
例えば、アニメ制作とか。
ただ、それはつまり実際の僕のようでいて実際の僕ではない存在を作中で描くということになる。すると、たまに主人公の口調や作中で語っている内容に矛盾が生じる場合があるのだ。
それこそ、主人公の一人称が『俺』だったのに急に『僕』になったり、音楽の話をしていたのに急に小説の話になったり。そうなってくると、僕の感覚は急に現実世界に引き戻される。今このような書き方をしていることが、ものすごく恥であるような感覚に陥る。もちろん、その感情は気持ちのいいものではない。
だから、書く手も止まる。
とはいえ、これをすることのメリットというのももちろん存在する。
これをすると、僕という存在が作品の中でどんどん曖昧になっていき、読者はその曖昧さを自分の都合のいいように解釈してくれるのだ。
ちょっとばかり人聞きが悪いのは理解している。だが、こういうのが結局一番『ウケ』がいいのだ。まあ、僕の作品がそんなにウケているのか、という問いの答えはおそらく『ノー』なのだが。
文化祭での展示では、展示に来てくれた人は手に取ってくれるし僕の作品を読んでもくれる。けど、感想をくれるわけじゃない。文芸コンテストだって何度か応募しているけれど、受賞はしたことがない。講評シートは貰ったことがあるけど、せいぜいそのくらいだ。それも、別にいい評価ではなかったし。
かたかた、とパソコンのキーボードを打つ手が徐々に遅くなっていく。このままじゃダメなような気がしてくる。自分の打っている文章に自信がなくなってくる。僕の手がついに動きを止めたあと、僕はキーボードから手を離した。
集中が途切れたからか、さっきまでは気にならなかったはずの室内の暑さが気になるようになった。部室棟の部屋の大半はクーラーがついていないせいで、場所にもよるが大抵は蒸し暑い。
僕は汗で肌にへばりついたシャツと下着をべりべりと引き剥がした。
僕がなんでこんな暑い場所で作業をしているのか、というのには二つの理由がある。
ひとつ、僕の家の僕の部屋も同じく暑いこと。
ふたつ、ここは静かだから、家よりも集中できること。
今の文芸部はかなりの過疎状態で、部員の大半が幽霊部員となっている。実質今活動しているのは、僕とあと一人の先輩だけで、全然人が来ないからよく集中できる。
まあ、そのせいであと数年もすれば廃部になるだろうが、それは僕にとっては別にどうでもいい。僕が卒業する時まで残ってさえいれば、それで。
僕はどうも面白く感じなくなってきた自分の文章とにらめっこしながら、部室にある古びたソファーに逆さまになって座る。いや、これって座ってるって言っていいのかな。
僕は意味のないことで悩みながら、上下反対になったパソコンを眺めていた。
その時、ギィと部室の扉が開く音がした。どうやら、噂をすれば『先輩』が来たらしい。
「おっ邪魔しまーす――って松宮くん、何してんの」
「藤宮先輩、お疲れ様です。何って、ソファーに逆さまになってるだけですよ」
僕は懇切丁寧に真顔で説明した。
「まって……真顔で言われんのマジ面白いからやめて……」
僕の言葉を聞いた先輩は、腹を抱えて必死に笑いを堪えていた。そんなに笑われると、こっちまで笑いそうになってくるじゃないか。しかしこの状況で僕まで吹き出したらさすがにダサすぎる。
僕も必死に笑いを堪えるハメになった。
「作家って書けなくなると奇行に走りがちじゃないですか。そういうことですよ」
それから、僕は『まあ作家というほど立派なもんでもないですが』と付け加えるように言った。
「あー、言いたいことは分かるけどさ」
先輩は苦笑いしたあと、少しの間を開けて僕の隣に座った。
「先輩は執筆のほうは順調ですか?」
「最近はあんまりかな。部長としての仕事もそうだし、家のことも継続してやらなきゃだから」
そう言って先輩は笑った。
先輩には年の離れた妹がいて、その妹の世話なんかもあって大変らしい。家事も普段からやるほうみたいだし。そのうえで部長としての仕事もそつなくこなしているし、僕とは雲泥の差だ。
こんな優秀な人に、作品の出来ですら勝てないのかと思うと悲しくなってくる。
「そうですか。残念ですね」
「残念って、何が?」
「先輩の作品が読めないことです」
正直言って、先輩の小説は面白い。僕のと比にならないくらい面白い。
「そう? いやぁ嬉しいこと言ってくれるね」
「そうですよ。先輩の作品面白いんですから。もっと誇ってください」
「うーん……正直あたしは松宮くんの作品のが面白いと思うけどねぇ」
そんなまさか、万が一にもあり得ない。
……と、いうようなことを言うと否定されるので、もっとやんわりとした言い方で否定することにする。
「そうですかねぇ。僕はあんまりそう思わないですが」
第一、僕の作品が大した評価をもらったことなんてない。対して、先輩は過去文芸コンテストで優秀賞をもらったことがある。その賞にはもうひとつ上の最優秀賞という評価があったから、最高評価ではないが、どちらにせよかなり高い評価だ。
つまり、客観的事実として僕の作品のほうが面白くない。
「……あと、そろそろ上下もとに戻って欲しいんだけど。あたしのこと褒めてくれるのは嬉しいけどその状態でやられるとギリ面白さが勝つよ」
「ああそうですね。そろそろ頭に血も昇ってきたので戻ります」
僕は『よっ』と声をあげながら足を床に向けて普通にソファーに座った。
「どう? 続きは思いつきそう?」
「全然ですね」
「ありゃ、それは残念だ」
藤宮先輩はそう言って少し笑った。
というかそれ以前に先輩との会話に思考リソースを割いていたから、別に続きとかは全く考えていなかったな。そう思って改めてパソコンの中に目を移すが、まあ特にさっきと変わったところはない。
ここが面白くない、そこがダメ、ここがなんか引っかかる。そもそもこの展開って最初から微妙なんじゃないか?だいたいそんなところか。きっと、先輩ならもっと面白い作品をもっと早く書けるんだろうな。
羨ましい。
いや違うな、羨ましいんじゃない。眩しいんだ。
大した才能もないくせにただひたすらに意味のない文字の羅列を書き並べて、挙げ句誰にも評価されない見られない愛されないと嘆く。そんなことをしている暇があれば、もっと先輩みたいに誰かにとって価値のあることでもしてみたらどうなんだ、という言葉が脳裏をよぎった。
そんなことは分かってる。でも今の僕は『こう』だから、これ以上はできない。
「……先輩は、卒業したあとはどうするんですか?」
先輩はスマホをいじっていた。スマホで小説を書いているのか、それとも動画でも見ているのか――まあ先輩がわざわざ部室に来てスマホをいじっているということは、前者だろう。部室にはひとつしかパソコンがないし、だいたいどっちかが使ってたらどっちかがスマホで執筆している。
「どう、って?」
僕の曖昧な質問に、先輩はそう聞き返した。
「いや、小説は続けるのかってことですよ」
「あー……まあ、しばらくはお休みかな。その後は、分かんない」
「……そうですか」
もしかして、先輩は小説を辞めるんじゃないかと思った。
もしそうなら、やめないでほしいと思った。僕は、まだその背中を追いかけていたかったから。でも、僕はそんなことは言わなかった。言ったら、きっと迷惑になるから。
「残念そうだね」
先輩はスマホを置いてそう言った。
「そりゃあ、好きな作家が引退したら残念でしょう?」
僕はノートパソコンをパタンと閉じて、後ろに並んだいくつかの本からひとつを手に取った。先輩と話している状態で作品が進むとは思えなかったし、気分転換だ。
「はっはは、あたしのことを好きな作家だって思ってくれるなら嬉しいね」
「僕にとっては、そうです」
僕は椅子に座って本を開くと、そう言い切った。
それから、少しの間部室に沈黙が流れた。
どことなく居心地の悪い沈黙を破ったのは、先輩の言葉だった。
「キミもさ、作家なら『文学を好む人間は皆、孤独である』みたいな話は聞いたことあるでしょ?」
「ええ、まあ」
この界隈にいるとよく耳にする話だ。主語が大きいわりにこのテの話が消えないということは、その言説に一定の支持があることの証明なのだろうと僕は思う。完璧な真実だと言い切ることはできないが、真実の端っこをかすめる程度の言説ではあるのだろう。
「あたしも『そういう人間』だ。まして、自分で書きはじめる人間なんてみんなそうだ――ってのは言いすぎかもしれないけどね」
「そう……ですね」
『言いすぎかもしれない』というところまで含めて、僕は肯定した。
すると、先輩は立ち上がって僕の後ろにある本棚のほうに目をやった。
「じゃあ自分の中にある孤独を失ったら、人は文学に触れなくなるのかな?」
「……分かりません。僕にとってそれは考える必要のないことでしたから」
僕もそんなことを考えたことがあるが、今の僕にとってそれがどれだけ無意味な問いなのかは理解していたから、そのときはすぐに考えるのをやめた。
たぶん、僕は一生この孤独と付き合っていくんだと思う。もうマブダチもいいとこだし、捨てられる気がしない。
「あたしは怖いよ。自分の中にある孤独を見失うのが。大切にしていたゴミをいつか捨ててしまうのが。予感がするからこそ、余計にね」
先輩の表情は見えなかった。
「失うなら、それでいいと思います。文学だって、そのときは笑顔で見送ってくれますよ。『もう来るんじゃないぞ』って」
本当は先輩にも孤独でいてほしかった。でも、それはわがままな願いだから、それをそっと心の奥底に押し込んで、僕なりの『理想の答え』を口から垂れ流した。
「そうかな」
先輩は小さくぽつりと呟くように言った。
「それに、失ったときはきっと失ったことも忘れてますよ。今は怖いかも知れませんけど、通り過ぎた後は何も怖くない」
「……松宮くんは、そういうのが怖くないのかい?」
どこか縋るような声色だった。
「今のところ、僕は失うことがなさそうなものなので、特に。ただまあ、失うときがあるとすれば――それは少し、怖いですね」
僕は少し考えて、そう答えた。
「そっか。じゃあまあ、いいかな」
どこか含みのある返事だった。しかし、振り返った彼女の目はさっきよりも決意が定まったような目をしていた。やっぱり、先輩は僕より強い。
すぐに答えを出せるんだから。
「……さて、そろそろ帰ろうかな。個人的に有意義な話もできたことだし」
「分かりました。帰りは気をつけてください」
「ありがと。じゃあね」
すると、先輩は部室の扉のほうに向かった。
その背中を見た僕は、無性に恐ろしくなった。ここで先輩を見送ったら、そのまま先輩と二度と会えなくなるような気がしたから。別に、そんなわけはないのに。
先輩が扉を開けて外に出るまでの時間が、いつもの何十倍にも引き伸ばされたように感じた。
カチャリと扉が開かれて、廊下の光が漏れる。
それを見た僕は、居ても立ってもいられなくなって、急いで立ち上がって先輩の腕を掴んだ。
「藤宮先輩」
「え……何? どうしたの?」
僕を心配するような先輩の表情が見えた。
しまった、何も言うことを考えていなかった。僕は必死にどんな言葉を掛けるか考えた。最初に出たのは『行かないでください』だった。でも、そんな言葉はありえない。
僕はその考えを振り払って、こう言った。
「……大学にいっても、頑張ってください」
「まあね、それはもちろん」
僕は先輩の腕を離した。
「あと、僕の思考が先輩の足かせになっても嫌なので言いますが、小説をやめても全然大丈夫です。僕は気にしません」
でも、本当に言いたいことはそうじゃないんです。
小説は、やめないでください。
「あー……まあ、そう言ってもらえると嬉しいかな」
「先輩はすごいんですから、すぐに新しい環境でも馴染めますよ。この文芸部のことなんてすぐ忘れられるくらいに」
僕と一緒に孤独でいてください。
「忘れるかは分かんないけど、松宮くんに言われると少し自信出るね」
「それから――」
行かないでください。
「なんでもないです。気をつけて帰ってくださいね」
「……? うん、ありがと。じゃあね」
パタン、と扉が閉じられた。
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